遺書
與謝野晶子 (Isho) | ||
三
私が 今日 ( けふ ) またこんな物を書いて置かうと思ひましたのは、 花樹 ( はなき ) と 瑞樹 ( みづき ) が学校へ草紙代や筆代で四十六銭づヽ持つて 行 ( ゆ ) かねばならないと云ひまして、前日先生のお云ひになつたことを書いて来た物を持つて来て見せました時、私が居なくてこの子等がこんな物を見せる人がなかつたならと、ふとそんな気がしまして、そんな事などをお頼みする物を書かうと思つたのでした。私は今また遺書ではありませんが、四五年前に死を予想して書いた物のあつたことをふと思ひ出しました。それは私が亡霊になつて 家 ( うち ) へ来ることにして書いたものでした。
東紅梅町 ( ひがしこうばいちやう ) のあの家は書斎も 客室 ( きやくま ) も二階にあつたのでした。 階下 ( した ) に 二室 ( ふたま ) 続いてあつた六畳に 分 ( わか ) れて親子は寝て居ました。亡霊の私が出掛けて 行 ( ゆ ) くのは無論 夜 ( よる ) の 夜中 ( よなか ) なのです。ニコライのドオムに面した 方 ( はう ) の窓から私は家の中へ 入 ( はひ ) ると云ふのでした。私は 何時 ( いつ ) も源氏の講義をした座敷の壁の前に立つて居ました。 青玉 ( せいぎよく ) のやうな光が私の 身体 ( からだ ) から出て、水の中の物がだんだんと目に見えて来ると云ふ風に 其処等 ( そこら ) がはつきりとして来ると云ふやうなことは、私が書かうと思つたことではありません。私はやつぱり電気灯のスイツチを廻して座敷の 真中 ( まんなか ) へ 灯 ( ひ ) を 点 ( つ ) けました。 室 ( へや ) の中は隅々まで綺麗になつて居ました。私は昼間 階下 ( した ) の暗いのに 飽 ( あ ) いて二階へ 上 ( あが ) つて来て居る子供等が、 紙片 ( かみきれ ) や 玩具 ( おもちや ) の 欠片 ( かけら ) 一つを落してあつても、
「この 穢 ( きたな ) いのが目に着かんか。」
とお 睨 ( にら ) み廻しになるあなたの顔が目に見えて 身慄 ( みぶる ) ひをすると云ふのです。または自身達の 散 ( ちら ) して置いた 塵 ( ちり ) でなくても、
「この 埃 ( ほこり ) が目に見えないのか。」
と子供等は云はれたであらう、梯子 上 ( のぼ ) りにだんだん 怒 ( いか ) りが大きくなつて来るあなたは、 終 ( しま ) ひには 縮緬 ( ちりめん ) の着物を着た人形でも、銀の 喇叭 ( らつぱ ) でも、筆の 莢 ( さや ) を折るやうにへし折つて縁側から路次へ捨てヽおしまひになるやうなこともあつたに違ひないと思ふと云ふのでした。床の間は 何時 ( いつ ) 来て見ても私の生きて居た日に少しの違ひもない品々の並べやうがしてあると云ふのです。 唯 ( た ) だ私の詩集が八冊程 花瓶 ( はながめ ) の前へ二つに分けて積まれてあるのだけは近頃からのことであると思ふと云ふのです。本の 彼方此方 ( あちこち ) には白い紙が 栞 ( しおり ) のやうにして 挟 ( はさ ) んであると云ふのです。本の上には京の 茅野 ( ちの ) さんの手紙が置いてあるのです。私は全集に就いてして呉れた 茅野 ( ちの ) さんの親切な注意をよく読んで見たいと思ひながら遅くなるからと思つてそれは 廃 ( や ) めると云ふのです。また私は詩集の中がどんな風に整理されてあるのか見たいとも思ふのですが、自分がどうすることも出来ないのであるから仕方がないと諦めます。 併 ( しか ) しさう思つてしまへば、子供を見るためにかうして時々この家へ来ると云ふことも同じ無駄なことであらうと苦笑するのです。私の 作物 ( さくぶつ ) には生んだ親である自分にも 勝 ( まさ ) つた愛を掛けて呉れる人達が 少 ( すくな ) くも幾人かはある。私の分身の子には厳しい父親だけよりない、さうであるからなどヽ 恥 ( はづか ) しい気もありながら思ふのです。最初には気が附かなかつたのですが、 柳箱 ( やなぎばこ ) の上に私の写真が一枚置いてあるのです。 何処 ( どこ ) かの雑誌社から返しに来たのであらうと思ふと云ふのです。
遺書
與謝野晶子 (Isho) | ||