遺書
與謝野晶子 (Isho) | ||
二
あの××県のあなたの 兄様 ( にいさん ) の 拵 ( こしら ) へておいでになる女学校を、神童時代の次の十八九のあなたが教えておいでになる時、 其処 ( そこ ) の舎監で、軍人の未亡人の切下げ髪の人とかが、毎夜毎夜提灯を 点 ( とも ) して遠いあなたの 住居 ( すまゐ ) を訪ねて来て、あなたを 挑 ( いど ) まうとしながら 表面 ( うはべ ) では学校のあの二人の才媛の 何方 ( どちら ) をあなたは未来の妻にしたいと思ふかなどと云ふ話ばかりをして居たと云ふこと、あなたは第一の才媛は 容貌 ( きりやう ) が悪いから厭だ、あの人ならとあの 方 ( かた ) のことをお云ひになつたのだと云ふこと、京の 北山 ( きたやま ) の林の中へ鉄砲を持つて 入 ( はひ ) つて、あの 方 ( かた ) と添はれない悲しみに死なうとなすつたこと、それから五六年もしてあなたとあの 方 ( かた ) が一緒になつて、女の赤さんを生んで、そしてその子が死んでからお別れになつた時、あの 方 ( かた ) は大きい 柳行李 ( やなぎがうり ) に 充満 ( いつぱい ) あつたあなたの 文 ( ふみ ) がらをあなたの先生の 処 ( ところ ) へ持つて行つて焼いたと云ふこと、こんなことでした。私が 何故 ( なぜ ) 別れるやうになつたのでせうと云ひましたら、 赤坊 ( あかんぼう ) の死んだのが悪かつたのだとあなたは云つておいでになりました。年上の女と恋をするのはどんな気持なものかとも私がお尋ねしましたら、綺麗な人だつたせいか自分は年上とも思はなかつたとあなたは 訳 ( わけ ) なしに云つておいででした。よくあなたや私の知つた人が、年上の女を 娶 ( めと ) つたり、年下の男の 処 ( ところ ) へ行つたりするのを見て 何故 ( なぜ ) ああした気になれるだらうとあなたはよく不思議がつておいでになりました。私は 何時 ( いつ ) も昔のあなたがお思ひになつたやうに 年 ( とし ) と云ふものの目に映つて来ない幸福な 気 ( き ) に包まれた人達なのであらうと、さう云ふ人達に対しては思つて居るだけなのです。あの 方 ( かた ) が何年間かのあなたの心を 蓄 ( たくは ) へた 行李 ( かうり ) を 開 ( あ ) けて人に見せ、焼き尽しもした程 憎 ( にく ) みを見せながらそのあなたの弟や妹に、実姉妹のやうな交際を 猶 ( なほ ) 続けて来て居ることは三四年前まで私は知りませんでした。あなたは私よりもつと 後 ( あと ) までお知りにならなかつたかも知れません。知つておいでになつたかも知れない。 或 ( あるひ ) はまた西洋においでになる時にも 門司 ( もじ ) でお逢ひになつた妹さんの口から何事もあなたへ伝へられなかつたかも知れません。私はお 艶 ( つや ) さんとあなたのお留守に 一月 ( ひとつき ) 程一緒に居ました時、お 艶 ( つや ) さんは私を 苦 ( くるし ) めたいのでもなく、 何 ( なに ) の気なしによくあの 方 ( かた ) のことを 賞 ( ほ ) めてお聞かせになりました。 烈 ( はげ ) しいヒステリイの起つてゐる時などは、悲しい程にさうでした。あなたの兄上や 嫂 ( あによめ ) の君の信用の最も厚い婦人と云ふのはあの 方 ( かた ) であるとも聞きました。私が幾人も残して 行 ( ゆ ) く子供を育てヽ下さるであらうと依頼心をあの 方 ( かた ) に 起 ( おこ ) すやうになつたのもお 艶 ( つや ) さんの言葉が 因 ( いん ) になつて居るのです。 岩城 ( いはき ) さんが某氏の 後添 ( のちぞひ ) にあの 方 ( かた ) を世話しやうかと思ふと云つておいでになつた時に、私は滑稽なことを云ふ人であると思つて笑つたのでしたが、あの時はあなたも 傍 ( そば ) においでになつて、私がさも心から嬉しげに笑つたとはお思ひにならなかつたでせうか、私はあなたのその時の顔をよう見ませんでしたけれど。
私は子供のことばかりを書いて置かうと思つたのでしたが、前に書いた遺書のことから云はないでもいいことを書きました。
遺書
與謝野晶子 (Isho) | ||