海道記 (Kaidoki) | ||
二 京より大岳
四月四日、曉、都を出づ。朝より雨にあひて勢田の橋のこなたに暫くとどまりて、あさましくて行く。今日明日とも知らぬ老人を獨り思ひおきてゆけば、
思ひおく人にあふみの契あらば
今かへりこん勢田の長はし
今かへりこん勢田の長はし
橋のわたりより雨まさりて、野徑の道芝、露ことに深し。八町畷をすぐれば行人互に身をそばめ、一邑の里を通れば亭犬しきりに形を吠ゆ。今日しも習はぬ旅の空に雨さへいたく降りて、いつしか心のうちもかきくもるやうにおぼえて、
旅ごろもまだ着もなれぬ袖の上に
ぬるべきものと雨はふりきぬ
ぬるべきものと雨はふりきぬ
田中うちすぎ民宅うちすぎて遙々とゆけば、農夫ならび立ちて荒田を打つ聲、行雁の鳴きわたるが如し。(田を打つ時はならび立ちて同じく鋤をあげて歌をうたひてうつなり)卑女うちむれて前田にゑぐ摘む、思はぬしづくに袖をぬらす。そともの小川には河添柳に風たちて鷺の蓑毛うちなびき、竹の編戸の垣根には卯の花さきすさみて山ほととぎす忍びなく。かくて三上の嶽を眺めて八洲川を渡る。
いかにしてすむ八洲川の水ならむ
世わたるばかり苦しきやある
世わたるばかり苦しきやある
若椙といふ處をすぎて横田山を通る。この山は白楡の影にあらはれて緑林の人をしきる處ときこゆれば、益なくおぼえていそぎ過ぐ。
はやすぎよ人の心も横田山
みどりの林かげにかくれて
みどりの林かげにかくれて
夜景に大岳といふ處に泊る。年ごろうちかなはぬ有樣に思ひとりて髮をおろしたれば、いつしかかかる旅寢するもあはれにて、かの廬山草庵の夜雨は、情ある事を樂天の詩に感じ、この大岳の柴の夜雨には、心なき事を貧道が歌に耻づ。
墨染のころもかたしき旅寢しつ
いつしか家を出づるしるしに
いつしか家を出づるしるしに
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