University of Virginia Library

一七 鎌倉遊覽

 十八日、この宿の南の檐には高き丸山あり。山の下に細き小川あり。峯の嵐、聲落ちて夕べの袖をひるがへし、彎水、響そそいで夜の夢を洗ふ。年ごろゆかしかりつる處、いつしか周覽相催し侍れども、今に旅なれねば今日は空しく暮らしつ。

 相知りたる人、一兩人はべるをたのみて、物なんど申さんと思ふほどに、違ひて無ければ、いとど便りなくて、

たのみつる人はなぎさの片し貝
あはぬにつけて身を恨みつつ

 さらぬ人は多けれども、うとければ物いはず。その中に古き得意ひとりありて不慮の面談をとぐ。まづ往事の夢に似たることを哀しみて、次に當時の昔に變ることを歎く。互に心懷をのべて暫く相語る。

 その後、立ち出でて見れば、この處の景趣は、海あり山あり、水木便りあり、廣きにもあらず狹きにもあらず、街衢の巷は、かたかたに通ぜり。げにこれ聚をなし邑をなす、郷里、都を論じて、望み、まづめづらし。豪を撰び賢を撰ぶ、門郭、しきみを並べて、地またにぎはへり。おづおづ將軍の貴居をかいまめれば、花堂高くおし開いて翠簾の色喜氣を含み、朱欄たへに構へたり、玉砌の積石光をみがく。春にあへる鶯の音は、好客、堂上の花にさへづり、朝を迎ふる龍蹄は、參會、門前の市にいばゆ。論ぜず、もとより春日山より出でたれば貴光高く照らして萬人みな瞻仰す。土風塵を拂ふ、威權遠くいましめて四方ことごとく聞きに恐る。何ぞいはんや、舊水、源、すみまさりて清流いよいよ遺跡をうるほし、新花、榮えあざやかに開いて紫藤はるかに萬歳を契る。おほよそ坐制を帷帳の中にめぐらして、懲肅を郡國の間につづめたり。しかのみならず、家屋は戸ぼそを忘れて夜の戸をおし開き、人倫は心ととのへて誇るとも傲らず。憲政の至り、治まりて見ゆ。

夜の戸ものどけき宿に開くかな
くもらぬ月のさすにまかせて

 この縁邊につきて、おろおろ歴覽すれば、東南角の一道は、舟しようの津、商賈のあきびとは百族滿ちにぎはひ、東西北の三界は、高卑の山、屏風の如くに立廻りて所を飾れり。南の山の麓に行きて、大御堂、新御堂を拜すれば、佛像烏瑟の光は、瓔珞、眼にかがやき、月殿畫梁の粧ひは、金銀、色を爭ふ。次に東山のすそに望みて二階堂を禮す。これは餘堂にたくれきして感嘆および難し。第一第二、重なる檐には、玉の瓦、鴛の翅を飛ばし、兩目兩足の並び給へる臺には、金の盤、雁燈をかかげたり。おほかた、魯般、意匠を窮めて成風天の望にすずしく、首、手功を盡せり、發露、人の心に催ほす。見れば又、山に曲水あり庭に怪石あり。地形の勝れたる、仙室といひつべし。三壺に雲浮べり、七萬里の浪、池邊によせ、五城に霞そばだてり、十二樓の風、階の上に吹く。誤りて半日の客たり、疑ふらくは七世の孫に逢はんことを。夕べに及びて西に歸りぬ。鶴が岡に登りて鳩宮に參す。緋の玉垣、靈鏡に映じて、白妙の木綿幣、夜風にそよめけり。銀の

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こじりは朱檻を磨き、錦のつづれは花軒にひるがへる。暫く法施たてまつりて瑞籬に候すれば、神女が歌の曲は權現垂跡の隱教に叶ひ、僧侶の經の聲は衆生成道の因縁を演ぶ。かの法性の雲の上に寂光の月老いたりといへども、若宮の林の間に應身の風仰ぎて新たなり。

雲の上にくもらぬかげを思へども
雲よりしたにくもる月影

 月の光にたたずみて、石屋堂の山の梢かすかに眺めていぶせく歸る。