University of Virginia Library

一三 蒲原より木瀬川

 十四日、蒲原を立ちて遙かに行けば、前路に進み先立つ賓は、馬に水飼ひて後河にさがりぬ。後程にさがりたる己は野に草しきてまだ來ぬ人を先にやる。先後のあはれは行旅の習ひも思ひ知られて打過ぐるほどに、富士川を渡りぬ。この川は川中によりて石を流す。巫峽の水のみ何ぞ船を覆さん、人の心はこの水よりも嶮しければ、馬をたのみて打渡る。老馬、老馬、汝は智ありければ山路の雪の下のみにあらず、川の底の水の心もよく知りにけり。

音にききし名高き山のわたりとて
底さへふかし富士川の水

 浮島が原をすぐれば、名は浮島と聞ゆれども、まことは海中とは見えず、野徑とはいひつべし。草むらあり木樹あり、遙かに過行けば人煙片々、絶えて又たつ。新樹、程を隔てて隣互にうとし。東行西行の客はみな知音にあらず、村南村北の路にただ山海を見る。

おのづから知る人あらばいかがせん
うときにだにも過ぐるなごりを

 富士の山を見れば、都にて空に聞きししるしに、半天にかかりて群山に越えたり。峯は鳥路たり、麓は蹊たり、人跡、歩に絶えて獨りそびえあがる。雪は頭巾に似たり、頂に覆ひて白し。雲は腹帶の如し、腰にめぐりて長し。高きことは天に階たてたり、登る者はかへつて下る。長きことは麓に日を經たり、過ぐる者は山を負ひて行く。温泉、頂に沸して細煙かすかに立ち、冷池、腹にたたへて洪流をなす。まことにこの峯は、峯の上なき靈山なり。靈山といへば、定めて垂跡の權現は釋迦の本地たらんか。かの仙女が變態は柳の腰を昔語りに聞き、天神の築山は松の姿を今の眺めに見る。(山の頂に泉あつて湯の如くにわくといふ。昔はこの峯に仙女つねに遊びけり。東の麓に新山といふ山あり。延暦年中、天神くだりてこれをつくといへり)すべてこの峯は、天漢の中にひいりて人衆の外に見ゆ。眼をいただきて立ちて、神、恍々とほれたり。

いくとせの雪つもりてか富士の山
いただき白きたかねなるらむ
とひきつる富士の煙は空にきえて
雲になごりのおもかげぞたつ

 昔採竹翁といふ者ありけり。女をかぐや姫といふ。翁が家の竹林に、鶯の卵、女形にかへりて巣の中にあり。翁、養ひて子とせり。人となりて顏よきことたぐひなし。光ありて傍を照らす。嬋娟たる兩鬢は秋の蝉の翼、宛轉たる雙蛾は遠山の色、一たび笑めば百の媚なる。見聞の人はみな膓を斷つ。この姫は先生に人として翁に養はれたりけるが、天上に生れて後、宿世の恩を報ぜむとて、暫くこの翁が竹に化生せるなり。憐れむべし父子の契の他生にも變ぜざることを。これよりして青竹の節の中に黄金出來して貧翁たちまちに富人となりにけり。その間の英華の家、好色の道、月卿、光を爭ひ、雲客、色を重ねて艶言をつくし懇懷をぬきんず。常にかぐや姫が家屋に來會して、絃を調べ歌を詠じて遊びあひたりけり。されども、翁姫、難問を結びて、よりとくる心なし。時のみかど、このよしを聞しめして召しけれども參らざりければ、みかど、御狩の遊びのよしにて、鶯姫が竹亭に幸し給ひて、鴛の契を結び松の齡をひき給ふ。翁姫、思ふところありて後日を契り申しければ、みかど、空しく歸り給ひぬ。もろもろの天これを知りて、玉の枕、金の釵、いまだ手なれざるさきに、飛車を下して迎へて天に昇りぬ。關城のかためも雲路に益なく、猛士が力も飛行にはよしなし。時に秋のなかば、月の光、くもりなき頃、夜半の氣色、風の音づれ、物を思はぬ人も物思ふべし。君の思ひ、臣の懷ひ、涙おなじく袖をうるほす。かの雲をつなぐにつながれず、雲の色、慘々として暮の思ひ深し。風を追へども追はれず、風の聲、札々として夜の怨ながし。華氏は奈木の孫枝なり、藥の君子として萬人の病を癒す。鶯姫は竹林の子葉なり、毒の化女として一人の心をなやます。方士が大眞院を尋ねし貴妃のささめき、再び唐帝の思にかへる。使臣が雲の峯に登る、仙女の別れのふみ、永く和君の情を焦せり。

 (翁姫、天にあがりける時、みかどの御契さすがに覺えて、不死の藥に歌を書きて具して留めおきたり。その歌にいふ、

今はとて天の羽衣きる時ぞ
君をあはれと思ひ出でぬる

 みかど、これを御覽じて、忘れがたみは見るも恨めしとて、怨戀にたへず、青鳥を飛ばして雁札を書きそへて、藥を返し給へり。その返歌にいふ、

あふことのなみだに浮ぶわが身には
死なぬ藥もなににかはせん

 使節、智計をめぐらして、天に近き處はこの山にしかじとて、富士の山に登りて燒きあげければ、藥もふみも煙にむすぼほれて空にあがりけり。これよりこの嶺に戀の煙を立てたり。よりてこの山をば不死の峯といへり。しかして郡の名につきて富士と書くにや)

 彼も仙女なり、これもまた仙女なり。共に戀しき袖に玉ちる。彼は死して去る、これは生きて去る、同じく別れて夜の衣をかへす。すべて昔も今も、顏よき女は國を傾け人を惱ます。つつしみて色にふけるべからず。

天つ姫こひし思ひの煙とて
立つやはかなき大空の雲

 車返しといふ處を過ぐ。この處は、もし昔、蟷螂の路に當りて行人を留めけるか。もし遊兒の土城を築きて孔子の諫に答へけるか。(昔小童部の路中に小家を造りて遊びけるに孔子の通るとて、車にあやふし、そこのけと諫められけるに、小童部の曰く、車は家のある所をのきて過ぐべし、未だ聞かず、家の車に去ることをと。孔子これを聞きて車をめぐらして歸りけり)もし又勝母の里ならば曾參にあらずともいかが通らむ。(曾子は孝心深き人にて不孝の者の居たる所をば車を返して通らず)嶮岨の地なれば大行路とはいひつべし。(この道はさかしくして車をくだく)されども騎馬の客なれば打連れて通りぬ。

むかしたれここに車のわづらひて
ながえを北にかけはづしけん

 木瀬川の宿に泊りて萱屋の下に休す。ある家の柱に、またかの納言(宗行卿の御事なり)和歌一首をよみて一筆の跡をとどめられたり。

今日すぐる身を浮島が原に來て
つひの道をぞきき定めつる

 これを見る人、心あればみな袖をうるほす。それ北州の千年は限を知りて壽を歎く。南州の不定は期を知らずして壽を樂しむ。まことに今日ばかりと思ひけむ心の中を推すべし。おほかたは昔語りにだにも哀れなる涙をのごふ。いかにいはんや我も人も見し世の夢なれば驚かすにつきて哀れにこそ覺ゆれ。さても峯の梢を拂ひし嵐の響に、思はぬ谷の下草まで吹きしぼれて、數ならぬ露の身も置き所なくなりてしより、かくさまよひて命を惜みて失せにし人の言葉を、生けるを厭ふ身は、今までありてよそに見るこそあはれなれ。さてもこの歌の心を尋ぬれば、納言、浮島が原を過ぐるとて、物を肩にかけて上る者あひたりけり。問へば按察使光親卿の僮僕、主君の遺骨を拾ひて都に歸ると泣く泣くいひけり。それを見るは身の上の事なれば、魂は生きてよりさこそは消えにけめ。もとより遁るまじと知りながら、おのづから虎の口より出でて龜の毛の命もや得ると、なほ待たれけん心に、命はつひにと聞き定めて、げに浮島が原より我にもあらず馬の行くにまかせてこの宿に落ちつきぬ。今日ばかりの命、枕の下のきりぎりすと共に泣きあかして、かく書きとどめて出でられけんこそ、あはれを殘すのみに非ず、亡きあとまで心も深く見ゆれ。

さぞなげに命もをしの劔羽に
かかる別れを浮島が原