University of Virginia Library

槌よ、高く鳴れ!

  赤色陸海軍文学協会 ロカフ の結成されたのは一九三〇年九月、七月の全同盟共産党十六回大会二ヵ月後のことだ。

 が、十月にソヴェト同盟の芝居季節がはじまると同時に、大衆は、ははア、成程な! と思った。ソヴェト同盟の劇場の上演目録が、一九三〇年の秋という特殊な情勢をハッキリ反映していることが誰の目にもわかった。

 工場内の集会、労働者クラブの講演会『プラウダ』『労働者新聞』などが、帝国主義国の反ソヴェト・カンパニアに対する闘争についてソヴェト同盟の革命的大衆の自覚によびかけているばかりではない。

 芝居が、楽しませながら、笑わせながら、帝国主義侵略絶対反対、ファシズム排撃を、大衆の心にうち込む役を積極的に買って出た。

  抑々 そもそも 、ソヴェト同盟の演劇や映画は、これまでだって唯の一度も、資本主義国の商業主義が企業として利潤のために、金のあるもののための享楽道具としてつかわれたことはなかった。

 経営は国家管理の下にされている。芝居の上演目録は詮衡機関にかけられて、本当にその脚本はソヴェト同盟の社会主義的建設に対して価値あるものかどうかを決定してから、各劇場が上演する。劇場は、だからプロレタリアート農民の文化的生活の切りはなせない一部分として、いつも座席の何割かは前もって産別労働組合を通じ無代で勤労者のために保留している。

 工場の労働者、集団農場員、学生はときどきこういうタダ切符を組合から貰って芝居見物が出来る。まるっきりタダでなくても、労働組合員はどんないい劇場でも半額で切符を買う権利をもっている。

「十月」以来、ソヴェト同盟の劇場は、大衆の階級的文化向上のためにいろんな脚本を上演して来た。シルレル、オストロフスキー、ゴーゴリ、トルストイ、チェホフ、ゴーリキーなどの古典的な、或は半古典的な戯曲。

 労働者・農民の革命的建設を主題とするグラトコフの「セメント」、キルションの「レールは鳴る」、グレーボフの「権力」、イワーノフの「装甲列車」。

 無数のエピソードと階級的献身によって豊富なロシア革命史の中からはスハーノフの「一九一七年」、ムスティスラフスキーの「血」、キルションの「風の町」等がある。

 ソヴェト同盟の興味ある日常生活の中から日常的な事件をとりあげ、それを階級的に批判したものとしては「書類鞄を持つ男」「四角」「嫉妬」。

 植民地の問題を、芸術的にとりあつかって大衆に強烈な印象を与えたのは「吼えろ、支那!」「サラシチヤ」「カウチューク」だ。

 映画の製作者を見ると、ソヴェト同盟で、映画がどんなに大切な文化的役割をもっているか驚くばかりだ。芝居より映画の方が移動にも便利だし、現実をそのままカメラに掴みこんで、而も強い芸術的効果があげられるため、ソヴェト映画の主題は、実にひろい。「十月」から「みなさん、歯を磨きなさい!」というところまで拡っている。

 映画はソヴェト同盟内各共和国の直営だ。鉄、石油、農業用トラクター、パン、等が年々計画生産で行われている通り映画製作も計画生産だ。一九二八――二九年の例をとって見るとソヴキノでは、

       
芸術映画  五三 
同 喜劇  八 
児童用  九 
文化啓蒙  九〇 

という数にのぼっている。どんな芝居、どんな映画にしろ、それがソヴェト権力確立後につくられたものならいつも其等を貫いて流れる一つの強い切れない階級的主張が籠っていた。

 社会主義社会建設の現実を描き、その発展の意味をしらせる要素は、何かの形でどの作品の中にもこめられている。特に労働、集団農場クラブ用の小戯曲、啓蒙フィルムなどは、活溌に時々の情勢に応じながら百パーセントにその役目を果して来たのだ。

 さて、愈々五ヵ年計画がはじまった。五日週間が実行される。工場、役所、農村で階級的能率増進のためのウダールニクが組織される。党、生産組織、あらゆる場所で反革命分子の清掃が行われる。――革命的なソヴェト同盟のプロレタリアート、農民が社会主義社会建設のため、一がん張りがん張り出して見ると、今更ながら革命後までも根を張って、コソコソ策動していた階級の敵の存在が後から後からばれて来る。

 ばれない奴等はここを先途とあらゆる組織にもぐり込み、労働者、農民の決定的な勝利を妨げようとする。

 農村の集団化の過程で農村における富農とそれにくい下る旧勢力がどんな悪意に満ちた中・貧農の敵であるかを大衆の面前に曝露した。集団農場についての文学的報告でこれに関する恐ろしい事実を記録しないものはなくなった。

 モスクワ地方労働組合ソヴェトの名によって劇場で上演され大好評だった「憤怒」。ワフタンゴフ劇場で出した「前衛」。どれもこれも、農村の集団化に際しての労働者農民の結合的活動とともに、旧勢力の罪悪を被うところなく摘発している。

 映画「大地」(ドブジェンコ)は勝れたカメラの技術にかかわらずいろいろ批判さるべき要素をもっている。が、その一つとして、宗教の悪影響、階級的敵としての影響力がフィルムの上で過少評価されているという事実があげられたくらいだ。

 一九三〇年に入ると、ソヴェト同盟の大衆は、国際的な事実としてローマ法王ピオ十三世が世界外交のかげにもっている役割は何であるかを見せつけられた。

 三位一体は大資本、法王、軍閥で、祝福の代りに大衆の疲弊と流血があるだけだ。

 一九三〇年、革命劇場上演の「第一騎兵隊」は、一九一七年――一九二〇年の国内戦の歴史、第一騎兵隊の功績を芸術化するばかりではない。帝政時代のロシア兵営内の生活の愚劣野蛮な絶対主義を遺憾なく示している。

「セメント」を上演した写実劇場(元はモスクワ芸術座第三スタジオと呼ばれていた)は新しく「勇敢な兵士シュヴェイクの冒険」を脚色上演しはじめた。

 これは、元オーストリア軍隊内の野蛮な腐敗とを諷刺的に描き出したチェッコ・スロヴァキアの作品である。

 多くの移動劇団、或は「生きた新聞」は身振狂言で帝国主義とファシズムに対する攻撃を始めたが、ここで一つ際立つ芸術上の現象がある。それは諷刺的要素の増大ということだ。

 芸術上、諷刺性格が二通りある。一つは手投弾のように迅速な、的確に敵をバクロ、攻撃する役に立つ性格。他の一つは、自己批判の表現としての諷刺がある。

 或るもの、或る事を見て、笑う。もうそこに一種の批判がある。ソヴェト同盟の芸術家、特に映画、演劇、絵画の作者たちは随分これまで上手に諷刺を生かして来た。

『鰐』というソヴェト諷刺雑誌がある。それを買って頁をめくると、五ヵ年計画の達成のために、ソヴェト同盟の大衆がどんな社会的・階級的自己批判をやっているか。その自己批判の焦点が発展的に移って来ている過程までわかる。

 ファシスト、ブルジョアジー、官僚・軍閥、懶けて飲んだくれな非階級的労働者、官僚主義で形式主義で能なしの党員、社会ファシストとなった民主主義者などは、ソヴェト同盟の或る種の芸術の中ではもう漫画的に様式化されてさえいる。

 ソラ出た! ハッハッハッ。実に分りが早い。一目そういう者の姿を見ると、ソヴェト同盟の大衆が謂わば階級的に用意している哄笑、嘲笑が火花のようにとび散るのだ。

 成程、人形芝居をやったり、身振狂言をやったり、漫画の或る場合なんかは、こうなっていれば手っ取りばやい。一応直ぐわかる。だが、二応、三応と、実際の客観的事情に照らし合わせて考えて見た場合、こういう風に様式化したまんまの人物を無制限につかって、どの程度のリアリスティックな芸術の感銘を与えることが出来るかという点は、疑問になって来る。

 何故なら、ソヴェト同盟で諷刺的に様式化されたブルジョアジーは、いつでも燕尾服にシルク・ハットで、太い金鎖りをデブ腹の上にたらし、小指にダイアモンドをキラつかして、葉巻をふかしている。

 しかし実際に、どんな場合でも、ブルジョアジーはそんなきまりきった風体しかしていないだろうか? どうして! 彼等は自身の利益を守る必要に応じて、技師にもなれば、教師にもなり、ソヴェト同盟では、現に階級の闘士ボルシェヴィキらしい見せかけをした反革命分子さえ発見しているではないか。

 ソヴェト同盟の舞台の上、絵の上にきまった形でブルジョアジーが登場する。大衆が笑殺する。それで根っきり葉っきり済んでしまう程、現実の階級闘争は単純でない。事実が単純でない以上、大衆がいつの間にかあの憎むべき変通自在性を過少評価するような固定した形にだけ様式化して扱うのは危険だ。――

 この事は、あらゆる芸術の分野に亙って再吟味された。

 文学の領域では、既に一九二九年プロレタリア・リアリズム、進んで唯物弁証法的創作方法の問題が探求された当時、類型化に対する注意の一つとして批判された。

 主として漫画、喜劇における登場人物の様式化が問題になった前後、戯曲作家ブルガーコフが「 赤紫島 バグローブィエオーストロ 」という喜劇風オペレットを書いた。

 同じブルガーコフが数年前「トゥルビーノフ家の数日」という国内戦時代の動揺、変転する中流家庭生活を主題とした脚本を書いた。モスクワ芸術座が一九二八年から九年の春頃まで上演し一部からひどく受けた。大衆的にも或る程度まで受け入れられたが、段々批判が起って、五ヵ年計画着手とともに、上演目録から削られた。理由は、脚本が中流の家庭生活というものをちっとも革命的歴史の進行の角度から批判せず、ただ現象的に描写している。根本的な社会変革につれて起る現象の必然性を、社会主義社会建設の総体との関係において発展的にとらえず、消極的にブルジョア文学が一つの社会的破局を扱ったような悲劇、または破局というように表現している。

「赤紫島」は、劇中劇で「赤紫島」の革命を織り込み、ソヴェト同盟の劇場の内幕を諷刺したりしている。カーメルヌイ劇場で、タイーロフが未来派じみた極めて派手で綺麗な舞台装置で上演した。

 この劇中劇ではソヴェト同盟の劇場でも、小道具なんかに凝りすぎ、ウンと金をかけてしまったのを、管理局からやって来た役人へは胡魔化して報告する場面その他、見物が笑い出すところは相当ある。

 空想的な扮装したレヴューの土人みたいな「赤紫島」の住民が何かのキッカケで、至極安直に革命を遂行し、ツァーの追っ払いをやり、目出度し目出度しとなるのだが、ソヴェト同盟のルバーシカを着た観衆はゾロゾロ、カーメルヌイ劇場から出て来ながら、この劇全体から受けた何だかいやな印象について議論した。

 ブルガーコフが諷刺しているのはソヴェトの舞台裏ばかりじゃない。彼は、革命という事業をも「赤紫島」で諷刺している。真面目にとり扱っているような風ではあるが、そこには狡猾にひやかしが ぜられている。劇中劇などと逃げを打って、イヤに比喩めかして、あり得べからざる安易さで革命をこねあげて見せている。

  科白 せりふ では、ソヴェト赤紫島万歳! と呼ぶ。だが、その「万歳」は本気にうけとれない。君等の考えている革命

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なんてのはこんなところだろう、と云われているような工合だ。そう考えると「赤紫島」という題も妙にこっている。

 だって、赤は、赤でいい。われわれに分る意味においての赤だ。然し、紫というのは何だろう? ヨーロッパの伝統的な色の言葉で権威、王位、威厳、信仰を意味する。ナポレオンが帝位につくとき背中にひきずった裳は紫ではなかったか。現在でも紫という色は、同じような意味をもっている。「赤紫島」というのを別な表現で書くと「赤の信仰ででっち上げられた島」または「赤が王の島」となりかねない。

 ソヴェト同盟の大衆にとって、こういう種類の諷刺が、ほんとの諷刺としてうけとれず、そこにブルガーコフの傍観主義や底意地のわるい嘲弄を感じたのは、むしろ自然であった。

 大体、文学をこめてのプロレタリア芸術一般にとって、諷刺的手法が正しい効果をもつ場合は、諷刺そのものがただ題材の或る矛盾面の抉出だけに終らず、積極的な建設的な教唆、暗示、明示等を含んでいる時に限られる。プロレタリア芸術の諷刺とブルジョア芸術の諷刺との相違は明かに此処にある。

 ブルジョア漫画家も失業でやけになって酔っ払った労働者の酔態を描くだろう。ブルジョア漫画家は丁度ブルジョア政治家がそうである通り、それをそれとして現象的に描写する。諷刺したという自己満足に止っている。失業でやけになって酔っ払った労働者は、酔っ払わずに、本当はどうすべきであったかという方面、階級全体としての闘争へ向って突き動すような努力は漫画のどこにもされない。

 プロレタリア漫画家だけが、それをやるのだ。またやらなければならない。ソヴェト同盟の漫画家たちの苦心はここにある。社会主義的生産の意味を理解せず懶ける労働者も、ソヴェト同盟の階級的自己批判として描かれなければならない。然し、画板一杯に懶けている労働者だけ精出して描写したってそれは弁証法的でもなければ、従ってプロレタリア的でもない。その漫画を見たものが積極的な側を、理解するように扱われなければならないのだ。

 文学における諷刺も同様なのは云うをまたない。諷刺が諷刺で自己満足してその基礎が「赤紫島」におけるように間違った理解の上に立てられている時、どっちから見たって、正当な意味で、プロレタリアの諷刺でないのは知れている。つまりブルガーコフは才能はあるけれどもソヴェト同盟の社会主義社会の建設と世界の労働階級解放運動に対して同情的でない態度をもつものだということを否めない。

 上演目録詮衡委員会は、一つの自己批判の表現としてこの戯曲の上演を許可したが、ソヴェト同盟の勤労大衆はだまっていなくなった。カーメルヌイ劇場は一月余上演して「赤紫島」はひっこめた。

 一九三〇年の秋から帝国主義国のファッショ化に対しソヴェト演劇上の帝国主義侵略戦争反対、宗教排撃の主題は目立ってふえた。だが、諷刺的に扱うにしろこの点に深い注意を払われている。世界の帝国主義者、ファシストの組織、侵略戦争をあばきっぱなしでは足りない。

 ソヴェト同盟及世界の勤労大衆はそれに対して何を支持し守らねばならないのか。「ソヴェト同盟、ソヴェト中国を守れ!」強く、全面的にこの大切な点が会得されなければ甲斐がない。芸術的効果をそこまで持って行くために、ソヴェト同盟のプロレタリア芸術家たちは 大童 おおわらわ だ。

 ところで、問題は展開する。

 この帝国主義の侵略の危機、及びファッシズムとの闘争は、果してソヴェト同盟の大衆、彼等の文化の前衛としてのプロレタリア芸術家たちだけに限られた必要、或は負うべき任務だろうか?

 断然そうではない。

 各国の帝国主義者たちが、それぞれの方角と方法でソヴェト同盟破壊のためのカンパニアを精力的に起さずにはいられないほど、それぞれの国内での情勢が切迫して来ている。

 資本主義国内の勤労大衆、革命的労働者、芸術家は一様に、多くの犠牲に堪えつつ勇敢にプロレタリア・農民の解放と階級的文化確立のために闘っている。

 何故われわれは世界の同志として互に手を握り、現実的な組織によって共同の敵と闘わないのか? ソヴェト同盟モスクワにある革命文学国際局がこう考えた。

 ドイツへ、チェッコ・スロヴァキアへ、イギリスへ、ハンガリーへ、日本へ! 世界革命文学の第二回国際会議への召集状は発せられた。

 第十三回革命記念日の数日前、一九三〇年十一月一日の朝、モスクワの白露バルチック線停車場は鳴り響く音楽と数百の人々が熱心に歌うインターナショナルの歌声で震えた。各国からの代表、歓び勇んでやって来たプロレタリア作家たちの到着だ。みんなは、みんなの母国語で歌った。が、モスクワの初冬の空気をツン裂いて、

「ああインターナショナル」

と歌われたとき、あらゆる国語の差別は消え全く一団の燃える声となって八方に響き渡った。

 第二回革命作家国際会議がモスクワでもたれず、ハリコフ市で行われたのも、五ヵ年計画第三年目のはじめの記念的な出来ごとにふさわしい。ハリコフ市はウクライナ共和国の首府だ。十一月の氷雨がちのモスクワ市よりこの時節にはハリコフ市の方が気候がいいばかりではない。ドンバス炭坑区を近くに持ち、大国営農場、機械工場をもち五ヵ年計画とともにソヴェト同盟の南方地域では屈指の重工業、農業の生産中心地となった。

 ハリコフ市を中心とするウクライナはソヴェト同盟のプロレタリア文学とも縁が深い。ショーロホフの「静かなドン」はドン地方のコサックの階級闘争史だ。フールマノフの「赤色親衛隊」もウクライナ地方が背景だ。映画「大地」はウクライナの豊饒な自然なしには創られなかった。

 美術の方面でもウクライナは多勢の優秀なソヴェト木版画家を出している。一九三〇年の春はウィーンその他でウクライナ美術展覧会をやった。

 このウクライナ地方が革命までどんな扱いをうけていたかと云えば、大ロシアの支配者たちによって半植民地とされていた。ウクライナ地方の自国語で書くことは許されず、軍隊の中でさえ「ハホール」と呼んで侮辱的扱いをうけた。

 社会主義の社会で民族は真の意味で自立し、新しい生産と文化とが結びつきながら高揚し、調和しあうものとして動きはじめている。ハリコフ市はそういう点から一つの新しい民族首都である。ここを選んで国際的な革命作家の会議が行われたことは輝かしい。

 会議は十一月六日から十五日まで続いた。二十二人の資本主義国、植民地、半植民地から革命的作家が集った。

 代表によって各国におけるプロレタリア文学運動についての詳細な報告がされ、批判された。そして、革命的作家は益々切迫するブルジョア経済の行き詰りとともにファッショ化する権力の文化抑圧と如何に闘うべきか。これも亦各国の事情を参照して決議された。日本からは、松山、永田という二人の同志が出席した。

(ハリコフ会議における日本についての決議は『ナップ』一九三一年二月号を見ても分るし、近々作家同盟から出版されるプロトコールを見てもわかる)

 革命文学国際局はこの会議を機会として組織がえを行った。 国際革命作家同盟 モルプ となった。これまでよりは一層緊密な国際的規模で各国のプロレタリア文学活動が出来るようになった。

 国際的にこうやって組織の網めをひろげつつ、一方ロシア・プロレタリア作家同盟(ラップ)は、ソヴェト同盟の国内的文学活動をも一歩一歩と押しすすめた。

 一九三〇年の末から三一年にかけて、ラップのかかげたスローガンは、

「ウダールニクを描け!」

である。五ヵ年計画とともに、ラップの作家たちは「大衆の中へ」次いで「生産の場所へ」と進出した。

 作家団自身、生産の場所へはいりこみ、そこでどんな風に新しいソヴェト同盟の誕生が行われているかを目撃して、芸術作品を創って行っただけではない。工場、集団農場の中へドシドシ実践的な指導方針による文学サークルをこしらえて行った。労農通信員の文学的活動を熱烈に鼓舞した。

 一九二九年から、全同盟の生産と文化の戦線で、最も階級的に、積極的に働いているのは誰か? 自主的に労働者、農民のイニシアチーブによって組織されたウダールニクだ。

 工場の職場で槌をふるい、社会主義的な生産を高めつつあるソヴェト同盟の勤労大衆が突撃隊なら、その歴史的意味を彼等とともに理解し、画時代的な功績を記録しようとして出かけて行くラップの作家たちも、プロレタリア文学のウダールニクだ。

 現実、生産の場所を描いて、そこの動力である階級的建設の闘士男女の突撃隊員を描かないということはあり得ない。「五ヵ年計画の英雄」を描けということは、ソヴェト同盟の社会的現実に即したプロレタリア文学の当然な推進なのだ。

「ラップ」は一九三〇年の春、益々豊富に大衆の中に芽生えて来る文学的萌芽の肥料として、初歩的な文学雑誌『成長』を刊行しはじめた。一九三一年には、文学サークルのために『文学突撃隊』という文学新聞を出しはじめた。プロレタリア文学における新幹部の養成は、技師、熟練工の養成と同様、重大な関心事となっている。

 一九三〇年の七月、全同盟共産党第十六回大会の会場で「ラップ」代表キルションが行った報告中には、既に全然新しい層から生れて来た作家=労農通信員、コムソモール出身=が何人か数えあげられた。

 ソヴェト同盟の生産とともに高められたプロレタリア文化から生れた新しい作家こそ、ドシドシと出なければならない。新しい世界観、実践、階級的教育で鍛えられ、生粋に社会主義建設時代を代表する作品が送り出されなければならない。

 各地方支部ラップが、生産の場所における労農通信員を中心とする文学サークルの活動を過去一年間正しい方針で熱心にやって来た結果、昨今極めて興味深い本がポツ、ポツ出版されるようになって来た。

 例えば、或る工場内の 文学突撃隊 リト・ウダールニク が中心となって、自分の工場で社会主義建設はどんなにして行われているか。その生産における一般的関係、その工場だけの独特な条件、それを掌握する革命的ウダールニクの活動とその間に起るさまざまな插話等を、共力して芸術的記録にまとめ上げてゆく仕事だ。これはねうちがある。こういう文学的共働は、例えば「ラップ」の作家たちが時々やる労働者との合作とは又ちがって深い実践的な階級的基礎をもっている。

 彼等は文学活動の必要のためだけに集ったのではない。ある一つの工場が五ヵ年計画を基本とした自身の生産プランを大衆的に受け入れた瞬間から今日まで、そこの仲間は機械によって結ばれ、ベルトの唸りで互に繋がれ、企業内の妨害分子と闘いつつ、高く、高くと、プロレタリアの生産と文化を引きあげて来た連中だ。

 ここには世界の全人民解放の日まで生産に文化に夜となく昼となくうち鳴らす階級の鍛冶屋、われら闘う人民の若々しい槌の音が、町から村へ、国から国へと鳴り響いていようというものだ!