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 三田敦子が校長の私宅へ呼ばれて辞職を勧告されたということ、その理由として、アメリカから帰ったばかりである三田が教室で学生にベン・ビー・リンゼイの友愛結婚の話をしたことが理事会の意見としてあげられたという噂は、初めはまさかという気分で受取られた。

 然し、月曜日の朝、それとなく待ちかねていた三田党の学生の目に、三田敦子の大学生っぽい白いカラアの姿が見当らなかったことは、成行きに関心を抱いていた学生達の感情に真面目な憂慮を生んだ。十時から三田の訳読があることになっている宏子たちの組がB教室に入った時、その危惧と憤慨との混りあった女学生たちの緊張は、頂点に達した。

 三田を尊敬している学生の多いこの組は、きっちり時間に席についた。そして、静かに、大部分のものが刻々に待ちながら、或る者は引きのこしていた二つ三つの単語を字引で調べたり、万年筆のインクの工合を直したり、宏子もそれ程三田に傾倒しているというのではなかったけれども、やはりその朝は特別な待ち心地でマンスフィールドの短篇集の今読みかけているところをぼんやりめくっていた。

 しーんとしている中でやがて、誰かが、

「どうしたんでしょう、もう十分すぎよ」

と云った。そう大きい声で云ったのでもなかったろうが、その声は朝の明るい不安な予期に充ち満ちている教室の空気を徹して、はっきりと響いた。

「――本当にもういらっしゃらないのかしらん」

 訴えるような声で云いながら徳山須賀子が自分の席から三田がしめていると同じ木彫りの丸いバックルをつけている細い胴をねじって、ぐるりを見まわした。

 後方の席にいるはる子が、その時、

「飯田さん、学務へ行ってきいて来なさいよ」

 平静な、確信をもっている言調で云った。

「だって――」

 飯田は、自分が三田党でないからと云うばかりでなく、その朝は何かをはらんでいるような組全体の空気を感じて漠然としりごみした。

「幹事さんていうものは、こういうときこそいるものなのよ」

 皮肉そうにそう云ったのは、三輪である。

「よ、聞いていらっしゃいよ、ただ待っちゃいられないもの」

 声々に後を押されるようにしてドアの外へ消えた飯田は、すぐ戻って来て、

「欠席ですって」教室じゅうを見廻しながら、告げられたことをただ伝えるという顔で云った。

「自習にして下さいって」

「じゃ、いよいよ本当なんだわ、まア! どうしましょう」

「何て滅茶なんでしょう」

「今更あんなことを口実にするなんて、卑怯だわ。生徒に人気があるのがいけないんなら、戸田先生なんかどうするの。リンゼイどころじゃないじゃありませんか。随分馬鹿にしてると思うわ!」

 三田がやめさせられるようになった真の原因が、教師間の勢力争いであることは、学生達にも推察された。第一代の校長の死後は、古参卒業生で教師をしている者の間から校長が就任するならわしで、現校長の沼田美子の派と次の校長を目ざす石川民子の派とは陰険に対立していた。石川がバッサア女子大学の学位しか持っていないのに、新帰朝の三田がバルティモア大学の学士を持っている。その三田は沼田の後輩である。それだけでも三田の立場が難しくて危いことは予想されるのである。

 学生たちにはそういう葛藤が日頃から不合理で不愉快に思われているのに、やめさせる理由としてリンゼイの説を三田が学生に説明したことがあげられたという一事が感情の激昂をつのらせた。教室には自習を始める気分など無かった。大半の学生が席にかけたまま体をねじって円をこしらえ、その事件について喋り出した。徳山のように女学生らしい崇拝から三田の不当な馘首を怒り悲しむもの。学校政治の内輪もめに、そんな思想的なような口実をこじつけようとする学校の遣り方を憤慨する者。いろいろではあったが、学校が学生たちや教師をこんな事でまで圧えつけようとする事に対する反撥は、それ等すべての感情を包括する学生生活というものへの一つの公の不満なのであった。

「私くやしいから石川民公の時間なんぞ、出てやらないからいいわ!」

 徳山が涙を指先で拭きながらそう云った。

「そんなことすりゃ、民公ホクホクだわよ。よろこんであなたを落すだけだわ」

 井筒が腹立たしそうに答えた。

「ねえ、だって、何とかならないのかしらん。どうして三田先生おとなしく引っこんでるんでしょう。ねえ、どうしてそんなことはいやだと頑張らないんでしょう。ねえ、三田先生だって私たちがこんなに思ってるのがわかれば、きっと何とかなさるわ」

「今日の放課後でも、三田先生のところへ行って見たらいいわ、そうすりゃ少し様子がわかるから」

 級の意志を代表するのだからと云って、この有志訪問に幹事の飯田も参加させられた。

 予科では、三田の出る筈だった時間に、カキがやって来て、三田先生は一身上の都合で地方へ転任するのだから、いろんな噂を信じないようにと云って、自習を暫く監督して行った。この 彌縫 びほう 策は翌日になって予科全体をすっかり怒らせる結果になった。カキが公然と予科を騙したこと、子供扱いにしたことが予科のみんなをおこらせた。

 三年はその日は食堂などでも一般に妙に落付いていて、よそよそしい態度を示した。

 宏子は三田の家を訪問する仲間には入らなかった。それは相談の上のことであった。杉も残る組にまわった。はる子はグループをそういう風に分けた。前の晩に打合わせはされていた。

 門限ぎりぎりに、渋谷にある三田の家へ行った連中が戻って来た。宏子は緊張した期待をもって徳山の部屋へ行って見た。寝台の上に四五人、デスクの前の椅子のところに徳山とはる子、杉などがいて、どの顔の上にも昼間とは違う憤慨と当惑の色が漂っている。

「どうだった、会えた?」

と宏子は当らずさわらずに訊いた。

「会えたわ。三田先生だってやめたくなんか、ちっともないのよ」

 徳山が意気沮喪したように片手をあげて自分のおでこを擦った。

「でも――」

「そりゃ三田先生としては、自分の立場として皆おとなしく勉強してくれとしか云えないにきまっていますよ」

 はる子がつよい口調で云った。

「宗教問題が絡んでいるのよ。三田先生、あっちにいた時教会を脱退したんだって。それが問題になって、ミス・ソーヤーなんかが理事会でごねたらしい。勿論民公がたきつけているのさ」

「ここは神学校じゃないわ」

 激しく一人が云った。

「三田先生を惜しがるのがいけないんなら、もっとどしどしほかに新鮮な先生を入れてくれればいいじゃないの。お祈りしちゃ いが み合っているなんて、それこそ 矛盾 ムジン してる!」

 皆苦笑いした。カキはいつも矛盾をムジンしているというのである。

 次の日は、予科が三田を訪問した。宏子の組では、その日の第一時間目が戸田だったので、十五分間貰って、三田を訪問した次第を教室で報告した。そして、この組として三田の留任を要求する意見をまとめた。

 水曜日の昼休みに校長の沼田が特別に学生たちを講堂に集めて学生の本分に就て訓話のようなことをやった。沼田は地味な束髪にセルロイドの櫛をさしたいつもの姿で、大講壇のところに立ち、声に力をこめようとする毎に、皮膚の薄い小さいままに萎んだ気力のとぼしい下顎を震わした。四方八方ひたすら事なかれとばかり気を使っている。その気づかいが体にいっぱいであった。その年は、男子の学校ばかりでなく、女子の専門学校にも紛擾があった年である。三々五々講堂から立ち去る時の大部分の学生の顔には或る焦立たしさ、語られない軽蔑の色があった。

 宏子が下を向いて、靴の先で砂利を蹴りながら中庭を来かかると、追いつきながら、

「加賀山さん」

 声をかけたのはふだん余り親密でもない塚元であった。塚元は、ひそめた声で、

「ねえ、どうなるんでしょう、私心配だわ」

と四辺を憚るように云った。

「何か始まるんじゃないのかしら?」

「――どうしてそんなこと私にきくの?」

 宏子は いぶか しそうな観察的な目をした。

「あなたのわかっていることしか知りゃしないわ」

「私困っちゃう。――私実は皆さんと違う境遇なの。私の学費は伯父が出しているんです、下の弟妹たちを私が見てやらなけりゃならないもんだから。卑怯かもしれないけれど、もし私どうにかされたりすると本当に困るわ」宏子は返事のしようもなかった。

「――大丈夫なのかしら」

「私にきいたって、無理だわ、そうでしょう?」

 塚元の言葉は、何だかねばっこい不快な感じを宏子に与えた。そんなことがあってから五日ばかり後、宏子は再び思いがけない上級の川原にタイプライタア練習室の外で呼びとめられた。川原は、

「ちょっと、加賀山さん『欅』のことで用があるんだけれど」

と、宏子を、レコードに合わして何台ものタイプライタアが鳴っている壁の外の不用なテーブルなどが重ねてある一隅へつれ込んだ。

「あのね、妙なこときくようだけれど、おととい、いつもの、やったんでしょう? はる子さん何故だか今度は私に知らして下さらなかったんですけど……」

 当惑を感じながら宏子は揺がない注意を集中した視線で川原の浅黒い顔を見守った。

「はる子さん、何故知らして下さらなかったんでしょう」

 偽りでない苦しげな表情が、頬骨の高いどっちかというと不器量な川原の面に湛えられた。

「私何だか……苦しいの! 私、何かしたんでしょうか、あなたに分らないかしら。分ったら教えて下さらない、ね?」

 苦痛を感じながら宏子は、

「おとといってのは私も知らないんですけど――何か都合があったんじゃないのかしら」

と事実とは多少違う答えをした。

 これらの細かいながらそれぞれの原因や内容をもった出来事は、学校内の動揺している空気と共に宏子の心に深く印象され、蓄積されて行った。はる子は、目立たないようにと苦心しながら 屡々 しばしば 外出した。そして宏子は、その間にはる子のために作文の代作をし、教科書に書入れをしてやる。これらの時期を通じ、宏子は自分の性質とはる子の性格との相異と、相異しながらまたどんなに近いかということをこれ迄よりはっきりと自覚した。同じ経験に出会っても、はる子はそのことからじかに自分の感情を動かされることがないらしく、すっかり順序のきまっている考えかたに従ってそのことの性質、筋とでもいうようなものを抽き出して、その対策に何の躊躇もなく頭が向いて行く。学校の空気が動き出して以来、はる子のこの特長は緊張して目立った。宏子の方はそうでなかった。一つずつの印象が、その情景、眼付、響のまま鮮明に心にのこった。それ等が互に重なり、絡み、解ける間に、宏子の心の中にはおのずから包括的な結論が生じ、次第に複雑な生活の推進力のようなものに形成されて、はる子が理論で示す方向に心持から一致して行くのである。そして、一致したとなると、宏子の天性はいくらか子供らしいくらい自分の認めたものに対して誠意をもつのであった。