University of Virginia Library

16. 第十六囘

 あれほどまでに、お勢母子の者に辱められても、文三はまだ園田の家を去る氣 になれない。但だ、そのかはり、火の消えたやうに、鎭まツて仕舞ひ、いとど無口が、 一層口を開かなくなツて、呼んでも捗々敷く返答をもしない。用事が無ければ、下へ も降りて來ず、只一間にのみ垂れ籠めてゐる。餘り靜かなので、ツイ居ることを忘れ て、お鍋が洋燈の油を注がずに置いても、それを吩付けて注がせるでもなく、油が無 ければ無いで、眞闇な座鋪に悄然として、始終何事をか考へてゐる。

 けれど、かう靜まツてゐるは表相のみで、其胸奧の中へ立入ツてみれば、實に 一方ならぬ變動。恰も心が顛倒した如くに、昨日好いと思ツた事も、今日は惡く、今 日惡いと思ふ事も、昨日は好いとのみ思ツてゐた。情慾の曇が取れて、心の鏡が明か になり、睡入ツてゐた智慧は、俄に眼を覺まして、決然として斷案を下し出す。眼に 見えぬ處、幽妙の處で、文三は――全くとは云はず――稍生れ變ツた。

 眼を改めてみれば、今まで爲て來た事は、夢か將た現か……と怪しまれる。

 お政の浮薄、今更いふまでも無い。が、過まツた、文三は。――實に今までは お勢を見謬まツてゐた。今となツて考へてみれば、お勢はさほど高潔でも無い。移氣、 開豁、輕躁、それを高潔と取違へて、意味も無い外部の美、それを内部のと混同して、 愧しいかな、文三はお勢に心を奪はれてゐた。

 我に心を動かしてゐる、と思ツたが、あれが抑も誤まりの緒。苟めにも人を愛 するといふからには、必ず先づ互ひに、天性氣質を知りあはねばならぬ。けれども、 お勢は、初より、文三の人と爲りを知ツてゐねば、よし多少文三に心を動かした如き 形迹が有ればとて、それは眞に心を動かしてゐたではなく、只、ほんの、一時感染れ てゐたので有ツたらう。

 感受の力の勝つ者は誰しも同じ事ながら、お勢は眼前に移り行く事や物やのう ち、少しでも新奇な物が有れば、眼早くそれを視て取ツて、直に心に思ひ染める。け れども、惜しい哉、殆ど見た儘で別に烹煉を加ふるといふことをせずに、無造作に、 其物、其事の見解を作ツて仕舞ふから、自ら眞相を看破めるといふには至らずして、 動もすれば淺膚の見に陷る。夫故その物に感染れて、眼色を變へて狂ひ騒ぐ時を見れ ば、如何にも熱心さうに見えるものの、固より一時の浮想ゆゑ、まだ眞味を味はぬう ちに、早くも熱が冷めて、厭氣になツて、惜し氣もなく打棄てて仕舞ふ。感染れる事 の早い代りに、飽きる事も早く、得る事に熱心な代りに、既に得た物を失ふことには 無頓着。書物を買ふにしても然うで、買ひたいとなると、矢も楯もなく買ひたがるが、 買ツて仕舞へば餘り讀みもしない。英語の稽古を始めた時も、また其通りで、始める 迄は一日をも爭ツたが、始めてみれば左程に勉強もしない。萬事然うした氣風で有ツ てみれば、お勢の文三に感染れたも、また厭いたも、其間に絡まる事情を棄てて、單 に其心状をのみ繹ねてみたら、恐らくは其樣な事で有らう。

 且つお勢は、開豁な氣質、文三は朴茂な氣質。開豁が朴茂に感染れたから、何 所か假衣をしたやうに、恰當はぬ所が有ツて、落着が惡かツたらう。惡ければ良くし よう、といふが人の常情で有ツてみれば、假令免職、窮愁、恥辱、などといふ外部の 激因が無いにしても、お勢の文三に對する感情は、早晩一變せずにはゐなかツたらう。

 お勢は實に輕躁で有る。けれども、輕躁で無い者が、輕躁な事を爲ようとて爲 得ぬが如く、輕躁な者は、輕躁な事を爲まい、と思ツたとて、なか/\爲ずにはをら れまい。輕躁と自ら認めてゐる者すら、尚かうしたもので有ツてみれば、況してお勢 の如き、まだ我をも知らぬ、罪の無い處女が、己れの氣質に克ち得ぬとて、強ちにそ れを無理とも云へぬ。若しお勢を深く尤む可き者なら、較べて云へば、稍學問あり、 知識ありながら、尚ほ輕躁を免がれぬ、譬へば文三の如き者は、(はれやれ、文三の 如き者は?)何としたもので有らう?

 人事で無い。お勢も惡かツたが、文三もよろしく無かツた。「人の頭の蠅を逐 ふよりは、先づ我頭のを逐へ。」――聞舊した諺も、今は耳新らしく、身に染みて聞 かれる。から、何事につけても、己一人をのみ責めて、敢て叨りにお勢を尤めなかツ た。が、如何に贔屓眼にみても、文三の既に得た所謂認識といふものを、お勢が得て ゐるとは、どうしても見えない。輕躁と心附かねばこそ、身を輕躁に持崩しながら、 それを憂しとも思はぬ樣子。醜穢と認めねばこそ、身を不潔な境に處きながら、それ を何とも思はぬ顏色。是れが文三の、近來最も傷心な事。半夜夢覺めて燈冷かなる時、 想うて此事に到れば、常に悵然として大息せられる。

 して見ると、文三は、あゝ、まだ苦しみが嘗め足りぬさうな!