University of Virginia Library

蓬莱の玉の枝

車持皇子は、心たばかりある人にて、公には、「筑紫國に湯あみに罷らむ」とて、暇申して、赫映姫の家には、「玉の枝取りになむ罷る」といはせて下り給ふに、仕うまつるべき人々、皆難波まで御送しけり。皇子、「いと忍びて」と宣はせて、人も數多率ておはしまさず、近う仕うまつる限りして出で給ひぬ。御送の人々見奉り送りて歸りぬ。

おはしましぬと人には見え給ひて、三日許ありて漕ぎ歸り給ひぬ。かねて事皆仰せたりければ、その時一の工匠なりけるうちまろら六人を召し取りて、容易く人寄り來まじき家を作りて、構を三重に仕込めて、工匠等を入れ給ひつゝ、皇子も同じ所に籠り給ひて、知らせ給ひつる限り十六所をかみにくどをあけて、玉の枝を造り給ふ。赫映姫宣ふやうに、違はず造り出でつ。いとかしこくたばかりて、難波に密に持て出でぬ。「船に乘りて歸り來にけり」と殿に告げやりて、いといたく苦しげなる樣して居給へり。迎に人多く參りたり。玉の枝をば長櫃に入れて、物覆ひて持ちて參る。いつか聞きけむ、「車持皇子は、優曇華の花持ちて上り給へり」とのゝしりけり。これを赫映姫聞きて、我はこの皇子に負けぬべし、と胸潰れて思ひけり。

斯かる程に門を叩きて、「車持皇子おはしましたり」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしましたり」といへば、逢ひ奉る。皇子宣はく、「命を捨てて、かの玉の枝持て來たり」とて、「赫映姫に見せ奉り給へ」といへば、翁持ちて入りたり。この玉の枝に文をぞ附けたりける。

徒らに身はなしつとも玉の枝を手折らで更に歸らざらまし

これをも哀れと見て居るに、竹取の翁走り入りていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱の玉の枝を、一つの所もあやしき處なく、あやまたず持ておはしませり。何をもちてか、とかく申すべきにあらず。旅の御姿ながら、我が御家へも寄り給はずしておはしましたり。はやこの皇子に婚ひ仕うまつり給へ」といふに、物もいはず頬杖をつきて、いみじう歎かしげに思ひたり。この皇子、「今さら何かといふべからず」といふまゝに、縁に這ひ上り給ひぬ。翁理に思ふ。「この國に見えぬ玉の枝なり。この度はいかでか辭み申さむ。人ざまもよき人におはす」などいひ居たり。赫映姫のいふやう、「親の宣ふ事を、一向に辭み申さむ事のいとほしさに、得難き物を、ゆかし、とは申しつるを、かく淺ましく持て來る事をなむ、妬く思ひ侍る」といへど、なほ翁は閨の内しつらひなどす。

翁、皇子に申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。怪しく麗しくめでたき物にも」と申す。皇子答へて宣はく、「一昨々年の二月の十日比に、難波より船に乘りて、海中に出でて、行かむ方も知らず覺えしかど、思ふ事成らでは、世の中に生きて何かせむ、と思ひしかば、唯空しき風に任せて歩く。命死なば如何はせむ、生きてあらむ限りは斯く歩きて、蓬莱といふらむ山に逢ふや、と浪に漂ひ漕ぎ歩きて、我が國の内を離れて歩き廻りしに、或時は浪荒れつゝ海の底にも入りぬべく、或時には風につけて知らぬ國に吹き寄せられて、鬼のやうなるもの出で來て殺さむとしき。或時には來し方行末も知らず、海に紛れむとしき。或時には粮盡きて、草の根を食物としき。或時にはいはむ方なくむくつけげなるもの來て、食ひかからむとしき。或時には海の貝を取りて命をつぐ。旅の空に助くべき人も無き所に、いろ/\の病をして、行方すらも覺えず。船の行くに任せて、海に漂ひて、五百日といふ辰の時許に、海の中に遙かに山見ゆ。舟の中をなむせめて見る。海の上に漂へる山いと大にてあり。その山の樣高くうるはし。これや我が覓むる山ならむと思へど、流石に恐ろしく覺えて、山の圍を指し廻らして、二三日ばかり見歩くに、天人の粧したる女、山の中より出で來て、銀の金碗をもて水を汲み歩く。これを見て船より下りて、『この山の名を何とか申す』と問ふに、女答へて曰く、『これは蓬莱の山なり』と答ふ。之を聞くに嬉しき事限りなし。この女に、『かく宣ふは誰ぞ』と問ふ。『我が名はほうかむるり』といひて、ふと山の中に入りぬ。その山を見るに、更に登るべきやうなし。その山の岨づらを廻れば、世の中に無き花の木ども立てり。金銀瑠璃色の水流れ出でたり。それにはいろ/\の玉の橋渡せり。その邊に照り輝く木ども立てり。その中に、この取りて持てまうで來たりしは、いと惡かりしかども、宣ひしに違はましかばとて、この花を折りてまうで來たるなり。山は限りなく面白し。世に譬ふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、更に心許無くて、船に乘りて追風吹きて、四百餘日になむまうで來にし。大願の力にや、難波より昨日なむ都にまうで來つる。更に潮に濡れたる衣をだに脱ぎ更へなでなむ、此方まうで來つる」と宣へば、翁聞きて、打歎きて詠める、

呉竹のよゝの竹取る野山にもさやは侘しき節をのみ見し

これを皇子聞きて、「こゝらの日比思ひ侘び侍りつる心は、今日なむ落居ぬる」と宣ひて、返し、

我が袂今日乾ければ侘しさの千種の數も忘られぬべし

と宣ふ。

斯かる程に、男ども六人連ねて、庭に出で來たり。一人の男、文挾に文を挾みて申す。「作物所の司の工匠漢部内麿申さく、玉の木を作りて仕う奉りし事、心を碎きて、千餘日に力を盡くしたる事少からず。然るに祿未だ賜はらず、これを賜はりて、分ちて家子に賜はせむ」といひて捧げたり。竹取の翁、この工匠等が申すことは何事ぞ、と傾き居り。皇子は我にもあらぬ氣色にて、肝消えぬべき心地して居給へり。これを赫映姫聞きて、「この奉る文を取れ」といひて見れば、文に申しけるやう、

皇子君千餘日賤しき工匠等と諸共に、同じ所に隱れ居給ひて、かしこき玉の枝を作らせ給ひて、官も賜はらむと仰せ給ひき。これを、この比案ずるに、御使とおはしますべき赫映姫の要じ給ふべきなりけり、と承りて、「この宮より賜はらむ」と申して賜はるべきなり。

といふを聞きて、赫映姫、暮るゝまゝに思ひ侘びつる心地笑み榮えて、翁を喚び取りていふやう、「眞に蓬莱の木かとこそ思ひつれ。斯くあさましき虚事にてありければ、はや疾く返し給へ」といへば、翁答ふ、「定かに造らせたる物と聞きつれば、返さむ事いと易し」と頷き居り。赫映姫の心ゆき果てて、ありつる歌の返し、

眞かと聞きて見つれば言の葉を飾れる玉の枝にぞありける

といひて、玉の枝も返しつ。竹取の翁然ばかり語らひつるが、流石に覺えて眠り居り。皇子は、立つもはした、居るもはしたにて居給へり。日の暮れぬれば、すべり出で給ひぬ。

かの愁訴せし工匠等をば、赫映姫呼びすゑて、「嬉しき人どもなり」といひて、祿いと多く取らせ給ふ。工匠等いみじく喜びて、「思ひつる樣にもあるかな」といひて、歸る道にて、車持皇子血の流るゝまでちようぜさせ給ふ。祿得し詮もなく、皆取り捨てさせ給ひてければ、逃げ失せにけり。かくて、この皇子、「一生の恥これに過ぐるはあらじ。女を得ずなりぬるのみにあらず、天の下の人の見思はむことの恥かしき事」と宣ひて、唯一所深き山へ入り給ひぬ。宮司侍ふ人々、皆手を分ちて求め奉れども、身まかりもやし給ひけむ、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の御供に隱し給はむとて、年比見え給はざりけるなりけり。これをなむ、たまさかるとはいひ始めける。