University of Virginia Library

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十五
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十五

それから彼是一週間の後、僕はふと醫者のチヤツクに珍らしい話を聞きました。 と云ふのはあのトツクの家に幽靈の出ると云ふ話なのです。其頃にはもう雌の河童は どこか外へ行つてしまひ、僕等の友だちの詩人の家も寫眞師のステユデイオに變つて ゐました。何でもチヤツクの話によれば、このステユデイオでは寫眞をとると、トツ クの姿もいつの間にか必ず朦朧と客の後ろに映つてゐるとか云ふことです。尤もチヤ ツクは物質主義者ですから、死後の生命などを信じてゐません。現にその話をした時 にも惡意のある微笑を浮べながら、「やはり靈魂と云ふものも物質的存在と見えます ね」などと註釋めいたことをつけ加へてゐました。僕も幽靈を信じないことはチヤツ クと餘り變りません。けれども詩人のトツクには親しみを感じてゐましたから、早速 本屋の店へ駈けつけ、トツクの幽靈に關する記事やトツクの幽靈の寫眞の出てゐる新 聞や雜誌を買つて來ました。成程それ等の寫眞を見ると、どこかトツクらしい河童が 一匹、老若男女の河童の後にぼんやりと姿を現してゐました。しかし僕を驚かせたの はトツクの幽靈の寫眞よりもトツクの幽靈に關する記事、――殊にトツクの幽靈に關 する心靈學協會の報告です。僕は可也逐語的にその報告を譯して置きましたから、下 に大略を掲げることにしませう。但し括弧の中にあるのは僕自身の加へた註釋なので す。――

詩人トツク君の幽靈に關する報告。(心靈學協會雜誌第八千二百七十四號所 載)

わが心靈學協會は先般自殺したる詩人トツク君の舊居にして現在は××寫眞師 のステユデイオなる□□街第二百五十一號に臨時調査會を開催せり。列席せる會員は 下の如し。(氏名を略す。)

我等十七名の會員は心靈學協會々長ペツク氏と共に九月十七日午前十時三十分、 我等の最も信頼するメデイアム、ホツプ夫人を同伴し、該ステユデイオの一室に參集 せり。ホツプ夫人は該ステユデイオに入るや、既に心靈的空氣を感じ、全身に痙攣を 催しつつ、嘔吐すること數囘に及べり。夫人の語る所によれば、こは詩人トツク君の 強烈なる煙草を愛したる結果、その心靈的空氣も亦ニコテインを含有する爲なりと云 ふ。

我等會員はホツプ夫人と共に圓卓を繞りて默坐したり。夫人は三分二十五秒の 後、極めて急劇なる夢遊状態に陥り、且詩人トツク君の心靈の憑依する所となれり。 我等會員は年齡順に從ひ、夫人に憑依せるトツク君の心靈と左の如き問答を開始した り。

君は何故に幽靈に出づるか?

死後の名聲を知らんが爲なり。

君――或は心靈諸君は死後も尚名聲を欲するや?

少くとも予は欲せざる能はず。然れども予の邂逅したる日本の 一詩人の如きは死後の名聲を輕蔑し居たり。

君はその詩人の姓名を知れりや?

予は不幸にも忘れたり。唯彼の好んで作れる十七字詩の一章を 記憶するのみ。

その詩は如何?

「古池や蛙飛びこむ水の音。」

君はその詩を佳作なりと做すや?

予は必しも惡作なりと做さず。唯「蛙」を「河童」とせん乎、 更に光彩陸離たるべし。

然らばその理由は如何?

我等河童は如何なる藝術にも河童を求むること痛切なればなり。

會長ペツク氏はこの時に當り、我等十七名の會員にこは心靈學協會の臨時調査 會にして合評會にあらざるを注意したり。

心靈諸君の生活は如何?

諸君の生活と異ること無し。

然らば君は君自身の自殺せしを後悔するや?

必しも後悔せず。予は心靈的生活に倦まば、更にピストルを取 りて自活すべし。

自活するは容易なりや否や?

トツク君の心靈はこの問に答ふるに更に問を以てしたり。こはトツク君を知れ るものには頗る自然なる應酬なるべし。

自殺するは容易なりや否や?

諸君の生命は永遠なりや?

我等の生命に關しては諸説粉々として信ずべからず。幸ひに我 等の間にも基督教、佛教、モハメツト教、拜火教等の諸宗あることを忘るる勿れ。

君自身の信ずる所は?

予は常に懷疑主義者なり。

然れども君は少くとも心靈の存在を疑はざるべし?

諸君の如く確信する能はず。

君の交友の多少は如何?

予の交友は古今東西に亙り、三百人を下らざるべし。その著名 なるものを擧ぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル……

君の交友は自殺者のみなりや?

必しも然りとせず。自殺を辯護せるモンテエニユの如きは予が 畏友の一人なり。唯予は自殺せざりし厭世主義者、――シヨオペンハウエルの輩とは 交際せず。

シヨオペンハウエルは健在なりや?

彼は目下心靈的厭世主義を樹立し、自活する 可否を論じつつあり。然れどもコレラも黴菌病なりしを知り、頗る安堵せるものの如 し。

我等會員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウイン、クレ オパトラ、釋迦、デモステネス、ダンテ、千の利休等の心靈の消息を質問したり。然 れどもトツク君は不幸にも詳細に答ふることを做せず、反つてトツク君自身に關する 種々のゴシツプを質問したり。

予の死後の名聲は如何?

或批評家は「群小詩人の一人」と言へり。

彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨を含める一人なるべし。予の 全集は出版せられしや?

君の全集は出版せられたれども、賣行甚だ振はざるが如し。

予の全集は三百年の後、――即ち著作權の失はれたる後、萬人 の購ふ所となるべし。予の同棲せる女友だちは如何?

彼女は書肆ラツク君の夫人となれり。

彼女は未だ不幸にもラツクの義眼なるを知らざるなるべし。予 が子は如何?

國立孤兒院にありと聞けり。

トツク君は暫く沈默せる後、新たに質問を開始したり。

予が家は如何?

某寫眞師のステデイオとなれり。

予の机は如何になれるか?

如何なれるかを知るものなし。

予は予の机の抽斗に予の

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祕藏
せる一 束の手紙を――然れどもこは幸ひにも多忙なる諸君の關する所にあらず。今やわが心 靈界は徐に薄暮に沈まんとす。予は諸君と訣別すべし。さらば。諸君。さらば。わが 善良なる諸君。

ホツプ夫人は最後の言葉と共に再び急劇に覺醒したり。我等十七名の會員はこ の問答の眞なりしことを上天の神に誓つて保證せんとす。(尚又我等の信頼するホツ プ夫人に對する報酬は嘗て夫人が女優たりし時の日當に從ひて支辨したり。)