University of Virginia Library

二の四

 田崎が佐世保より帰りて、子細に武男のようすを報ぜるより、母はやや 安堵 ( あんど ) の胸をなでけるが、なおこの上は全快を待ちて一応顔をも見、また戦争済みたらば武男がために早く 後妻 ( こうさい ) を迎うるの得策なるを思いぬ。かくして一には浪子を武男の念頭より絶ち、一には川島家の ( まつり ) を存し、一にはまた心の奥の奥において、さきに武男に対せる 所行 ( しわざ ) のやや暴に過ぎたりしその罪?  ( ほろ ) ぼしをなさんと思えるなり。

 武男に後妻を早く迎えんとは、浪子を離別に決せしその日より早くすでに母の胸中にわき ( ) でし問題なりき。それがために数多からぬ知己親類の嫁しうべき 嬢子 ( むすめ ) を心のうちにあれこれと繰り見しが、思わしきものもなくて、思い迷えるおりから、山木は突然娘お豊を行儀見習いと称して川島家に入れ込みぬ。武男が母とて白痴にもあらざれば、山木が底意は必ずしも知らざるにあらず。お豊が必ずしも知徳兼備の賢婦人ならざるをも知らざるにはあらざりき。されどおぼるる者は ( わら ) をもつかむ。武男が妻定めに窮したる母は、山木が望みを幸い、試みにお豊を預かれるなり。

 試験の結果は、田崎がほほえめるがごとし。試験者も受験者も共に満足せずして、いわば ( おんな ) ばらがうさはらしの種となるに終われるなり。

 初めは平和、次ぎに小口径の猟銃を用いて 軽々 ( けいけい ) に散弾を ( ) き、ついに攻城砲の恐ろしきを打ち ( いだ ) す。こは川島未亡人が 何人 ( なんびと ) に対しても用うる所の法なり。浪子もかつてその経験をなめぬ。しかしてその神経の敏に感の鋭かりしほどその苦痛を感ずる事も早かりき。お豊も今その経験をしいられぬ。しかしてその無為にして化する ( てい ) の性質は、散弾の飛ぶもほとんどいずこの家に ( ) る豆ぞと思い ( がお ) に過ぐるより、かの攻城砲は例よりもすみやかに持ち ( いだ ) されざるを得ざりしなり。

 その心 悠々 ( ゆうゆう ) として常に春がすみのたなびけるごとく、胸中に一点の 物無 ( ) うして 人我 ( にんが ) の別定かならぬのみか、往々にして個人の輪郭消えて直ちに動植物と同化せんとし、春の夕べに庭などに立ちたらば、 ( たま ) ( たい ) もそのまま ( かすみ ) のうちに ( ) け去りてすくうも手にはたまらざるべきお豊も恋に 自己 ( おのれ ) を自覚し ( ) めてより、にわかに苦労というものも解し ( ) めぬ。眠き目こすりて起き ( ) づるより、あれこれと追い使われ、その果ては小言 大喝 ( どなり ) 。もっとも陰口 中傷 ( あてこすり ) は概して解かれぬままに 鵜呑 ( うの ) みとなれど、 ( つる ) べ放つ攻城砲のみはいかに超然たるお豊も当たりかねて、恋しき人の ( うち ) ならずばとくにも逃げ ( いだ ) しつべく思えるなり。さりながら父の戒め、おりおり桜川町の ( うち ) に帰りて聞く母の ( おしえ ) はここと、けなげにもなお攻城砲の前に陣取りて、日また日を忍びて過ぎぬ。時にはたまり兼ねて思いぬ、恋はかくもつらきものよ、もはや二度とは人を恋わじと。あわれむべきお豊は、川島未亡人のためにはその乱れがちなる胸の安全管にせられ、家内の 婢僕 ( おんなおとこ ) には日ながの慰みにせられ、恋しき人の顔を見ることも ( ) うして、生まれ ( ) でてより ( ためし ) なき克己と辛抱をもって当てもなきものを待ちけるなり。

 お豊が来たりしより、武男が母は新たに一の 懊悩 ( おうのう ) をば添えぬ。失える玉は大にして、去れる ( よめ ) は賢なり。比較になるべき人ならねども、お豊が来たりて身近に使わるるに及びて、なすことごとに気に入るはなくて、武男が母は堅くその心をふさげるにかかわらず、ともすれば昔わがしかりもしののしりもせしその人を思い ( ) でぬ。光を

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( つつ ) める女の、言葉多からず 起居 ( たちい ) にしとやかなれば、見たる所は目より鼻にぬけるほど 華手 ( はで ) には見えねど、不なれながらもよくこちの気を飲み込みて機転もきき、第一心がけの殊勝なるを、図に乗っては口ぎたなくののしりながら、心の底にはあの年ごろでよく気がつくと暗に白状せしこともありしが、今目の前に同じ年ごろのお豊を置きて見れば、是非なく比較はとれて、事ごとに思うまじと思う人を思えるなり。されば 日々 ( にちにち ) 気にくわぬ事の ( ) で来るごとに、春がすみの化けて ( ) でたる人間の名をお豊と呼ばれて目は細々と口も閉じあえずすわれるかたわらには、いつしか色少し ( あお ) ざめて髪黒々としとやかなる若き 婦人 ( おんな ) の利発らしき目をあげてつくづくとわが顔をながめつつ「いかがでございます?」というようなる 心地 ( ここち ) して武男が母は思わずもわななかれつ。「じゃって、病気をすっがわるかじゃなっか」と幾たびか 陳弁 ( いいわけ ) すれど、なお妙に 胸先 ( むなさき ) に込みあげて来るものを、 自己 ( おのれ ) は怒りと思いつつ、果てはまた大声あげて、お豊に当たり散らしぬ。

 されば、広島の旗亭に、山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が 後妻 ( こうさい ) にとおぼろげならず言い ( ) でしその時は、川島未亡人とお豊の間は去る六 ( げつ ) における 日清 ( にっしん ) の間よりも危うく、 彼出 ( いだ ) すか、われ ( ) づるか、危機はいわゆる一髪にかかりしなりき。