第百版不如帰の巻首に (Hototogisu shosetsu) | ||
3. 下 編
一の一
明治二十七年九月十六日午後五時、わが連合艦隊は戦闘準備を整えて 大同江口 ( だいどうこうこう ) を発し、西北に向かいて進みぬ。あたかも運送船を護して 鴨緑江口 ( おうりょっこうこう ) 付近に見えしという敵の艦隊を尋ねいだして、雌雄を一戦に決せんとするなり。
吉野 ( よしの ) を旗艦として、 高千穂 ( たかちほ ) 、 浪速 ( なにわ ) 、 秋津洲 ( あきつしま ) の第一遊撃隊、 先鋒 ( せんぽう ) として前にあり。松島を旗艦として 千代田 ( ちよだ ) 、 厳島 ( いつくしま ) 、 橋立 ( はしだて ) 、 比叡 ( ひえい ) 、 扶桑 ( ふそう ) の本隊これに 続 ( つ ) ぎ、砲艦 赤城 ( あかぎ ) 及び 軍 ( いくさ ) 見物と称する軍令部長を載せし 西京丸 ( さいきょうまる ) またその後ろにしたがいつ。十二隻の 艨艟 ( もうどう ) 一縦列をなして、午後五時大同江口を離れ、伸びつ縮みつ竜のごとく黄海の 潮 ( うしお ) を巻いて進みぬ。やがて日は海に入りて、陰暦八月十七日の月東にさし上り、船は金波銀波をさざめかして 月色 ( げっしょく ) のうちをはしる。
旗艦松島の 士官次室 ( ガンルーム ) にては、 晩餐 ( ばんさん ) とく済みて、副直その他要務を帯びたるは久しき前に 出 ( い ) で去りたれど、なお五六人の残れるありて、談まさに興に入れるなるべし。 舷窓 ( げんそう ) をば 火光 ( あかり ) を漏らさじと閉ざしたれば、温気 内 ( うち ) にこもりて、さらぬだに血気盛りの顔はいよいよ 紅 ( くれない ) に照れり。テーブルの上には 珈琲碗 ( かひわん ) 四つ五つ、菓子皿はおおむねたいらげられて、ただカステーラの一片がいづれの少将軍に 屠 ( ほふ ) られんかと 兢々 ( きょうきょう ) として心細げに横たわるのみ。
「陸軍はもう 平壌 ( へいじょう ) を 陥 ( おと ) したかもしれないね」と短小 精悍 ( せいかん ) とも言いつべき一少尉は 頬杖 ( ほおづえ ) つきたるまま一座を見回したり。「しかるにこっちはどうだ。実に不公平もまたはなはだしというべしじゃないか」
でっぷりと肥えし小主計は 一隅 ( いちぐう ) より 莞爾 ( かんじ ) と笑いぬ。「どうせ幕が明くとすぐ済んでしまう 演劇 ( しばい ) じゃないか。 幕合 ( まくあい ) の長いのもまた一興だよ」
「なんて 悠長 ( ゆうちょう ) な事を言うから困るよ。 北洋艦隊 ( ぺいやん ) 相手の 盲捉戯 ( めくらおにご ) ももうわが輩はあきあきだ。今度もかけちがいましてお目にかからんけりゃ、わが輩は、だ、長駆 渤海 ( ぼっかい ) 湾に乗り込んで、 太沽 ( ターク ) の砲台に砲丸の一つもお見舞い申さんと、 堪忍袋 ( かんにんぶくろ ) がたまらん」
「それこそ袋のなかに入るも同然、帰路を絶たれたらどうです?」まじめに 横槍 ( よこやり ) を入るるは候補生の某なり。
「何、帰路を絶つ? 望む所だ。しかし悲しいかな君の北洋艦隊はそれほど 敏捷 ( びんしょう ) にあらずだ。あえてけちをつけるわけじゃないが、今度も見参はちとおぼつかないね。支那人の気の長いには実に閉口する」
おりから靴音の近づきて、たけ高き一少尉入り口に立ちたり。
短小少尉はふり仰ぎ「おお航海士、どうだい、なんにも見えんか」
「月ばかりだ。点検が済んだら、すべからく寝て鋭気を養うべしだ」言いつつ菓子皿に残れるカステーラの一片を 頬 ( ほお ) ばり「むむ、少し…… 甲板 ( かんぱん ) に出ておると……腹が減るには驚く。―― 従卒 ( ボーイ ) 、菓子を持って来い」
「君も随分食うね」と赤きシャツを着たる一少尉は 微笑 ( ほほえ ) みつ。
「 借問 ( しゃもん ) す君はどうだ。菓子を食って老人組を 罵倒 ( ばとう ) するは、けだしわが輩 士官次室 ( ガンルーム ) の英雄の特権じゃないか。――どうだい、諸君、兵はみんな 明日 ( あす ) を待ちわびて、目がさえて困るといってるぞ。これで失敗があったら実に兵の罪にあらず、――の罪だ」
「わが輩は勇気については 毫 ( ごう ) も疑わん。望む所は沈勇、沈勇だ。 無手法 ( むてっぽう ) は困る」というはこの仲間にての年長なる 甲板士官 ( メート ) 。
「無手法といえば、○番分隊士は実に驚くよ」と他の一 人 ( にん ) はことばをさしはさみぬ。「勉励も非常だが、第一いかに軍人は 生命 ( いのち ) を 愛 ( お ) しまんからッて、命の安売りはここですと看板もかけ兼ねん勢いはあまりだと思うね」
「ああ、川島か、いつだッたか、そうそう、威海衛砲撃の時だッてあんな 険呑 ( けんのん ) な事をやったよ。川島を司令長官にしたら、それこそ 三番分隊士 ( さんばん ) じゃないが、艦隊を渤海湾に連れ込んで、 太沽 ( ターク ) どころじゃない、 白河 ( ペイホー ) をさかのぼって 李 ( リー ) のおやじを生けどるなんぞ言い出すかもしれん」
「それに、ようすが 以前 ( まえ ) とはすっかり違ったね。非常に 怒 ( おこ ) るよ。いつだッたか僕が 川島男爵夫人 ( バロネスかわしま ) の事についてさ、少しからかいかけたら、まっ黒に怒って、あぶなく 鉄拳 ( てっけん ) を 頂戴 ( ちょうだい ) する所さ。僕は鎮遠の三十サンチより実際○番分隊士の一拳を恐るるね。はははは何か子細があると思うが、 赤襯衣 ( ガリバルジー ) 君、君は川島と親しくするから恐らく秘密を知っとるだろうね」
と航海士はガリバルジーといわれし赤シャツ少尉の顔を見たり。
おりから 従卒 ( ボーイ ) のうずたかく盛れる菓子皿持ち来たりて、 士官次室 ( ガンルーム ) の話はしばし 腰斬 ( ようざん ) となりぬ。
一の二
夜十時点検終わり、差し当たる職務なきは 臥 ( ふ ) し、余はそれぞれ方面の務めに 就 ( つ ) き、高声火光を禁じたれば、 上 ( じょう ) 甲板も 下 ( げ ) 甲板も 寂 ( せき ) としてさながら人なきようになりぬ。 舵手 ( だしゅ ) に令する航海長の声のほかには、ただ煙突の 煙 ( けぶり ) のふつふつとして白く月にみなぎり、 螺旋 ( スクルー ) の波をかき、大いなる心臓のうつがごとく 小止 ( おや ) みなき機関の響きの艦内に満てるのみ。
月影白き前艦橋に、二個の 人影 ( じんえい ) あり。その一は艦橋の左端に凝立して動かず。一は靴音静かに、墨より黒き影をひきつつ、五歩にして 止 ( とど ) まり、十歩にして返る。
こは川島武男なり。この 艦 ( ふね ) の○番分隊士として、当直の航海長とともに、副直の四時間を艦橋に立てるなり。
彼は今艦橋の右端に達して、双眼鏡をあげつ、艦の四方を望みしが、見る所なきもののごとく、 右手 ( めて ) をおろして、 左手 ( ゆんで ) に欄干を握りて立ちぬ。前部砲台の 方 ( かた ) より士官 二人 ( ふたり ) 、 低声 ( こごえ ) に相語りつつ艦橋の下を過ぎしが、また陰の暗きに消えぬ。甲板の上 寂 ( せき ) として、風冷ややかに、月はいよいよ 冴 ( さ ) えつ。艦首にうごめく番兵の影を見越して、海を望めば、ただ 左舷 ( さげん ) に淡き島山と、見えみ見えずみ月光のうちを行く先艦 秋津洲 ( あきつしま ) をのみ 隈 ( くま ) にして、一艦のほか月に 白 ( しら ) める黄海の水あるのみ。またひとしきり煙に和して勢いよく立ち上る火花の行くえを 目送 ( みおく ) れば、 大檣 ( たいしょう ) の上高く星を散らせる秋の夜の空は 湛 ( たた ) えて、月に淡き銀河一道、 微茫 ( びぼう ) として白く海より海に流れ入る。
*
月は三たびかわりぬ。武男が席を 蹴 ( け ) って母に辞したりしより、月は三たび移りぬ。
この三月の 間 ( ま ) に、彼が身生はいかに多様の 境界 ( きょうがい ) を経来たりしぞ。韓山の風雲に胸をおどらし、佐世保の湾頭には「今度この節国のため、遠く離れて 出 ( い ) でて行く」の離歌に 腸 ( はらわた ) を断ち、宣戦の大詔に腕を 扼 ( とりしば ) り、威海衛の砲撃に初めて火の洗礼を授けられ、心をおどろかし目を驚かすべき事は続々起こり来たりて、ほとんど彼をして考うるの 暇 ( いとま ) なからしめたり。多謝す、これがために武男はその心をのみ尽くさんとするあるものをば思わずして、わずかにわれを持したるなりき。この国家の大事に際しては、 渺 ( びょう ) たる 滄海 ( そうかい ) の一 粟 ( ぞく ) 、 自家 ( われ ) 川島武男が一身の死活浮沈、なんぞ問うに足らんや。彼はかく自ら 叱 ( しっ ) し、かの痛をおおうてこの職分の道に従い、絶望の勇をあげて征戦の事に従えるなり。死を彼は真に 塵 ( ちり ) よりも軽く思えり。
されど事もなき艦橋の上の 夜 ( よ ) 、韓海の夏暑くしてハンモックの夢結び難き 夜 ( よ ) は、ともすれば痛恨 潮 ( うしお ) のごとくみなぎり来たりて、 丈夫 ( ますらお ) の胸裂けんとせしこと幾たびぞ。時はうつりぬ。今はかの当時、何を恥じ、何を 憤 ( いか ) り、何を悲しみ、何を恨むともわかち難き感情の、 腸 ( はらわた ) に 沸 ( たぎ ) りし時は過ぎて、一片の痛恨深く 痼 ( こ ) して、人知らずわが心を 蝕 ( くら ) うのみ。母はかの後二たび書を寄せ物を寄せてつつがなく帰り来たるの日を待つと言い送りぬ。武男もさすがに老いたる母の 膝下 ( しっか ) さびしかるべきを思いては、かの時の過言を謝して、その健康を祈る由書き送りぬ。されど解きても 融 ( と ) け難き一塊の恨みは深く深く胸底に残りて、彼が夜々ハンモックの上に、北洋艦隊の 殲滅 ( せんめつ ) とわが 討死 ( うちじに ) の夢に伴なうものは、 雪白 ( せっぱく ) の 肩掛 ( ショール ) をまとえる病めるある人の 面影 ( おもかげ ) なりき。
消息絶えて、月は三たび移りぬ。彼女なお生きてありや、なしや。生きてあらん。わが忘るる日なきがごとく、彼も思わざるの日はなからん。共に生き共に死なんと誓いしならずや。
武男はかく思いぬ。さらに最後に相見し時を思いぬ。五日の月松にかかりて、 朧々 ( ろうろう ) としたる逗子の夕べ、われを送りて 門 ( かど ) に立ち 出 ( い ) で、「早く帰ってちょうだい」と呼びし人はいずこぞ。思い入りてながむれば、白き 肩掛 ( ショール ) をまとえる姿の、今しも月光のうちより歩み 出 ( い ) で来たらん 心地 ( ここち ) すなり。
明日 ( あす ) にもあれ、首尾よく敵の艦隊に会して、この身砲弾の 的 ( まと ) にもならば、すべて世は一 場 ( じょう ) の夢と過ぎなん、と武男は思いぬ。さらにその母を思いぬ。 亡 ( な ) き父を思いぬ。幾年前江田島にありける時を思いぬ。しこうして心は再び病める人の上に返りて
*
「川島君」
肩をたたかれて、打ち驚きたる武男は急に月に 背 ( そむ ) きつ。驚かせしは航海長なり。
「実にいい月じゃないか。 戦争 ( いくさ ) に行くとは思われんね」
打ちうなずきて、武男はひそかに 涙 ( なんだ ) をふり落としつつ双眼鏡をあげたり。月白うして黄海、物のさえぎるなし。
一の三
月落ち、 夜 ( よ ) は紫に 曙 ( あ ) けて、九月十七日となりぬ。午前六時を過ぐるころ、艦隊はすでに海洋 島 ( とう ) の近くに進みて、まず砲艦 赤城 ( あかぎ ) を島の彖登湾に 遣 ( つか ) わして敵の有無を探らしめしが、湾内むなしと帰り報じつ。艦隊さらに進航を続けて、 大 ( だい ) 、 小鹿島 ( しょうろくとう ) を斜めに見つつ大孤山沖にかかりぬ。
午前十一時武男は要ありて行きし 士官公室 ( ワートルーム ) を 出 ( い ) でてまさに 艙口 ( ハッチ ) にかからんとする時、上甲板に声ありて、
「見えたッ!」
同時に靴音の 忙 ( いそが ) わしく 走 ( は ) せ違うを聞きつ。心臓の鼓動とともに、 艙梯 ( そうてい ) に踏みかけたる足ははたと止まりぬ。あたかも 梯下 ( ていか ) を通りかかりし一人の水兵も、ふッと立ち止まりて武男と顔見合わしたり。
「川島分隊士、敵艦が見えましたか」
「おう、そうらしい」
言いすてて武男は乱れうつ胸をいたずらにおし静めつつ足早に甲板に上れば、 人影 ( じんえい ) 走 ( は ) せ違い、 呼笛 ( ふえ ) 鳴り、信号手は忙わしく信号旗を引き上げおり、艦首には水兵多くたたずみ、艦橋の上には司令長官、艦長、副長、参謀、諸士官、いずれも口を結び目を据えて、はるかに艦外の海を望みおるなり。その視線を 趁 ( お ) うて望めば、北の 方 ( かた ) 黄海の水、天と相合うところに当たりて、黒き糸筋のごとくほのかに立ち上るもの、一、二、三、四、五、六、七、八、九条また十条。
これまさしく敵の艦隊なり。
艦橋の上に立つ一将校 袂 ( たもと ) 時計を 出 ( いだ ) し見て「一時間半は大丈夫だ。準備ができたら、まず腹でもこしらえて置くですな」
中央に立ちたる 一人 ( ひとり ) はうなずき「お待ち遠様。諸君、しっかり頼みますぞ」と言い終わりて 髯 ( ひげ ) をひねりつ。
やがて戦闘旗ゆらゆらと 大檣 ( たいしょう ) の 頂 ( いただき ) 高く引き揚げられ、数声のラッパは、艦橋より艦内くまなく鳴り渡りぬ。配置につかんと、艦内に行きかう人の影織るがごとく、檣楼に上る者、機関室に下る者、水雷室に行く者、治療室に入る者、 右舷 ( うげん ) に行き、左舷に行き、艦尾に行き、艦橋に上り、縦横に動ける局部の作用たちまち成るを告げて、戦闘の準備は時を移さず整いぬ。あたかも 午時 ( ごじ ) に近くして、戦わんとしてまず 午餐 ( ごさん ) の令は 出 ( い ) でたり。
分隊長を助け、部下の砲員を指揮して手早く右舷速射砲の 装填 ( そうてん ) を終わりたる武男は、ややおくれて、 士官次室 ( ガンルーム ) に入れば、同僚皆すでに集まりて、 箸 ( はし ) 下り 皿 ( さら ) 鳴りぬ。短小少尉はまじめになり、 甲板士官 ( メート ) はしきりに額の汗をぬぐいつつうつむきて食らい、 年少 ( としした ) の候補生はおりおり他の顔をのぞきつつ、劣らじと皿をかえぬ。たちまち箸をからりと投げて立ちたるは赤シャツ少尉なり。
「諸君、敵を前に控えて 悠々 ( ゆうゆう ) と 午餐 ( ひるめし ) をくう諸君の勇気は―― 立花宗茂 ( たちばなむねしげ ) に劣らずというべしだ。お互いにみんなそろって 今日 ( きょう ) の夕飯を食うや否やは疑問だ。諸君、別れに握手でもしようじゃないか」
いうより早く隣席にありし武男が手をば 無手 ( むず ) と握りて二三度打ちふりぬ。同時に一座は総立ちになりて手を握りつ、握られつ、皿は二個三個からからとテーブルの下に 転 ( まろ ) び落ちたり。 左頬 ( さきょう ) にあざある一少尉は少軍医の手をとり、
「わが輩が負傷したら、どうかお手柔らかにやってくれたまえ。その 賄賂 ( わいろ ) だよ、これは」
と四五度も打ちふりぬ。からからと笑える一座は、またたちまちまじめになりつ。一人去り、二人去りて、果てはむなしき 器皿 ( きべい ) の 狼藉 ( ろうぜき ) たるを 留 ( とど ) むるのみ。
零時二十分、武男は、分隊長の命を帯び、副艦長に打ち合わすべき事ありて、前艦橋に上れば、わが艦隊はすでに単縦陣を形づくり、約四千メートルを隔てて第一遊撃隊の四艦はまっ先に進み、本隊の六艦はわが松島を先登としてこれにつづき、赤城西京丸は本隊の左舷に沿うてしたがう。
仰ぎ見る 大檣 ( たいしょう ) の上高く戦闘旗は 碧空 ( へきくう ) に 羽 ( は ) たたき、煙突の 煙 ( けぶり ) まっ黒にまき上り、 舳 ( へさき ) は海を 劈 ( さ ) いて 白波 ( はくは ) 高く両舷にわきぬ。将校あるいは双眼鏡をあげ、あるいは長剣の 柄 ( つか ) を握りて艦橋の風に向かいつつあり。
はるかに北方の海上を望めば、さきに水天の間に一髪の浮かめるがごとく見えし煙は、一分一分に肥え来たりて、敵の艦隊さながら海中よりわき 出 ( い ) づるごとく、煙まず見え、ついで 針大 ( はりだい ) の 檣 ( ほばしら ) ほの見え、煙突見え、艦体見え、檣頭の旗影また点々として見え来たりぬ。ひときわすぐれて目立ちたる 定遠 ( ていえん ) 鎮遠 ( ちんえん ) 相連 ( あいなら ) んで中軍を固め、 経遠 ( けいえん ) 至遠 ( しえん ) 広甲 ( こうこう ) 済遠 ( さいえん ) は左翼、 来遠 ( らいえん ) 靖遠 ( せいえん ) 超勇 ( ちょうゆう ) 揚威 ( ようい ) は右翼を固む。西に当たってさらに 煙 ( けぶり ) の見ゆるは、 平遠 ( へいえん ) 広丙 ( こうへい ) 鎮東 ( ちんとう ) 鎮南 ( ちんなん ) 及び六隻の水雷艇なり。
敵は単横陣を張り、我艦隊は単縦陣をとって、敵の 中央 ( まなか ) をさして丁字形に進みしが、あたかも敵陣を 距 ( さ ) る一万メートルの所に至りて、わが 先鋒隊 ( せんぽうたい ) はとっさに針路を左に転じて、敵の右翼をさしてまっしぐらに進みつ。先鋒の左に転ずるとともに、わが艦隊は 竜 ( りゅう ) の尾をふるうごとくゆらゆらと左に動いて、彼我の陣形は丁字一変して八字となり、彼は横に張り、われは斜めにその右翼に向かいて、さながら一大コンパス 形 ( けい ) をなし、彼進み、われ進みて、相 距 ( さ ) る六千メートルにいたりぬ。この時敵陣の中央に控えたる定遠艦首の砲台に白煙むらむらと渦まき起こり、三十サンチの両弾丸空中に鳴りをうってわが先鋒隊の左舷の海に落ちたり。黄海の水驚いて 倒 ( さかしま ) に立ちぬ。
一の四
黄海! 昨夜月を浮かべて白く、今日もさりげなく雲を
※ ( ひた ) し、島影を載せ、 睡鴎 ( すいおう ) の夢を浮かべて、 悠々 ( ゆうゆう ) として 画 ( え ) よりも静かなりし黄海は、今 修羅場 ( しゅらじょう ) となりぬ。艦橋をおりて武男は右舷速射砲台に行けば、分隊長はまさに双眼鏡をあげて敵の 方 ( かた ) を望み、部下の砲員は 兵曹 ( へいそう ) 以下おおむねジャケットを脱ぎすて、腰より上は 臂 ( ひじ ) ぎりのシャツをまといて潮風に黒める筋太の腕をあらわし、 白木綿 ( しろもめん ) もてしっかと腹部を巻けるもあり。黙して号令を待ち構えつ。この時わが先鋒隊は敵の右翼を乱射しつつすでに敵前を過ぎ終わらんとし、わが本隊の第一に進める松島は全速力をもって敵に近づきつつあり。双眼鏡をとってかなたを望めば、敵の中央を堅めし定遠鎮遠はまっ先にぬきんでて、横陣やや鈍角をなし、距離ようやく縮まりて二艦の 形状 ( かたち ) は遠目にも次第にあざやかになり来たりぬ。卒然として往年かの二艦を横浜の 埠頭 ( ふとう ) に見しことを思い 出 ( い ) でたる武男は、倍の好奇心もて打ち見やりつ。依然当時の二艦なり。ただ、今は黒煙をはき、 白波 ( はくは ) をけり、砲門を開きて、 咄々 ( とつとつ ) 来たってわれに迫らんとするさまの、さながら悪獣なんどの来たり向こうごとく、恐るるとにはあらで一種やみ難き 嫌厭 ( けんえん ) を 憎悪 ( ぞうお ) の胸中にみなぎり 出 ( い ) づるを覚えしなり。
たちまち海上はるかに一声の 雷 ( らい ) とどろき、物ありグーンと空中に鳴りをうって、松島の 大檣 ( たいしょう ) をかすめつつ、海に落ちて、二丈ばかり水をけ上げぬ。武男は後頂より 脊髄 ( せきずい ) を通じて言うべからざる冷気の走るを覚えしが、たちまち足を踏み固めぬ。他はいかにと見れば、砲尾に群がりし砲員の列一たびは揺らぎて、また動かず。艦いよいよ進んで、三個四個五個の敵弾つづけざまに乱れ飛び、一は左舷につりし端艇を打ち砕き、他はすべて松島の四辺に水柱をけ立てつ。
「分隊長、まだですか」こらえ兼ねたる武男は叫びぬ。時まさに一時を過ぎんとす。「四千メートル」の語は、あまねく右舷及び艦の首尾に伝わりて、照尺整い、 牽索 ( けんさく ) 握られつ。待ち構えたる一声のラッパ鳴りぬ。「打てッ!」の号令とともに、わが三十二サンチ巨砲を初め、右舷側砲一斉に第一弾を敵艦にほとばしらしつ。艦は震い、舷にそうて煙おびただしく渦まき起こりぬ。
あたかもその答礼として、定遠鎮遠のいずれか放ちたる大弾丸すさまじく空にうなりて、煙突の上二寸ばかりかすめて海に落ちたり。砲員の二三は思わず 頭 ( かしら ) を下げぬ。
分隊長顧みて「だれだ、だれだ、お辞儀をするのは?」
武男を初め候補生も砲員もどっと笑いつ。
「さあ、打てッ! しっかり、しっかり――打てッ!」
右舷側砲は 連 ( つる ) べ 放 ( う ) ちにうち出しぬ。三十二サンチ巨砲も艦を震わして鳴りぬ。後続の諸艦も一斉にうち出しぬ。たちまち敵のうちたる時限弾の一個は、砲台近く破裂して、今しも弾丸を砲尾に運びし砲員の一人武男が後ろにどうと倒れつ。起き上がらんとして、また倒れ、血はさっとほとばしりてしたたかに武男がズボンにかかりぬ。砲員の過半はそなたを顧みつ。
「だれだ? だれだ?」
「西山じゃないか、西山だ、西山だ」
「死んだか」
「打てッ!」分隊長の声鳴りて、砲員皆砲に群がりつ。
武男は手早く運搬手に死者を運ばし、ふりかえってその位置に立たんとすれば、分隊長は武男がズボンに目をつけ
「川島君、負傷じゃないか」
「なあに、今のとばしるです」
「おおそうか。さあ、今の 仇 ( かたき ) を討ってやれ」
砲は間断なく発射し、艦は全速力をもてはしる。わが本隊は敵の横陣に対して大いなる弧をえがきつつ、かつ射かつ 駛 ( は ) せて、一時三十分過ぎにはすでに敵を半周してその右翼を回り、まさに敵の 背後 ( うしろ ) に 出 ( い ) でんとす。
第一回の戦い終わりて、第二回の戦いこれより始まらんとすなり。松島の右舷砲しばし鳴りを静めて、諸士官砲員 淋漓 ( りんり ) たる汗をぬぐいぬ。
この時彼我の陣形を見れば、わが先鋒隊はいち早く敵の右翼を乱射して、超勇揚威を戦闘力なきまでに悩ましつつ、一回転して本隊と敵の背後を撃たんとし、わが本隊のうち 比叡 ( ひえい ) は速力劣れるがため本隊に続行するあたわずして、大胆にもひとり敵陣の中央を突貫し、死戦して活路を開きしが、火災のゆえに圏外に去り、西京丸また危険をのがれて圏外に去らんとし、敵前に残されし赤城は六百トンの小艦をもって独力奮闘 重囲 ( ちょうい ) を 衝 ( つ ) いて、比叡のあとをおわんとす。しかして先鋒の四艦と、本隊の五艦とは、整々として列を乱さず。
敵 ( てき ) の 方 ( かた ) を望めば、超勇焼け、揚威戦闘力を失して、敵の右翼乱れ、左翼の三艦は列を乱してわが比叡赤城を追わんとし、その援軍水雷艇は隔離して一辺にあり。しかして定遠鎮遠以下数艦は、わがその背後に回らんとするより、急に 舳 ( へさき ) をめぐらして縦陣に変じつつ、けなげにもわが本隊に向かい来たる。
第二回の戦いは今や始まりぬ。わが本隊は西京丸が掲げし「赤城比叡危険」の信号を見るより、速力大なる先鋒隊の四艦を 遣 ( つか ) わして、赤城比叡を 尾 ( び ) する敵の三艦を追い払わせつつ、一隊五艦依然単縦陣をとって、同じく縦陣をとれる敵艦を中心に大なる 蛇 ( じゃ ) の目をえがきもてかつ 駛 ( はし ) りかつ撃ち、二時すでに半ばならんとする時、敵艦隊を一周し終わって敵のこなたに達しつ。このときわが先鋒隊は比叡赤城を 尾 ( び ) する敵の三艦を一戦にけ散らし、にぐるを追うて敵の本陣に駆り入れつつ、一括してかなたより攻撃にかかりぬ。さればわが本隊先鋒隊はあたかも敵の艦隊を中央に取りこめて、左右よりさしはさみ撃たんとすなり。
第三次の激戦今始まりぬ。わが海軍の精鋭と、敵の海軍の主力と、共に集まりたる彼我の艦隊は、大全速力もて 駛 ( は ) せ違い入り乱れつつ相たたかう。あたかも二 竜 ( りゅう ) の長鯨を巻くがごとく黄海の水たぎって一面の 泡 ( あわ ) となりぬ。
一の五
わが本隊は右、 先鋒隊 ( せんぽうたい ) は左、敵の艦隊をまん中に取りこめて、引つ包んで撃たんとす。戦いは今たけなわになりぬ。戦いの熱するに従って、武男はいよいよわれを忘れつ。その昔学校にありて、ベースボールに熱中せし時、勝敗のここしばらくの間に決せんとする大事の時に際するごとに、身のたれたり場所のいずくたるを忘れ、ほとんど物ありて 空 ( くう ) よりわれを引き回すように覚えしが、今やあたかもその時に異ならざるの感を覚えぬ。艦隊敵と離れてまた敵に向かい行く間と、艦体一転して左舷敵に向かい右舷しばらく閑なる間とを除くほかは、間断なき号令に声かれ、汗は 淋漓 ( りんり ) として満面にしたたるも、さらに覚えず。旗艦を目ざす敵の弾丸ひとえに松島にむらがり、鉄板上に裂け、 木板 ( ぼくはん ) 焦がれ、血は甲板にまみるるも、さらに覚えず。敵味方の砲声はあたかも心臓の鼓動に時を合わしつつ、やや 間 ( かん ) あれば耳辺の寂しきを怪しむまで、身は全く血戦の熱に浮かされつ。されば、部下の砲員も乱れ飛ぶ敵弾を物ともせず、 装填 ( そうてん ) し照準を定め 牽索 ( ひきなわ ) を張り発射しまた装填するまで、射的場の精確さらに実戦の熱を加えて、火災は起こらんとするに消し、 弾 ( だん ) は命ぜざるに運び、死亡負傷はたちまち運び去り、ほとんど士官の命を待つまでもなく、手おのずから動き、足おのずから働きて、戦闘機関は間断なくなめらかに運転せるなり。
この時目をあぐれば、灰色の煙空をおおい海をおおうて 十重二十重 ( とえはたえ ) に渦まける間より、思いがけなき敵味方の 檣 ( ほばしら ) と軍艦旗はかなたこなたにほの見え、ほとんど秒ごとに 轟然 ( ごうぜん ) たる響きは海を震わして、 弾 ( だん ) は弾と空中に相うって爆発し、海は間断なく水柱をけ上げて煮えかえらんとす。
「愉快! 定遠が焼けるぞ!」かれたる声ふり絞りて分隊長は叫びぬ。
煙の絶え間より望めば、 黄竜旗 ( こうりょうき ) を翻せる敵の旗艦の前部は黄煙渦まき起こりて、 蟻 ( あり ) のごとく敵兵のうごめき騒ぐを見る。
武男を初め砲員一斉に快を叫びぬ。
「さあ、やれ。やっつけろッ!」
勢い込んで、砲は一時に打ち 出 ( いだ ) しぬ。
左右より 夾撃 ( きょうげき ) せられて、敵の艦隊はくずれ立ちたり。超勇はすでにまっ先に火を帯びて沈み、揚威はとくすでに大破して 逃 ( のが ) れ、致遠また没せんとし、定遠火起こり、来遠また火災に苦しむ。こらえ兼ねし敵艦隊はついに定遠鎮遠を残して、ことごとくちりぢりに逃げ 出 ( いだ ) しぬ。わが先鋒隊はすかさずそのあとを追いぬ。本隊五艦は残れる定遠鎮遠を撃たんとす。
第四回の戦い始まりぬ。
時まさに三時、定遠の前部は火いよいよ燃えて、黄煙おびただしく立ち上れど、なお 逃 ( のが ) れず。鎮遠またよく旗艦を護して、二大鉄艦 巍然 ( ぎぜん ) 山のごとくわれに向かいつ。わが本隊の五艦は今や全速力をもって敵の周囲を 駛 ( は ) せつつ、幾回かめぐりては乱射し、めぐりては乱射す。砲弾は雨のごとく二艦に注ぎぬ。しかも軽装快馬のサラセン武士が馬をめぐらして 重鎧 ( じゅうがい ) の十字軍士を射るがごとく、命中する弾丸多くは二艦の重鎧にはねかえされて、艦外に破裂し終わりつ。午後三時二十五分わが旗艦松島はあたかも敵の旗艦と相並びぬ。わがうち出す速射砲弾のまさしく彼が艦腹に 中 ( あた ) りて、はねかえりて花火のごとくむなしく艦外に破裂するを望みたる武男は、憤りに 堪 ( た ) え得ず、歯をくいしばりて、右の手もて剣の 柄 ( つか ) を 破 ( わ ) れよと打ちたたき、
「分隊長、無念です。あ……あれをごらんなさい。 畜生 ( ちくしょう ) ッ!」
分隊長は 血眼 ( ちまなこ ) になりて甲板を踏み鳴らし
「うてッ! 甲板をうて、甲板を! なあに! うてッ!」
「うてッ!」武男も声ふり絞りぬ。
歯をくいしばりたる砲員は憤然として勢い 猛 ( たけ ) く 連 ( つる ) べ 放 ( う ) ちに打ち 出 ( いだ ) しぬ。
「も一つ!」
武男が叫びし声と同時に、 霹靂 ( へきれき ) 満艦を震動して、砲台内に噴火山の破裂するよと思うその時おそく、雨のごとく飛び散る物にうたれて、武男はどうと倒れぬ。
敵艦の 発 ( う ) ち 出 ( いだ ) したる三十サンチの 大榴弾 ( だいりゅうだん ) 二個、あたかも砲台のまん中を貫いて破裂せしなり。
「残念ッ!」
叫びつつはね起きたる武男は、また 尻居 ( しりい ) にどうと倒れぬ。
彼は今 体 ( たい ) の下半におびただしき苦痛を覚えつ。倒れながらに見れば、あたりは一面の血、火、肉のみ。分隊長は見えず。砲台は 洞 ( ほら ) のごとくなりて、その間より青きもの揺らめきたり。こは海なりき。
苦痛と、いうべからざるいたましき 臭 ( か ) のために、武男が目は閉じぬ。人のうめく声。物の燃ゆる音。ついで「火災! 火災! ポンプ用意ッ!」と叫ぶ声。同時に 走 ( は ) せ来る足音。
たちまち武男は手ありてわれをもたぐるを覚えつ。手の脚部に触るるとともに、限りなき苦痛は脳頂に響いて、思わず「あ」と叫びつつのけぞり―― 紅 ( くれない ) の 靄 ( もや ) 閉ざせる目の前に渦まきて、次第にわれを失いぬ。
二の一
大本営所在地広島においては、十 月 ( げつ ) 中旬、第一師団はとくすでに金州半島に向かいたれど、そのあとに第二師団の健児広島狭しと入り込み来たり、しかのみならず臨時議会開かれんとして、六百の代議士続々東より来つれば、 高帽 ( こうぼう ) 腕車 ( わんしゃ ) はいたるところ 剣佩 ( はいけん ) 馬蹄 ( ばてい ) の響きと入り乱れて、維新当年の京都のにぎあいを再びここ山陽に見る 心地 ( ここち ) せられぬ。
市の目ぬきという 大手町 ( おおてまち ) 通りは「参謀総長宮殿下」「伊藤内閣総理大臣」「川上陸軍中将」なんどいかめしき宿札うちたるあたりより、二丁目三丁目と下がりては戸ごとに「徴発ニ応ズベキ坪数○○畳、○間」と 貼札 ( はりふだ ) して、おおかたの家には士官下士の姓名兵の隊号 人数 ( にんず ) を 記 ( しる ) せし紙札を張りたるは、 仮兵舎 ( バラック ) にも置きあまりたる兵士の流れ込みたるなり。その間には「○○酒保事務所」「○○組人夫事務取扱所」など看板新しく人影の 忙 ( せわ ) しく出入りするあれば、そこの店先にては 忙 ( いそが ) わしくラムネ 瓶 ( びん ) を大箱に詰め込み、こなたの店はビスケットの箱山のごとく荷造りに汗を流す若者あり。この間を縫うて馬上の将官が大本営の 方 ( かた ) に急ぎ行きしあとより、電信局にかけつくるにか鉛筆を耳にさしはさみし新聞記者の車を飛ばして過ぐる、やがて 鬱金木綿 ( うこんもめん ) に包みし長刀と 革嚢 ( かばん ) を載せて 停車場 ( ステーション ) の方より来る者、 面 ( おもて ) 黒々と日にやけてまだ夏服の破れたるまま 宇品 ( うじな ) より今上陸して来つと覚しき者と行き違い、新聞の写真付録にて見覚えある元老の何か思案顔に車を走らすこなたには、近きに出発すべき人夫が鼻歌歌うて往来をぶらつけば、かなたの家の縁さきに剣をとぎつつ健児が歌う北音の軍歌は、川向こうのなまめかしき広島節に和して響きぬ。
「陸軍御用達」と一間あまりの大看板、その他看板二三枚、入り口の三方にかけつらねたる家の玄関先より往来にかけて粗製 毛布 ( けっと ) 防寒服ようのもの山と積みつつ、番頭らしきが若者五六人をさしずして荷造りに 忙 ( せわ ) しき所に、客を送りてそそくさと奥より 出 ( い ) で来し五十あまりの 爺 ( おやじ ) 、額やや 禿 ( は ) げて目じりたれ左眼の下にしたたかな 赤黒子 ( あかぼくろ ) あるが、何か番頭にいいつけ終わりて、入らんとしつつたちまち門外を 上手 ( かみて ) に過ぎ行く車を目がけ
「田崎 君 ( さん ) ……田崎 君 ( さん ) 」
呼ぶ声の耳に入らざりしか、そのままに過ぎ行くを、若者して呼び戻さすれば、車は門に帰りぬ。車上の客は五十あまり、色赤黒く、 頬 ( ほお ) ひげ少しは白きもまじり、 黒紬 ( くろつむぎ ) の羽織に新しからぬ同じ色の 中山帽 ( ちゅうやま ) をいただき 蹴込 ( けこ ) みに中形の 鞄 ( かばん ) を載せたり。呼び戻されてけげんの顔は、玄関に立ちし主人を見るより驚きにかわりて、 帽 ( ぼう ) を脱ぎつつ
「山木さんじゃないか」
「田崎 君 ( さん ) 、珍しいね。いったいいつ来たンです?」
「この汽車で 帰京 ( かえ ) るつもりで」と田崎は車をおり、 筵繩 ( むしろなわ ) なんど取り散らしたる間を縫いて玄関に寄りぬ。
「 帰京 ( かえる ) ? どこにいつおいでなので?」
「はあ、つい先日佐世保に行って、今 帰途 ( かえり ) です」
「佐世保? 武男さん―― 旦那 ( だんな ) のお見舞?」
「はあ、旦那の見舞に」
「これはひどい、旦那の見舞に行きながら 往返 ( いきかえり ) とも素通りは実にひどい。娘も娘、御隠居も御隠居だ、はがきの一枚も来ないものだから」
「何、急ぎでしたからね」
「だッて、行きがけにちょっと寄ってくださりゃよかったに。とにかくまあお上がんなさい。車は返して。いいさ、お話もあるから。一汽車おくれたッていいだろうじゃないか。――ところで武男さん――旦那の 負傷 ( けが ) はいかがでした? 実はわたしもあの時お 負傷 ( けが ) の事を聞いたンで、ちょいとお見舞に行かなけりゃならんならんと思ってたンだが、思ったばかりで、――ちょうど第一師団が 近々 ( ちかぢか ) にでかけるというンで、滅法忙しかったもンですから、ついその何で、お見舞状だけあげて置いたンでしたが。――ああそうでしたか、別に骨にも 障 ( さわ ) らなかったですね、 大腿部 ( だいたいぶ ) ――はあそうですか。とにかく若い者は結構ですな。お互いに年寄りはちょっと指さきに 刺 ( とげ ) が立っても、一週間や二週間はかかるが、旦那なんざお年が若いものだから――とにかく結構おめでたい事でした。御隠居も御安心ですね」
中腰に構えし田崎は時計を 出 ( いだ ) し見つ、座を立たんとするを、山木は引きとめ
「まあいいさ。幸いのついでで、少し御隠居に差し上げたいものもあるから。夜汽車になさい。夜汽車だとまだ 大分 ( だいぶ ) 時間がある。ちょっと用を済まして、どこぞへ行って、一杯やりながら話すとしましょう。 広島 ( ここ ) の 魚 ( さかな ) は実にうまいですぜ」
口は 肴 ( さかな ) よりもなおうまかるべし。
二の二
秋の夕日 天安川 ( あまやすがわ ) に流れて、川に臨める 某亭 ( なにがしてい ) の障子を 金色 ( こんじき ) に染めぬ。二階は貴衆両院議員の有志が懇親会とやら抜けるほどの騒ぎに引きかえて、下の小座敷は 婢 ( おんな ) も寄せずただ 二人 ( ふたり ) 話しもて 杯 ( さかずき ) をあぐるは山木とかの田崎と呼ばれたる男なり。
この田崎は、武男が父の代より執事の役を務めて、今もほど近きわが 家 ( や ) より日々川島家に通いては、何くれと 忠実 ( まめやか ) に世話をなしつ。如才なく切って回す力量なきかわりには、主家の収入をぬすみてわがふところを肥やす気づかいなきがこの男の取り柄と、武男が父は常に言いぬ。されば川島 未亡人 ( いんきょ ) にも武男にも浅からぬ信任を受けて、今度も 未亡人 ( いんきょ ) の命によりてはるばる佐世保に主人の負傷をば見舞いしなり。
山木は持ったる杯を下に置き、額のあたりをなでながら「実は何ですて、わたしも 帰京 ( かえり ) はしても一日泊まりですぐとまた 広島 ( ここ ) に引き返すというようなわけで、そんな事も耳に入らなかッたですが。それでは何ですね、あれから浪子さんもよほどわるかッたのですね。なるほどどうもちっとひどかったね。しかしともかくも川島家のためだから仕方がないといったようなもので。はあそうですか、近ごろはまた少しはいい方で、なるほど、逗子に保養に行っていなさるかね。しかしあの病気ばかりはいくらよく見えてもどうせ死病だて。ところで武男――いや若旦那はまだ 怒 ( おこ ) っていなさるかね」
椀 ( わん ) の 蓋 ( ふた ) をとれば 松茸 ( まつだけ ) の香の立ち上りて 鯛 ( たい ) の 脂 ( あぶら ) の 珠 ( たま ) と浮かめるをうまげに吸いつつ、田崎は 髯 ( ひげ ) 押しぬぐいて
「さあ、そこですがな。それはもうもとをいえば何もお家のためでしかたもないといったものの、なあ山木 君 ( さん ) 、旦那の留守に何も相談なしにやっておしまいなさるというは、御隠居も少し御気随が過ぎたというものでな。実はわたしも旦那のお帰りまでお待ちなさるようにと申し上げて見たのじゃが、あのお気質で、いったんこうと言い出しなすった事は 否応 ( いやおう ) なしにやり遂げるお方だから、とうとうあの通りになったンで。これは旦那がおもしろく思いなさらぬももっともじゃとわたしは思うくらい。それに困った人はあの 千々岩 ( ちぢわ ) さん――たしかもう 清国 ( あっち ) に 渡 ( い ) ったように聞いたですが」
山木はじろりとあなたの顔を見つつ「千々岩! はああの男はこのあいだ 出征 ( でかけ ) たが、なまじっか顔を知られた報いで、ここに 滞在中 ( いるうち ) もたびたび無心にやって来て困ったよ。 顔 ( つら ) の皮の厚い男でね。 戦争 ( いくさ ) で死ぬかもしれんから 香奠 ( こうでん ) と思って 餞別 ( せんべつ ) をくれろ、その代わり 生命 ( いのち ) があったらきっと 金鵄 ( きんし ) 勲章をとって来るなんかいって、百両ばかり踏んだくって行ったて。ははははは、ところで武男 君 ( さん ) は 負傷 ( けが ) がよくなったら、ひとまず 帰京 ( かえり ) なさるかね」
「さあ、御自身はよくなり次第すぐまた戦地に出かけるつもりでいなさるようですがね」
「相変わらず元気な事を言いなさる。が、田崎 君 ( さん ) 、一度は 帰京 ( かえ ) って御隠居と仲直りをなさらんといけないじゃあるまいか。どれほど気に入っていなすったか知らんが、浪子さんといえばもはや縁の切れたもので、その上 健康 ( たっしゃ ) な 方 ( かた ) でもあることか、死病にとりつかれている人を、まさかあらためて呼び取りなさるという事もできまいし、まあ過ぎた事は仕方がないとして、早く親子仲直りをしなさらんじゃなるまい、とわたしは思うが。なあ、田崎 君 ( さん ) 」
田崎は打ち案じ顔に「旦那はあの通り 正直 ( まっすぐ ) なお方だから、よし御隠居の方がわるいにもしろ、自分の仕打ちもよくなかったとそう思っていなさる様子でね。それに今度わたしがお見舞に行ったンでまあ御隠居のお心も通ったというものだから、仲直りも何もありやしないが、しかし――」
「 戦争中 ( いくささなか ) の縁談もおかしいが、とにかく早く奥様を 迎 ( よ ) びなさるのだね。どうです、旦那は御隠居と仲直りはしても、やっぱり浪子さんは忘れなさるまいか。若い者は最初のうちはよく強情を張るが、しかし新しい人が来て見るとやはりかわゆくなるものでね」
「いやそのことは御隠居も考えておいでなさるようだが、しかし――」
「むずかしかろうというのかね」
「さあ、旦那があんな 一途 ( いちず ) な 方 ( かた ) だから、そこはどうとも」
「しかしお家のため、旦那のためだから、なあ田崎 君 ( さん ) 」
話はしばし途切れつ。二階には演説や終わりつらん、拍手の音盛んに聞こゆ。障子の夕日やや薄れて、ラッパの 響 ( おと ) 耳に冷ややかなり。
山木は杯を清めて、あらためて田崎にさしつつ
「時に田崎 君 ( さん ) 、娘がお世話になっているが、困ったやつで、どうです、御隠居のお気には入りますまいな」
浪子が去られしより、一月あまりたちて、山木は親しく川島 未亡人 ( いんきょ ) の薫陶を受けさすべく行儀見習いの名をもって、娘お 豊 ( とよ ) を川島家に入れ置きしなりき。
田崎はほほえみぬ。何か思い 出 ( い ) でたるなるべし。
二の三
田崎はほえみぬ。川島未亡人は 眉 ( まゆ ) をひそめしなり。
武男が憤然席をけ立てて去りしかの日、母はこの子の後ろ 影 ( すがた ) をにらみつつ叫びぬ。
「不孝者めが! どうでも勝手にすッがええ」
母は武男が常によく孝にして、わが意を迎うるに
踟※ ( ちちゅ ) せざるを知りぬ。知れるがゆえに、その浪子に対するの愛もとより浅きにあらざるを知りつつも、その両立するあたわざる場合には、一も二もなくかの愛をすててこの孝を取るならんと思えり。思えるがゆえに、その仕打ちのわれながらむしろ果断に過ぐるを思わざるにあらざりしも、なお家のため武男のためと 謂 ( い ) いつつ、独断をもて浪子を離別せるなり。武男が憤りの意外にはげしかりしを見るに及んで、母は初めてわが違算を悟り、同時にいわゆる母なるものの決して絶対的権力をその子の上に有するものにあらざるを知りぬ。さきにはその子の愛の浪子に注ぐを一種不快の目をもて見たりしが、今は母の愛母の威光母の恩をもってしてなお死に 瀕 ( ひん ) したる一浪子の愛に勝つあたわざるを見るに及び、わが威権全くおちたるように、その子をば全く浪子に奪い去られしように感じて、かつは武男を怒り、かつは 実家 ( さと ) に帰り去れる後までもなお浪子をののしれるなり。なお一つその怒りを激せしものありき。そはおぼろげながら方寸のいずれにかおのが仕打ちの非なるを、知るとにはあらざれど、いささかその疑いのほのかにたなびけるなり。武男が憤りの底にはちとの道理なかりしか。わが仕打ちにはちとのわが領分を越えてその子を侵せし所はなかりしか。眠られぬ 夜半 ( よわ ) にひとり奥の間の天井にうつる 行燈 ( あんどう ) の影ながめつつ考うるとはなく思えば、いずくにか 汝 ( なんじ ) の誤りなり汝の罪なりとささやく声あるように思われて、さらにその胸の乱るるを覚えぬ。世にも強きは自ら是なりと信ずる心なり。腹立たしきは、あるいは人よりあるいはわが 衷 ( うち ) なるあるものよりわが非を示されて、われとわが良心の前に悔悟の 膝 ( ひざ ) を折る時なり。 灸所 ( きゅうしょ ) を刺せば、猛獣は叫ぶ。わが非を知れば、人は怒る。武男が母は、これがために 抑 ( おさ ) え難き怒りはなおさらに 悶 ( もん ) を加えて、いよいよ武男の怒るべく、浪子の 悪 ( にく ) むべきを覚えしなり。武男は席をけって去りぬ。一日また一日、彼は来たりて罪を謝するなく、わびの書だも送り来たらず。母は胸中の悶々を漏らすべきただ一の道として、その怒りをほしいままにして、わずかに自ら慰めつ。武男を怒り、浪子を怒り、かの時を思い 出 ( い ) でて怒り、将来を 想 ( おも ) うて怒り、悲しきに怒り、さびしきに怒り、 詮方 ( せんかた ) なきにまた怒り、怒り怒りて怒りの 疲労 ( つかれ ) にようやく 夜 ( よ ) も 睡 ( ねぶ ) るを得にき。
川島家にては 平常 ( つね ) にも恐ろしき隠居が 疳癪 ( かんしゃく ) の近ごろはまたひた燃えに燃えて、慣れしおんなばらも幾たびか手荷物をしまいかける 間 ( ま ) に、朝鮮事起こりて 豊島牙山 ( ほうとうがざん ) の号外は飛びぬ。戦争に行くに 告別 ( いとまごい ) の手紙の一通もやらぬ 不埒 ( ふらち ) なやつと母は幾たびか怒りしが、世間の様子を聞けば、 田舎 ( いなか ) よりその子の遠征を見送らんと 出 ( い ) で来る老婆、物を贈り書を送りてその子を励ます母もありというに、子は親に怒り親は子を憤りて一通の書だに取りかわさず、彼は戦地にわれは帝都に、おのおの心に不快の 塊 ( かたまり ) をいだいて、もしこのままに永別となるならば、と思うとはなく、ほのかに感じたる武男が母は、ついにののしりののしり 我 ( が ) を折りて引きつづき二通の書を戦地にあるその子にやりぬ。
折りかえして戦地より武男が返書は来たれり。返書来たりてより一月あまりにして、一通の電報は佐世保の海軍病院より武男が負傷を報じ 来 ( こ ) しぬ。さすがに母が電報をとりし手はわなわなと打ち震いつ。ほどなくその負傷は 命 ( めい ) に関するほどにもあらざる由を聞きたれど、なお田崎を遠く佐世保にやりてそのようすを見させしなりき。
二の四
田崎が佐世保より帰りて、子細に武男のようすを報ぜるより、母はやや 安堵 ( あんど ) の胸をなでけるが、なおこの上は全快を待ちて一応顔をも見、また戦争済みたらば武男がために早く 後妻 ( こうさい ) を迎うるの得策なるを思いぬ。かくして一には浪子を武男の念頭より絶ち、一には川島家の 祀 ( まつり ) を存し、一にはまた心の奥の奥において、さきに武男に対せる 所行 ( しわざ ) のやや暴に過ぎたりしその罪? 亡 ( ほろ ) ぼしをなさんと思えるなり。
武男に後妻を早く迎えんとは、浪子を離別に決せしその日より早くすでに母の胸中にわき 出 ( い ) でし問題なりき。それがために数多からぬ知己親類の嫁しうべき 嬢子 ( むすめ ) を心のうちにあれこれと繰り見しが、思わしきものもなくて、思い迷えるおりから、山木は突然娘お豊を行儀見習いと称して川島家に入れ込みぬ。武男が母とて白痴にもあらざれば、山木が底意は必ずしも知らざるにあらず。お豊が必ずしも知徳兼備の賢婦人ならざるをも知らざるにはあらざりき。されどおぼるる者は 藁 ( わら ) をもつかむ。武男が妻定めに窮したる母は、山木が望みを幸い、試みにお豊を預かれるなり。
試験の結果は、田崎がほほえめるがごとし。試験者も受験者も共に満足せずして、いわば 婢 ( おんな ) ばらがうさはらしの種となるに終われるなり。
初めは平和、次ぎに小口径の猟銃を用いて 軽々 ( けいけい ) に散弾を 撒 ( ま ) き、ついに攻城砲の恐ろしきを打ち 出 ( いだ ) す。こは川島未亡人が 何人 ( なんびと ) に対しても用うる所の法なり。浪子もかつてその経験をなめぬ。しかしてその神経の敏に感の鋭かりしほどその苦痛を感ずる事も早かりき。お豊も今その経験をしいられぬ。しかしてその無為にして化する 底 ( てい ) の性質は、散弾の飛ぶもほとんどいずこの家に 煎 ( い ) る豆ぞと思い 貌 ( がお ) に過ぐるより、かの攻城砲は例よりもすみやかに持ち 出 ( いだ ) されざるを得ざりしなり。
その心 悠々 ( ゆうゆう ) として常に春がすみのたなびけるごとく、胸中に一点の 物無 ( の ) うして 人我 ( にんが ) の別定かならぬのみか、往々にして個人の輪郭消えて直ちに動植物と同化せんとし、春の夕べに庭などに立ちたらば、 霊 ( たま ) も 体 ( たい ) もそのまま 霞 ( かすみ ) のうちに 融 ( と ) け去りてすくうも手にはたまらざるべきお豊も恋に 自己 ( おのれ ) を自覚し 初 ( そ ) めてより、にわかに苦労というものも解し 初 ( そ ) めぬ。眠き目こすりて起き 出 ( い ) づるより、あれこれと追い使われ、その果ては小言 大喝 ( どなり ) 。もっとも陰口 中傷 ( あてこすり ) は概して解かれぬままに 鵜呑 ( うの ) みとなれど、 連 ( つる ) べ放つ攻城砲のみはいかに超然たるお豊も当たりかねて、恋しき人の 家 ( うち ) ならずばとくにも逃げ 出 ( いだ ) しつべく思えるなり。さりながら父の戒め、おりおり桜川町の 宅 ( うち ) に帰りて聞く母の 訓 ( おしえ ) はここと、けなげにもなお攻城砲の前に陣取りて、日また日を忍びて過ぎぬ。時にはたまり兼ねて思いぬ、恋はかくもつらきものよ、もはや二度とは人を恋わじと。あわれむべきお豊は、川島未亡人のためにはその乱れがちなる胸の安全管にせられ、家内の 婢僕 ( おんなおとこ ) には日ながの慰みにせられ、恋しき人の顔を見ることも 無 ( の ) うして、生まれ 出 ( い ) でてより 例 ( ためし ) なき克己と辛抱をもって当てもなきものを待ちけるなり。
お豊が来たりしより、武男が母は新たに一の 懊悩 ( おうのう ) をば添えぬ。失える玉は大にして、去れる 婦 ( よめ ) は賢なり。比較になるべき人ならねども、お豊が来たりて身近に使わるるに及びて、なすことごとに気に入るはなくて、武男が母は堅くその心をふさげるにかかわらず、ともすれば昔わがしかりもしののしりもせしその人を思い 出 ( い ) でぬ。光を
※ ( つつ ) める女の、言葉多からず 起居 ( たちい ) にしとやかなれば、見たる所は目より鼻にぬけるほど 華手 ( はで ) には見えねど、不なれながらもよくこちの気を飲み込みて機転もきき、第一心がけの殊勝なるを、図に乗っては口ぎたなくののしりながら、心の底にはあの年ごろでよく気がつくと暗に白状せしこともありしが、今目の前に同じ年ごろのお豊を置きて見れば、是非なく比較はとれて、事ごとに思うまじと思う人を思えるなり。されば 日々 ( にちにち ) 気にくわぬ事の 出 ( い ) で来るごとに、春がすみの化けて 出 ( い ) でたる人間の名をお豊と呼ばれて目は細々と口も閉じあえずすわれるかたわらには、いつしか色少し 蒼 ( あお ) ざめて髪黒々としとやかなる若き 婦人 ( おんな ) の利発らしき目をあげてつくづくとわが顔をながめつつ「いかがでございます?」というようなる 心地 ( ここち ) して武男が母は思わずもわななかれつ。「じゃって、病気をすっがわるかじゃなっか」と幾たびか 陳弁 ( いいわけ ) すれど、なお妙に 胸先 ( むなさき ) に込みあげて来るものを、 自己 ( おのれ ) は怒りと思いつつ、果てはまた大声あげて、お豊に当たり散らしぬ。されば、広島の旗亭に、山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が 後妻 ( こうさい ) にとおぼろげならず言い 出 ( い ) でしその時は、川島未亡人とお豊の間は去る六 月 ( げつ ) における 日清 ( にっしん ) の間よりも危うく、 彼出 ( いだ ) すか、われ 出 ( い ) づるか、危機はいわゆる一髪にかかりしなりき。
三の一
枕 ( まくら ) べ近き小鳥の声に呼びさまされて、武男は目を開きぬ。
ベッドの上より手を伸ばして、窓かけ引き 退 ( の ) くれば、今向こう山を離れし朝日花やかに 玻璃窓 ( はりそう ) にさし込みつ。山は朝霧なお白けれど、秋の空はすでに 蒼々 ( あおあお ) と澄み渡りて、窓前一樹染むるがごとく 紅 ( くれない ) なる桜の 梢 ( こずえ ) をあざやかに 襯 ( しん ) し 出 ( いだ ) しぬ。梢に両三羽の小鳥あり、相語りつつ枝より枝におどれるが、ふと言い合わしたるように玻璃窓のうちをのぞき、半身をもたげたる武男と顔見合わし、驚きたって飛び去りし 羽風 ( はかぜ ) に、黄なる桜の一葉ばらりと散りぬ。
われを呼びさませし 朝 ( あした ) の使いは彼なりけるよと、武男はほほえみつ、また枕につかんとして、痛める所あるがごとくいささか 眉 ( まゆ ) をひそめつ。すでにしてようやく身をベッドの上に安んじ、目を閉じぬ。
朝 ( あした ) 静かにして、耳わずらわす 響 ( おと ) もなし。 鶏 ( とり ) 鳴き、ふなうた遠く聞こゆ。
武男は目を開いて 笑 ( え ) み、また目を閉じて思いぬ。
*
武男が黄海に負傷して、ここ佐世保の病院に身を託せしより、すでに一月余り過ぎんとす。
かの時、砲台の 真中 ( まなか ) に破裂せし敵の 大榴弾 ( だいりゅうだん ) の乱れ飛ぶにうたれて、 尻居 ( しりい ) にどうと倒れつつはげしき苦痛に一時われを失いしが、苦痛のはなはだしかりしわりに、脚部の傷は二か所とも幸いに骨を 避 ( よ ) けて、その他はちとの火傷を受けたるのみ。分隊長は 骸 ( がい ) も留めず、同僚は戦死し、部下の砲員無事なるはまれなりしがなかに、不思議の命をとりとめて、この海軍病院に送られつ。 最初 ( はじめ ) はさすがに熱もはげしく上りて、ベッドの上のうわ言にも手を 戟 ( ほこ ) にして敵艦をののしり分隊長と叫びては医員を驚かししが、もとより血気盛んなる若者の、傷もさまで重きにあらず、時候も秋涼に向かえるおりから、熱は次第に下り、経過よく、 膿腫 ( のうしょう ) の 患 ( うれい ) もなくて、すでに一月あまり過ぎし 今日 ( きょう ) このごろは、なお幾分の痛みをば覚ゆれど、ともすれば石炭酸の 臭 ( か ) の満ちたる室をぬけ 出 ( い ) でて 秋晴 ( しゅうせい ) の庭におりんとしては軍医の小言をくうまでになりつ。この上はただ 速 ( すみ ) やかに戦地に帰らんと、ひたすら医の 許容 ( ゆるし ) を待てるなりき。
思いすてて 塵芥 ( ちりあくた ) よりも軽かりし命は不思議にながらえて、熱去り苦痛薄らぎ食欲復するとともに、われにもあらで生を楽しむ心は動き、従って 煩悩 ( ぼんのう ) もわきぬ。 蝉 ( せみ ) は殻を脱げども、人はおのれを 脱 ( のが ) れ得ざれば、戦いの 熱 ( ねつ ) 病 ( やまい ) の熱に 中絶 ( なかた ) えし記憶の糸はその 体 ( たい ) のやや 癒 ( い ) えてその心の 平生 ( へいぜい ) に 復 ( かえ ) るとともにまたおのずから 掀 ( かか ) げ起こされざるを得ざりしなり。
されど大疾よく体質を新たにするにひとしく、わずかに一紙を隔てて死と相見たるの経験は、武男が記憶を別様に新たならしめたり。激戦、及びその前後に相ついで起こりし異常の事と異常の感は、風雨のごとくその心を 簸 ( ふる ) い 撼 ( うご ) かしつ。風雨はすでに過ぎたれど、余波はなお心の海に残りて、浮かぶ記憶はおのずから異なる態をとりぬ。武男は母を憤らず、浪子をば今は世になき妻を思うらんようにその心の 龕 ( がん ) に祭りて、浪子を思うごとにさながら遠き野末の悲歌を聞くごとく、一種なつかしき 哀 ( かな ) しみを覚えしなり。
田崎来たり見舞いぬ。武男はよりて母の近況を知りまたほのかに浪子の 近況 ( ようす ) を聞きぬ。(武男の気をそこなわんことを恐れて、田崎はあえて山木の娘の一条をばいわざりき)武男は浪子の事を聞いて落涙し、田崎が去りし後も、松風さびしき 湘南 ( しょうなん ) の 別墅 ( べっしょ ) に病める人の 面影 ( おもかげ ) は、黄海の戦いとかわるがわる武男が 宵々 ( しょうしょう ) の夢に入りつ。
田崎が東に帰りし後 数日 ( すじつ ) にして、いずくよりともなく一包みの荷物武男がもとに届きぬ。
*
武男は今その事を思えるなり。
三の二
武男が思えるはこれなり。
一週 前 ( ぜん ) の事なりき。武男は読みあきし新聞を投げやりて、ベッドの上にあくびしつつ、窓外を打ちながめぬ。同室の士官 昨日 ( きのう ) 退院して、室内には彼 一人 ( ひとり ) なりき。時は 黄昏 ( たそがれ ) に近く、病室はほのぐらくして、窓外には秋雨滝のごとく降りしきりぬ。隣室の患者に電気かくるにやあらん。じじの響き絶え間なく雨に和して、うたた室内のわびしさを添えつ。聞くともなくその 響 ( おと ) に耳を仮して、目は窓に向かえば、吹きしぶく雨 淋漓 ( りんり ) としてガラスにしたたり、しとどぬれたる夕暮れの庭はまだらに現われてまた消えつ。
茫然 ( ぼうぜん ) としてながめ入りし武男は、たちまち 頭 ( かしら ) より 毛布 ( ケット ) を引きかつぎぬ。
五分ばかりたちて、人の入り来る足音して、
「お荷物が届きました。……おやすみですか」
頭 ( かしら ) を 出 ( いだ ) せば、ベッドの横側に立てるは、小使いなり。油紙包みを 抱 ( いだ ) き、 廿文字 ( にじゅうもんじ ) にからげし重やかなる箱をさげて立ちたり。
荷物? 田崎帰りてまだ 幾日 ( いくか ) もなきに、たが何を送りしぞ。
「ああ荷物か。どこからだね?」
小使いが読める差し出し人は、聞きも知らぬ人の名なり。
「ちょっとあけてもらおうか」
油紙を解けば、新聞、それを解けば紫の包み 出 ( い ) でぬ。包みを解けば 出 ( い ) でたり、ネルの 単衣 ( ひとえ ) 、柔らかき絹物の 袷 ( あわせ ) 、 白縮緬 ( しろちりめん ) の 兵児帯 ( へこおび ) 、雪を欺く 足袋 ( たび ) 、 袖 ( そで ) 広き 襦袢 ( じゅばん ) は脱ぎ着たやすかるべく、真綿の肩ぶとんは長き病床に床ずれあらざれと願うなるべし。箱の内は何ぞ。 莎縄 ( くぐなわ ) を解けば、なかんずく好める 泡雪梨 ( あわゆき ) の大なるとバナナのあざらけきとあふるるまでに満ちたり。武男の 心臓 ( むね ) の鼓動は急になりぬ。
「手紙も何もはいっていないかね?」
彼をふるいこれを移せど寸の紙だになし。
「ちょいとその油紙を」
包み紙をとりて、わが名を書ける筆の跡を見るより、たちまち胸のふさがるを覚えぬ。武男はその筆を 認 ( したた ) めたるなり。
彼女 ( かれ ) なり。 彼女 ( かれ ) なり。 彼女 ( かれ ) ならずしてたれかあるべき。その縫える衣の一針ごとに、あとはなけれどまさしくそそげる千 行 ( こう ) の 涙 ( なんだ ) を見ずや。その病をつとめて書ける文字の震えるを見ずや。
人の去るを待ち兼ねて、武男は男泣きに泣きぬ。
*
もとより 涸 ( か ) れざる泉は今新たに開かれて、武男は限りなき愛の 滔々 ( とうとう ) としてみなぎるを覚えつ。昼は思い、 夜 ( よ ) は 彼女 ( かれ ) を夢みぬ。
されど夢ほどに世は自由ならず。武男はもとより信じて思いぬ、 二人 ( ふたり ) が間は死だもつんざくあたわじと。いわんや区々たる世間の手続きをや。されどもその心を実にせんとしては、その区々たる手続き儀式が企望と現実の間に越ゆべからざる障壁として立てるを覚えざるあたわざりき。世はいかにすとも、 彼女 ( かれ ) は限りなくわが妻なり。されど母はわが名によって 彼女 ( かれ ) を離別し、 彼女 ( かれ ) が父は 彼女 ( かれ ) に代わって 彼女 ( かれ ) を引き取りぬ。世間の前に二人が間は絶えたるなり。 平癒 ( へいゆ ) を待って一たび東に帰り、母にあい、浪子を 訪 ( と ) うて心を語り、再び 彼女 ( かれ ) を迎えんか。いかに自ら欺くも、武男はいわゆる世間の義理体面の上よりさることのなすべくまたなしうべきを思い得ず、事は成らずして 畢竟 ( ひっきょう ) 再び母とわれとの間を前にも増して 乖離 ( かいり ) せしむるに過ぎざるべきを思いぬ。母に逆らうの苦はすでになめたり。
広い宇宙に生きて思わぬ 桎梏 ( かせ ) にわが愛をすら縛らるるを、歯がゆしと思えど、武男は 脱 ( のが ) るる 路 ( みち ) を知らず、やる 方 ( かた ) なき 懊悩 ( おうのう ) に日また日を送りつつ、ただ 生死 ( しょうし ) ともにわが妻は 彼女 ( かれ ) と思いてわずかに自ら慰めあわせて心に浪子をば慰めけるなり。
今朝 ( けさ ) も夢さめて武男が思える所は、これなりき。
この朝軍医が例のごとく来たり診して、傷のいよいよ全癒に向かうに満足を表して去りし後、一封の書は東京なる母より届きぬ。書中には田崎帰りていささか 安堵 ( あんど ) せるを書き、かついささか話したき事もあれば、医師の 許可 ( ゆるし ) 次第ひとまず都合して帰京すべしと書きたり。話したき事! もしくは彼がもっとも忌みかつ恐るるある事にはあらざるか。武男は打ち案じぬ。
武男はついに帰京せざりき。
十一月初旬、彼とひとしく黄海に手負いし彼が乗艦松島の修繕終わりて戦地に向かいしと聞くほどもなく、わずかに医師の 許容 ( ゆるし ) を得たる武男は、請うて運送船に便乗し、あたかも大連湾を取って 同湾 ( ここ ) に 碇泊 ( ていはく ) せる艦隊に帰り去りぬ。
佐世保を出発する前日、武男は二通の書を 投函 ( とうかん ) せり。一はその母にあてて。
四の一
秋風吹き 初 ( そ ) めて、避暑の客は都に去り、病を養う 客 ( ひと ) ならでは 留 ( とど ) まる者なき九月 初旬 ( はじめ ) より、今ここ十一月 初旬 ( はじめ ) まで、日の 温 ( あたた ) かに風なき時をえらみて、五十あまりの 婢 ( おんな ) に伴なわれつつ、そぞろに 逗子 ( ずし ) の浜べを運動する 一人 ( ひとり ) の淑女ありき。
やせにやせて砂に落つ影も細々といたわしき姿を、網 曳 ( ひ ) く漁夫、日ごと浜べを歩む病客も皆見るに慣れて、あうごとに 頭 ( かしら ) を下げぬ。たれつたうともなくほのかにその身の上をば聞き知れるなりけり。
こは浪子なりき。
惜しからぬ命つれなくもなお 永 ( なが ) らえて、また今年の秋風を見るに及べるなり。
*
浪子は去る六月の初め、 伯母 ( おば ) に連れられて帰京し、思いも掛けぬ宣告を伝え聞きしその翌日より、病は見る見る重り、前後を覚えぬまで胸を絞って心血の 紅 ( くれない ) なるを吐き、医は黙し、 家族 ( やから ) は 眉 ( まゆ ) をひそめ、 自己 ( おのれ ) は 旦夕 ( たんせき ) に死を待ちぬ。命は実に 一縷 ( いちる ) につながれしなりき。浪子は喜んで死を待ちぬ。死はなかなかうれしかりき。何思う間もなくたちまち 深井 ( しんせい ) の 暗黒 ( くらき ) におちたるこの身は、何の楽しみあり、何のかいありて、世に 永 ( なが ) らえんとはすべき。たれを恨み、たれを恋う、さる念は形をなす 余裕 ( ひま ) もなくて、ただ身をめぐる暗黒の恐ろしくいとわしく、早くこのうちを 脱 ( のが ) れんと思うのみ。死は実にただ一の活路なりけり。浪子は死をまちわびぬ。身は病の床に苦しみ、心はすでに世の 外 ( ほか ) に飛びき。 今日 ( きょう ) にもあれ、 明日 ( あす ) にもあれ、この身の 絆 ( ほだし ) 絶えなば、惜しからぬ世を下に見て、 魂 ( こん ) 千万里の 空 ( くう ) を天に飛び、なつかしき母の 膝 ( ひざ ) に心ゆくばかり泣きもせん、訴えもせん、と思えば待たるるは実に死の使いなりけり。
あわれ 彼女 ( かれ ) は死をだに心に任せざりき。今日、今日と待ちし今日は幾たびかむなしく過ぎて、一月あまり経たれば、われにもあらで病やや 間 ( かん ) に、二月を経てさらに 軽 ( かろ ) くなりぬ。思いすてし命をまたさらにこの世に引き返されて、浪子はまた薄命に泣くべき身となりぬ。浪子は実に惑えるなり。生の愛すべく死の恐るべきを知らざる身にはあらずや。何のために医を迎え、何のために薬を服し、何のために惜しからぬ命をつながんとするぞ。
されど父の愛あり。 朝 ( あした ) に 夕 ( ゆうべ ) に 彼女 ( かれ ) が病床を 省 ( せい ) し、自ら 薬餌 ( やくじ ) を与え、さらに自ら指揮して 彼女 ( かれ ) がために心静かに病を養うべき 離家 ( はなれ ) を建て、いかにもして 彼女 ( かれ ) を生かさずばやまざらんとす。父の足音を聞き、わが病の 間 ( かん ) なるによろこぶ慈顔を見るごとに、浪子は恨みにはおとさぬ涙のおのずから 頬 ( ほお ) にしたたるを覚えず、みだりに死をこいねごうに忍びずして、父のために務めて病をば養えるなり。さらに一あり。浪子は 良人 ( おっと ) を疑うあたわざりき。海かれ山くずるるも固く良人の愛を信じたる 彼女 ( かれ ) は、このたびの事一も良人の心にあらざるを知りぬ。病やや 間 ( かん ) になりて、ほのかに武男の消息を聞くに及びて、いよいよその信に印 捺 ( お ) されたる 心地 ( ここち ) して、 彼女 ( かれ ) はいささか慰められつ。もとよりこの後のいかに成り行くべきを知らず、よしこの 疾 ( やまい ) 痊 ( い ) ゆとも一たび絶えし縁は再びつなぐ時なかるべきを感ぜざるにあらざるも、なお二人が心は 冥々 ( めいめい ) の 間 ( うち ) に通いて、この愛をば 何人 ( なんびと ) もつんざくあたわじと心に 謂 ( い ) いて、ひそかに自ら慰めけるなり。
されば父の愛と、このほのかなる望みとは、手を尽くしたる名医の治療と相待ちて、消えんとしたる 彼女 ( かれ ) が玉の緒を一たびつなぎ留め、九月 初旬 ( はじめ ) より浪子は幾と看護婦を伴のうて再び逗子の 別墅 ( べっしょ ) に病を養えるなりき。
四の二
逗子に来てよりは、 症 ( やまい ) やや快く、あたりの静かなるに、心も少しは静まりぬ。海の音遠き 午後 ( ひるすぎ ) 、湯上がりの 体 ( たい ) を安楽 椅子 ( いす ) に 倚 ( よ ) せて、鳥の音の清きを聞きつつうっとりとしてあれば、さながら 去 ( い ) にし春のころここにありける時の 心地 ( ここち ) して、今にも良人の横須賀より来たり 訪 ( と ) わん思いもせらるるなりけり。
別墅 ( べっしょ ) の生活は、去る四五月のころに異ならず。幾と看護婦を相手に、日課は服薬運動の時間を 違 ( たが ) えず、体温を検し、定められたる摂生法を守るほかは、せめての心やりに歌 詠 ( よ ) み秋草を 活 ( い ) けなどして過ごせるなり。週に一二回、医は東京より来たり見舞いぬ。月に両三日、あるいは伯母、あるいは千鶴子、まれに継母も来たり見舞いぬ。その幼き 弟妹 ( はらから ) 二人は病める姉をなつかしがりて、しばしば母に請えど、病を忌み、かつは二人の浪子になずくをおもしろからず思える母は、ただしかりてやみぬ。今の身の上を聞き知りてか、昔の学友の手紙を送れるも少なからねど、おおかたは 文字 ( もじ ) 麗しくして心を慰むべきものはかえってまれなる 心地 ( ここち ) して、よくも見ざりき。ただ千鶴子の来たるをば待ちわびつ。聞きたしと思う消息は重に千鶴子より伝われるなり。
縁絶えしより、川島家は次第に遠くなりつ。幾百里西なる人の 面影 ( おもかげ ) は 日夕 ( にっせき ) 心に往来するに引きかえて、浪子はさらにその人の母をば思わざりき。思わずとにはあらで、思わじと務めしなりけり。心一たびその 姑 ( しゅうと ) の上に及ぶごとに、われながら恐ろしく苦き一念の 抑 ( おさ ) うれどむらむらと 心 ( むね ) にわき来たりて、気の怪しく乱れんとするを、浪子はふりはらいふりはらいて、心を他に転ぜしなり。山木の 女 ( むすめ ) の川島家に入り込みしと聞けるその時は、さすがに心地乱れぬ。しかもそはわが思う人のあずかり知る所ならざるべきを思いて、しいて心をそなたにふさげるなり。 彼女 ( かれ ) が身は湘南に病に 臥 ( ふ ) して、心は絶えず西に向かいぬ。
この世において最も愛すなる二人は、現に征清の役に従えるならずや。父中将は浪子が逗子に来たりしより間もなく、大元帥 纛下 ( とうか ) に 扈従 ( こじゅう ) して広島におもむき、さらに遠く 遼東 ( りょうとう ) に向かわんとす。せめて新橋までと思えるを、父は制して、くれぐれも自愛し、 凱旋 ( がいせん ) の日には全快して迎えに来よと言い送りぬ。武男はあの後直ちに戦地に向かいて、現に連合艦隊の旗艦にありと聞く。秋雨秋風身につつがなく、戦闘の務めに服せらるるや、いかに。 日々夜々 ( にちにちやや ) 陸に海に心は 馳 ( は ) せて、世には要なしといえる浪子もおどる心に新聞をば読みて、皇軍連勝、わが父息災、武男の武運長久を祈らぬ日はあらざりしなり。
九月末にいたり、黄海の 捷報 ( しょうほう ) は聞こえ、さらに 数日 ( すじつ ) を経て負傷者のうちに浪子は武男の姓名を見 出 ( いだ ) しぬ。浪子は一夜眠らざりき。幸いに東京なる伯母のその心をくめるありて、いずくより聞き得て報ぜしか、浪子は武男の負傷のはなはだしく重からずして現に佐世保の病院にある由を知りつ。 生死 ( しょうし ) の憂いを慰められしも、さてかなたを思いやりて、かくもしたしと思う事の多きにつけても、今の身の上の思うに任せぬ恨みはまたむらむらと胸をふさぎぬ。なまじいに夫妻の名義絶えしばかりに、まさしく心は通いつつ、彼は西に傷つき、われは東に病みて、行きて問うべくもあらぬのみか、明らさまにははがき一枚の見舞すら心に任せぬ身ならずや。かく思いてはやる方なくもだえしが、なおやみ難き心より思いつきて、浪子は病の 間々 ( ひまひま ) に幾を相手にその人の衣を縫い、その好める品をも取りそろえつつ、裂けんとすなる胸の思いの万分一も通えかしと、名をばかくして、はるかに佐世保に送りしなり。
週去り週来たりて、十一月中旬、佐世保の消印ある一通の書は浪子の手に落ちたり。浪子はその書をひしと握りて泣きぬ。
四の三
打ち連れて土曜の夕べより見舞に来し千鶴子と 妹 ( いもと ) 駒子 ( こまこ ) は、 今朝 ( けさ ) 帰り去りつ。しばしにぎやかなりし家の 内 ( うち ) また常のさびしきにかえりて、曇りがちなる障子のうち、浪子はひとり床にかけたる 亡 ( な ) き母の写真にむかいて 坐 ( ざ ) しぬ。
今日、十一月十九日は亡き母の命日なり。はばかる人もなければ、浪子は 手匣 ( てばこ ) より母の写真取り 出 ( い ) でて床にかけ、千鶴子が 持 ( も ) て来し白菊のやや狂わんとするをその前に 手向 ( たむ ) け、午後には茶など 点 ( い ) れて、幾の昔語りに耳傾けしが、今は幾も看護婦も 罷 ( まか ) りて、浪子はひとり写真の前に残れるなり。
母に別れてすでに 十年 ( ととせ ) にあまりぬ。 十年 ( ととせ ) の間、浪子は亡き母を忘るるの日なかりき。されど今日このごろはなつかしさの 堪 ( た ) え難きまで募りて、事ごとにその母を思えり。恋しと思う父は今遠く遼東にあり。継母は近く東京にあれど、 中垣 ( なかがき ) の隔て昔のままに、ともすれば聞きづらきことも耳に入る。亡き母の、もし亡き母の無事に永らえて居たまわば、かの苦しみも告げ、この悲しさも訴えて、かよわきこの身に負いあまる重荷もすこしは軽く思うべきに、何ゆえ見すてて 逝 ( ゆ ) きたまいしと 思 ( おも ) う下より涙はわきて、写真は霧を隔てしようにおぼろになりぬ。
昨日 ( きのう ) のようなれど、指を折れば 十年 ( ととせ ) たちたり。母上の亡くなりたもうその年の春なりき。 自身 ( みずから ) は 八歳 ( やつ ) 、 妹 ( いもと ) は 五歳 ( いつつ ) (そのころは片言まじりの、今はあの通り大きくなりけるよ)桜模様の 曙染 ( あけぼのぞめ ) 、二人そろうて美しと父上にほめられてうれしく、われは右妹は左母上を中に、馬車をきしらして、九段の 鈴木 ( すずき ) に 撮 ( と ) らししうちの一枚はここにかけたるこの写真ならずや。思えば 十年 ( ととせ ) は夢と過ぎて、母上はこの写真になりたまい、わが身は――。
わが身の上は思わじと定めながらも、味気なき今の境涯はあいにくにありありと目の前に現われつ。思えば思うほどなんの楽しみもなんの望みもなき身は 十重二十重 ( とえはたえ ) 黒雲に包まれて、この八畳の間は日影も漏れぬ死囚 牢 ( ろう ) になりかわりたる 心地 ( ここち ) すなり。
たちまち柱時計は 家内 ( やうち ) に響き渡りて午後 二点 ( にじ ) をうちぬ。おどろかれし浪子はのがるるごとく次の間に立てば、ここには人もなくて、裏の 方 ( かた ) に幾と看護婦と語る声す。聞くともなく耳傾けし浪子は、またこの室を 出 ( い ) でて庭におり立ち、 枝折戸 ( しおりど ) あけて浜に 出 ( い ) でぬ。
空は曇りぬ。秋ながらうっとりと雲立ち迷い、海はまっ黒に 顰 ( ひそ ) みたり。大気は恐ろしく静まりて、一陣の風なく、一 波 ( ぱ ) だに動かず、見渡す限り海に 帆影 ( はんえい ) 絶えつ。
浪子は次第に浜を歩み行きぬ。今日は 網曳 ( あびき ) する者もなく、運動する 客 ( ひと ) の影も見えず。 孩 ( こ ) を負える 十歳 ( とお ) あまりの女の子の歌いながら貝拾えるが、浪子を見てほほえみつつ 頭 ( かしら ) を下げぬ。浪子は惨として 笑 ( え ) みつ。またうっとりと思いつづけて、うつむきて歩みぬ。
たちまち浪子は立ちどまりぬ。浜尽き、岩起これるなり。岩に一条の 路 ( みち ) あり、そをたどれば滝の不動にいたるべし。この春浪子が 良人 ( おっと ) に導かれて行きしところ。
浪子はその路をとりて進みぬ。
四の四
不動祠 ( ふどうし ) の下まで行きて、浪子は岩を払うて 坐 ( ざ ) しぬ。この春 良人 ( おっと ) と共に坐したるもこの岩なりき。その時は春晴うらうらと、 浅碧 ( あさみどり ) の空に雲なく、海は鏡よりも光りき。今は秋陰 暗 ( あん ) として、空に 異形 ( いぎょう ) の雲満ち、海はわが坐す岩の下まで満々とたたえて、そのすごきまで 黯 ( くろ ) き 面 ( おもて ) を点破する一 帆 ( ぱん ) の影だに見えず。
浪子はふところより一通の書を取り 出 ( いだ ) しぬ。書中はただ両三行、武骨なる筆跡の、しかも千万語にまさりて浪子を思いに 堪 ( た ) えざらしめつ。「浪子さんを思わざるの日は一日も 無之候 ( これなくそろ ) 」。この一句を読むごとに、浪子は今さらに胸迫りて、恋しさの切らるるばかり身にしみて覚ゆるなりき。
いかなればかく 枉 ( まが ) れる世ぞ。身は 良人 ( おっと ) を恋い恋いて病よりも思いに死なんとし、良人はかくも 想 ( おも ) いて居たもうを、いかなれば夫妻の縁は絶えけるぞ。良人の心は血よりも 紅 ( くれない ) に注がれてこの書中にあるならずや。現にこの春この岩の上に、二人並びて、 万世 ( よろずよ ) までもと誓いしならずや。海も知れり。岩も記すべし。さるをいかなれば世はほしいままに二人が間を裂きたるぞ。恋しき良人、なつかしき良人、この春この岩の上に、岩の上――。
浪子は目を開きぬ。身はひとり岩の上に 坐 ( ざ ) せり。海は黙々として前にたたえ、後ろには滝の音ほのかに聞こゆるのみ。浪子は顔打ちおおいつつむせびぬ。細々とやせたる指を漏りて、涙ははらはらと岩におちたり。
胸は乱れ、 頭 ( かしら ) は次第に熱して、縦横に飛びかう思いは 梭 ( おさ ) のごとく 過去 ( こしかた ) を一目に織り 出 ( いだ ) しつ。浪子は今年の春良人にたすけ引かれてこの岩に来たりし時を思い、発病の時を思い、伊香保に遊べる時を思い、結婚の夕べを思いぬ。伯母に連れられて帰京せし時、むかしむかしその母に別れし時、母の顔、父の顔、継母、妹を初めさまざまの顔は 雷光 ( いなずま ) のごとくその心の目の前を過ぎつ。浪子はさらに 昨日 ( きのう ) 千鶴子より聞きし旧友の 一人 ( ひとり ) を思いぬ。 彼女 ( かれ ) は浪子より 二歳 ( ふたつ ) 長 ( た ) けて一年早く大名華族のうちにも才子の聞こえある洋行帰りの某伯爵に 嫁 ( とつ ) ぎしが、 舅姑 ( しゅうと ) の気には入りて、良人にきらわれ、子供一人もうけながら、良人は 内 ( うち ) に 妾 ( しょう ) を置き外に花柳の遊びに浸り今年の春離縁となりしが、ついこのごろ病死したりと聞く。 彼女 ( かれ ) は良人にすてられて死し、われは相思う良人と裂かれて泣く。さまざまの世と思えば、彼も悲しく、これもつらく、浪子はいよいよ 黝 ( くろ ) うなり来る海の 面 ( おもて ) をながめて 太息 ( といき ) をつきぬ。
思うほど、気はますます乱れて、浪子は身を 容 ( い ) るる 余裕 ( ひま ) もなきまで世のせまきを覚ゆるなり。身は何不足なき家に生まれながら、なつかしき母には 八歳 ( やつ ) の年に別れ、肩をすぼめて継母の 下 ( もと ) に 十年 ( ととせ ) を送り、ようやく良縁定まりて父の 安堵 ( あんど ) われもうれしと思う間もなく、 姑 ( しゅうと ) の気には入らずとも良人のためには水火もいとわざる身の、思いがけなき大疾を得て、その病も少しは 痊 ( おこた ) らんとするを喜べるほどもなく、死ねといわるるはなお慈悲の宣告を受け、愛し愛さるる良人はありながら容赦もなく間を裂かれて、夫と呼び妻と呼ばるることもならぬ身となり果てつ。もしそれほど不運なるべき身ならば、なにゆえ世には生まれ来しぞ。何ゆえ母上とともに、われも死なざりしぞ。何ゆえに良人のもとには嫁しつるぞ。何ゆえにこの病を発せしその時、良人の手に 抱 ( いだ ) かれては死せざりしぞ。何ゆえに、せめてかの恐ろしき宣告を聞けるその時、その場に倒れては死なざりしぞ。身には不治の病をいだきて、心は添われぬ人を恋う。何のためにか世に 永 ( なが ) らうべき。よしこの病 癒 ( い ) ゆとも、添われずば思いに死なん――死なん。
死なん。何の楽しみありて世に永らうべき。
はふり落つる涙をぬぐいもあえず、浪子は海の 面 ( おもて ) を打ちながめぬ。
伊豆大島 ( いずおおしま ) の 方 ( かた ) に当たりて、墨色に渦まける雲急にむらむらと立つよと見る時、いうべからざる悲壮の音ははるかの天空より落とし来たり、大海の 面 ( おもて ) たちまち 皺 ( しわ ) みぬ。一陣の風吹き 出 ( い ) でけるなり。その風 鬢 ( びん ) をかすめて過ぎつと思うほどなくまっ黒き海の 中央 ( まなか ) に一団の雪わくと見る見る奔馬のごとく寄せて、浪子が 坐 ( ざ ) したる岩も砕けよとうちつけつ。 渺々 ( びょうびょう ) たる相洋は一 分時 ( ぷんじ ) ならずして千波 万波 ( ばんぱ ) 鼎 ( かなえ ) のごとく沸きぬ。
雨と散るしぶきを避けんともせず、浪子は一心に水の 面 ( おも ) をながめ入りぬ。かの水の下には死あり。死はあるいは自由なるべし。この病をいだいて世に苦しまんより、 魂魄 ( こんぱく ) となりて良人に添うはまさらずや。良人は今黄海にあり。よしはるかなりとも、この水も黄海に通えるなり。さらば身はこの海の 泡 ( あわ ) と消えて、 魂 ( たま ) は良人のそばに行かん。
武男が書をばしっかとふところに収め、風に乱るる 鬢 ( びん ) かき上げて、浪子は立ち上がりぬ。
風は
※々 ( ひょうひょう ) として無辺の天より落とし来たり、かろうじて浪子は立ちぬ。目を上ぐれば、雲は雲と相追うて空を 奔 ( はし ) り、海は目の届く限り一面に波と泡とまっ白に煮えかえりつ。湾を隔つる桜山は悲鳴してたてがみのごとく松を振るう。風 吼 ( ほ ) え、海 哮 ( たけ ) り、山も鳴りて、 浩々 ( こうこう ) の音天地に満ちぬ。今なり、今なり、今こそこの玉の緒は絶ゆる時なれ。導きたまえ、母。許したまえ、父。十九年の夢は、今こそ――。
襟 ( えり ) 引き合わせ、 履物 ( はきもの ) をぬぎすてつつ、浪子は今打ち寄せし浪の岩に砕けて 白泡 ( しらあわ ) 沸 ( たぎ ) るあたりを目がけて、身をおどらす。
その時、あと 背後 ( うしろ ) に叫ぶ声して、浪子はたちまち抱き止められつ。
五の一
「ばあや。お茶を入れるようにしてお置き。もうあの方がいらっしゃる時分ですよ」
かく言いつつ浪子はおもむろに幾を顧みたり。幾はそこらを片づけながら
「ほんとにあの方はいい 方 ( かた ) でございますねエ。あれでも 耶蘇 ( やそ ) でいらッしゃいますッてねエ」
「ああそうだッてね」
「でもあんな方が 切支丹 ( きりしたん ) でいらッしゃろうとは思いませんでしたよ。それにあんなに髪を切ッていらッしゃるのですら」
「なぜかい?」
「でもね、あなた、耶蘇の方では御亭主が 亡 ( な ) くなッても髪なんぞ切りませんで、なおのことおめかしをしましてね、すぐとまたお嫁入りの口をさがしますとさ」
「ほほほほ、ばあやはだれからそんな事を聞いたのかい?」
「イイエ、ほんとでございますよ。一体あの宗旨では、若い 娘 ( もの ) までがそれは生意気でございましてね、ほんとでございますよ。幾が 親類 ( みうち ) の 隣家 ( となり ) に 一人 ( ひとり ) そんな 娘 ( こ ) がございましてね、もとはあなたおとなしい 娘 ( こ ) で、それがあの宗旨の学校にあがるようになりますとね、あなた、すっかりようすが変わっちまいましてね、日曜日になりますとね、あなた、 母親 ( おや ) が 今日 ( きょう ) は 忙 ( せわ ) しいからちっと手伝いでもしなさいと言いましてもね、平気でそのお寺にいっちまいましてね、それから学校はきれいだけれども 家 ( うち ) はきたなくていけないの、 母 ( おっか ) さんは 頑固 ( がんこ ) だの、すぐ口をとがらしましてね、それに学校に上がっていましても、あなた、受取証が一枚書けませんでね、 裁縫 ( しごと ) をさせますと、日が一日 襦袢 ( じゅばん ) の 袖 ( そで ) をひねくっていましてね、お 惣菜 ( そうざい ) の大根をゆでなさいと申しますと、あなた、大根を 俎板 ( まないた ) に載せまして、 庖丁 ( ほうちょう ) を持ったきりぼんやりしておるのでございますよ。 両親 ( おや ) もこんな事ならあんな学校に入れるんじゃなかったと悔やんでいましてね。それにあなた、その 娘 ( こ ) はわたしはあの二百五十円より下の月給の 良人 ( ひと ) には 嫁 ( い ) かない、なんぞ申しましてね。ほんとにあなた、あきれかえるじゃございませんか。もとはやさしい 娘 ( こ ) でしたのに、どうしてあんなになったンでございましょうねエ。これが切支丹の魔法でございましょうね」
「ほほほほ。そんなでも困るのね。でも、何だッて、いい所もあれば、わるいところもあるから、よく知らないではいわれないよ。ねエばあや」
心得ずといわんがごとく小首傾けし幾は、熱心に浪子を仰ぎつつ
「でもあなた、 耶蘇 ( やそ ) だけはおよし遊ばせ」
浪子はほほえみつ。
「あの方とお話ししてはいけないというのかい」
「 耶蘇 ( やそ ) がみんなあんな方だとようございますがねエ、あなた。でも――」
幾は口をつぐみぬ。うわさをすれば影ありありと西側の障子に映り来たれるなり。
「お庭口から御免ください」
細く和らかなる女の声響きて、 忙 ( いそが ) わしく幾がたちてあけし障子の外には、五十あまりの婦人の小作りなるがたたずみたり。年よりも 老 ( ふ ) けて、多き 白髪 ( しらが ) を短くきり下げ、黒地の 被布 ( ひふ ) を着つ。やせたる上にやつれて見ゆれば、打ち見にはやや陰気に思わるれど、目に 温 ( あたた ) かなる光ありて、細き口もとにおのずからなる微笑あり。
幾があたかもうわさしたるはこの人なり。 未 ( いま ) だし。一週間以前の不動 祠畔 ( しはん ) の 水屑 ( みくず ) となるべかりし浪子をおりよくも抱き留めたるはこの人なりけり。
ラッパを吹き鼓を鳴らして名を売ることをせざれば、知らざる者は名をだに聞かざれど、知れる者はその包むとすれどおのずから身にあふるる光を浴びて、ながくその人を忘るるあたわずというなり。姓は 小川 ( おがわ ) 名は 清子 ( きよこ ) と呼ばれて、 目黒 ( めぐろ ) のあたりにおおぜいの孤児女と 棲 ( す ) み、一大家族の母として路傍に遺棄せらるる幾多の霊魂を拾いてははぐくみ育つるを楽しみとしつ。 肋膜炎 ( ろくまくえん ) に悩みし病余の 体 ( たい ) を養うとて、昨月の末より 此地 ( ここ ) に来たれるなるが、かの日、あたかも不動祠にありて図らず浪子を 抱 ( いだ ) き止め、その主人を尋ねあぐみて 狼狽 ( ろうばい ) して来たれる幾に浪子を渡せしより、おのずから往来の道は開けしなり。
五の二
茶を 持 ( も ) て来て今 罷 ( まか ) らんとしつる幾はやや驚きて
「まあ、 明日 ( あす ) お 帰京 ( かえり ) 遊ばすんで。へエエ。せっかくおなじみになりかけましたのに」
老婦人もその和らかなる 眼光 ( まなざし ) に浪子を包みつつ
「 私 ( わたくし ) もも少し 逗留 ( とうりゅう ) して、お話もいたしましょうし、ごあんばいのいいのを見て帰りたいのでございますが――」
言いつつ 懐中 ( ふところ ) より小形の本を取り 出 ( いだ ) し、
「これは聖書ですがね。まだごらんになったことはございますまい」
浪子はいまださる 書 ( もの ) を読まざるなり。 彼女 ( かれ ) が継母は、その英国に留学しつる間は、信徒として知られけるが、帰朝の日その信仰とその聖書をば 挙 ( あ ) げてその古靴及び 反故 ( ほご ) とともにロンドンの 仮寓 ( やどり ) にのこし来たれるなり。
「はい、まだ拝見いたした事はございませんが」
幾はなお立ち去りかねて、老婦人が手中の書を、目を 円 ( つぶら ) にしてうちまもりぬ。手品の種はかのうちに、と思えるなるべし。
「これからその何でございますよ、御気分のよろしい時分に、読んでごらんになりましたら、きっとおためになることがあろうと思いますよ。 私 ( わたくし ) も今少し 逗留 ( とうりゅう ) していますと、いろいろお話もいたすのですが――今日はお 告別 ( わかれ ) に私がこの書を読むようになりましたその 来歴 ( しまつ ) をね、、お話し
したいと思いますが。あなたお疲れはなさいませんか。何なら御遠慮なくおやすみなすッて」しみじみと耳 傾 ( かたぶ ) けし浪子は顔を上げつ。
「いいえ、ちょっとも疲れはいたしません。どうかお話し遊ばして」
茶を入れかえて、幾は次に立ちぬ。
小春日の午後は 夜 ( よ ) よりも静かなり。海の音遠く、障子に映る松の影も動かず。ただはるかに小鳥の音の清きを聞く。東側のガラス障子を透かして、秋の空高く澄み、 錦 ( にしき ) に染まれる桜山は午後の日に燃えんとす。老婦人はおもむろに茶をすすりて、うつむきて被布の 膝 ( ひざ ) をかいなで、仰いで浪子の顔うちまもりつつ、静かに口を開き始めぬ。
「人の一生は長いようで短く、短いようで長いものですよ。
私の父は旗本で、まあ歴々のうちでした。とうに人の 有 ( もの ) になってしまったのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、 小石川 ( こいしかわ ) の水道橋を渡って、少しまいりますと、大きな 榎 ( えのき ) が茂っている所がありますが、私はあの屋敷に生まれましたのです。十二の年に母は果てます、父はひどく力を落としまして 後妻 ( あと ) もとらなかったのですから、子供ながら私がいろいろ家事をやってましたね。それから弟に嫁をとって、私はやはり 旗下 ( はたもと ) の、格式は少し上でしたが小川の 家 ( うち ) にまいったのが、二十一の年、あなた方はまだなかなかお生まれでもなかったころでございますよ。
私も女大学で育てられて、辛抱なら人に負けぬつもりでしたが、実際にその場に当たって見ますと、本当に身にしみてつらいことも随分多いのでしてね。 時勢 ( とき ) が 時勢 ( とき ) で、 良人 ( おっと ) は滅多に 宅 ( うち ) にいませず、 舅姑 ( しゅうと ) に良人の 姉妹 ( きょうだい ) が 二人 ( ふたり ) =これはあとで縁づきましたが=ありまして、まあ主人を五人もったわけでして、それは人の知らぬ心配もいたしたのですよ。 舅 ( しゅうと ) はそうもなかったのですが、 姑 ( しゅうとめ ) がよほど 事 ( つか ) えにくい人でして、実は私の前に、嫁に来た 婦人 ( ひと ) があったのですが、 半歳 ( はんとし ) 足らずの間に、逃げて帰ったということで、亡くなッた人をこう申すのははしたないようですが、気あらな、押し強い、弁も達者で、まあ俗に 背 ( せな ) かを打って 咽 ( のど ) をしむるなど申しますが、ちょっとそんな人でした。私も十分辛抱をしたつもりですが、それでも時々は辛抱しきれないで、 屏風 ( びょうぶ ) の陰で泣いて、赤い目を見てしかられてまた泣いて、亡くなった母を思い出すのもたびたびでした。
そうするうちに維新の騒ぎになりました。江戸じゅうはまるで 鍋 ( なべ ) のなかのようでしてね。良人も父も弟もみんな 彰義隊 ( しょうぎたい ) で上野にいます、それに舅が大病で、私は 懐妊 ( みもち ) というのでしょう。ほんとに気は気でなかったのでした。
それから上野は落ちます、良人は 宇都宮 ( うつのみや ) からだんだん 函館 ( はこだて ) までまいり、父は行くえがわからなくなり、弟は上野で 討死 ( うちじに ) をいたして、その家族も 失踪 ( なくな ) ってしまいますし、舅もとうとう病死をしましてね、そのなかでわたくしは産をいたしますし、何が何やらもう夢のようで、それから 家禄 ( かろく ) はなくなる、家財はとられますし、私は姑と年寄りの 僕 ( ぼく ) を 一人 ( ひとり ) 連れましてね、当歳の 児 ( こ ) を抱いてあの箱根をこえて 静岡 ( しずおか ) に落ちつくまでは、恐ろしい夢を見たようでした」
この時看護婦入り来たりて、会釈しつつ、薬を浪子にすすめ終わりて、 出 ( い ) で行きたり。しばし 瞑目 ( めいもく ) してありし老婦人は目を開きて、また語りつづけぬ。
「静岡での幕士の苦労は、それはお話になりませんくらいで、将軍家がまずあの通り、 勝 ( かつ ) 先生なんぞも 裏小路 ( うらこうじ ) の小さな家にくすぶっておいでの時節ですからね、五千石の私どもに三人 扶持 ( ぶち ) はもったいないわけですが、しかし恥ずかしいお話ですが、そのころはお豆腐が一 丁 ( ちょう ) とは買えませんで、それに姑はぜいたくになれておるのですから、ほんとに気をもみましたよ。で、私はね、町の女子供を寄せて手習いや、 裁縫 ( しごと ) を教えたり、夜もおそくまで、賃仕事をしましてね。それはいいのですが、姑はいよいよ気が荒くなりまして、時勢のしわざを私に負わすようなわけで、それはひどく当たりますし、 良人 ( おっと ) はいませず=良人は函館後はしばらく 牢 ( ろう ) に 入 ( はい ) っていました=父の行くえもわかりませんし、こんな事なら死んだ方がと思ったことは日に幾たびもありましたが、それを思い返し思い返ししていたのです。本当にこのころは一年に年の十もとりましたのですよ。
そうするうちに、良人も陸軍に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でした。その翌春良人は洋行を命ぜられましてね。 朝夕 ( ちょうせき ) の心配はないようになったのですが、 姑 ( しゅうと ) の気分は一向に変わりませず――それはいいのでございますが、気にかかる父の行くえがどうしてもわかりません。
良人が洋行しましたその秋、ひどい雨の降る日でしたがね、小石川の 知己 ( しるべ ) までまいって、その 家 ( うち ) で雇ってもらった車に乗って帰りかけたのです。日は暮れます、ひどい雨風で、私は 幌 ( ほろ ) の 内 ( うち ) に小さくなっていますと、 車夫 ( くるまや ) はぼとぼとぼとぼと引いて行きましょう、 饅頭笠 ( まんじゅうがさ ) をかぶってしわだらけの 桐油合羽 ( とうゆがっぱ ) をきているのですが、雨がたらたらたらたら合羽から落ちましてね、 提灯 ( ちょうちん ) の火はちょろちょろ道の上に流れて、 車夫 ( くるまや ) は時々ほっほっ 太息 ( といき ) をつきながら引いて行くのです。ちょうど水道橋にかかると、提灯がふっと消えたのです。 車夫 ( くるまや ) は 梶棒 ( かじぼう ) をおろして、奥様、お気の毒ですがその腰掛けの下にオランダ付け木(マッチの事ですよ)がはいっていますから、というのでしょう。風がひどいのでよくは聞こえないのですがその声が変に聞いたようでね、とやこうしてマッチを出して、 蹴込 ( けこ ) みの方に向いてマッチをする、その 火光 ( あかり ) で 車夫 ( くるまや ) の顔を見ますと、あなた、父じゃございませんか」
老婦人がわれにもあらず顔打ちおおいぬ。浪子は 汪然 ( おうぜん ) として泣けり。次の間にも 飲泣 ( いきすすり ) の声聞こゆ。
五の三
目をぬぐいて、老婦人は語り続けぬ。
「同じ東京にいながら、知らずにいればいられるものですねエ。それから父と連れ立って、まあ近くの 蕎麦屋 ( そばや ) にまいりましてね、様子を聞いて見ますと、上野の落ちた後は諸処方々を 流浪 ( るろう ) して、手習いの先生をしたり、病気したり、今は昔の家来で 駒込 ( こまごめ ) のすみにごくごく小さな植木屋をしているその者にかかッて、自身はこう毎日貸し車を引いているというのでございますよ。うれしいやら、悲しいのやら、情けないのやら、込み上げて、ろくに話もできないのです。それからまあその晩は父に心づけられて別れましてね。
夜 ( よ ) も 大分 ( だいぶ ) ふけていました。帰るとあなた 姑 ( しゅうと ) は待ち受けていたという 体 ( てい ) で、それはひどい 怒 ( おこ ) りよう 苦 ( にが ) りようで、情けないじゃございませんか、私に何かくらい、あるまじいしわざでもあるように言いましてね。胸をさすッて、父の事を打ち明けて申しますと、気の毒と思ってくれればですが、それはもう聞きづらい恥ずかしい事を――あまり口惜しくて、情けなくて、今度ばかりは辛抱も何もない、もうもう 此家 ( ここ ) にはいない、今からすぐと父のそばに行って、とそう思いましてね、姑が 臥 ( ふ ) せりましたあとで、そっと着物を着かえて、 悴 ( せがれ ) =六つでした=がこう 寝 ( やす ) んでいます 枕 ( まくら ) もとで書き置きを書いていますと、悴が夢でも見たのですか、眠ったまま右の手を伸ばして「 母 ( かあ ) さま、行っちゃいやよ」と申すのですよ。その日小石川にまいる時置いて行ったのですから、その夢を見たのでしょうが、びっくりしてじっとその寝顔を見ていますと、その顔が良人の顔そのままになって、私は筆を落として泣いていました。そうすると、まあどうして思い出したのでございますか、まだ子供の時分にね、寝物語に母から聞いた嫁姑の話、あの話がこうふと心に浮かみましてね、ああ私一人の辛抱で何も無事に治まることと、そうおもい直しましてね――あなた、御退屈でしょう?」
身にしみて 聴 ( き ) ける浪子は、答うるまでもなくただ涙の顔を上げつ。幾が新たにくめる茶をすすりて、老婦人は再び 談緒 ( だんちょ ) をつぎぬ。
「それからとやかく姑にわびましてね、しかしそんなわけですからなかなか父を引き取るの 貢 ( みつ ) ぐのということはできません。で、まあごく内々で身のまわり=多くもありませんでしたが=の物なんぞ売り払ったり、それもながくは続かないのですから、良人の 知己 ( しるべ ) に頼みましてね、ある外国公使の夫人に物好きで日本の琴を習いたいという人がありましてね、それで姑の前をとやかくしてそれから月に幾たび琴を教えて、まあ少しは父を楽にすることができたのですが、そうするうちに、その夫人と懇意になりましてね、それは珍しいやさしい人でして、時々は 半解 ( はんわかり ) の日本語でいろいろ話をしましてね、読んでごらんなさいといって本を一冊くれました。それがね、そのころ初めて和訳になったマタイ伝――この聖書の初めにありますのでした。少し読みかけて見たのですが、何だか変な事ばかり書いてありまして、まあそのままにうっちゃって置いたのでした。
それから 翌年 ( よくとし ) の春、姑はふと 中風 ( ちゅうふう ) になりましてね、気の強い人でしたが、それはもう子供のように、ひどくさびしがって、ちょいとでもはずしますと、お 清 ( きよ ) お清とすぐ呼ぶのでございますよ。そばにすわって、 蠅 ( はえ ) を追いながら、すやすや眠る姑の顔を見ていますと、本当にこうなるものをなぜ一度でも心に恨んだことがあったろう、できることならもう一度丈夫にして、とそうおもいましてね、精一杯骨を折ったのですが、そのかいもないのでした。
姑が亡くなりますとほどなく良人が帰朝しましてね。それから引き取るというきわになって、父も安心したせいですか、急に病気になって、つい二三日でそれこそ眠るように消えました。もう生涯会われぬと思った娘には会うし、やさしくしてくれるし、自分ほど果報者はないと、そう申しましてね。――でも私は思う十分一もできませんで、今でも思い出すたびにもう一度 活 ( い ) かして思う存分喜ばして見たいと思わぬ時はありませんよ。
それから良人は次第に立身いたします、悴は大きくなりまして、私もよほど楽になったのですが、ただ気をもみましたのは、良人の 大酒 ( たいしゅ ) ――軍人は多くそうですが――の癖でした。それから今でもやはりそうですが、そのころは別してね、 男子 ( おとこ ) の 方 ( かた ) が不行跡で、良人なんぞはまあ西洋にもまいりますし、少しはいいのでしたが、それでも恥ずかしい事ですが、私も随分心配をいたしました。それとなく異見をしましても、あなた、笑って取り合いませんのですよ。
そうするうちにあの十年の戦争になりまして、良人―― 近衛 ( このえ ) の大佐でした――もまいります。そのあとに悴が 猩紅熱 ( しょうこうねつ ) で、まあ 日夜 ( ひるよる ) つきッきりでした。四月十八日の 夜 ( ばん ) でした、悴が少しいい方でやすんでいますから、 婢 ( おんな ) なぞもみんな寝せまして、私は悴の枕もとに、 行燈 ( あんどう ) の光で少し縫い物をしていますと、ついうとうといたしましてね。こう気が 遠 ( とおー ) くなりますと、すうと人の来る 気 ( け ) はいがいたして、悴の枕もとにすわる者があるのです。たれかと思って見ますと、あなた、良人です、軍服のままで、血だらけになりまして、 蒼 ( あお ) ざめて――ま、あなた、思わずいったその声にふッと目がさめて、あたりを見るとだれもいません。行燈の火がとろとろ燃えて、悴はすやすや眠っています。もうすっかり汗になりまして、 動悸 ( どうき ) がはげしくうって――
その翌日から悴は急にわるくなりまして、とうとうその夕刻に息を引き取りましてね。もう夢のようになりましてその 骸 ( からだ ) を抱いているうちに、着いたのが良人が 討死 ( うちじに ) の 電報 ( しらせ ) でした」
話者は口をつぐみ、聴者は息をのみ、室内しんとして水のごとくなりぬ。
やや久しゅうして、老婦人は再び口を開けり。
「それから一切夢中でしてね、日と月と一時に 沈 ( い ) ったと申しましょうか、何と申しましょうか、それこそほんにまっ暗になりまして、辛抱に辛抱して 結局 ( つまり ) がこんな事かと思いますと、いっそこのままなおらずに――すぐそのあとで 臥病 ( わずらい ) ましたのですよ――と思ったのですが、 幸 ( しあわせ ) か 不幸 ( ふしあわせ ) か病気はだんだんよくなりましてね。
病気はよくなったのですが、もう私には世の中がすっかり 空虚 ( から ) になったようで、ただ生きておるというばかりでした。そうするうちに、 知己 ( しるべ ) の勧めでとにかく家をたたんでしばらくその宅にまいることになりましてね。病後ながらぶらぶら道具や何か取り細めていますと、いつでしたか 箪笥 ( たんす ) を明けますとね、亡くなりました悴の 袷 ( あわせ ) の下から 書 ( ほん ) が出てまいりましてね、ふと見ますと先年外国公使の夫人がくれましたその聖書でございますよ。読むでもなくつい見ていますと、ちょいとした文句が、こう妙に胸に響くような 心地 ( こころもち ) がしましてね――それはこの 書 ( ほん ) にも 符号 ( しるし ) をつけて置きましたが――それから 知己 ( しるべ ) の 宅 ( うち ) に越しましても、時々読んでいました。読んでいますうちに、山道に迷った者がどこかに 鶏 ( とり ) の声を聞くような、まっくらな晩にかすかな光がどこからかさすように思いましてね。もうその 書 ( ほん ) をくれた公使の夫人は帰国して、いなかったのですが、だれかに話を聞いて見たいと思っていますうちに、 知己 ( しるべ ) の世話でそのころできました女の学校の舎監になって見ますと、それが 耶蘇 ( やそ ) 教主義の学校でして、その教師のなかにまだ若い御夫婦の方でしたが、それは熱心な方がありましてね、この御夫婦が私のまあ 先達 ( せんだつ ) になってくだすったのですよ。その先達に 初歩 ( ふみはじめ ) を 教 ( おそ ) わってこの道に入りましてから、今年でもう十六年になりますが、 杖 ( つえ ) とも思うは実にこの 書 ( ほん ) で、一日もそばを放さないのでございますよ。霊魂不死という事を信じてからは、死を限りと思った世の中が広くなりまして、天の父を知ってからは親を失ってまた大きな親を得たようで、愛の働きを聞いてからは子を 失 ( な ) くしてまたおおぜいの子を持った 心地 ( こころもち ) で、望みという事を教えられてから、辛抱をするにも楽しみがつきましてね――
私がこの 書 ( ほん ) を読むようになりましたしまつはまあざッとこんなでございますよ」
かく言い来たりて、老婦人は熱心に浪子の顔打ちまもり、
「実は、御様子はうすうす承っていましたし、ああして時々浜でお目にかかるのですから、ぜひ伺いたいと思う事もたびたびあったのですが、――それがこうふとお心やすくいたすようになりますと、またすぐお別れ申すのは、まことに残念でございますよ。しかしこう申してはいかがでございますが、私にはどうしても 浅日 ( ちょっと ) のお 面識 ( なじみ ) の方とは思えませんよ。どうぞ 御身 ( おみ ) を大事に遊ばして、必ず気をながくお持ち遊ばして、ね、決して短気をお出しなさらぬように――御気分のいい 時分 ( とき ) はこの 書 ( ほん ) をごらん遊ばして――私は 東京 ( あちら ) に帰りましても、朝夕こちらの事を思っておりますよ」
*
老婦人はその翌日東京に去りぬ。されどその贈れる一書は常に浪子の身近に置かれつ。
世にはかかる不幸を経てもなお人を慰むる 誠 ( まこと ) を余せる人ありと思えば、母ならず伯母ならずしてなおこの 茫々 ( ぼうぼう ) たる世にわれを思いくくる人ありと思えば、浪子はいささか慰めらるる 心地 ( ここち ) して、聞きつる履歴を時々思い 出 ( い ) でては、心こめたる贈り物の一書をひもとけるなり。
六の一
第二軍は十一月二十二日をもって旅順を攻め落としつ。
「お 母 ( かあ ) さま、お母さま」
新聞を持ちたるままあわただしく千鶴子はその母を呼びたり。
「何ですね。もっと静かに 言 ( もの ) をお言いなさいな」
水色の 眼鏡 ( めがね ) にちょっとにらまれて、さっと 面 ( おもて ) に 紅潮 ( くれない ) を散らしながら、千鶴子はほほと笑いしが、またまじめになりて、
「お母さま、死にましたよ、あれが――あの 千々岩 ( ちぢわ ) が!」
「エ、千々岩! あの千々岩が! どうして? 戦死 ( うちじに ) かい?」
「 戦死 ( せんし ) 将校のなかに名が出ているわ。――いい気味!」
「またそんなはしたないことを。――そうかい。あの千々岩が 戦死 ( うちじに ) したのかい! でもよく 戦死 ( うちじに ) したねエ、千鶴さん」
「いい気味! あんな人は生きていたッて、邪魔になるばかりだわ」
加藤子爵夫人はしばし黙然として沈吟しぬ。
「死んでもだれ一人泣いてくれる者もないくらいでは、生きがいのないものだね、千鶴さん」
「でも川島のおばあさんが泣きましょうよ。――川島てば、お母さま、お 豊 ( とよ ) さんがとうと逃げ出したんですッて」
「そうかい?」
「 昨日 ( きのう ) ね、また何か始めてね、もうもうこんな 家 ( うち ) にはいないッて、泣き泣き帰っちまいましたんですッて。ほほほほほほようすが見たかったわ」
「だれが行ってもあの 家 ( うち ) では納まるまいよ、ねエ千鶴さん」
母子 ( おやこ ) 相見て言葉途絶えぬ。
*
千々岩は死せるなり。千鶴子 母子 ( おやこ ) が右の問答をなしつるより 二十日 ( はつか ) ばかり立ちて、一片の遺骨と一通の書と寂しき川島家に届きたり。 骨 ( こつ ) は千々岩の骨、書は武男の書なりき。その数節を摘みてん。
((前文略))
母上様御承知の通り、彼は重々 不埒 ( ふらち ) のかども有之、彼がためには実に迷惑もいたし、私儀もすでに断然絶交いたしおり候事に有之候えども、 死骸 ( しがい ) に対しては恨みも御座なく、昔兄弟のように育ち候事など思い候えば、不覚の落涙も仕り候事に御座候。よって 許可 ( ゆるし ) を受け、火葬いたし、骨を 御送 ( おんおく ) り申し上げ候。しかるべく御葬り置きくだされたく願い奉り候。
((下略))
武男が旅順にて遭遇しつる事はこれに 止 ( とど ) まらず、わざと書中に漏らしし一の出来事ありき。
六の二
武男が書中に漏れたる事実は、左のごとくなりき。
千々岩の 死骸 ( しがい ) に会えるその日、武男はひとり遅れて 埠頭 ( はとば ) の 方 ( かた ) に帰り居たり。日暮れぬ。
舎営の 門口 ( かど ) のきらめく 歩哨 ( ほしょう ) の銃剣、将校 馬蹄 ( ばてい ) の響き、下士をしかりいる士官、あきれ顔にたたずむ 清人 ( しんじん ) 、縦横に行き違う軍属、それらの間を縫うて行けば、軍夫五六人、 焚火 ( たきび ) にあたりつ。
「めっぽう寒いじゃねエか。 故国 ( うち ) にいりや、 葱鮪 ( ねぎま ) で一 杯 ( ぺえ ) てえとこだ。 吉 ( きち ) 、てめえアまたいい物引っかけていやがるじゃねえか」
吉といわれし軍夫は、 分捕 ( ぶんど ) りなるべし、紫 緞子 ( どんす ) の美々しき 胴衣 ( どうぎ ) を着たり。
「 源公 ( げんこう ) を見ねえ。 狐裘 ( かわ ) の四百両もするてえやつを着てやがるぜ」
「源か。やつくれえばかに運の 強 ( つえ ) えやつアねえぜ。 博 ( ぶつ ) ちゃア勝つ、遊んで 褒美 ( ほうび ) はもれえやがる、鉄砲玉ア 中 ( あた ) りッこなし。運のいいたやつのこっだ。おいらなんざ 大連 ( だいれん ) 湾でもって、から負けちゃって、この 袷 ( あわせ ) 一貫よ。 畜生 ( ちきしょう ) め、分捕りでもやつけねえじゃ、ほんとにやり切れねえや」
「分捕りもいいが、きをつけねえ。さっきもおれアうっかり踏ん 込 ( ご ) むと、殺しに来たと思いやがったンだね、いきなり 桶 ( おけ ) の後ろから 抜剣 ( ぬきみ ) の 清兵 ( やつ ) が飛び出しやがって、おいらアもうちっとで 娑婆 ( しゃば ) にお別れよ。ちょうど兵隊さんが来て 清兵 ( やつ ) めすぐくたばっちまやがったが。おいらア肝つぶしちゃったぜ」
「ばかな 清兵 ( やつ ) じゃねえか。まだ殺され足りねえてンだな」
旅順落ちていまだ幾日もあらざれば、げに 清兵 ( しんぺい ) の人家に隠れて捜し 出 ( いだ ) されて抵抗せしため殺さるるも少なからざりけるなり。
聞くともなき話耳に入りて武男はいささか不快の念を動かしつつ、次第に 埠頭 ( はとば ) の 方 ( かた ) に近づきたり。このあたり人け少なく、 燈火 ( ともしび ) まばらにして、一方に建てつらねたる造兵 廠 ( しょう ) の影黒く地に敷き、一方には街燈の立ちたるが、薄月夜ほどの光を地に落とし、やせたる 狗 ( いぬ ) ありて、地をかぎて行けり。
武男はこの建物の影に沿うて歩みつつ、目はたちまち二十間を隔てて先に歩み行く二つの人影に注ぎたり。 後影 ( かげ ) は確かにわが陸軍の将校士官のうちなるべし。一人は 濶大 ( かつだい ) に一人は細小なるが、打ち連れて物語などして行くさまなり。武男はその一人をどこか見覚えあるように思いぬ。
たちまち武男はわれとかの 両人 ( ふたり ) の間にさらに人ありて建物の影を忍び行くを認めつ。胸は不思議におどりぬ。家の影さしたれば、明らかには見えざれど、影のなかなる影は、一歩進みて 止 ( とど ) まり、二歩行きてうかがい、まさしく二人のあとを追うて次第に近づきおるなり。たまたま家と家との 間 ( なか ) 絶えて、流れ込む街燈の光に武男はその 清人 ( しんじん ) なるを認めつ。同時にものありて彼が手中にひらめくを認めたり。胸打ち騒ぎ、武男はひそかに足を早めてそのあとを慕いぬ。
最先 ( さき ) に歩めるかの二人が今しも 街 ( まち ) の端にいたれる時、 闇中 ( あんちゅう ) を歩めるかの黒影は猛然と暗を離れて、二人を追いぬ。驚きたる武男がつづいて走り 出 ( いだ ) せる時、清人はすでに六七間の距離に迫りて、 右手 ( めて ) は上がり、短銃響き、細長なる一人はどうと倒れぬ。驚きて振りかえる他の一人を今一発、短銃の弾機をひかんとせる時、まっしぐらに 馳 ( は ) せつきたる武男は 拳 ( こぶし ) をあげて折れよと彼が 右腕 ( うで ) をたたきつ。短銃落ちぬ。驚き怒りてつかみかかれる彼を、武男は打ち倒さんと 相撲 ( すま ) う。かの 濶大 ( かつだい ) なる一人も 走 ( は ) せ来たりて武男に力を添えんとする時、短銃の音に驚かされしわが兵士ばらばらと 走 ( は ) せきたり、武男が手にあまるかの清人を直ちに 蹴 ( け ) 倒して引っくくりぬ。瞬間の争いに汗になりたる武男が混雑の間より 出 ( い ) でける時、倒れし一人をたすけ起こせるかの濶大なる一人はこなたに向かい来たりぬ。
この時街燈の光はまさしく片岡中将の 面 ( おもて ) をば照らし 出 ( いだ ) しつ。
武男は思わず叫びぬ。
「やッ、 閣下 ( あなた ) は!」
「おッきみは!」
片岡中将はその副官といずくかへ行ける 帰途 ( かえり ) を、殊勝にも 清人 ( しんじん ) のねらえるなりき。
副官の 疵 ( きず ) は重かりしが、中将は微傷だも負わざりき。武男は図らずして 乃舅 ( だいきゅう ) を救えるなり。
*
この事いずれよりか伝わりて、浪子に達せし時、幾は限りなくよろこびて、
「ごらん遊ばせ。どうしても御縁が尽きぬのでございますよ。精出して御養生遊ばせ。ねエ、精出して養生いたしましょうねエ」
浪子はさびしく打ちほほえみぬ。
七の一
戦争のうちに、年は暮れ、かつ明けて、明治二十八年となりぬ。
一月より二月にかけて威海衛落ち、北洋艦隊 亡 ( ほろ ) び、三月末には南の 方 ( かた ) 澎湖 ( ぼうこ ) 列島すでにわが有に帰し、北の 方 ( かた ) にはわが大軍 潮 ( うしお ) のごとく進みて、 遼河 ( りょうが ) 以東に隻騎の敵を見ず。ついで講和使来たり、四月中旬には平和条約締結の報あまねく伝わり、三国干渉のうわさについで、遼東還付の事あり。同五月末大元帥陛下 凱旋 ( がいせん ) したまいて、戦争はさながら 大鵬 ( たいほう ) の翼を収むるごとく
※然 ( しゅくぜん ) としてやみぬ。旅順に千々岩の骨を収め、片岡中将の危厄を救いし後、武男は威海衛の攻撃に従い、また遠く南の 方 ( かた ) 澎湖島占領の事に従いしが、六月初旬その乗艦のひとまず横須賀に凱旋する都合となりたるより、 久々 ( ひさびさ ) ぶりに帰京して、たえて久しきわが 家 ( や ) の門を入りぬ。
想 ( おも ) えば去年の六月、席をけって母に辞したりしよりすでに一年を過ぎぬ。幾たびか死生のきわを通り来て、むかしの不快は薄らぐともなく 痕 ( あと ) を滅し、佐世保病院の雨の日、威海衛港外風氷る 夜 ( よ ) は想いのわが 家 ( や ) に向かって飛びしこと幾たびぞ。
一年ぶりに帰りて見れば、家の 内 ( うち ) 何の変わりたることもなく、わが車の音に 出 ( い ) で迎えつる 婢 ( おんな ) の顔の新しくかわれるのみ。母は例のごとく肥え太りて、リュウマチス起これりとて、一日床にあり。田崎は例のごとく 日々 ( にちにち ) 来たりては、六畳の一間に控え、例のごとく事務をとりてまた例刻に帰り行く。型に入れたるごとき日々の事、見るもの、聞くもの、さながらに去年のままなり。武男は望みを得て望みを失える 心地 ( ここち ) しつ。一年ぶりに母にあいて、絶えて久しきわが家の 風呂 ( ふろ ) に入りて、うずたかき 蒲団 ( ふとん ) に 安坐 ( あんざ ) して、好める 饌 ( ぜん ) に向かいて、さて釣り床ならぬ黒ビロードの 括 ( くく ) り 枕 ( まくら ) に疲れし 頭 ( かしら ) を横たえて、しかも夢は結ばれず、枕べ近き時計の一二時をうつまでも、目はいよいよさえて、心の奥に一種鋭き 苦痛 ( くるしみ ) を覚えしなり。
一年の月日は母子の 破綻 ( はたん ) を繕いぬ。少なくも繕えるがごとく見えぬ。母もさすがに喜びてその 独子 ( ひとりご ) を迎えたり。武男も母に会うて一の重荷をばおろしぬ。されど 二人 ( ふたり ) が間は、顔見合わせしその時より、全く隔てなきあたわざるを武男も母も覚えしなり。浪子の事をば、彼も問わず、これも語らざりき。彼の問わざるは問うことを欲せざるがためにあらずして、これの語らざるは彼の聞かんことを欲するを知らざるがためにはあらざりき。ただかれこれともにこの危険の問題をば務めて避けたるを、たがいにそれと知りては、さしむかいて話途絶ゆるごとにおのずから座の安からざるを覚えしなり。
佐世保病院の贈り物、旅順のかの出来事、それはなくとももとより忘るる時はなきに、今昔ともに 棲 ( す ) みし家に帰り来て見れば、見る物ごとにその 面影 ( おもかげ ) の忍ばれて、武男は怪しく 心地 ( ここち ) 乱れぬ。 彼女 ( かれ ) は今いずこにおるやらん。わが帰り来しと知らでやあらん。思いは千里も近しとすれど、縁絶えては一里と 距 ( はな ) れぬ片岡家、さながら日よりも遠く、 彼女 ( かれ ) が伯母の家は呼べば 応 ( こた ) うる近くにありながら、何の顔ありて行きてその消息を問うべきぞ。 想 ( おも ) えば去年の五月艦隊の演習におもむく時、逗子に立ち寄りて別れを告げしが一生の 別離 ( わかれ ) とは知らざりき。かの時別荘の門に送り 出 ( い ) でて「早く帰ってちょうだい」と呼びし声は今も 耳底 ( みみ ) に残れど、今はたれに向かいて「今帰った」というべきぞ。
かく思いつづけし武男は、 一日 ( あるひ ) 横須賀におもむきしついでに逗子に下りて、かの 別墅 ( べっしょ ) の方に迷い行けば、表の門は閉じたり。さては帰京せしかと思いわびつつ、裏口より入り見れば、 老爺 ( じじい ) 一人 ( ひとり ) 庭の草をむしり 居 ( い ) つ。
七の二
武男が入り来る足音に、 老爺 ( じじい ) はおもむろに振りかえりて、それと見るよりいささか驚きたる 体 ( てい ) にて、 鉢巻 ( はちまき ) をとり、小腰を 屈 ( かが ) めながら
「これはおいでなせえまし。旦那様アいつお 帰 ( けえ ) りでごぜエましたんで?」
「二三日前に帰った。 老爺 ( おまえ ) も相変わらず達者でいいな」
「どういたしまして、はあ、ねッからいけませんで、はあお世話様になりますでごぜエますよ」
「何かい、 老爺 ( おまえ ) はもうよっぽど長く留守をしとるのか?」
「いいや、何でごぜエますよ、その、 先月 ( あとげつ ) までは奥様――ウンニャお嬢――ごご御病人様とばあやさんがおいでなさったんで、それからまア 老爺 ( わたくし ) がお留守をいたしておるでごぜエますよ」
「それでは 先月 ( あとげつ ) 帰京 ( かえ ) ったンだね――では 東京 ( あっち ) にいるのだな」
と武男はひとりごちぬ。
「はい、さよさまで。殿様が 清国 ( あっち ) からお 帰 ( けえ ) りなさるその 前 ( めえ ) に、東京にお 帰 ( けえ ) りなさったでごぜエますよ。はア、それから殿様とごいっしょに 京都 ( かみがた ) に行かっしゃりました御様子で、まだ 帰京 ( けえ ) らっしゃりますめえと、はや思うでごぜエますよ」
「 京都 ( かみがた ) に?――では病気がいいのだな」
武男は再びひとりごちぬ。
「で、いつ行ったのだね?」
「 四五日 ( しごんち ) 前――」と言いかけしが、 老爺 ( じじい ) はふと今の関係を思い 出 ( い ) でて、言い過ぎはせざりしかと思い 貌 ( がお ) にたちまち口をつぐみぬ。それと感ぜし武男は思わず顔をあからめたり。
ふたり 相対 ( あいむか ) いてしばし 黙然 ( もくねん ) としていたりしが、 老爺 ( じじい ) はさすがに気の毒と思い返ししように、
「ちょいと戸を明けますべえ。旦那様、お茶でも上がってまあお休みなさッておいでなせエましよ」
「何、かまわずに置いてもらおう。ちょっと通りかかりに寄ったんだ」
言いすてて武男はかつて来なれし屋敷 内 ( うち ) を回り見れば、さすがに 守 ( も ) る人あれば荒れざれど、戸はことごとくしめて、 手水鉢 ( ちょうずばち ) に水絶え、庭の青葉は茂りに茂りて、ところどころに 梅子 ( うめのみ ) こぼれ、青々としたる 芝生 ( しばふ ) に咲き残れる 薔薇 ( ばら ) の花半ばは落ちて、ほのかなる 香 ( かおり ) は庭に満ちたり。いずくにも人の 気 ( け ) はなくて、 屋後 ( おくご ) の松に 蝉 ( せみ ) の 音 ( ね ) のみぞかしましき。
武男は
※々 ( そうそう ) に 老爺 ( じじい ) に別れて、 頭 ( かしら ) をたれつつ 出 ( い ) で去りぬ。五六日を経て、武男はまた家を辞して遠く南征の途に上ることとなりぬ。家に帰りて十余日、他の同僚は 凱旋 ( がいせん ) の歓迎のとおもしろく騒ぎて過ごせるに引きかえて、武男はおもしろからぬ日を送れり。遠く離れてはさすがになつかしかりし家も、帰りて見れば思いのほかにおもしろき事もなくて、武男はついにその心の 欠陥 ( あき ) を満たすべきものを得ざりしなり。
母もそれと知りて、苦々しく思えるようすはおのずから言葉の端にあらわれぬ。武男も母のそれと知れるをば知り得て、さしむかいて語るごとに、ものありて間を隔つるように覚えつ。されば母子の間はもとのごとき破裂こそなけれ、武男は一年後の今のかえってもとよりも母に遠ざかれるを 憾 ( うら ) みて、なお遠ざかるをいかんともするあたわざりき。 母子 ( ぼし ) は冷然として別れぬ。
横須賀より乗るべかりしを、出発に 垂 ( なんな ) んとして 障 ( さわり ) ありて一 日 ( じつ ) の期をあやまりたれば、武男は 呉 ( くれ ) より乗ることに定め、六月の十日というに孤影 蕭然 ( しょうぜん ) として東海道列車に乗りぬ。
八の一
宇治 ( うじ ) の 黄檗山 ( おうばくざん ) を今しも 出 ( い ) で来たりたる 三人 ( みたり ) 連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士は、洋装して、 金頭 ( きんがしら ) のステッキを持ち、 二十 ( はたち ) ばかりの淑女は 黒綾 ( くろあや ) の 洋傘 ( パラソル ) をかざし、そのあとより五十あまりの 婢 ( おんな ) らしきが信玄袋をさげて従いたり。
三人 ( みたり ) の 出 ( い ) で来たるとともに、門前に待ち居し三 輛 ( りょう ) の車がらがらと引き来るを、老紳士は 洋傘 ( パラソル ) の淑女を顧みて
「いい天気じゃ。すこし歩いて見てはどうか」
「歩きましょう」
「お疲れは遊ばしませんか」と 婢 ( おんな ) は口を添えつ。
「いいよ、少しは歩いた方が」
「じゃ疲れたら乗るとして、まあぶらぶら歩いて見るもいいじゃろう」
三輛の車をあとに従えつつ、三人はおもむろに歩み初めぬ。いうまでもなく、こは片岡中将の一行なり。 昨日 ( きのう ) 奈良 ( なら ) より宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔を 弔 ( とむら ) い、 今日 ( きょう ) は 山科 ( やましな ) の停車場より 大津 ( おおつ ) の 方 ( かた ) へ行かんとするなり。
片岡中将は 去 ( さんぬ ) る五月に遼東より凱旋しつ。一日浪子の主治医を招きて書斎に密談せしが、その翌々日より、浪子を伴ない、 婢 ( ひ ) の幾を従えて、 飄然 ( ひょうぜん ) として京都に来つ。閑静なる 河 ( かわ ) ぞいの宿をえらみて、ここを根拠地と定めつつ、軍服を脱ぎすてて平服に身を包み、人を避け、公会の招きを辞して、ただ 日々 ( にちにち ) 浪子を連れては 彼女 ( かれ ) が意のむかうままに、博覧会を初め名所 古刹 ( こさつ ) を遊覧し、西陣に織り物を求め、 清水 ( きよみず ) に 土産 ( みやげ ) を買い、優遊の限りを尽くして、ここに十余日を過ぎぬ。 世間 ( よ ) はしばし中将の行くえを失いて、浪子ひとりその父を占めけるなり。
「 黄檗 ( おうばく ) を出れば日本の茶摘みかな」茶摘みの 盛季 ( さかり ) はとく過ぎたれど、風は時々 焙炉 ( ほうろ ) の香を送りて、ここそこに二番茶を摘む女の影も見ゆなり。茶の 間々 ( あいあい ) は麦黄いろく 熟 ( う ) れて、さくさくと 鎌 ( かま ) の音聞こゆ。目を上ぐれば和州の山遠く夏がすみに薄れ、宇治川は麦の穂末を渡る 白帆 ( しらほ ) にあらわれつ。かなたに屋根のみ見ゆる村里より午鶏の声ゆるく野づらを渡り来て、打ち仰ぐ空には薄紫に焦がれし雲ふわふわと漂いたり。浪子は吐息つきぬ。
たちまち 左手 ( ゆんで ) の畑 路 ( みち ) より、夫婦と見ゆる百姓二人話しもて 出 ( い ) で来たりぬ。 午餉 ( ひるげ ) を終えて今しも 圃 ( はた ) に 出 ( い ) で行くなるべし。男は鎌を腰にして、女は白手ぬぐいをかむり、歯を染め、 土瓶 ( どびん ) の大いなるを手にさげたり。出会いざまに、立ちどまりて、しばし一行の様子を見し女は、行き過ぎたる男のあと小走りに追いかけて、何かささやきつ。二人ともに振りかえりて、女は美しく染めたる歯を見せてほほえみしが、また相語りつつ花 茨 ( いばら ) こぼるる 畦路 ( あぜみち ) に入り行きたり。
浪子の目はそのあとを追いぬ。竹の子 笠 ( がさ ) と白手ぬぐいは、次第に黄ばめる麦に沈みて、やがてかげも見えずなりしと思えば、たちまち 畑 ( はた ) のかなたより
「 郎 ( ぬし ) は 正宗 ( まさむね ) 、わしア 錆 ( さ ) び刀、 郎 ( ぬし ) は切れても、わしア切れエ――ぬ」
歌う声哀々として野づらに散りぬ。
浪子はさしうつむきつ。
ふりかえり見し父中将は
「くたびれたじゃろう。どれ――」
言いつつ浪子の手をとりぬ。
八の二
中将は浪子の手をひきつつ
「年のたつは早いもンじゃ。浪、 卿 ( おまえ ) はおぼえておるかい、 卿 ( おまえ ) がちっちゃかったころ、よくおとうさんに負ぶさって、ぽんぽんおとうさんが横腹をけったりしおったが。そうじゃ、 卿 ( おまえ ) が五つ六つのころじゃったの」
「おほほほほ、さようでございましたよ。殿様が 負 ( おん ) ぶ遊ばしますと、 少嬢様 ( ちいおじょうさま ) がよくおむずかり遊ばしたンでございますね。――ただ今もどんなにおうらやましがっていらッしゃるかもわかりませんでございますよ」と気軽に幾が 相槌 ( あいづち ) うちぬ。
浪子はたださびしげにほほえみつ。
「 駒 ( こま ) か。駒にはおわびにどっさり 土産 ( みやげ ) でも持って
行くじゃ。なあ、浪。駒よか千鶴さんがうらやましがっとるじゃろう、一度こっちに来たがっておったのじゃから」「さようでございますよ。 加藤 ( あちら ) のお嬢様がおいで遊ばしたら、どんなにおにぎやかでございましょう。――本当に 私 ( わたくし ) なぞがまあこんな珍しい見物さしていただきまして――あの何でございますか、さっき渡りましたあの川が宇治川で、あの 螢 ( ほたる ) の名所で、ではあの 駒沢 ( こまざわ ) が 深雪 ( みゆき ) にあいました所でございますね」
「はははは、幾はなかなか学者じゃの。――いや世の中の移り変わりはひどいもンじゃ。おとうさんなぞが若かった時分は、 大阪 ( おおさか ) から京へ上るというと、いつもあの三十石で、 鮓 ( すし ) のごと詰められたもンじゃ。いや、それよかおとうさんがの、 二十 ( はたち ) の年じゃった、 大西郷 ( おおさいごう ) と 有村 ( ありむら ) ―― 海江田 ( かえだ ) と 月照師 ( げっしょうさん ) を大阪まで連れ出したあとで、大事な要がでけて、おとうさんが行くことになって、さああと追っかけたが、あんまり急いで一 文 ( もん ) なしじゃ。とうとう 頬 ( ほお ) かぶりをして 跣足 ( はだし ) で――夜じゃったが―― 伏見 ( ふしみ ) から大阪まで 川堤 ( かわどて ) を走ったこともあったンじゃ。はははは。暑いじゃないか、浪、くたびれるといかん、もう少し乗ったらどうじゃ」
おくれし車を幾が手招けば、からからと 挽 ( ひ ) き来つ。 三人 ( みたり ) は乗りぬ。
「じゃ、そろそろやってくれ」
車は徐々に 麦圃 ( ばくほ ) を 穿 ( うが ) ち、茶圃を貫きて、 山科 ( やましな ) の 方 ( かた ) に向かいつ。
前なる父が 項 ( うなじ ) の 白髪 ( しらが ) を見つめて、浪子は思いに沈みぬ。 良人 ( おっと ) に別れ、不治の 疾 ( やまい ) をいだいて、父に伴なわるるこの遊びを、うれしといわんか、 哀 ( かな ) しと思わんか。望みも楽しみも世に尽き果てて遠からぬ死を待つわれを不幸といわば、そのわれを思い 想 ( おも ) う父の心をくむに難からず。浪子は限りなき父の愛を想うにつけても、今の身はただ慰めらるるほかに父を慰むべき道なきを 哀 ( かな ) しみつ。世を忘れ人を離れて 父子 ( おやこ ) ただ二人 名残 ( なごり ) の遊びをなす今日このごろは、せめて小供の昔にかえりて、 物見遊山 ( ものみゆさん ) もわれから進み、やがて消ゆべき 空蝉 ( うつせみ ) の身には要なき 唐 ( から ) 織り物も、末は 妹 ( いもと ) に 紀念 ( かたみ ) の品と、ことに 華美 ( はで ) なるを選みしなり。
父を 哀 ( かな ) しと思えば、恋しきは良人武男。旅順に父の 危難 ( あやうき ) を助けたまいしとばかり、後の消息はたれ伝うる者もなく、思いは飛び夢は通えど、今はいずくにか居たもうらん。あいたし、一度あいたし、 生命 ( いき ) あるうちに一度、ただ一度あいたしと思うにつけて、さきに聞きつる 鄙歌 ( ひなうた ) のあいにく耳に響き、かの百姓夫婦のむつまじく語れる面影は 眼前 ( めさき ) に浮かび、楽しき 粗布 ( あらぬ ) に引きかえて憂いを包む 風通 ( ふうつう ) の 袂 ( たもと ) 恨めしく――
せぐり来る涙をハンケチにおさえて、泣かじと 唇 ( くちびる ) をかめば、あいにくせきのしきりに濡れぬ。
中将は気づかわしげに、ふりかえりつ。
「もうようございます」
浪子はわずかに 笑 ( え ) みを作りぬ。
*
山科 ( やましな ) に着きて、東行の列車に乗りぬ。上等室は他に人もなく、浪子は開ける窓のそばに、父はかなたに 坐 ( ざ ) して新聞を広げつ。
おりから煙を 噴 ( は ) き地をとどろかして、 神戸 ( こうべ ) 行きの列車は東より来たり、まさに 出 ( い ) でんとするこなたの列車と相ならびたり。客車の戸を 開閉 ( あけたて ) する音、プラットフォームの 砂利 ( じゃり ) 踏みにじりて駅夫の「山科、山科」と叫び過ぐる声かなたに聞こゆるとともに、汽笛鳴りてこなたの列車はおもむろに動き初めぬ。開ける窓の 下 ( もと ) に坐して、浪子はそぞろに移り行くあなたの列車をながめつ。あたかもかの中等室の前に来し時、窓に 頬杖 ( ほおづえ ) つきたる洋装の男と顔見合わしたり。
「まッあなた!」
「おッ浪さん!」
こは武男なりき。
車は過ぎんとす。狂せるごとく、浪子は窓の外にのび上がりて、手に持てるすみれ色のハンケチを投げつけつ。
「おあぶのうございますよ、お嬢様」
幾は驚きてしかと浪子の袂を握りぬ。
新聞手に持ちたるまま中将も立ち上がりて窓の外を望みたり。
列車は五 間 ( けん ) 過 ( す ) ぎ――十間過ぎぬ。落つばかりのび上がりて、ふりかえりたる浪子は、武男が狂えるごとくかのハンケチを振りて、何か呼べるを見つ。
たちまちレールは 山角 ( さんかく ) をめぐりぬ。両窓のほか青葉の山あるのみ。後ろに聞こゆる 帛 ( きぬ ) を裂くごとき一声は、今しもかの列車が西に走れるならん。
浪子は顔打ちおおいて、父の 膝 ( ひざ ) にうつむきたり。
九の一
七月七日の夕べ、片岡中将の 邸宅 ( やしき ) には、人多く 集 ( つど ) いて、皆 低声 ( こごえ ) にもの言えり。令嬢浪子の 疾 ( やまい ) 革 ( あらた ) まれるなり。
かねては一月の余もと期せられつる 京洛 ( けいらく ) の遊より、中将父子の去月下旬にわかに帰り来たれる時、玄関に 出 ( い ) で迎えし者は、医ならざるも浪子の病勢おおかたならず進めるを疑うあたわざりき。はたして医師は、一診して覚えず顔色を変えたり。月ならずして病勢にわかに加われるが上に、心臓に著しき異状を認めたるなりき。これより片岡家には、深夜も 燈 ( ともしび ) 燃えて、医は間断なく出入りし、月末より避暑におもむくべかりし子爵夫人もさすがにしばしその行を見合わしつ。
名医の術も施すに由なく、幾が夜ごと日ごとの祈念もかいなく、病は 日 ( ひび ) に募りぬ。数度の 喀血 ( かっけつ ) 、その 間々 ( あいあい ) には心臓の 痙攣 ( けいれん ) 起こり、はげしき苦痛のあとはおおむね
※々 ( こんこん ) としてうわ言を発し、今日は昨日より、 翌日 ( あす ) は今日より、衰弱いよいよ加わりつ。その 咳嗽 ( がいそう ) を聞いて 連夜 ( よごと ) ねむらぬ父中将のわが 枕 ( まくら ) べに来るごとに、浪子はほのかに 笑 ( え ) みて苦しき息を忍びつつ明らかにもの言えど、うとうととなりては絶えず武男の名をば呼びぬ。*
今日明日と医師のことに戒めしその今日は夕べとなりて、 部屋 ( へや ) 部屋は 燈 ( ともしび ) あまねく 点 ( つ ) きたれど、 声高 ( こわだか ) にもの言う者もなければ、しんしんとして人ありとは思われず。今皮下注射を終えたるあとをしばし静かにすとて、廊下伝いに 離家 ( はなれ ) より 出 ( い ) で来し二人の婦人は、小座敷の 椅子 ( いす ) に 倚 ( よ ) りつ。一人は加藤子爵夫人なり。今一人はかつて浪子を 不動祠畔 ( ふどうしはん ) に救いしかの老婦人なり。去年の秋の暮れに別れしより、しばらく相見ざりしを、浪子が父に請いて使いして招けるなり。
「いろいろ御親切に――ありがとうございます。 姪 ( あれ ) も一度はお目にかかってお礼を申さなければならぬと、そう言い言いいたしておりましたのですが――お目にかかりまして本望でございましょう」
加藤子爵夫人はわずかに口を開きぬ。
答うべき 辞 ( ことば ) を知らざるように、老婦人はただ 太息 ( といき ) つきて 頭 ( かしら ) を下げつ。ややありて声を低くし
「で――はどちらにおいでなさいますので?」
「台湾にまいったそうでございます」
「台湾!」
老婦人は再び太息つきぬ。
加藤子爵夫人はわき来る涙をかろうじておさえつ。
「でございませんと、あの通り思っているのでございますから、世間体はどうともいたして、あわせもいたしましょうし、 暇乞 ( いとまごい ) もいたさせたいのですが――何をいっても昨日今日台湾に着いたばかり、それがほかと違って軍艦に乗っているのでございますから――」
おりから片岡夫人入り来つ。そのあとより目を泣きはらしたる千鶴子は急ぎ足に入り来たりて、その母を呼びたり。
九の二
日は暮れぬ。去年の夏に新たに建てられし 離家 ( はなれ ) の八畳には、 燭台 ( しょくだい ) の光ほのかにさして、大いなる 寝台 ( ねだい ) 一つ据えられたり。その雪白なるシーツの上に、目を閉じて、浪子は横たわりぬ。
二年に近き病に、やせ果てし 躯 ( み ) はさらにやせて、肉という肉は落ち、骨という骨は 露 ( あら ) われ、 蒼白 ( あおじろ ) き 面 ( おもて ) のいとど透きとおりて、ただ黒髪のみ昔ながらにつやつやと照れるを、長く組みて 枕上 ( まくら ) にたらしたり。枕もとには白衣の看護婦が氷に和せし 赤酒 ( せきしゅ ) を時々筆に含まして浪子の 唇 ( くちびる ) を 湿 ( うるお ) しつ。こなたには今一人の看護婦とともに、目くぼみ頬落ちたる幾がうつむきて足をさすりぬ。室内しんしんとして、ただたちまち急にたちまちかすかになり行く浪子の呼吸の聞こゆるのみ。
たちまち長き息つきて、浪子は目を開き、かすかなる声を漏らしつ。
「伯母さまは――?」
「来ましたよ」
言いつつしずかに入り来たりし加藤子爵夫人は、看護婦がすすむる椅子をさらに 臥床 ( とこ ) 近く引き寄せつ。
「少しはねむれましたか。――何? そうかい。では――」
看護婦と幾を顧みつつ
「少しの 間 ( ま ) あっちへ」
三人 ( みたり ) を出しやりて、伯母はなお近く椅子を寄せ、浪子の額にかかるおくれ毛をなで上げて、しげしげとその顔をながめぬ。浪子も伯母の顔をながめぬ。
ややありて浪子は 太息 ( といき ) とともに、わなわなとふるう手をさしのべて、枕の下より一通の封ぜし 書 ( もの ) を取り 出 ( いだ ) し
「これを――届けて――わたしがなくなったあとで」
ほろほろとこぼす涙をぬぐいやりつつ、加藤子爵夫人は、さらに 眼鏡 ( めがね ) の下よりはふり落つる涙をぬぐいて、その書をしかとふところにおさめ、
「届けるよ、きっとわたしが武男さんに手渡すよ」
「それから――この 指環 ( ゆびわ ) は」
左手 ( ゆんで ) を伯母の 膝 ( ひざ ) にのせつ。その第四指に 燦然 ( さんぜん ) と照るは 一昨年 ( おととし ) の春、新婚の時武男が贈りしなり。去年去られし時、かの家に属するものをばことごとく送りしも、ひとりこれのみ 愛 ( お ) しみて手離すに忍びざりき。
「これは―― 持 ( も ) って――行きますよ」
新たにわき来る涙をおさえて、加藤夫人はただうなずきたり。浪子は目を閉じぬ。ややありてまた開きつ。
「どうしていらッしゃる――でしょう?」
「武男さんはもう 台湾 ( あちら ) に着いて、きっといろいろこっちを思いやっていなさるでしょう。近くにさえいなされば、どうともして、ね、――そうおとうさまもおっしゃっておいでだけれども――浪さん、あんたの心尽くしはきっとわたしが――手紙も確かに届けるから」
ほのかなる 笑 ( えみ ) は浪子の 唇 ( くちびる ) に上りしが、たちまち色なき頬のあたり 紅 ( くれない ) をさし来たり、胸は波うち、燃ゆばかり熱き涙はらはらと苦しき息をつき、
「ああつらい! つらい! もう――もう 婦人 ( おんな ) なんぞに――生まれはしませんよ。――あああ!」
眉 ( まゆ ) をあつめ胸をおさえて、浪子は身をもだえつ。急に医を呼びつつ赤酒を含ませんとする加藤夫人の手にすがりて半ば起き上がり、 生命 ( いのち ) を縮むるせきとともに、肺を絞って一 盞 ( さん ) の紅血を吐きつ。
※々 ( こんこん ) として 臥床 ( とこ ) の上に倒れぬ。医とともに、皆入りぬ。
九の三
医師は騒がず看護婦を呼びて、応急の 手段 ( てだて ) を施しつ。さしずして寝床に近き 玻璃窓 ( はりそう ) を開かせたり。
涼しき空気は一陣水のごとく流れ込みぬ。まっ黒き 木立 ( こだち ) の 背 ( うしろ ) ほのかに明るみたるは、月 出 ( い ) でんとするなるべし。
父中将を 首 ( はじめ ) として、子爵夫人、加藤子爵夫人、千鶴子、駒子、及び幾も次第にベッドをめぐりて居流れたり。風はそよ吹きてすでに死せるがごとく横たわる浪子の 鬢髪 ( びんぱつ ) をそよがし、医はしきりに患者の 面 ( おもて ) をうかがいつつ脈をとれば、こなたに立てる看護婦が手中の 紙燭 ( ししょく ) はたはたとゆらめいたり。
十分過ぎ十五分過ぎぬ。 寂 ( しず ) かなる室内かすかに吐息聞こえて、浪子の唇わずかに動きつ。医は手ずから 一匕 ( ひとさじ ) の赤酒を口中に注ぎぬ。長き吐息は再び 寂 ( しず ) かなる室内に響きて、
「帰りましょう、帰りましょう、ねエあなた――お 母 ( かあ ) さま、来ますよ来ますよ――おお、まだ――ここに」
浪子はぱっちりと目を開きぬ。
あたかも林端に上れる月は一道の幽光を射て、 惘々 ( もうもう ) としたる浪子の顔を照らせり。
医師は中将にめくばせして、 片隅 ( かたえ ) に退きつ。中将は進みて浪子の手を執り、
「浪、気がついたか。おとうさんじゃぞ。――みんなここにおる」
空 ( くう ) を見詰めし浪子の目は次第に動きて、父中将の涙に曇れる目と相会いぬ。
「おとうさま――おだいじに」
ほろほろ涙をこぼしつつ、浪子はわずかに 右手 ( めて ) を移して、その左を握れる父の手を握りぬ。
「お母さま」
子爵夫人は進みて浪子の涙をぬぐいつ。浪子はその手を執り
「お母さま――御免――遊ばして」
子爵夫人の唇はふるい、物を得言わず顔打ちおおいて退きぬ。
加藤子爵夫人は泣き沈む千鶴子を励ましつつ、かわるがわる進みて浪子の手を握り、駒子も進みて姉の床ぎわにひざまずきぬ。わななく手をあげて、浪子は妹の前髪をかいなでつ。
「 駒 ( こう ) ちゃん――さよなら――」
言いかけて、苦しき息をつけば、駒子は打ち震いつつ 一匕 ( ひとさじ ) の赤酒を姉の唇に注ぎぬ。浪子は閉じたる目を開きつつ、見回して
「 毅一 ( きい ) さん―― 道 ( みい ) ちゃん――は?」
二人の 小児 ( こども ) は子爵夫人の計らいとして、すでに月の初めより避暑におもむけるなり。浪子はうなずきて、ややうっとりとなりつ。
この時座末に泣き浸りたる幾は、つと身を起こして、力なくたれし浪子の手をひしと両手に握りぬ。
「ばあや――」
「お、お、お嬢様、ばあやもごいっしょに――」
泣きくずるる幾をわずかに次へ立たしたるあとは、しんとして水のごとくなりぬ。浪子は口を閉じ、目を閉じ、死の影は次第にその 面 ( おもて ) をおおわんとす。中将はさらに進みて
「浪、何も言いのこす事はないか。――しっかりせい」
なつかしき声に呼びかえされて、わずかに開ける目は加藤子爵夫人に注ぎつ。夫人は浪子の手を執り、
「浪さん、何もわたしがうけ合った。安心して、お母さんの所においで」
かすかなる 微咲 ( えみ ) の唇に上ると見れば、見る見る 瞼 ( まぶた ) は閉じて、眠るがごとく息絶えぬ。
さし入る月は 蒼白 ( あおじろ ) き 面 ( おもて ) を照らして、 微咲 ( えみ ) はなお唇に浮かべり。されど浪子は 永 ( なが ) く眠れるなり。
*
三日を隔てて、浪子は 青山 ( あおやま ) 墓地に葬られぬ。
交遊広き片岡中将の事なれば、会葬者はきわめておおく、浪子が同窓の涙をおおうて見送れるも多かりき。少しく子細を知れる者は中将の暗涙を帯びて棺側に立つを見て断腸の思いをなせしが、知らざる者も老女の幾がわれを忘れて棺にすがり泣き 口説 ( くど ) けるに 袖 ( そで ) をぬらしたり。
故人 ( なきひと ) は妙齢の淑女なればにや、夏ながらさまざまの生け花の寄贈多かりき。そのなかに四十あまりの羽織 袴 ( はかま ) の男がもたらしつるもののみは、中将の玄関より突き返されつ。その生け花には「川島家」の札ありき。
十の一
四月 ( よつき ) あまり過ぎたり。
霜に染みたる南天の影長々と庭に 臥 ( ふ ) す午後四時過ぎ、相も変わらず肥えに肥えたる川島未亡人は、やおら障子をあけて縁側に 出 ( い ) で来たり、 手水鉢 ( ちょうずばち ) に立ち寄りて、水なきに舌鼓を鳴らしつ。
「 松 ( まアつ ) 、―― 竹 ( たけエ ) 」
呼ぶ声に 一人 ( ひとり ) は庭口より一人は縁側よりあわただしく走り来つ。恐慌の色は 面 ( おもて ) にあらわれたり。
「 汝達 ( わいども ) は 何 ( なあに ) をしとッか。 先日 ( こないだ ) もいっといたじゃなっか。こ、これを見なさい」
柄杓 ( ひしゃく ) をとって、からの手水鉢をからからとかき回せば、色を失える 二人 ( ふたり ) はただ息をのみつ。
「 早 ( は ) よせんか」
耳近き落雷にいよいよ色を失いて、二人は去りぬ。未亡人は何か口のうちにつぶやきつつ、やがてもたらし来し水に手を洗いて、入らんとする時、他の一人は入り来たりて小腰を 屈 ( かが ) めたり。
「何か」
「山木様とおっしゃいます方が――」
言 ( こと ) 終わらざるに、一種の冷笑は不平と相半ばして面積広き未亡人の顔をおおいぬ。実を言えば去年の秋お 豊 ( とよ ) が逃げ帰りたる以後はおのずから山木の足も遠かりき。山木は去年このかたの戦争に幾万の利を占めける由を聞き知りて、川島未亡人はいよいよもって山木の仕打ちに不満をいだき、召使いにむかいて恩の忘るべからざるを説法するごとに、 暗 ( あん ) に山木を実例にとれるなりき。しかも習慣はついに勝ちを占めぬ。
「通しなさい」
やがて屋敷に通れる山木は幾たびかかの 赤黒子 ( あかぼくろ ) の顔を上げ下げつ。
「山木さん、久しぶりごあんすな」
「いや、御隠居様、どうも申しわけないごぶさたをいたしました。ぜひお伺い申すでございましたが、その、戦争後は商用でもって始終あちこちいたしておりまして、まず御壮健おめでとう存じます」
「山木さん、戦争じゃしっかいもうかったでごあんそいな」
「へへへへ、どういたしまして――まあおかげさまでその、とやかく、へへへへへ」
おりから小間使いが水引かけたる品々を腕もたわわにささげ来つ。
「お客様の――」と座の 中央 ( もなか ) に差し 出 ( いだ ) して、 罷 ( まか ) りぬ。
じろり 一瞥 ( いちべつ ) を台の上の物にくれて、やや満足の 笑 ( え ) みは未亡人の顔にあらわれたり。
「これはいろいろ気の毒でごあんすの、ほほほほ」
「いえ、どうつかまつりまして。ついほンの、その――いや、申しおくれましたが、武――若旦那様も大尉に御昇進遊ばして、御勲章や御賜金がございましたそうで、実は先日新聞で拝見いたしまして――おめでとうございました。で、ただ今はどちら――佐世保においででございましょうか」
「武でごあんすか。武は 昨日 ( きのう ) 帰って 来申 ( きも ) した」
「へエ、昨日? 昨日お帰りで? へエ、それはそれは、それはよくこそ、お変わりもございませんで?」
「相変わらず坊っちゃまで困いますよ。ほほほほ、 今日 ( きょう ) は朝から出て、まだ帰いません」
「へエ、それは。まずお帰りで御安心でございます。いや御安心と申しますと、片岡様でも誠に早お気の毒でございました。たしかもう百か日もお過ぎなさいましたそうで――しかしあの御病気ばかりはどうもいたし方のないもので、御隠居様、さすがお目が届きましたね」
川島夫人は顔ふくらしつ。
「 彼女 ( あい ) の事じゃ、わたしも実に困いましたよ。銭はつかう、 悴 ( せがれ ) とけんかまでする、そのあげくにゃ 鬼婆 ( おにばば ) のごと言わるる、得のいかン
※御 ( よめご ) じゃってな、山木さん――。そいばかいか 彼女 ( あい ) が死んだと聞いたから、 弔儀 ( くやみ ) に田崎をやって、 生花 ( はな ) をなあ、やったと思いなさい。礼どころか――突っ返して 来申 ( きも ) した。失礼じゃごあはんか、なあ山木さん」浪子が死せしと聞きしその時は、未亡人もさすがによき 心地 ( ここち ) はせざりしが、そのたまたま贈りし生花の一も二もなく突き返されしにて、 万 ( よろず ) の感情はさらりと消えて、ただ 苦味 ( にがみ ) のみ残りしなり。
「へエ、それは――それはまたあんまりな。――いや、御隠居様――」
小間使いがささげ来たれる一 碗 ( わん ) の 茗 ( めい ) になめらかなる唇をうるおし
「昨年来は長々お世話に相成りましてございますが、娘―― 豊 ( とよ ) も 近々 ( ちかぢか ) に嫁にやることにいたしまして――」
「お豊どんが嫁に?――それはまあ――そして 先方 ( むこう ) は?」
「先方は法学士で、 目下 ( ただいま ) 農商務省の○○課長をいたしておる男で、ご存じでございましょうか、○○と申します人でございまして、 千々岩 ( ちぢわ ) さんなどももと世話に――や、千々岩さんと申しますと、誠にお気の毒な、まだ若いお方を、残念でございました」
一点の 翳 ( かげ ) 未亡人の額をかすめつ。
「 戦争 ( いくさ ) はいやなもんでごあんすの、山木さん。――そいでその婚礼は 何日 ( いつ ) ?」
「取り急ぎまして明後々日に 定 ( き ) めましてございますが――御隠居様、どうかひとつ 御来駕 ( おいで ) くださいますように、――川島様の御隠居様がおすわり遊ばしておいで遊ばすと申しますれば、へへへ手前どもの鼻も高うございますわけで、――どうかぜひ――家内も出ますはずでございますが、その、取り込んでいますので――武――若旦那様もどうか――」
未亡人はうなずきつ。おりから五点をうつ 床上 ( とこ ) の置き時計を顧みて、
「おおもう五時じゃ、日が短いな。武はどうしつろ?」
十の二
白菊を手にさげし海軍士官、青山 南町 ( みなみちょう ) の 方 ( かた ) より共同墓地に入り来たりぬ。
あたかも 新嘗祭 ( にいなめさい ) の空青々と晴れて、午後の 日光 ( ひかり ) は墓地に満ちたり。秋はここにも 紅 ( くれない ) に照れる桜の葉はらりと落ちて、仕切りの 籬 ( かき ) に 咲 ( え ) む 茶山花 ( さざんか ) の 香 ( かおり ) ほのかに、線香の煙立ち上るあたりには小鳥の声幽に聞こえぬ。 今 ( いま ) 笄町 ( こうがいちょう ) の 方 ( かた ) に過ぎし車の音かすかになりて消えたるあとは、 寂 ( しず ) けさひとしお増さり、ただはるかに響く 都城 ( みやこ ) のどよみの、この 寂寞 ( せきばく ) に和して、かの 現 ( うつつ ) とこの夢と相共に人生の哀歌を奏するのみ。
生籬 ( いけがき ) の間より衣の影ちらちら見えて、やがて 出 ( い ) で来し二十七八の婦人、目を赤うして、水兵服の 七歳 ( ななつ ) ばかりの 男児 ( おのこ ) の手を引きたるが、海軍士官と行きすりて、五六歩過ぎし時、
「 母 ( かあ ) さん、あのおじさんもやっぱし海軍ね」
という子供の声聞こえて、婦人はハンケチに顔をおさえて行きぬ。それとも知らぬ海軍士官は、道を考うるようにしばしば立ち留まりては新しき墓標を読みつつ、ふと一等墓地の中に松桜を交え植えたる 一画 ( ひとしきり ) の 塋域 ( はかしょ ) の前にいたり、うなずきて立ち止まり、 垣 ( かき ) の小門の 閂 ( かんぬき ) を 揺 ( うご ) かせば、手に従って開きつ。正面には年経たる石塔あり。士官はつと入りて見回し、横手になお新しき墓標の前に立てり。松は墓標の上に 翠蓋 ( すいがい ) をかざして、黄ばみ 紅 ( あか ) らめる桜の落ち葉点々としてこれをめぐり、近ごろ立てしと覚ゆる 卒塔婆 ( そとば ) は 簇々 ( ぞくぞく ) としてこれを 護 ( まも ) りぬ。墓標には 墨痕 ( ぼっこん ) あざやかに「片岡浪子の墓」の六字を書けり。海軍士官は墓標をながめて石のごとく突っ立ちたり。
やや久しゅうして、唇ふるい、 嗚咽 ( おえつ ) は食いしばりたる歯を漏れぬ。
*
武男は昨日帰れるなり。
五か月 前 ( ぜん ) 山科 ( やましな ) の停車場に今この墓標の 下 ( もと ) に 臥 ( ふ ) す人と相見し彼は、征台の艦中に加藤子爵夫人の書に接して、浪子のすでに世にあらざるを知りつ。昨日帰りし今日は、加藤子爵夫人を 訪 ( と ) いて、 午 ( ひる ) 過ぐるまでその話に 腸 ( はらわた ) を断ち、今ここに来たれるなり。
武男は墓標の前に立ちわれを忘れてやや久しく 哭 ( こく ) したり。
三年の幻影はかわるがわる涙の 狭霧 ( さぎり ) のうちに浮かみつ。新婚の日、伊香保の遊、 不動祠畔 ( ふどうしはん ) の誓い、 逗子 ( ずし ) の 別墅 ( べっしょ ) に別れし夕べ、最後に 山科 ( やましな ) に相見しその日、これらは 電光 ( いなずま ) のごとくしだいに心に現われぬ。「早く帰ってちょうだい!」と言いし 言 ( ことば ) は耳にあれど、一たび帰れば 彼女 ( かれ ) はすでにわが 家 ( や ) の妻ならず、二たび帰りし今日はすでにこの世の人ならず。
「ああ、浪さん、なぜ死んでしまった!」
われ知らず言いて、 涙 ( なんだ ) は新たに泉とわきぬ。
一陣の風頭上を過ぎて、桜の葉はらはらと墓標をうって翻りつ。ふと心づきて武男は 涙 ( なんだ ) を押しぬぐいつつ、墓標の 下 ( もと ) に立ち寄りて、ややしおれたる花立ての花を抜きすて、 持 ( も ) て来し白菊をさしはさみ、手ずから落ち葉を掃い、内ポッケットをかい探りて一通の書を取り 出 ( い ) でぬ。
こは浪子の絶筆なり。今日加藤子爵夫人の手より受け取りて読みし時の心はいかなりしぞ。武男は書をひらきぬ。仮名書きの美しかりし手跡は 痕 ( あと ) もなく、その人の筆かと疑うまで字はふるい墨はにじみて、涙のあと 斑々 ( はんはん ) として残れるを見ずや。
車の窓に身をもだえて、すみれ色のハンケチを投げしその時の 光景 ( ありさま ) は、歴々と眼前に浮かびつ。武男は目を上げぬ。前にはただ墓標あり。
「おとうさま、たれか来てますよ」と涼しき子供の声耳近に響きつ。引きつづいて同じ声の
「おとうさま、川島の 兄君 ( にいさん ) が」と叫びつつ、花をさげたる十ばかりの 男児 ( おのこ ) 武男がそばに走り寄りぬ。
驚きたる武男は、浪子の遺書を持ちたるまま、 涙 ( なんだ ) を払ってふりかえりつつ、あたかも墓門に立ちたる片岡中将と顔見合わしたり。
武男は 頭 ( かしら ) をたれつ。
たちまち武男は 無手 ( むず ) とわが手を握られ、ふり仰げば、涙を浮かべし片岡中将の双眼と 相対 ( あいむか ) いぬ。
「武男さん、わたしも 辛 ( きつ ) かった!」
互いに手を握りつつ、二人が涙は滴々として墓標の 下 ( もと ) に落ちたり。
ややありて中将は 涙 ( なんだ ) を払いつ。武男が肩をたたきて
「武男 君 ( さん ) 、浪は死んでも、な、わたしはやっぱい 卿 ( あんた ) の 爺 ( おやじ ) じゃ。しっかい頼んますぞ。――前途遠しじゃ。――ああ、久しぶり、武男さん、いっしょに行って、ゆるゆる台湾の話でも聞こう!」
第百版不如帰の巻首に (Hototogisu shosetsu) | ||