University of Virginia Library

嗣信

九郎大夫判官其日の裝束には、赤地の錦の直垂に、紫裾濃の鎧著て、金作の太刀を帶き、切斑の矢負ひ、滋籐の弓の眞中取て、船の方を睨へ、大音聲を上て、「一院の御使、檢非違使五位尉源義經」と名乘る。其次に伊豆國住人田代冠者信綱、武藏國住人金子十郎家忠、同與一親範、伊勢三郎義盛とぞ名乘たる。續いて名乘るは、後藤兵衞實基、子息新兵衞基清、奧州佐藤三郎兵衞嗣信、同四郎兵衞忠信、江田源三、熊井太郎、武藏坊辨慶と聲々に名乘てはせ來る。平家の方には、「あれ射取れや。」とて、或は遠矢に射る船も有り、或は差矢に射船も有り。源氏の兵共、弓手になしては射て通り、馬手になしては射て通り、上げ置いたる船の陰を、馬休め所にして、

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[1]をめき叫んて責戰ふ。

後藤兵衞實基は、古兵にて有ければ、軍をばせず、先内裏に亂入、手々に火を放て、片時の煙と燒拂ふ。大臣殿、侍どもを召て、「抑源氏が勢如何程あるぞ。」「當時僅に七八十騎こそ候らめ。」と申。「あな心憂や。髮の筋を一筋づゝ分けて取るとも、此勢には足まじかりけるものを。中に取籠討ずして、あわてゝ船に乘て、内裏を燒せつる事こそ安からね。能登殿はおはせぬか、陸へ上て一軍し給へ。」と宣へば、「承て候ぬ。」とて、越中次郎兵衞盛次を相具して小船に取乘て燒拂ひたる惣門のなぎさに陣を取る。判官八十餘騎、矢比に寄て引へたり。越中次郎兵衞盛次舟の面に立出で大音聲を揚て申けるは、「名乘れつるとは聞つれども、海上遙に隔たて其假名實名分明ならず。今日の源氏の大將軍は誰人でおはしますぞ。」伊勢三郎義盛歩ませ出て申けるは、「事も愚かや、清和天皇十代の御末、鎌倉殿の御弟九郎大夫判官殿ぞかし。」盛次、「さる事あり。一年平治の合戰に、父討れて孤にて有しが、鞍馬の兒にて、後には金商人の所從になり、粮料背負て奧州へ落惑ひし小冠者が事か。」とぞ申したる。義盛、「舌のやはらかなる儘に、君の御事な申そ。さいふわ人どもは、砥浪山の軍に追落されて辛き命生て、北陸道にさまよひ、乞食して泣/\京へ上りたりし者か。」とぞ申ける。盛次重て申けるは、「君の御恩に飽滿て、何んの不足にてか、乞食をばすべき。さ言ふわどのこそ、伊勢の鈴鹿山にて山だちして、妻子をも養ひ、我身も過けるとは聞しか。」といひければ、金子十郎家忠「無益の殿原の雜言かな。我も人も虚言いひつけて雜言せんには誰か劣るべき。去年の春、一谷にて、武藏相模の若殿原の手なみの程は見てん物を。」と申所に弟の與一傍に有けるが、言せも果ず、十二束二ぶせよひいてひやうと放つ。盛次が鎧の胸板に、裏掻く程にぞ立たりける。其後は互に詞戰はとまりにけり。

能登守教經「船軍はやうある物ぞ。」とて鎧直垂は著給はず、唐卷染の小袖に、唐綾威の鎧著て、いか物作の大太刀帶き、二十四差たるたかうすべうの矢負ひ、滋籐の弓を持給へり。王城一の強弓精兵にておはせしかば、矢先に廻る者、射透さずと云ふ事なし。中にも九郎大夫判官を射倒さむとねらはれけれども、源氏の方にも心得て、 奧州の佐藤三郎兵衞嗣信、同四郎兵衞忠信、伊勢三郎義盛、源八廣綱、江田源三、熊 井太郎、武藏坊辨慶など云ふ一人當千の兵共、吾も吾もと馬の首を立竝て大將軍の矢 面に塞りければ、力及び給はず。「矢面の雜人原そこのき給へ。」とて、差詰引詰 散々に射給へば、矢場に鎧武者十餘騎計射落さる。中にも眞先に進んだる奧州の佐藤 三郎兵衞が弓手の肩を馬手の脇へつと射拔れて、暫もたまらず、馬より、倒にどうと 落つ。能登殿の童に、菊王と云ふ大力の剛の者あり、萌黄威の腹卷に、三枚甲の緒をしめて、白柄の長刀の鞘を外し、三郎兵衞が首を取らんと、走りかゝる。佐藤四郎兵衞兄が頸を取せじと、よ引てひやうと射る。童が腹卷の引合せをあなたへつと射ぬかれて、犬居に倒れぬ。能登守是を見て、急て舟より飛んで下り、左の手に弓を持ながら、右の手で菊王丸を提て、船へからりと投られたれば、敵に頸は取られねども、痛手なれば死にけり。是は、本は越前の三位の童なりしが、三位討たれて後、弟の能登守に仕はれけり。生年十八歳にぞなりける。此童を討せて、餘に哀に思はれければ、其後は軍もし給はず。

判官は佐藤三郎兵衞を陣の後へ舁入れさせ、馬より下り、手をとらへて、「三郎兵衞如何覺ゆる。」と宣へば、息の下に申けるは、「今はかうと存じ候。」「思置事はなきか。」と宣へば、「何事をか思置候べき。君の御世に渡らせ給はんを見參せで、死に候はん事こそ口惜う覺候へ。さ候はでは、弓箭取ものの、敵の矢にあたり死なん事、本より期する所で候也。就中に源平の御合戰に、奧州の佐藤三郎兵衞嗣信と云ける者、讃岐國八島の磯にて、主の御命に替り奉て討れけりと、末代の物語に申さん事こそ弓矢取る身は今生の面目、冥途の思出にて候へ。」と申もあへず、唯弱りに弱りにければ、判官涙をはら/\と流し、「此邊に貴き僧やある。」とて、尋出し、「手負の唯今落入に、一日經書て弔へ。」とて、黒き馬の太う逞いに、金覆輪の鞍置て、彼僧に給にけり。判官五位尉になられし時、五位になして、大夫黒と呼れし馬也。一谷の鵯越をも此馬にてぞ落れたりける。弟の四郎兵衞を始として、是を見る兵共、皆涙をながし、「此君の御爲に命を失はん事、全く露塵程も、惜からず。」とぞ申ける。

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[1] Nihon Koten Bungaku Taikei (Tokyo: Iwanami Shoten, 1957, vol. 33; hereafter cited as NKBT) reads をめきさけんでせめたゝかふ。.