University of Virginia Library

婦人と読物

 私の 度度 ( たびたび ) 述べることですが、特に「女の読物」として書かれた低級な物ばかりを読むのは、大人が子供のお 伽話 ( とぎばなし ) を読み ( ふけ ) るのと同じく、自分をわざわざ低能化しつつあるのだと思います。私どもは婦人に関する或特殊の必要な書物の外はなるたけ男の読物を読む習慣を附けて、現代人として知るべきことを男と対等に知識しようと努力せねばなりません。女の間に歓迎される種種の婦人雑誌などはいずれも女の感情に ( ) びて編輯された甘たるい分子が多く、男の世界では既に常識になっているほどの科学的及び社会的知識すら供給しない物です。私どもは最早娯楽のために物を読むような 呑気 ( のんき ) な生活をしていられないのですから、出来るだけ自分の力以上の読物を研究的に読もうと心掛けねばなりません。

 今日では教育があるといわれる若い婦人さえ若い男子の読む十分の一の読書をもしない有様です。近頃の新聞や男子の読む雑誌にはかなり有益な学説が掲載され、また現代人として 真面目 ( まじめ ) に考えて見ねばならぬ個人及び社会の問題がいくつも記載されているのですけれど、婦人はそういう太切な点に目を着けず、 ( ) だ自分に解りやすい感情的凡俗的の記事ばかりを愛読しております。それですから男子の前で話が少しでも智力を要する問題に及ぶと 厚顔 ( あつか ) ましく支離滅裂な冗弁を並べるか、謙遜して口を ( つぐ ) んでしまうかの外ありません。 ( たまた ) ま若い婦人で思想論などをする知名な人があっても、それが多くは婦人の発言である所から世の注意を ( ) くだけで、大抵の男子には出来る議論であり、男子の議論としてなら一顧の価もない程度のものなんです。例えば日本民族の将来とか、日本政界の近状とかいうことを質問されて、即座に一応の論理と実感味とを備えた明快な解答の出来る婦人が幾人あるでしょう。この一事でも婦人が国民としてまたは社会の一員としての生活に平生何の省慮も持っていないことが明白です。またそういう公人的の問題でなくて、現に母として子を教育している人に「教育の目的」を問い久しく妻たる境遇にある人に「結婚の意義」を問うた場合、人前に出せるだけの情理を一貫した意見を述べ得る婦人が幾人あるでしょう。婦人自身に最も切実なそういう問題に対してさえ一定の見識がなく、それについて是非解決せねばならぬほどの強烈な疑惑煩悶もないのが我我婦人の実状です。