University of Virginia Library

生きたい意欲

 ここに私の希望を述べます。私たち日本婦人は 遅蒔 ( おそまき ) ながら今こそ一斉に目を ( さま ) して自分自身を反省せねばならない時です。何がために生きているのかを知らずに盲目的な日送りをしていた私たちは何よりも先ず自分の生きて行きたいと望む意欲が人生の基礎であり、その意欲を実現することが人生の目的であることを徹底して知るのが第一です。自己の絶対的尊厳の意味もそれで領解されます。 何時 ( いつ ) でも自己が主で、家庭生活も社会生活も自己の幸福のために人間の作為するものであるということを知るのが同時に必要です。目の開いた人間の意欲は狭い利己主義の自己にのみ停滞していません。それらの機関を善用して家庭生活、社会生活、国家生活及び世界的生活までを自己の内容に取り入れ、最初は五尺大であった自己を宇宙大の自己にまで延長するために必要な自由を欲し、自己以外の権威に圧制されることを欲しません。

 私は生きようと望む意欲を愛その物だと考えています。愛は徹頭徹尾自己の生に執着する心ですが、利己主義の愛から始まって宇宙を包容する愛にまで拡大されねば愛自身の満足を ( ) ち得ないものだと考えています。従って愛は自由を要求します。その自由は何に由って得られるかというと智力に富むことが必要です。

 私どもはこの智力の点に最も無力であることを知ると同時に、それの開発に非常な勤勉を払わねばなりません。いつの昔にか婦人が男子の下風に立って 侮蔑 ( ぶべつ ) を受ける端緒を開いた最大原因は智力を鈍らせたからだと思います。智力は人生の眼です、これがなければ愛も盲目の愛であり、生活も蛇に ( ) じない盲人の妄動になってしまいます。