University of Virginia Library

婦人と大学教育

 この意味において私どもは 大隈 ( おおくま ) 内閣の文部省が女子大学の必要を公認したことを感謝します。またなるべくどの男子の大学でも婦人の聴講生を許すに至ることを希望します。また世の父兄が高等女学校 乃至 ( ないし ) 現在の女子大学程度の授業を以て女子に高等教育を授けたかの如く誤解されないように希望します。男子の大学とても皆が皆今の状態では高等の智力を鍛える処とは限っておりませんが、まして高等女学校は ( はる ) かに男子の中学に及ばず、女子大学は到底男子の高等学校に比較しがたいものです。それらの卒業程度を以て父兄が女子の高等教育を打切るのも早計ですし、それらの卒業生の社会に出た後の成績を以て女子の高等教育を是非するのも軽率です。しかし如何に高級な女子大学が多数に設けられ、男子の大学が女子の共学を許すにしても、現在の家庭の経済事情と現在の女子の知識状態では大学教育まで受け得る婦人が極めて少数であることは明白です。また女子の高等教育を一般に是認させる必要から特に大学教育を 云云 ( うんぬん ) しますけれど、智力の充実は必ず大学教育に限った訳でもありませんから、日本人はこの意味をよく領解して大学過重の弊に陥らないようにし、父兄と女子自身との心掛次第で如何なる高度の智力でも修養し得るものであることを知って、女学生は勿論、既に人の妻たり母たる生活に入った若い婦人までが、読書と社会的接触とに由って出来るだけ各自の智力を高くかつ ( ひろ ) くするように努力して欲しいと思います。

 私の言う智力とは学識の量をいうので無く、物事に対する理解力を意味するのです。学識の量をいうのなら到底専門学者に及ばない訳ですが、理解力は学者的態度を取るに及ばず、実際生活の直接経験と書物に現れた学者先覚者の議論の過程及び結論とを以て常に自分の常識を新しく補充しながら、何事に対しても部分に偏せず、表面に停滞せず、全体と核心とに正しく透徹した理解味到を持とうと注意さえすれば自然に花の ( ほころ ) ぶように内から開けて来る直覚作用です。