University of Virginia Library

婦人と智力

 野蛮時代には人間の強弱を主として腕力で測りました。また腕力の変形である武力で測りました。けれど今では強弱の意味が精神的のものに移り、主として智力の多少が人類を強くも弱くもすることになりました。腕力や武力を以て優越の地位を占めようとすることは野蛮の遺風であり、それが今日にもなお役立つことのあるのは文明の矛盾だとせられております。この度の大戦争などはどう考えても一時の変調であって、将来の生活に対しては時代遅れの武断主義者を除く外 何人 ( なんぴと ) も武力を拒否する予感を持っていない者はありません。またやむをえず維持されている現今の武力もその裏面には智力が支配していて、単独に役立つ武力というものはなくなっております。それですから今後の強弱は男も女も智力の多少が最大要素です。

 女の無智は今更のことでなく、昔からそれがために女自身も苦痛と侮蔑を受け、男も多大の迷惑を ( こうむ ) っています。女が 饒舌 ( じょうぜつ ) だというのも、一は物事を正視してその大体と中枢とを ( つか ) むことが出来ず、枝葉に走って筋の通らぬ感情的な発言をくだくだしく並べるからであり、一は静かに内省し黙想する所がないために充実し精練された言語で簡明に述べるだけの何らの深奥な思想や的確な意見を持っていないからで、要するに原因は無智にあります。また女が感情に偏するといわれ、気分に左右されるといわれるほど ( わずか ) の事にも喜怒哀楽の変化が著しく、男をして女子と小人は養いがたしとまで歎ぜしめたのも感情を調整するに必要な智力を欠いているからです。また女が専ら愛情の世界に住もうとするのも無智の弱点を無意識に 掩蔽 ( えんぺい ) しようとするからであって、女が特に男子よりも愛の深い先天性を備えているという訳ではなさそうです。その愛というのも智力に 介添 ( かいぞえ ) されない盲目の愛ですから大抵利己主義的の愛に停まっています。ワイニンゲルが「女は我子に対しては母であるが、他人の子に対しては全く継母である」という意味の事をいっている通り、自分に親しい恋人や子に対しては絶対服従をも ( いと ) わぬ位に犠牲的な愛情を ( ささ ) げながら、自分に ( そむ ) いて少しでも厚意を持たない者に対しては ( たちま ) ち冷酷な態度を以て対し、愛する者の言うことは一も二もなく盲従しながら、反対な者の言行は ( ことごと ) 猜疑 ( さいぎ ) の目を向けます。殊に同性に対しては意識無意識に敵視する感が附き ( まと ) い、相手の弱点を発見せねば ( ) まず、表面では ( ) めそやしながら時を置かずに蔭口を利く風があって、男同志が偽らず飾らずに心と心を照し合うような女同志の親友というものは殆どないといって宜しい。これらも公平な智力の判断を欠いていて他人の長所を尊敬することが出来ないためであり、みずから内に ( たの ) む所が乏しいので ( やや ) もすれば我が弱点に乗ぜられはしないかと思って出来るだけ自己を隠蔽し、かえって他人の弱点を摘発して無意識に自分の慰安にしようとするためであると思います。また女のヒステリイというものも生理的に原因する所と無智から起す感情の我儘とが 相半 ( あいなかば ) しているのであって、もし理性的に自制することに ( つと ) めたならヒステリイに由って自他の苦痛を作ることはきっと半減するに至るでしょう。女が自分の見識や立案で自分を整調し外界を改造する征服性を欠いて、他人の意匠や指導に従って安易な路に就こうとする順応性に長じているのも、要するに無智がしからしめた第二の性癖だと思います。