University of Virginia Library

2.3. 浅茅が宿

下総の国葛飾郡真間の郷に。勝四郎といふ男ありけり。祖父より舊しくこゝに住。田 畠あまた主づきて家豊に暮らしけるが。生長て物にかゝはらぬ性より。農作をうたて き物に厭ひけるまゝに。はた家貧しくなりにけり。さるほどに親族おほくにも疎じら れけるを。朽をしきことに思ひしみて。いかにもして家を興しなんものをと左右には かりける。其此雀部の曽次といふ人。足利染の絹を交易するために。年々京よりくた りけるが。此郷に氏族のありけるを屡來訪らひしかば。かねてより親しかりけるまゝ に。商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに。雀部いとやすく肯がひて。いつ の此はまかるべしと聞えける。他がたのもしきをよろこびて。残る田をも販つくして 金に代。絹素あまた買積て。京にゆく日をもよほしける。勝四郎が妻宮木なるものは。 人の目とむるばかりの容に。心ばへも愚ならずありけり。此度勝四郎が商物買て京に ゆくといふをうたてきことに思ひ。言をつくして諫むれども。常の心のはやりたるに せんかたなく。梓弓末のたづきの心ぼそきにも。かひ/\しく調らへて。其夜はさり がたき別れをかたり。かくてはたのみなき女心の。野にも山にも惑ふはかり。物うき かぎりに侍り。朝に夕べにわすれ給はで。速く帰り給へ。命だにとは思ふものゝ。明 をたのまれぬ世のことわりは。武き御心にもあはれみ給へといふに。いかで浮木の乗 つもしらぬ國に長居せん。葛のうら葉のかへるは此秋なるべし。心づよく待給へとい ひなぐさめて。夜も明ぬるに。鳥が啼東を立出て京の方へ急ぎけり。此年享徳の夏。 鎌倉の御所成氏朝臣。管領の上杉と御中放て。舘兵火に跡なく滅ければ。御所は総州 の御味方へ落させ給ふより。関の東忽に乱れて。心%\の世の中となりしほどに。老 たるは山に逃竄れ。弱きは軍民にもよほされ。けふは此所を焼はらふ。明は敵のよせ 來るぞと。女わらべ等は東西に迯まどひて泣かなしむ。勝四郎が妻なるものも。いづ ちへも遁れんものをと思ひしかど。此秋を待と聞えし夫の言を頼みつゝも。安からぬ 心に日をかぞへて暮しける。秋にもなりしかど風の便りもあらねば。世とゝもに憑み なき人心かなと。恨みかなしみおもひくづをれて

身のうさは人しも告じあふ坂の夕づけ鳥よ秋も暮ぬ

とかくよめれども。國あまた隔ぬれば。いひおくるべき傳もなし。世の中騒がし き につれて。人の心も恐しくなりにたり。適間とふらふ人も。宮木がかたちの愛たきを 見ては。さま%\にすかしいざなへども。三貞の賢き操を守りてつらくもてなし。後 は戸を閉て見えざりけり。一人の婢女も去て。すこしの貯へもむなしく。其年も暮ぬ。 年あらたまりぬれども猶をさまらす。あまさへ去年の秋京家の下知として。美濃の國 郡上の主。東の下野守常縁に御旗を給びて。下野の領所にくだり。氏族千葉の実胤と はかりて責るにより。御所方も固く守りて拒ぎ戦ひけるほとに。いつ果べきとも見え ず。野伏等はこゝかしこに寨をかまへ。火を放ちて財を奪ふ。八州すべて安き所もな く。浅ましき世の費なりけり。勝四郎は雀部に従ひて京にゆき。絹ども残りなく交易 せしほどに。當時都は花美を好む節なれば。よき徳とりて東に帰る用意をなすに。今 度上杉の兵鎌倉の御所を陥し。なほ御跡をしたふて責討ば、古郷の邊りは干戈みち/ \て。たくろくの岐となりしよしをいひはやす。まのあたりなるさへ偽おほき世説な るを。ましてしら雲の八重に隔たりし國なれば。心も心ならず。八月のはじめ京をた ち出て。岐曽の真坂を日くらしに踰けるに。落草ども道を塞へて。行李も殘りなく奪 はれしがうへに。人のかたるを聞けば。是より東の方は所々に新関を居て。旅客の往 來をだに宥さゞるよし。さては消息をすべきたづきもなし。家も兵火にや亡びなん。 妻も世に生てあらじ。しからば古郷とても鬼のすむ所なりとて。こゝより又京に引か へすに。近江の國に入て。にはかにこゝちあしく。熱き病を憂ふ。武佐といふ所に。 児玉嘉兵衛とて富貴の人あり。是は雀部が妻の産所なりければ苦にたのみけるに。此 人見捨ずしていたはりつも。醫をむかへて薬の事専なりし。やゝこゝち清しくなりぬ れば。篤き恩をかたじけなうす。されど歩む事はまだはか%\しからねば。今年は思 ひがけずもこゝに春を迎ふるに。いつのほどか此里にも友をもとめて。揉ざるに直き 志を賞ぜられて。児玉をはじめ誰々も頼もしく交りけり。此後は京に出て雀部をとふ らひ。又は近江に帰りて児玉に身を托。七とせがほとは夢のごとくに過しぬ。寛正二 年。畿内河内の國に畠山が同根の争ひ果さゞれば。京ぢかくも騒がしきに。春の頃よ り瘟疫さかんに行はれて。屍は衢に畳。人の心も今や一劫の尽るならんと。はかなき かぎりを悲しみける。勝四郎熟思ふに。かく落魄てなす事もなき身の何をたのみとて 遠き國に逗まり。由縁なき人の恵みをうけて。いつまて生べき命なるぞ。古郷に捨し 人の消息をだにしらで。萱草おひぬる野方に長々しき年月を過しけるは。信なき己が 心なりける物を。たとへ泉下の人となりて。ありつる世にはあらずとも。其あとをも もとめて壟をも築べけれと。人々に志を告て。五月雨のはれ間に手をわかちて。十日 あまりを經て古郷に帰り着ぬ。此時日ははや西に沈みて。雨雲はおちかゝるばかりに 闇けれど。舊しく住なれし里なれば迷ふべうもあらじと。夏野わけ行に。いにしへの 継橋も川瀬におちたれば。げに駒の足音もせぬに。田畑は荒たきまゝにすさみて舊の 道もわからず。ありつる人居もなし。たま/\こゝかしこに殘る家に人の住とは見ゆ るもあれど。昔には似つゝもあらね。いづれか我住し家ぞと立惑ふに。こゝ二十歩ば かりを去て。雷に摧れし松の聳えて立るが。雲間の星のひかりに見えたるを。げに我 軒の標こそ見えつると。先喜しきこゝちしてあゆむに。家は故にかはらであり。人も 住と見えて。古戸の間より燈火の影もれて輝々とするに。他人や住。もし其人や在す かと心躁しく。門に立よりて咳すれば。内にも速く聞とりて。誰と咎む。いたうねび たれど正しく妻の聲なるを聞て。夢かと胸のみさわがれて。我こそ帰りまゐりたり。 かはらで独自淺茅が原に住つることの不思議さよといふを。聞しりたればやがて戸を 明るに。いといたう黒く垢づきて。眼はおち入たるやうに。結たる髪も脊にかゝりて。 故の人とも思はれず。夫見て物をもいはで潛然となく。勝四郎も心くらみてしばし物 をも聞えざりしが。やゝしていふは。今までかくおはすと思ひなば。なと年月を過す べき。去ぬる年京にありつる日。鎌倉の兵乱を聞。御所の師潰しかば。総州に避て禦 ぎ給ふ。管領これを責る事急なりといふ。其明雀部にわかれて。八月のはじめ京を立 て。木曽路を來るに。山賊あまたに取こめられ。衣服金銀殘りなく掠められ。命ばか りを辛労じて助かりぬ。且里人のかたるを聞ば。東海東山の道はすべて新関を居て人 を駐むるよし。又きのふ京より節刀使もくだり給ひて。上杉に与し。総州の陣に向は せ給ふ。本國の邊りは疾に焼はらはれ。馬の蹄尺地も間なしとかたるによりて。今は 灰塵とやなり給ひけん。海にや沈み給ひけんとひたすらに思ひとゞめて。又京にのぼ りぬるより。人に餬口て七とせは過しけり。近曽すゞろに物のなつかしくありしかば。 せめて其跡をも見たきまゝに帰りぬれど。かくて世におはせんとは努々思はざりしな り。巫山の雲漢宮の幻にもあらざるやとくりことはてしぞなき妻涙をとゞめて。一た び離れまいらせて後。たのむの秋より前に恐しき世の中となりて。里人は皆家を捨て 海に漂ひ山に隠れば。適に殘りたる人は。多く虎狼の心ありて。かく寡となりしを便 りよしとや。言を巧みていざなへども玉と砕ても瓦の全きにはならはじものをと。幾 たびか辛苦を忍びぬる。銀河秋を告れども君は帰り給はず。冬を待。春を迎へても消 息なし。今は京にのぼりて尋ねまいらせんと思ひしかど。丈夫さへ宥さゞる関の鎖を。 いかで女の越べき道もあらじと。軒端の松にかひなき宿に。狐ふくろうを友として今 日までは過しぬ。今は長き恨みもはれ%\となりぬる事の喜しく侍り。逢を待間に恋 死なんは人しらぬ恨みなるべしと。又よゝと泣を。夜こそ短きにといひなぐさめてと もに臥ぬ。窗の紙松風を啜りて夜もすがら涼しきに。途の長手に労れ熟く寝たり。五 更の天明ゆく比。現なき心にもすゞろに寒かりければ。衾かづきんとさぐる手に。何 物にや籟

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と音するに目さめぬ。面にひや/\と物のこぼ るゝを。雨や漏ぬるかと見れば。屋根は風にまくられてあれば有明月のしらみて殘り たるも見ゆ。家は扉もあるやなし。簀垣朽頽たる間より。荻薄高く生出て。朝露うち こぼるゝに。袖湿てしぼるばかりなり。壁には蔦葛延かゝり。庭は葎に埋れて。秋な らねども野らなる宿なりけり。さてしも臥たる妻はいづち行けん見えず。狐などのし わざにやと思へば。かく荒果ぬれど故住し家にたがはで。廣く造り作し奥わたりより。 端の方。稲倉まで好みたるまゝの形なり。呆自て足の踏所さへ失れたるやうなりしが。 熟おもふに。妻は既に死て。今は狐狸の住かはりて。かく野らなる宿となりたれば。 怪しき鬼の化してありし形を見せつるにてぞあるべき。若又我を慕ふ魂のかへり來り てかたりぬるものか。思ひし事の露たがはざりしよと。更に涙さへ出ず。我身ひとつ は故の身にしてとあゆみ廻るに。むかし閨房にてありし所の簀子をはらひ。土を積て 壟とし。雨露をふせぐまうけもあり。夜の霊はこゝもとよりやと恐しくも且なつかし。 水向の具物せし中に。木の端を刪りたるに。那須野紙のいたう古びて。文字もむら消 して所々見定めがたき。正しく妻の筆の跡なり。法名といふものも年月もしるさて。 三十一字に末期の心を哀にも展たり

さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

こゝにはじめて妻の死たるを覚りて。大に叫びて倒れ伏す。去とて何の年何の月 日に終りしさへしらぬ淺ましさよ。人はしりもやせんと。涙をとゞめて立出れば。日 高くさし昇りぬ。先ちかき家に行て主を見るに。昔見し人にあらず。かへりて何國の 人ぞと咎む。勝四郎礼まひていふ。此隣なる家の主なりしが。過活のため京に七とせ までありて。昨の夜帰りまゐりしに。既に荒廃て人も住ゐ侍らず。妻なるものも死し と見えて壟の設も見えつるが。いつの年にともなきにまさりて悲しく侍り。しらせ給 はゞ教給へかし。主の男いふ。哀にも聞え給ふものかな。我こゝに住もいまだ一とせ ばかりの事なれば。それよりはるかの昔に亡給ふと見えて。住給ふ人のありつる世は しり侍らず。すべて此里の舊き人は兵乱の初に逃失て。今住居する人は大かた他より 移り來たる人なり。只一人の翁の侍るが。所に舊しき人と見え給ふ。時々あの家にゆ きて。亡給ふ人の菩提を吊はせ給ふなり。此翁こそ月日をもしらせ給ふべしといふ。 勝四郎いふ。さては其翁の栖給ふ家は何方にて侍るや。主いふ。こゝより百歩はかり 濱の方に。麻おほく種たる畑の主にて。其所にちいさき庵して住せ給ふなりと教ふ。 勝四郎よろこびてかの家にゆきて見れば。七十可の翁の。腰は淺ましきまで屈りたる が。庭竃の前に圓座敷て茶を啜り居る。翁も勝四郎と見るより。吾主何とて遅く帰り 給ふといふを見れば。此里に久しき漆間の翁といふ人なり。勝四郎。翁が高齢をこと ぶきて。次に京に行て心ならずも逗りしより。前夜のあやしきまでを詳にかたりて。 翁が壟を築て祭り給ふ恩のかたしけなきを告つゝも涙とゝめがたし。翁いふ。吾主遠 くゆき給ひて後は。夏の比より干戈を揮ひ出て。里人は所々に遁れ。弱き者どもは軍 民に召るゝほどに。桑田にはかに狐兎の叢となる。只烈婦のみ主が秋を約ひ給ふを守 りて。家を出給はず。翁も又足蹇て百歩を難しとすれば。深く閉こもりて出ず。一旦 樹神などいふおそろしき鬼の栖所となりたりしを。稚き女子の矢武におはするぞ。老 が物見たる中のあはれなりし。秋去春來りて。其年の八月十日といふに死給ふ。惆し さのあまりに。老が手づから土を運びて柩を藏め。其終焉に殘し給ひし筆の跡を壟の しるしとして蘋繁行潦の祭りも心ばかりにものしけるが。翁もとより筆とる事をしも しらねば。其月日を紀す事もえせず。寺院遠ければ贈号を求むる方もなくて。五とせ を過し侍るなり。今の物がたりを聞に。必烈婦の魂の來り給ひて。舊しき恨みを聞え 給ふなるべし。復びかしこに行て念比にとふらひ給へとて。杖を曳て前に立。相とも に壟のまへに俯して聲を放て歎きつゝも。其夜はそこに念佛して明しける。寝られぬ まゝに翁かたりていふ。翁が祖父の其祖父すらも生れぬはるかの徃古の事よ。此郷に 真間の手児女といふいと美しき娘子ありけり。家貧しければ身には麻衣に青衿つけて。 髪だも梳らず。履たも穿ずてあれど。面は望の夜の月のごと。笑ば花の艶ふが如。綾 錦に裹める京女臈にも勝りたれとて。この里人はもとより。京の防人等。國の隣の人 までも。言をよせて恋慕ばざるはなかりしを。手児女物うき事に思ひ沈みつゝ。おほ くの人の心に報ひすとて。此浦回の波に身を投しことを。世の哀なる例とて。いにし への人は歌にもよみ給ひてかたり傳へしを。翁が稚かりしときに。母のおもしろく話 り給ふをさへいと哀なることに聞しを。此亡人の心は昔の手児女がをさなき心に幾ら をかまさりて悲しかりけんと。かたる/\涙さしぐみてとゞめかぬるぞ。老は物えこ らへぬなりけり。勝四郎が悲しみはいふべくもなし。此物がたりを聞て。おもふあま りを田舎人の口鈍くもよみける

いにしへの真間の手児奈をかくばかり恋てしあらん真間のてこなを

思ふ心のはしばかりをもえいはぬぞ。よくいふ人の心にもまさりてあはれなりと やいはん。かの國にしば/\かよふ商人の聞傳へてかたりけるなりき

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[1]The Ueda Akinari Zenshu reads 何物にや籟/\と音するに目さめぬ。