University of Virginia Library

六幕目 芳野山道行の場
淨瑠璃「新曲初音旅」 常磐津連中

  • 役名=愛妾、靜御前。
  • 馬士、高名の六藏。
  • 子供、太郎松。
  • 同、おちよぼ。
  • 庄屋、三之助。
  • 佐藤四郎兵衞忠信。
本舞臺、三間の間、一面の淺黄幕。上の方に高札場それより下にかけて板松、 好き所に、これより芳野道と書いた、榜示杭。爰に百姓四人、股 引がけ或ひは脚絆にて、鍬鋤を持ち、こなたに庄屋三之助、尻からげにて、煙管を持 ち、立ちかゝり、話して居る體。馬士唄にて、幕明く。
百姓

ヤレ/\、小旦那、この間は行き逢ひませぬな。


皆々

どこへマアござりました。


三之

イヤ、長谷の町まで用があつて、いま歸りでござるて。


皆々

そりや御苦勞でござりました。


三之

その御苦勞で宿老も、この間は粉になりました。今日も長谷で、鎌倉のお役人樣 にお目にかゝつたが、これからわれが方へ、段々に廻つて行くとある事ゆゑ、イエモ ウ、維盛や若葉の御詮議なら、その事はもう濟んでしまひましたと云つたれば、イヤ /\、今度は義經の妾靜御前の事だといふ事で。


[ト書]

ト云ひながら懷より書き物を出す。


百姓

ヘエ、その靜御前とやらを、どうしますな。


三之

サア、そりやア、マア、讀んで見ると知れるげな。どうでこの村方へも、廻るで ござらうが、お觸れ書のほまち物に、一遍聞いて置かつしやい。


[ト書]

ト書き物を廣げ、逆さまに見る。


皆々

アヽ、モシ/\、それぢやア、逆さまだ/\。


三之

ハテ、そりやア合點だが、こりやアこなた衆が、無筆ぢやアないかと試して見た のだ。


百姓

要らぬお世話だ。


皆々

サア/\、讀んで聞かさつしやい/\。


[ト書]

トせたげる。三之助、困つた思ひ入れ。此うち又、馬士唄になり、向うより六藏、 馬士の形にて、腰へ沓を付け、咥へ煙管にて出で來り、直ぐに舞臺へ來る。三之助を 見付け


六藏

こりやア下市の小旦那、三之助さま、何をしてござります。


三之

オヽ、六藏か。おれが長谷まで行つた歸り道で、お觸れ書を受取つたから、支配 下ではなけれども、この豐浦村の甚太郎は馴染みゆゑ、皆の衆へも結縁のため、それ を讀んで聞かさうと思つてよ。


六藏

そして、そのお觸れは、マア、なんの事でござんすえ。


三之

さればサ、義經のお妾、靜御前とやらが、この道へ來たとの事。捕まへて出せば、 御褒美を下さるげな。委細はこの書いた物を讀むと知れるさうな。


六藏

アノ、そんならそれを讀むと……ドレ。


[ト書]

ト取る。


三之

コレ/\、六藏、おぬしやア馬方で居ながら、それが讀めるか。


六藏

サア、むづかしくない字さへありやア、どうか斯うか讀みますのサ。


皆々

そりやア隅にやア置かれない。


三之

眞中へ出て讀むが好い。


[ト書]

ト引ツ張つて六藏を眞中へ出す。六藏、書き物を披き


六藏

エヘン……淨瑠璃名題、戀と忠義の道行を、新曲初音の旅。


皆々

ヤアヽ。


[ト書]

ト膽を潰す。


三之

イヨ、六藏さま、東西々々。


六藏

淨瑠璃太夫、常磐津太夫誰れ/\、三味線岸澤誰れ誰れ。相勤めます役人。


三之

ハテ、見かけに依らないものだ。


六藏

瀬川菊之丞、坂東玉三郎、坂東三津五郎、座元市村羽左衞門。


皆々

ヤンヤ/\。


三之

みんな讀んだの。


六藏

この位の事はお茶の子だ。併し、この中に、坂東三津右衞門がありさうなものだ が、よい/\、たとへ名は無くつても、靜と見たなら、淨瑠璃へ出かけて、引ツ捕ま へて褒美の金。


百姓

さう巧く行けば好いが。


三之

それ/\、忠信とやらいふ強い侍ひが付いて居るとの事。なまじい手を出して、 怪我でもせぬやうにするがよいぞえ。


百姓

さうだ。觸らぬ神に祟りなし。


皆々

此方は畑の仕事にかゝりませう。


六藏

ハテ、爰らが一六勝負、氣の弱い衆達だ。


三之

そんなら六藏、おれは歸るから、褒美を貰つたら、裾分けをしやい。


皆々

蟲の好い。


三之

サア、そこらまで一緒に行きませう。


[ト書]

ト始終、馬士唄の合ひ方にて、三之助、百姓、捨ぜりふ云ひながら、向うへ入る。 六藏殘つて


六藏

とても、あんなひやうたくれめ等にゆかない仕事。なんでも靜を捕まへて、義經 が在所を訴人すりやア、また褒美。こいつは兩手に旨い物、奇妙。


[ト書]

ト大きな聲して、我れ知らず云ひ。


[六藏]

藤八五文のやうだ。ハヽヽヽヽ。


[ト書]

ト馬士唄になり、こなしあつて、下座へ入る。矢張りこの鳴り物にて、チヨン/ \と高札場板松とも引いて取り、淺黄幕切つて落す。


本舞臺、三間の間、高足の草土手、舞臺先より花道へかけて、土手板、これ に春草のあしらひ。日覆より櫻の吊り枝を下し、この草土手に常磐津連中居並び、こ の道具に納まると、直ぐに淨瑠璃。  
[唄]

[utaChushin] 昔を今になす由も、假名で和らぐ歌姫の、里は芳野の中道や、その名 所も茂りあふ、春の山邊を打連れて。


[ト書]

ト摺り鉦入り、草笛の浮いた合ひ方になり、向うより、太郎松、さら毛の鬘、や つし、手甲、脚絆、草鞋の形にて、鉢卷を締め、鎌を差し、櫻の枝を折り添へし柴を 擔ひ、後よりおちよぼ、同じさら毛の鬘、田舎娘の振り袖を後へ挾み、手覆、脚絆の 形にて、これも柴を脊負ひ、出で來り、兩人花道へ留る。


[唄]

[utaChushin] 氣儘お轉婆、我まゝ育ち、賤の手業も習ふより、馴れた道もせ脇ひら も、水の溜りて岩角木の根、思はず躓きあいたしこ、文にや及ばぬちよと袖引きやれ さ、晩の合ひ圖に目で覺る、鄙の小唄もませた同士、やがて性根に奈良柴に、花折り 添へて、くる/\と、遊びまじくら擔ひ來て。


[ト書]

ト兩人、振りあつて、舞臺へ來り


おち

コレ、太郎松さんお前の花は見事ぢやが、どうぞわたしに下さんせぬか。


太郎

なんの、おちよぼ、それ程好い花持つて居ながら、まだこの花が欲しいかや。


おち

サア、わしが花より、その花が美しいゆゑ、それでアノ。


太郎

そんなら爰で、その花とわしが花とを、蟲拳で


おち

ほんに、こりや好からうわいな。


[ト書]

ト兩人柴を下ろし、互ひに櫻を出して、虫拳をする。直ぐに淨 瑠璃


[唄]

[utaChushin] 都を後にはる%\と、戀と忠義を一筋に。


[ト書]

ト三味線入りの次第になり、向うより靜御前、裲襠の上より抱へを締め、皷を脊 負ひ、市女笠を持ち、銀張りの杖を突いて出て


[唄]

[utaChushin] 靜と云へど人傳の、噂よ杖よ栞にて、心が道を急がれて、早くも君に 青丹よし、奈良の一夜の枕にも、せめて筐の皷の音、可愛い/\の袱紗物、明けて云 はれぬ思ひより、包むに餘る床しさを、いつか/\と遣る瀬なく慕ひ行く手に、やう /\と、辿りてこそは着き給ふ。


[ト書]

ト振りあつて、舞臺へ來り、此うち太郎松、おちよぼ、虫拳をして居て


太郎

わしが勝ぢや/\。


おち

イエ/\、わしが。


[ト書]

ト兩人、花を持つて、云ひかゝり、喧嘩の模樣。靜御前、來かゝり、これを見て、 中へ分け入り



アヽ、コレ/\、何か知らぬが、そのお二人の諍ひを、貰ひませうわいの。


おち

アイ/\、見れば美しいお女中樣が、取さへて下さる事ぢやに依つて


太郎

それ/\、もう喧嘩しやア致しませぬ。


おち

矢ツ張りこれから


太郎

中好し小よし。


[ト書]

ト兩人、指切りをする



それがよい/\。さうして爰から、アノ芳野へは、どれ程あるや。


おち

アイ、これから先は僅かな道。そんならお前は都から、花を見にお出でかえ。



サア。


[ト書]

ト思ひ入れ


おち

初めてお出でのお方なら、お山のあらまし、わたしらが。



ほんに、それが聞きたいわいなう。


おち

そんならお話し


兩人

申しませうか。


[唄]

[utaChushin] 流れては、妹脊の山のなか/\に、詠めもよしや芳野川、越えて六つ 田と夕しでの、神のお好が麓より、咲き初めて百町程、奧の院まで皆櫻。


[唄]

[utaChushin] これは/\と右に取り、四手掛けの宮七曲り、爰で見るのが日本が花、 アレ御船山、藤井坂、景色も一入吉水院[utaChushin] そこらで先を燈籠の辻、見上ぐ るこなたの花矢櫓、うつかり立の尾、子守りの神脊に小櫻おんぶして、あの山越えて 谷越えて[utaChushin] たが岩倉や躑躅が岡[utaChushin] 櫻本には勝手の明神 [utaChushin] 昔花見の幕の内、ころりんしやんの琴のつれ[utaChushin] 天女とやらが袖 振る山、五節の舞とか云ふわいな[utaChushin] お江戸流行りはしん%\舞 [utaChushin] 金峯山には山伏の、逆の峯入り順の峯。


[ト書]

ト誂らへの手踊りになり


[唄]

[utaChushin] 今を盛りとめでたい花が、咲いたよしの[utaChushin] そりやどこに [utaChushin] こちのお山に黄金の花が、やろか一枝家土産に[utaChushin] 嘘であろ [utaChushin] 嘘ぢやごんせぬ、南無藏王權現さんと拜まんせ[utaChushin] さうぢやかえ 有り難や、振りも好い中、中好しの、二人はこれにと云ひ捨てゝ、家路へこそは。


[ト書]

ト兩人よろしくあつて、銘々、柴を擔ひ、下座へ入る。靜御前、後見送り、思ひ 入れあつて



マア、ほんに子供といふものは、話して居ると思ふうち。ても、せうどのない者 ではある。それはさうと忠信どのは、先刻にから何してぞ。それ/\、斯う云ふ折の 道の伽、我が君さまより賜はる皷、せめて心を……オオ、さうぢや。


[ト書]

ト靜御前、包みより皷を取出す。


[唄]

[utaChushin] 帛紗解く/\初音の皷、せめて調べて現にも、三ツ地か長地の道もせ を、遲れ走せなる忠信が。


[ト書]

ト雷序の頭ばかり打ち、直ぐに三味線入りの宮神樂にて、向うより忠信、着流し、 おしよぼからげの形、手甲、股引、草鞋にて、鎧の包みを背負ひ、簑笠を持ち出で來 り、花道に留る。


[唄]

[utaChushin] しやんと出立も、小切り目に、輕い取形、風呂數を、仰せは重き君は 今、彼所に菫咲きまさる、蒲丹英の野を懷かしみ、靜が皷の音に連れて、白茅笹原谷 峯越えて、若葉隱れに歩み來る。


[ト書]

ト振りあつて、舞臺へ來る。靜御前、見て



オヽ、忠信どの、今かいなう。


忠信

これは/\、靜さま、さぞお待遠にござりませう。女中のお足と思ひの外、よう マアおひろひなされまするな。



サア、慣はぬ旅も我が君に、早うお目にかゝりたさ、それゆゑ道も自から。


忠信

イカサマ、さう思し召すもお道理/\。これと申すも侫人どもの、讒言をお用ひ あつて、現在の弟君を、憎ませ給ふ鎌倉どのが聞えませぬて。



サア、それにつけて我が君さまの、芳野にお忍び遊ばされるは、憂きが中にも自 らは、吉瑞であらうかと、心の内で嬉しいわいな。


忠信

ムウ、義經公が、芳野にお出でなさるゝを吉瑞であらうと仰しやるは。



サア、その譯は。


[唄]

[utaChushin] 語るも恐れ大友の、王子の爲に襲はれて、都を遠く清見原、國栖の翁 を頼みにて、芳野に御身を忍ぶ艸[utaChushin] オヽそれよ、暫しは居候ふ置き候ふと て、まさかにも、お茶漬ばかり上げられず、鮎の煮浸し腹赤の御贄、釣の魚より生物 の、ぶゑんのおむすが初物に、ちつくりお箸もかけまくも、山家の縁なればこそ、お 手を枕に寢した時は、冥加ないのもどこへやら、現ない程愛しさに、帶さへ解いて島 田髷、猶いやましの御契り[utaChushin] それより程も夏たけて萩の錦の御旗を、飜へ したる花紅葉、色に心もお互ひに、そこが一目の關ケ原、眞劍勝負と入り亂れ、矢立 さながら雨霰、堪つたものではないわいな、遂に王子は打負け給ひ、天武の御代と太 平に、治まる御代こそめでたけれ。


[ト書]

ト兩人よろしくあつて


兩人

ハヽヽヽヽ。



ほんに氣輕な忠信どの、併し、なんぼ其やうに諫められても、我が君さまは、矢 ツ張り暫しも忘られぬわいなう。


忠信

ハテ、その御辛抱も僅か一日。それまでは、マアマア、これをなと、義經公と思 し召し、お氣をお晴らしなされませ。


[ト書]

ト包みを解いて、鎧を出す。


[唄]

[utaChushin] 姓名添へて賜はりし、御着長を取出し、君と敬ひ奉る、靜は鼓を御顏 と、准へて上に沖の石[utaChushin] 人こそ知らね君と我が、縁は深き堀川に、御所へ 召されしその始め、見上げていつそいつよりも、扇に心春の蝶。


[ト書]

ト唄かゝりにて、靜、扇の手になる


[唄]

[utaChushin] 菜種菜の花咲き亂れ、花に枝葉に假寢の枕、しどけないのが蝶の癖、 女夫らしいぢやないかいな、袖にひらひら、エヽ辛氣らし[utaChushin] 餘所目もほん に白拍子。[utaChushin] 御痛はしや義經公、壽永三年の戰ひも、既に危ふき八島の浦、 こは御大事と兄繼信、矢面にこそ立ち塞がる[utaChushin] オヽ聞き傳ふその時に、平 家の方にも名高き強弓、能登の守教經と、名乘りも敢へずよツぴいて、放つ矢先は繼 信が、胸板發矢と眞逆さま、敢へなき最期に忠臣の、屍は埋めど名は朽ちず、この御 鎧を賜はりしも、皆これ兄が忠義の餘慶君恩などて報ぜんと、筐の品々取納め、いざ させ給への後から、それと馬方六藏が。


[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、下座より六藏出て來て、靜御前を見て、思ひ入れあつて、 後より


六藏

やらぬワ。


[ト書]

ト靜御前にかゝる。靜、恟り振り切る。忠信、ちやつと隔て、靜を圍つて


忠信

こりやア、やらぬとは何をするのだ。


六藏

オヽ、やらないのぢやアない。やるのだ。馬をやらう/\。


忠信

ムウ、そんなら馬をやらうと思つて。


六藏

それサ。これから先は芦原峠、女中さんを乘せてござい。廉くやるべい。どうだ な/\。


忠信

イヤ/\、馬に所望はないて。



それ/\、わしや馬は嫌ひぢやわいの。


六藏

ハテ、さう云はずと女中さん、見れば見る程。


忠信

どうしたと。


[ト書]

トきつと云ふ、六藏思ひ入れ。


[唄]

[utaChushin] さても見事なじよなめき樣よ、豆が出來たらおらが馬に、エヽコレ、 耳の早い奴、腹へ太鼓を、こりやどうも、奈良饅頭より味さうな、その腰付きを畜生 め、どうどうどうどう、どうでごんすと立寄れば。


[ト書]

ト靜の側へ寄るを、忠信引退けて


忠信

イヽヤ、さう口先で乘せかけても、その手には乘るまいワ。


六藏

さう云やアよいワ。この高名の六藏が乘るだけだ。この仕事に乘らずに、先へ行 かれるなら行つて見やれ。落人め。


忠信

なんと。


[ト書]

ト兩人、思ひ入れ。


六藏

義經の妾、靜御前に違ひない。乘せて行つて駄賃より、褒美にするワ。渡して行 け。


忠信

ハヽヽヽヽ。忠信がお供した、靜さまを渡せとは、身の程知らぬ蠅虫めが。


六藏

オヽ、そこを斯うして。


[ト書]

トまた靜御前へ立ちかゝるを、忠信、ちよつと立廻つて。


兩人

ドツコイ。


[ト書]

トこれより所作ダテになる。


[唄]

[utaChushin] 最早お立ちよ小氣味よい程やツつけろ、雪が櫻か櫻が雪か、も一つ杯 引ツかけろ、青に切つてやつてくりよ、浮に浮れて品も柳の宿おじやれ、泊らんせ/ \、派手なよね衆に袖を引かれた。


[ト書]

トよろしく立廻りあつて、六藏が腕を捻ぢ上げ


忠信

イザ、お構ひなく、靜さま。



忠信どの。


[ト書]

ト六藏、ムウと思ひ入れ。


忠信

ござりませい。


[唄]

[utaChushin] 譽れの程を三芳野の、麓を。


[ト書]

ト此うち靜、花道へかゝる。六藏、振り解いて行かうとするを、忠信、引戻して、 ポンと當る。六藏、タヂタヂとなる。忠信、ツカ/\と花道へ行く。ちよつと辭儀す る。六藏見事に宙返りとする。途端、靜、思ひ入れ。


[唄]

[utaChushin] 指してぞ。


[ト書]

ト勢ひ三重にかぶせ、片シヤギリになり、靜御前先に忠信、花道へ入る。



[唄]

[utaChushin] 急ぎ行く。


[ト書]

トあとシヤギリ。