義經千本櫻
幕柱五千本 (Yoshitsune senbon zakura) | ||
六幕目 芳野山道行の場
淨瑠璃「新曲初音旅」 常磐津連中
- 役名=愛妾、靜御前。
- 馬士、高名の六藏。
- 子供、太郎松。
- 同、おちよぼ。
- 庄屋、三之助。
- 佐藤四郎兵衞忠信。
百姓
ヤレ/\、小旦那、この間は行き逢ひませぬな。
皆々
どこへマアござりました。
三之
イヤ、長谷の町まで用があつて、いま歸りでござるて。
皆々
そりや御苦勞でござりました。
三之
その御苦勞で宿老も、この間は粉になりました。今日も長谷で、鎌倉のお役人樣 にお目にかゝつたが、これからわれが方へ、段々に廻つて行くとある事ゆゑ、イエモ ウ、維盛や若葉の御詮議なら、その事はもう濟んでしまひましたと云つたれば、イヤ /\、今度は義經の妾靜御前の事だといふ事で。
[ト書]
ト云ひながら懷より書き物を出す。
百姓
ヘエ、その靜御前とやらを、どうしますな。
三之
サア、そりやア、マア、讀んで見ると知れるげな。どうでこの村方へも、廻るで ござらうが、お觸れ書のほまち物に、一遍聞いて置かつしやい。
[ト書]
ト書き物を廣げ、逆さまに見る。
皆々
アヽ、モシ/\、それぢやア、逆さまだ/\。
三之
ハテ、そりやア合點だが、こりやアこなた衆が、無筆ぢやアないかと試して見た のだ。
百姓
要らぬお世話だ。
皆々
サア/\、讀んで聞かさつしやい/\。
[ト書]
トせたげる。三之助、困つた思ひ入れ。此うち又、馬士唄になり、向うより六藏、 馬士の形にて、腰へ沓を付け、咥へ煙管にて出で來り、直ぐに舞臺へ來る。三之助を 見付け
六藏
こりやア下市の小旦那、三之助さま、何をしてござります。
三之
オヽ、六藏か。おれが長谷まで行つた歸り道で、お觸れ書を受取つたから、支配 下ではなけれども、この豐浦村の甚太郎は馴染みゆゑ、皆の衆へも結縁のため、それ を讀んで聞かさうと思つてよ。
六藏
そして、そのお觸れは、マア、なんの事でござんすえ。
三之
さればサ、義經のお妾、靜御前とやらが、この道へ來たとの事。捕まへて出せば、 御褒美を下さるげな。委細はこの書いた物を讀むと知れるさうな。
六藏
アノ、そんならそれを讀むと……ドレ。
[ト書]
ト取る。
三之
コレ/\、六藏、おぬしやア馬方で居ながら、それが讀めるか。
六藏
サア、むづかしくない字さへありやア、どうか斯うか讀みますのサ。
皆々
そりやア隅にやア置かれない。
三之
眞中へ出て讀むが好い。
[ト書]
ト引ツ張つて六藏を眞中へ出す。六藏、書き物を披き
六藏
エヘン……淨瑠璃名題、戀と忠義の道行を、新曲初音の旅。
皆々
ヤアヽ。
[ト書]
ト膽を潰す。
三之
イヨ、六藏さま、東西々々。
六藏
淨瑠璃太夫、常磐津太夫誰れ/\、三味線岸澤誰れ誰れ。相勤めます役人。
三之
ハテ、見かけに依らないものだ。
六藏
瀬川菊之丞、坂東玉三郎、坂東三津五郎、座元市村羽左衞門。
皆々
ヤンヤ/\。
三之
みんな讀んだの。
六藏
この位の事はお茶の子だ。併し、この中に、坂東三津右衞門がありさうなものだ が、よい/\、たとへ名は無くつても、靜と見たなら、淨瑠璃へ出かけて、引ツ捕ま へて褒美の金。
百姓
さう巧く行けば好いが。
三之
それ/\、忠信とやらいふ強い侍ひが付いて居るとの事。なまじい手を出して、 怪我でもせぬやうにするがよいぞえ。
百姓
さうだ。觸らぬ神に祟りなし。
皆々
此方は畑の仕事にかゝりませう。
六藏
ハテ、爰らが一六勝負、氣の弱い衆達だ。
三之
そんなら六藏、おれは歸るから、褒美を貰つたら、裾分けをしやい。
皆々
蟲の好い。
三之
サア、そこらまで一緒に行きませう。
[ト書]
ト始終、馬士唄の合ひ方にて、三之助、百姓、捨ぜりふ云ひながら、向うへ入る。 六藏殘つて
六藏
とても、あんなひやうたくれめ等にゆかない仕事。なんでも靜を捕まへて、義經 が在所を訴人すりやア、また褒美。こいつは兩手に旨い物、奇妙。
[ト書]
ト大きな聲して、我れ知らず云ひ。
[六藏]
藤八五文のやうだ。ハヽヽヽヽ。
[ト書]
ト馬士唄になり、こなしあつて、下座へ入る。矢張りこの鳴り物にて、チヨン/ \と高札場板松とも引いて取り、淺黄幕切つて落す。
本舞臺、三間の間、高足の草土手、舞臺先より花道へかけて、土手板、これ に春草のあしらひ。日覆より櫻の吊り枝を下し、この草土手に常磐津連中居並び、こ の道具に納まると、直ぐに淨瑠璃。
[唄]
[utaChushin] 昔を今になす由も、假名で和らぐ歌姫の、里は芳野の中道や、その名 所も茂りあふ、春の山邊を打連れて。
[ト書]
ト摺り鉦入り、草笛の浮いた合ひ方になり、向うより、太郎松、さら毛の鬘、や つし、手甲、脚絆、草鞋の形にて、鉢卷を締め、鎌を差し、櫻の枝を折り添へし柴を 擔ひ、後よりおちよぼ、同じさら毛の鬘、田舎娘の振り袖を後へ挾み、手覆、脚絆の 形にて、これも柴を脊負ひ、出で來り、兩人花道へ留る。
[唄]
[utaChushin] 氣儘お轉婆、我まゝ育ち、賤の手業も習ふより、馴れた道もせ脇ひら も、水の溜りて岩角木の根、思はず躓きあいたしこ、文にや及ばぬちよと袖引きやれ さ、晩の合ひ圖に目で覺る、鄙の小唄もませた同士、やがて性根に奈良柴に、花折り 添へて、くる/\と、遊びまじくら擔ひ來て。
[ト書]
ト兩人、振りあつて、舞臺へ來り
おち
コレ、太郎松さんお前の花は見事ぢやが、どうぞわたしに下さんせぬか。
太郎
なんの、おちよぼ、それ程好い花持つて居ながら、まだこの花が欲しいかや。
おち
サア、わしが花より、その花が美しいゆゑ、それでアノ。
太郎
そんなら爰で、その花とわしが花とを、蟲拳で
おち
ほんに、こりや好からうわいな。
[ト書]
ト兩人柴を下ろし、互ひに櫻を出して、虫拳をする。直ぐに淨 瑠璃
[唄]
[utaChushin] 都を後にはる%\と、戀と忠義を一筋に。
[ト書]
ト三味線入りの次第になり、向うより靜御前、裲襠の上より抱へを締め、皷を脊 負ひ、市女笠を持ち、銀張りの杖を突いて出て
[唄]
[utaChushin] 靜と云へど人傳の、噂よ杖よ栞にて、心が道を急がれて、早くも君に 青丹よし、奈良の一夜の枕にも、せめて筐の皷の音、可愛い/\の袱紗物、明けて云 はれぬ思ひより、包むに餘る床しさを、いつか/\と遣る瀬なく慕ひ行く手に、やう /\と、辿りてこそは着き給ふ。
[ト書]
ト振りあつて、舞臺へ來り、此うち太郎松、おちよぼ、虫拳をして居て
太郎
わしが勝ぢや/\。
おち
イエ/\、わしが。
[ト書]
ト兩人、花を持つて、云ひかゝり、喧嘩の模樣。靜御前、來かゝり、これを見て、 中へ分け入り
靜
アヽ、コレ/\、何か知らぬが、そのお二人の諍ひを、貰ひませうわいの。
おち
アイ/\、見れば美しいお女中樣が、取さへて下さる事ぢやに依つて
太郎
それ/\、もう喧嘩しやア致しませぬ。
おち
矢ツ張りこれから
太郎
中好し小よし。
[ト書]
ト兩人、指切りをする
靜
それがよい/\。さうして爰から、アノ芳野へは、どれ程あるや。
おち
アイ、これから先は僅かな道。そんならお前は都から、花を見にお出でかえ。
靜
サア。
[ト書]
ト思ひ入れ
おち
初めてお出でのお方なら、お山のあらまし、わたしらが。
靜
ほんに、それが聞きたいわいなう。
おち
そんならお話し
兩人
申しませうか。
[唄]
[utaChushin] 流れては、妹脊の山のなか/\に、詠めもよしや芳野川、越えて六つ 田と夕しでの、神のお好が麓より、咲き初めて百町程、奧の院まで皆櫻。
[唄]
[utaChushin] これは/\と右に取り、四手掛けの宮七曲り、爰で見るのが日本が花、 アレ御船山、藤井坂、景色も一入吉水院[utaChushin] そこらで先を燈籠の辻、見上ぐ るこなたの花矢櫓、うつかり立の尾、子守りの神脊に小櫻おんぶして、あの山越えて 谷越えて[utaChushin] たが岩倉や躑躅が岡[utaChushin] 櫻本には勝手の明神 [utaChushin] 昔花見の幕の内、ころりんしやんの琴のつれ[utaChushin] 天女とやらが袖 振る山、五節の舞とか云ふわいな[utaChushin] お江戸流行りはしん%\舞 [utaChushin] 金峯山には山伏の、逆の峯入り順の峯。
[ト書]
ト誂らへの手踊りになり
[唄]
[utaChushin] 今を盛りとめでたい花が、咲いたよしの[utaChushin] そりやどこに [utaChushin] こちのお山に黄金の花が、やろか一枝家土産に[utaChushin] 嘘であろ [utaChushin] 嘘ぢやごんせぬ、南無藏王權現さんと拜まんせ[utaChushin] さうぢやかえ 有り難や、振りも好い中、中好しの、二人はこれにと云ひ捨てゝ、家路へこそは。
[ト書]
ト兩人よろしくあつて、銘々、柴を擔ひ、下座へ入る。靜御前、後見送り、思ひ 入れあつて
靜
マア、ほんに子供といふものは、話して居ると思ふうち。ても、せうどのない者 ではある。それはさうと忠信どのは、先刻にから何してぞ。それ/\、斯う云ふ折の 道の伽、我が君さまより賜はる皷、せめて心を……オオ、さうぢや。
[ト書]
ト靜御前、包みより皷を取出す。
[唄]
[utaChushin] 帛紗解く/\初音の皷、せめて調べて現にも、三ツ地か長地の道もせ を、遲れ走せなる忠信が。
[ト書]
ト雷序の頭ばかり打ち、直ぐに三味線入りの宮神樂にて、向うより忠信、着流し、 おしよぼからげの形、手甲、股引、草鞋にて、鎧の包みを背負ひ、簑笠を持ち出で來 り、花道に留る。
[唄]
[utaChushin] しやんと出立も、小切り目に、輕い取形、風呂數を、仰せは重き君は 今、彼所に菫咲きまさる、蒲丹英の野を懷かしみ、靜が皷の音に連れて、白茅笹原谷 峯越えて、若葉隱れに歩み來る。
[ト書]
ト振りあつて、舞臺へ來る。靜御前、見て
靜
オヽ、忠信どの、今かいなう。
忠信
これは/\、靜さま、さぞお待遠にござりませう。女中のお足と思ひの外、よう マアおひろひなされまするな。
靜
サア、慣はぬ旅も我が君に、早うお目にかゝりたさ、それゆゑ道も自から。
忠信
イカサマ、さう思し召すもお道理/\。これと申すも侫人どもの、讒言をお用ひ あつて、現在の弟君を、憎ませ給ふ鎌倉どのが聞えませぬて。
靜
サア、それにつけて我が君さまの、芳野にお忍び遊ばされるは、憂きが中にも自 らは、吉瑞であらうかと、心の内で嬉しいわいな。
忠信
ムウ、義經公が、芳野にお出でなさるゝを吉瑞であらうと仰しやるは。
靜
サア、その譯は。
[唄]
[utaChushin] 語るも恐れ大友の、王子の爲に襲はれて、都を遠く清見原、國栖の翁 を頼みにて、芳野に御身を忍ぶ艸[utaChushin] オヽそれよ、暫しは居候ふ置き候ふと て、まさかにも、お茶漬ばかり上げられず、鮎の煮浸し腹赤の御贄、釣の魚より生物 の、ぶゑんのおむすが初物に、ちつくりお箸もかけまくも、山家の縁なればこそ、お 手を枕に寢した時は、冥加ないのもどこへやら、現ない程愛しさに、帶さへ解いて島 田髷、猶いやましの御契り[utaChushin] それより程も夏たけて萩の錦の御旗を、飜へ したる花紅葉、色に心もお互ひに、そこが一目の關ケ原、眞劍勝負と入り亂れ、矢立 さながら雨霰、堪つたものではないわいな、遂に王子は打負け給ひ、天武の御代と太 平に、治まる御代こそめでたけれ。
[ト書]
ト兩人よろしくあつて
兩人
ハヽヽヽヽ。
靜
ほんに氣輕な忠信どの、併し、なんぼ其やうに諫められても、我が君さまは、矢 ツ張り暫しも忘られぬわいなう。
忠信
ハテ、その御辛抱も僅か一日。それまでは、マアマア、これをなと、義經公と思 し召し、お氣をお晴らしなされませ。
[ト書]
ト包みを解いて、鎧を出す。
[唄]
[utaChushin] 姓名添へて賜はりし、御着長を取出し、君と敬ひ奉る、靜は鼓を御顏 と、准へて上に沖の石[utaChushin] 人こそ知らね君と我が、縁は深き堀川に、御所へ 召されしその始め、見上げていつそいつよりも、扇に心春の蝶。
[ト書]
ト唄かゝりにて、靜、扇の手になる
[唄]
[utaChushin] 菜種菜の花咲き亂れ、花に枝葉に假寢の枕、しどけないのが蝶の癖、 女夫らしいぢやないかいな、袖にひらひら、エヽ辛氣らし[utaChushin] 餘所目もほん に白拍子。[utaChushin] 御痛はしや義經公、壽永三年の戰ひも、既に危ふき八島の浦、 こは御大事と兄繼信、矢面にこそ立ち塞がる[utaChushin] オヽ聞き傳ふその時に、平 家の方にも名高き強弓、能登の守教經と、名乘りも敢へずよツぴいて、放つ矢先は繼 信が、胸板發矢と眞逆さま、敢へなき最期に忠臣の、屍は埋めど名は朽ちず、この御 鎧を賜はりしも、皆これ兄が忠義の餘慶君恩などて報ぜんと、筐の品々取納め、いざ させ給への後から、それと馬方六藏が。
[ト書]
トこの淨瑠璃のうち、下座より六藏出て來て、靜御前を見て、思ひ入れあつて、 後より
六藏
やらぬワ。
[ト書]
ト靜御前にかゝる。靜、恟り振り切る。忠信、ちやつと隔て、靜を圍つて
忠信
こりやア、やらぬとは何をするのだ。
六藏
オヽ、やらないのぢやアない。やるのだ。馬をやらう/\。
忠信
ムウ、そんなら馬をやらうと思つて。
六藏
それサ。これから先は芦原峠、女中さんを乘せてござい。廉くやるべい。どうだ な/\。
忠信
イヤ/\、馬に所望はないて。
靜
それ/\、わしや馬は嫌ひぢやわいの。
六藏
ハテ、さう云はずと女中さん、見れば見る程。
忠信
どうしたと。
[ト書]
トきつと云ふ、六藏思ひ入れ。
[唄]
[utaChushin] さても見事なじよなめき樣よ、豆が出來たらおらが馬に、エヽコレ、 耳の早い奴、腹へ太鼓を、こりやどうも、奈良饅頭より味さうな、その腰付きを畜生 め、どうどうどうどう、どうでごんすと立寄れば。
[ト書]
ト靜の側へ寄るを、忠信引退けて
忠信
イヽヤ、さう口先で乘せかけても、その手には乘るまいワ。
六藏
さう云やアよいワ。この高名の六藏が乘るだけだ。この仕事に乘らずに、先へ行 かれるなら行つて見やれ。落人め。
忠信
なんと。
[ト書]
ト兩人、思ひ入れ。
六藏
義經の妾、靜御前に違ひない。乘せて行つて駄賃より、褒美にするワ。渡して行 け。
忠信
ハヽヽヽヽ。忠信がお供した、靜さまを渡せとは、身の程知らぬ蠅虫めが。
六藏
オヽ、そこを斯うして。
[ト書]
トまた靜御前へ立ちかゝるを、忠信、ちよつと立廻つて。
兩人
ドツコイ。
[ト書]
トこれより所作ダテになる。
[唄]
[utaChushin] 最早お立ちよ小氣味よい程やツつけろ、雪が櫻か櫻が雪か、も一つ杯 引ツかけろ、青に切つてやつてくりよ、浮に浮れて品も柳の宿おじやれ、泊らんせ/ \、派手なよね衆に袖を引かれた。
[ト書]
トよろしく立廻りあつて、六藏が腕を捻ぢ上げ
忠信
イザ、お構ひなく、靜さま。
靜
忠信どの。
[ト書]
ト六藏、ムウと思ひ入れ。
忠信
ござりませい。
[唄]
[utaChushin] 譽れの程を三芳野の、麓を。
[ト書]
ト此うち靜、花道へかゝる。六藏、振り解いて行かうとするを、忠信、引戻して、 ポンと當る。六藏、タヂタヂとなる。忠信、ツカ/\と花道へ行く。ちよつと辭儀す る。六藏見事に宙返りとする。途端、靜、思ひ入れ。
[唄]
[utaChushin] 指してぞ。
[ト書]
ト勢ひ三重にかぶせ、片シヤギリになり、靜御前先に忠信、花道へ入る。
幕
[唄]
[utaChushin] 急ぎ行く。
[ト書]
トあとシヤギリ。
義經千本櫻
幕柱五千本 (Yoshitsune senbon zakura) | ||