義經千本櫻
幕柱五千本 (Yoshitsune senbon zakura) | ||
二幕目 伏見稻荷の場
- 役名==九郎判官義經。
- 武藏坊辨慶。
- 龜井六郎重清。
- 駿河次郎清繁。
- 佐藤四郎兵衞忠信。
- 逸見の藤 太。
- 義經妾、靜御前。
[ト書]
ト奧にて
大勢
エイ/\ワウ。
[ト書]
ト鬨の聲を上げる。
[唄]
[utaChushin] 吹く風に、連れて聞ゆる鬨の聲、物凄まじき景色かな、昨日は北闕の 守護、今日は都の落人の、身となり給ふ九郎義經、。。數多の武士も散り%\になり、 龜井六郎駿河の次郎、主從三人大和路へ、夜深に急ぐ旅の空。
[ト書]
ト好き時分、向うより、義經、紺羽織、胸當、手甲、脛當、毛沓にて、金の采を 持ち出て來り、後より次郎、半切れ胸當、小手脛當の形、重ね草鞋にて出て來る。
[唄]
[utaChushin] 後振り返れば堀川の、御所も一時の雲煙り、浮世は夢の伏見道、稻荷 の宮居に差かくれば、龜井の六郎、遲ればせに馳せ付け。
[ト書]
ト本道より、六郎、半切れ小手、脛當の形、重ね草鞋にて、帛紗包みの鼓を持ち 出で來り、舞臺へ來て
六郎
正しくあの鯨波は鎌倉勢、後を見するも殘念なり。お許しを蒙むりて、一合戰 仕らん。
義經
いやとよ重清、都にて舅川越太郎が云ひし、鎌倉どのゝ憤り、明白に云ひ開き、 卿の君の敢へなき最期も、義經が身の云ひ譯なるに、早まつて辨慶が、海野の太郎を 討つたゆゑ、止む事を得ず、都を開きしは、親兄の禮を思ふゆゑ。この後は猶以て、 鎌倉勢に刃向はゞ、主從の縁もこれ限り。
[唄]
[utaChushin] 仰せに二人も腕撫で擦り、拳を握つて扣ゆる折柄、義經の御後を、慕 ひ焦れて靜御前、こけつ轉びつ來りしが、それと見るより縋り付き。
[ト書]
ト向うより靜御前、前幕の形にて出で來り
靜
エヽ、胴慾な我が君さま。
[唄]
[utaChushin] 暫し涙に咽びしが。
[靜]
武藏どのを制せよと、わたしを遣つたその後で、早御所をお立ちと聞き、二里三 里遲れうとも、追ひ付くは女の念力、ようも/\慘たらしう、この靜を捨て置いて、 二人の衆も聞えませぬ。わしも一緒に行くやうに、執成し云うて下さんせいなア。
[唄]
[utaChushin] 歎けば共に義經も、情に弱る御心、見て取つて駿河の次郎。
次郎
主君にも道すがら、噂なきにはあらねども、行く道筋は敵の中、取分けて落ち行 く先は、多武の峯の十字坊、女儀を同道なされては、寺中の思惑如何あらん。
[唄]
[utaChushin] 透かし宥むる時しもあれ、武藏坊辨慶、息を切つて馳せ着き。
[ト書]
ト向うより辨慶、前幕の形にて、走り出て來り、舞臺へ來て
辨慶
土佐坊、海野を仕舞つて退けんと、都に殘り、思はず遲參仕る。
[唄]
[utaChushin] 云ひも敢へずに御大將、扇を持つて丁々と、なぐり情も荒法師、目鼻 も分かず叩き立て。
義經
坊主、びくとも動いて見よ。義經が手討ちにせん。
[唄]
[utaChushin] 御怒りの顏色に、思ひがけなき武藏坊、はつと恐れ入りにける。
辨慶
この間大内にて、朝方どのに惡口せしとて御勘當、永々出仕せざりしが、靜さま の詫び言で、御免あつたは昨日今日。その勘當のぬくもりが、手の中にほの/\と、 まだ冷め切らぬ其うちに、又もや御機嫌を損なうたさうなれど、辨慶が身に取つて、 不調法せし覺え更になし。
義經
ヤア、覺えないとは云はれまい。鎌倉どのと義經が兄弟の不和を取結ばんと、川 越が實義、卿の君が最期を無下にして、義經が討手に上りし、鎌倉勢をなぜ切つた。 これでも、汝が誤まりでないか。サア、返答せよ。ドヾどうぢや。
[唄]
[utaChushin] はつたと睨んで宣へば、武藏は返す詞もなく、頭も上げず居たりしが。
辨慶
憚りながら、その事を、存ぜぬにてはあらねども、正しく御所の討手として、上 つたる土佐坊、如何に御意が重いとて、主君を狙ふを、まじ/\と、見て居る者のあ るべきか。さある時は日本に、忠義の武士は絶え果てなん。誤まりならば幾重にも、 お詫び言仕らん。如何に御家來なればとて、あんまり酷い叱りやう。これと云ふも我 が君の、漂泊より起つた事。エヽ、口惜しい。
[唄]
[utaChushin] 無念々々と拳を握り、ついに泣かぬ辨慶が、足らぬ泪をこぼせしは、 忠義ゆゑとぞ知られける、靜も武藏が心を察し。
靜
あれ程に云うてぢや程に、どうぞマア、御料簡遊ばして遣はされませいなア。
[唄]
[utaChushin] 和らかな詫び言の、その尾に付いて、龜井、駿河、御免々々と詫びけ れば、義經面を和らげ給ひ。
義經
母が病氣で故郷へ歸りし、四郎兵衞忠信を、我が供に召連れなば、武藏が詫び は聞かねども、行く先が敵となつて、一人にても好き郎黨を、力にする時節なれば、 この度は赦し置く。以後をキツと嗜なみ居らう。
[唄]
[utaChushin] 仰せに辨慶、ハツとばかりに頭を下げ、坊主頭を撫で廻し。
辨慶
これに懲りよ武藏坊。アヽ、靜さま、重ね%\の詫び言、いかいお世話でござ りまする。
靜
マア、お詫びが濟んでめでたい。これからはこの靜が、君の御供をするやうに、 執成し頼む武藏どの。
[唄]
[utaChushin] 思ひ詰めたるその風情。
辨慶
いま詫び言頼んだとて、當り眼な返報、義理にも、アツと申したけれど、この辨 慶その意を得ぬ。御家來さへ後先に、引分れた忍びの旅。落ち付く所は兼ねて聞く多 武の峯、これ以て女は叶はず、夕に變る人心なれば十字坊の所存も計り難し。これよ り道を引違へ、山崎越えに津の國尼ケ崎、大物の浦より御船に召し、豐前の尾形をお 頼みあらうも知れず、それなれば長の船路、猶以てお供はなるまい。フツツリと思ひ 切つて、都にとゞまり、君の御左右を待ち給へ。
[唄]
[utaChushin] 云ふにワツと泣き出し。
靜
ハアヽヽ。
[ト書]
ト泣き落し。
[靜]
今までお側に居た時さへ、片時お目にかゝらねば、身も世もあられぬこの靜。い つ又逢はれる事ぢややら、行く先知れぬ長の旅、後に殘つて一日も、なんと待つて居 られうぞ。如何なる憂き目に逢ふとても、ちつともいとはぬ、武藏どの、連れて行て 下さんせいなア。
[唄]
[utaChushin] 泪ながら我が君に、ひし/\と抱き付き、離れがたなき風情なり、靜 が別れに判官も、目をしばたゝき在せしが。
義經
只今武藏が云ふ通り、行く先知らぬ旅なれば、都に殘り義經が、迎ひの船を相待 つべし……ソレ。
[唄]
[utaChushin] 龜井に持たせし錦の袋、それこなたへと取出し。
[義經]
その品これへ。
[ト書]
ト龜井に持たせし皷を取り
[義經]
これこそ年來義經が、望みをかけし初音の皷、この度法皇より下し給はり、我が 手には入りながら、一手も打つ事なり難きに、兄頼朝を討てとある、院宣のこの皷、 打たねば違勅の科遁がれず、打つては正しく鎌倉どのに敵對も同然、二つの是非を分 け兼ねたるこの皷、身をも離さず持つたれども、また逢ふまでの印とも、思うて朝夕 慰めよ。
[ト書]
ト皷を靜に渡す。
[唄]
[utaChushin] 渡し給へば手に取上げ、今まではさり共と、思ふ願ひの綱も切れ、皷 をひしと身に添へて、かつぱと伏して泣き居たる、龜井の六郎進み出で。
六郎
長詮議に時移り、土佐坊が殘黨ばら、討つて來なば御大事。イザ。
[唄]
[utaChushin] 重清に諫められ、涙と共に立ち給へば、靜は其まゝ我が君の、御袖に 縋り付き。
靜
自ら一人振り捨てられ、焦れ死に死なんより、淵川へなと身を投げて、死ぬる/ \、死ぬるわいなう。
[唄]
[utaChushin] 泣き叫べば、人々も持て餘し。
次郎
過ちあつては我が君の、御名の瑕瑾。
[唄]
[utaChushin] なんと詮方駿河の次郎、立寄つて會釋もなく、取つて引退け。
[次郎]
幸ひの縛り繩。
[唄]
[utaChushin] 皷の調べ引解き、靜の小腕手ばしこく、過ちさせぬ小手縛り、道の枯 木に皷と共に、がんじ絡みに括し付け。
[ト書]
ト皷の調べを解き、これにて靜を括り、皷と共に臺付きの松の木へ繋ぎ
[次郎]
サア、邪魔は拂うたり。イザ。
三人
お立ちあられませう。
[唄]
[utaChushin] いざさせ給へと諸ともに、道を早めて急ぎ行く。
[ト書]
ト義經先に龜井、駿河、辨慶付いて、鳥居の内へ入る。靜殘り
[唄]
[utaChushin] 後に靜は身をもがき、我が君の後影、見ては 泣き、泣いては見。
靜
エヽ、胴慾な駿河どの、情にてかけられた、縛り繩が恨めしい。引けば悲しやお 形見の、鼓が損ねう、なんとせう。解いて死なせて下されいなう。
[唄]
[utaChushin] 聲をばかりに泣き叫ぶは、目も當てられぬ次第なり、落ち行く義經遁 がさじと、土佐が郎黨逸見の藤太、數多の雜兵、銘々松明、腰提灯、道を照らして追 ひ駈けしが、枯木の蔭に女の泣き聲、何者ならんと立寄つて。
[ト書]
ト向うより、藤太、半切れ、小手、脛當の形、大小、襷、鉢卷、重ね草鞋にて出 て來る。後より軍兵四人、弓張り提灯、十手を持ち、出て來り、舞臺へ來て、靜を見 付け
藤太
ヤア、此奴こそ音に聞く、義經が妾の靜と云ふ白拍子。繩までかけて宛行うたは、 巧し/\。この皷も義經重寶せし、初音と云ふ皷ならん。この道筋に判官も、隱がれ 居るに疑ひなし。福徳の三年目、エヽ、忝ない。
[唄]
[utaChushin] 藤太手早く繩切り解き、皷を奪ひ取り、引立て行かんとする所へ、四 郎兵衞忠信、君の御跡慕ひ來て、斯くと見るより飛びかゝり、藤 太が肩骨ひツ掴み、初音の皷を奪ひ返し、宙に引ツ提げ二三間、取つて投げ退け、靜 を圍ひ、ふんぢかつて立つたるは、心地よくこそ見えにけれ。
[ト書]
ト向うより、忠信、半切れ、胸當、小手、臑當の形。重ね草鞋にて出で來り、ツ カ/\と寄つて、藤太を取つて見事に投げ退け、靜を圍ひ、見得。
靜
ヤア、忠信どの、好い所へ、ようマア來て下さんしたなア。
[ト書]
ト喜ぶ。藤太、起上がり
藤太
さては忠信、好き敵。搦め取つて高名せん。者ども、ソリヤ。
軍兵
やらぬワ。
[ト書]
ト取卷く。
忠信
ヤア、殊勝らしい、うんざいめら。ならば、手柄に搦めて見よ。
[唄]
[utaChushin] 云はせも置かず双方より、捕つたとかゝるを引外し、首筋掴んで、え いやつと、右と左へもんどり打たせ、隙間もなく後より、大勢拔きつれ切つてかゝれ ば、心得たりと拔き合せ、茅花の穗先と閃めく刀を、飛鳥の如く飛び越え跳ね越え駈 け廻り、肩身肩骨薙ぎ廻れば、わつとばかりに逃げ退きたり。
[ト書]
ト軍兵皆々かゝる。忠信、立廻り、トヾ軍兵下座へ逃げて入る。遲れて逃げる逸 見の藤太が首掴んで、だうと投げ、足下に蹈まへ
忠信
汝等が分際で、この皷を取らんとは、胴より厚き面の皮、打破つてくれう。
[唄]
[utaChushin] ぼん/\と蹈みのめせば、ギヤツとばかりを最期にて、其まゝ息は絶 え果てたり。
[ト書]
ト忠信、藤太を蹈み殺す。
[唄]
[utaChushin] 鳥居の元の木蔭より、義經主從駈け出でゝ。
[ト書]
ト鳥居の内より、義經、次郎、六郎、辨慶出て
義經
珍らしや忠信。
[唄]
[utaChushin] 仰せを聞くよりハツとばかり、こは存じよらぬ見參と飛び退つて手を 突けば、龜井、駿河、武藏坊、互ひに無事を語り合ふ、忠信重ねて頭を下げ。
忠信
先づは變らぬ君の尊顏、拜し申して拙者も安堵某も母が病氣見舞ひの爲、お 暇賜はり、生國出羽に罷り下り、長々の介抱、程なく母も本腹 いたし、罷り上らんと存ずるうち、君腰越より追ひ歸され、鎌倉どの御兄弟、 御仲不知と承るより、取る物も取り敢へず、都へ歸る道すがら、土佐坊君の討手と聞 き、夜を日についで堀川の御所へ今晩駈け付けしに、はや都を開かせ給ふと、聞くよ りこれまで御後慕ひ、思ひがけなき靜さまの、御難儀を救ひしは、我が存念の屆きし ところ。
[唄]
[utaChushin] 申上れば、御喜悦あり。
義經
ムウ、我れも當社へ參詣して、今の働らきを見屆けたり。鎌倉武士に刃向ふなと、 堅く申しつけたれど、土佐坊討たれし上からは、その家來を忠信が、討つたるとて構 ひなし。今に始めぬ汝が手柄、天晴れ/\。取分けて兄繼信も、我が矢面に立つて討 死したるは、稀代の忠臣その弟の忠信なれば、我が腹心を分けしも同然、今より我が 姓名を讓り、清和天皇の後胤、源の九郎義經と名乘り、まさかの時は判官に、成り替 つて敵を欺むき、後代に名を止めよ。即ち當座の褒美を得させん。
[唄]
[utaChushin] 家來に持たせし、御着長、忠信にたびければ、ハツとばかりに押頂き、 頭を土に摺り付け/\。
[ト書]
ト駿河に持たせし鎧と、忠信の前へ直す。
忠信
土佐坊づれの家來を、追ひ散らせしとあつて、御着長を下し賜はるその上に、 御姓名まで賜はるは、生々世世の面目、武士の冥加に叶ひし仕合せ、有り難う存じ奉 りまする。
[唄]
[utaChushin] 天を拜し地を拜し、喜び涙に暮れければ、判官重ねて。
義經
我れはこれより、九州へ立越え、豐前の尾形に心を寄せん。汝は靜を同道して、 都に止まり、萬事よろしく計らうてよからう……ナニ靜、便りもあらば音づれん。さ らば。
[唄]
[utaChushin] さらば/\と立ち給へば、今が誠の別れかと、立寄る靜を、武藏坊、 龜井、駿河立ち隔て、押隔つれば忠信も我が君に暇乞ひ、互ひに無事をうなづき合ひ、 嘆く靜を押退けて、心強くも主從四人、山崎越えに尼ケ崎、大物指して出で給ふ。
[ト書]
ト義經先に、六郎、次郎、辨慶下座へ入る。忠信、靜殘つて後を見送り、思ひ入 れ。
[唄]
[utaChushin] これなう暫し待つてたべと、行くを制し留むれば、御行方を打守り。
靜
御顏を見るやうで、戀しいわいなう。
[ト書]
ト泣き落す。
[唄]
[utaChushin] 戀しいわいのと地に平伏し、正體もなく泣きければ。
忠信
オヽ、道理々々、さりながら、別れも暫し、この皷、君の筐とあるからは、君 と思うて肌身に添へ、憂さをお晴らしなされませ。
[唄]
[utaChushin] 下し賜はる御着長、ゆらりと肩にひツかたげ、宥め宥めて手を取れば、 靜は泣く/\筐の皷、肌身に添へ、盡きぬ名殘に咽せ返り、涙と共に道筋を、辿り/ \て。
[ト書]
ト忠信は鎧、靜は皷を持つて、兩人花道より入る。
幕
義經千本櫻
幕柱五千本 (Yoshitsune senbon zakura) | ||