University of Virginia Library

五幕目 道行菜種の亂咲

  • 役名==濡髮長五郎。
  • 山崎與五郎。
  • 藤屋吾妻。
  • 娘おてる。
  • 放駒長吉。
造り物、向う一面に野邊の遠見。前は淀川堤の體。一面に菜種の花盛りの體。上手に太夫座を飾る。淨瑠璃、櫻の吊り枝、見事にして幕開く。
[唄]

[utaChushin] 吾妻請け出せ山崎與次兵衞、請け出せ/\山崎與次兵衞、いつか思ひのな、下紐解いて、昔思へば憂や辛や、情なや誰れあらう、山崎與次兵衞さまとては、人に後れぬ亂れ髮、吾妻が顏も見忘れて、現なやとせいすれば、ムウ、其方は藤屋の吾妻かの、オヽ嬉しやなア、お心も鎭まり、お氣が付いたか與次兵衞さま、アレ御覽ぜよ虫でさへ、番ひ離れぬ揚羽の蝶、我れ/\とても二人連れ、好いた同士のなか/\に、お心弱やと諌むれば、ヤアヤア/\、ソレ/\/\、コレ/\/\、この花盛り、よい京女郎ぞと八文字の、道中姿しよてんになづむ、傾城駒めにならひが女房、精出したくいの底ぬけて、影も宿らぬきぬ%\の、親を悲しみ妻を戀ひ、心一つを二品に名乘つて通る時鳥、ぢやが父に似て父に似ぬ、子は色里に初音ふる、かむりは着ねど大盡と、花車がとゞろく口舌の門、遣り手が叩く禿が眠り、みな夢の間の境界と破れば愚痴もなかりけり、吾妻はとかう涙さへ、止めかねたる我が夫の、心の亂れ解けやらぬ、その馴染を繰返し、指を折屋の惣がりに、吾妻太夫主、サアをかし、この人をかしと呼び立てられて、突き出しのまだ恥かしき初座敷、それその時に主さんは、床に寄り添ひにつこりと、笑はしやんした殿御振り、見惚れて落す杯の、くわつと上氣を濟ました顏で、衝立越しに見返りし、縁と縁とが結ぼれもつれ、二人寐る夜の揚句には、口舌の船を楫とる仲居が取りなし、太皷はどん/\段階子、のぼり詰めての戀ひいさかひ、口に任せて詑び言に、なんの事なき一つ夜着、寢物語りは長かれと、思ひ暮らして居るものを、正體もなきお心と、かこち嘆くぞ道理なり。


[ト書]

ト此うち與五郎、狂亂の振り、吾妻介抱して、よろしく振りある。


[唄]

[utaChushin] 春風に、つるゝにあらず連れられて、吹くとしもなき裾かい取り、夫の身の上案じられ、心も爰に荒川の、渡せる縁の橋本を、そつと拔け出で來ながらも、なんと菜種の花の際、打伏す夫を見るよりも、なういとしさと戀しさに、心たどりて走りつき。


[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、向うよりおてる來て、與五郎を見て側へ走り寄つて


てる

申し與五郎さま、お怪我はなかりしか。


[唄]

[utaChushin] あゝ嬉しやと縋り寄る。


[ト書]

ト與五郎に取りついて、泣くを見て


吾妻

オヽ、おてるさま、お前を振捨て、わたし一人が氣儘にしたと思うて、定めし腹が立つたであらう。何を云うてもこの姿、堪忍して下さんせ。


てる

エヽ、ナンノイナア。お二人の揚がり屋入りゆゑ、ハツと思うてこの狂氣。わたしは心にかゝれども、父さんの手前、跡に殘れど氣もそゞろ。人目を忍んで、お跡を慕うて參じました、申し、與五郎さま。


[唄]

[utaChushin] 我が夫戀ひは八雲だち、その神樣の縁結び、そもや初めのその日から、逢ふ瀬も絶えてなか/\に、淺い縁の悲しさは、繋がぬ船のたとへ綱、追うてこがるゝ身の上を、人こそ知らね袖の雨、濡れて音を置く小男鹿の、慕ふわたしが無理かいな、なぜにお心亂れしと、ゆすり起せどこはなんと、正體さへもなかりける。


[ト書]

トおてる、吾妻、取りついて泣く。


[唄]

[utaChushin] これも浮名の菜種畑、楠葉を後に歩み來る、跡をつけ來る捕り手の面々、慕ひ寄れども白絞り、透を見合せヤツと掛け聲、尻目にきつと身構への、その勢ひに氣を呑まれ、堤傳ひに引返す。


[ト書]

ト長吉、向うより出る。後より捕り手、附いて出て、よき所にて十手振り上げる。長吉、振返り、キツと見る捕り手は後へ引返す。この間、長吉、本舞臺へ來て皆々と顏見合せ


長吉

ヤア、おてるさま、吾妻どの。


吾妻

長吉さん。


長吉

先日、橋本にて騷動の砌りより、狂氣におなりなされし與五郎さま、長五郎は人目もあれば、八幡へと落しましたが、あなた方のお身の上が氣遣ひさ、後を尋ねて參りました。


[唄]

[utaChushin] 先づ旦那をと抱き上ぐれば、むつくと起きて。


與五

ヤア、われは蝶。


[唄]

[utaChushin] 蝶々菜の葉にとまりや。


[與五]

ハヽヽヽヽ。


てる

正體もない、この有樣。


吾妻

長吉さんが、來て下さんしたぞえ。


二人

氣を慥かに、持つて下さんせいなア。


[唄]

[utaChushin] 取りつく吾妻が顏打ち詠め、わりや吾妻か、オヽ、めでたい/\、ヒヤ、ぬめた傾城、やつたる物はなに/\、切つた小指に鬢の髮、起請誓紙は數知れず、昨日は吾妻に戀を載せ、今日は筑紫の入れ黒子、燒いた報いは焦熱の、さつても厚皮な三味線の、ちやう/\ちやうと打連るゝ。


[ト書]

ト此うち長五郎、頬かむりにて出る。長吉見て


長吉

オヽ、こなたは長五郎、八幡へ落ちたと思うたに、どうして爰へ。


長五

オヽ、與五郎さまの御病氣も、科を名乘つて出るならば、一時に事は濟む。


長吉

イヤ/\、そりや惡い、長五郎。われが名乘つて出るとな、與次兵衞さまから起つた事と、却つてお家に疵が附く。隱れるだけは隱れるが、矢ツ張り旦那樣のお爲ぢや。


長五

イヤ/\、それでも。


長吉

ハテサテ、コリヤ、長吉が詞を立て、氣遣ひせずと、河内の方へ行け。


[唄]

[utaChushin] 一足も早をちこちの、道筋よりも數多の侍ひむら/\むら、長五郎やらぬと押ツ取卷く。濡髮圍うて長吉が、落ちよ急げと氣をあせり、だんびらひらりと濡髮も、拔いてつれ%\切り立つれば、叶はぬ逃げよと侍ひども、一足出して畔道を、いづくともなく追うて行く。ゆきかふ雲の程もなく、西山に風おこり、東南に向ふ空の足、梢木の葉もばら/\/\。走れば走る、止むれば止まり、狂はぬ袖の亂れ心、命つれなき流れの身、流れ渡りの世の中に、しばし止むる賤が家の、軒を尋ねて惱みけり。


[ト書]

ト捕り手かゝり、長吉長五郎と立廻つて、よろしく追つて入る。跡に與五郎吾妻おてる、よろしくあつて、三重にて、