双蝶々曲輪日記 (Futatsu chocho kuruwa nikki) | ||
二幕目 角力場の場
- 役名==山崎屋與五郎。
- 平岡郷左衞門。
- 三原有右衞門。
- 藤屋吾妻。
- 曳船、外山。
- 仲居、おもん。
- 山崎屋與次兵衞。
- 同手代、庄八。
- 茶店の亭主。
- 關取、放駒長吉。
- 關取、濡髮長五郎。
[ト書]
ト見物の仕出し大勢、出て
仕一
今年の角力は、えらうはずむなう。
仕二
第一に、勸進元の顏がよいてや。
仕三
それ/\、さうして、もう始まつたさうなぞや。
仕四
その筈ぢや。今日は、濡髮と相引とぢやけれど、片やに痛みが出來たに依つて、その代り、西國方の抱へを取らしてくれと、大方の侍ひ衆の所望ぢやに依つて、頭取がだん/\の頼みぢやとて、その屋敷の抱への角力が、取るわいなう。
仕一
そりや、見ものぢや。よからう/\。
[ト書]
ト札賣り、出て來て
札賣
通り札/\。
仕三
なんぼぢや/\。
札賣
れそぢや/\。
[ト書]
ト小算盤にして見せる。
仕一
そりや高い、コレ。
[ト書]
トまた算盤でする。
札賣
滅相な。七日目ぢやわいなう。
仕一
そんなら、これか。
札賣
負けもせい。
[ト書]
ト札を買ふうち、櫓、打ち切り、もや/\云うて木戸口へ入る。
[唄]
[utaChushin] みな/\打連れ急ぎ行く。川風に天幕ひらめく石疊、堅い約束變らじと、藤屋吾妻が物思ひ、浮かぬ君達すゝめ込み、舟の一字の讀み聲や、みな一やうの襠裲は、これぞ龍頭鷁首かと、橋行く人も行きなやむ、曳舟外山が上調子。
外山
もう爰らがよからう。船、着けておくれえ。
[ト書]
ト吾妻、外山、おもん、禿、船より出る。
[外山]
なんと皆さん、角力へ行て押されうより、爰で一つ、呑ましやんせぬかえ。
もん
アヽモウ、太夫主は、酒に醉うて、あの船に寐てなり、なんと、起きなませんかいなア。
禿
この間、浮無瀬で、田舍の侍ひと、與五郎さんとの揉めを、苦にしなましての事ぢやわいなア。
もん
ほんに、その時のもや/\。吾妻主の辛氣がらしやんすも、道理でござんす。
外山
身にかゝはらぬわたし等さへ、苦になつてならぬもの、その筈ぢやわいなう。
もん
ほんにその時は、南與兵衞さんのいかいお世話。あのやうな頼もしいお方に、ちつと與五郎さんも、あやからしたいわいなア。
外山
サイナア、よい所に、南與兵衞さんが居なましたとて、都さんも、大抵喜んで居なました事ぢやないぞえ。あのやうな頼もしいお方と、附合うて居なます都主は、あやかり者ぢやわいなア。
吾妻
サア、その都主が、諸事、呑み込んで居る、案じな案じなと云ひなますれど、とんと氣が浮かんわいなア。
外山
それはさうと、與五郎主は、もう見えさうなものぢやなア。
もん
ほんに、きつい來しませうぢやわいなア。
[ト書]
ト此うち橋がゝりより與五郎、出て來るを見て
[もん]
ヤア、吾妻さん、與五郎さんが、來て居なますわいなア。
吾妻
ほんに、與五郎さん、なぜ遲かつたえ。
與五
先刻にから來て居るけれど、意地惡の郷左衞門や、有右衞門が附き張つて、浮無瀬の意趣を晴らすと。兎角弱い者は、歩に取らるゝと氣味が惡いけれど、長五郎が角力しまひ次第、來るであらうと思うて、待つて居るのぢやわいなう。
もん
そんな事なら、尤もぢやわいなア。
禿一
それ/\、長五郎さんさへ居やしやんすりや、千人力ぢやなア。
禿二
どうぞ早う、濡髮さんが、來てくれなませいでなア。
與五
氣遣ひするな。あの濡髮は、此方の親仁の大氣に入りで、家來筋の者ぢやに依つて、この間から、身請けの事も頼んで置いたに依つて、角力が果て次第に來るけれど、ひよつと果てぬうちに、意地惡めが來おつたら惡いに依つて、舟の中に隱れて居るのぢやわいなう。
もん
そんなら吾妻主、人の見ぬやうに、ちやつと、あの舟へ乘つてなア。合點かえ。
吾妻
そんならアノ、舟へ行く程に、頼んだぞえ。
外山
跡はわたしが、呑み込んで居るわいなア。
吾妻
そんなら、頼んだぞえ。
外山
ソレ太夫さん、貸しますぞえ。
[ト書]
ト與五郎を船へ乘せ、思ひ入れあつて
もん
與五郎さんも吾妻さんも、しつぽりと樂しみなませ。跡の行司は、わたしらが役。
外山
西は、與五郎主/\。
もん
東は、吾妻主/\。
二人
やつと、お取りなされえ。
[ト書]
ト船の障子を締める。
[唄]
[utaChushin] 障子ぴつしやり、流石廓の手だれ者、惡性仲間ぞ頼もしき。
[ト書]
ト内にてハア/\大勢の聲。こちらの船も障子締める。
[唄]
[utaChushin] 東の方から息せきと、歩み來るは與五郎の父親、吾妻からげの山崎與次兵衞、年は六十二か三か、始末親仁の固くな者、荷持ち丁稚も遲れ足、ちんばちが/\、吠え面かゝへ。
[ト書]
ト與次兵衞に手代久三、丁稚附いて出る。
丁稚
申し/\旦那さん、ちと、お休みなされませんか。
久三
肩も足も、堪りませんでござります。
與次
エヽ、きたない奴等ぢや。道ならたつた七八里、山崎から一息。晝休みは北濱のお屋敷。これも立ちながらつい爰まで。それにちよこ/\休んだら、茶の錢が堪らん。幸ひ、爰に茶店がある。そんなら、ちつとの間、休んでやらうか。
[ト書]
ト床几に腰をかける。亭主、茶を持ち出る。
亭主
お茶、上げませう。
與次
イヤ、呑みたうござらぬ。コレ、火を借りるばかりぢやぞや。コリヤ、わいら、咽喉が乾くなら呑め。仇茶を呑むと、腹が損ねるぞ。イヤ亭主、角力は、きつい繁昌ぢやの。
亭主
ハイ、今日は、濡髮と、アヽ、なんとやら云ふ屋敷の、お抱への角力取りが、取る筈でござりまするが、ちと御見物なされませぬか。
與次
オヽ、今日は、濡髮が取り居りますか。
亭主
ハイ、札が六十八文、中木戸が九十八文。
與次
オツと、九十八文とは廉いやうなが、そりや、百二文の事ぢや。アヽ、この和郎はどぎ/\と、算盤をば貸しやれ。
亭主
ハイ/\。
[ト書]
ト亭主、算盤、持ち出る。與次兵衞、眼鏡を出し
與次
サヽ、初手から云うたり。
亭主
札が、六十八文。
與次
ムウ、主從三人ぢや依つて、三八、二十四、三六の十八、これが二百十二文よ。さて、今のどぎ/\したが、中とやらぢやの。
亭主
ハイ、中木戸が九十八文。
[ト書]
ト算盤、置いて
與次
三百六文。
亭主
下棧敷が、七百六十文。
與次
下棧敷が、七百六十文。
亭主
上棧敷は、一〆め八百。
與次
ホイ、一〆め八百。これに酒が小半合、高い依つて、マア五十文、蛸の足一本が八文、三太めが小豆餅が十で十文。久三、わりや、下戸であらうなア。
久三
イエ、酒と餅も下さります。
與次
ホイしまうた。此奴、盜人上戸ぢや。そんなら、また酒、小半合、五十。蛸が八文、惣〆めて三貫百八十二文。ホヽ、恐ろしや。この辛い世界に、大抵で儲けられぬ。この錢を遣はずに、濡髮に遣れば、結構な正月が出來る。まちつと爰に休んで居て、評判聞けば、見たも同じ事ぢや。ドレ、茶を、も一つ下され。
[ト書]
ト此うち向うより白臺に卷き物、青緡、樽、肴、持たせ、庄八と手代二人、駈けて出る。
庄八
エイサツサ/\。
皆々
さゝまめこ。
[ト書]
ト皆々、本舞臺へ來る。
與次
コリヤ/\、庄八めぢやないか。
[ト書]
ト庄八、恟りして
庄八
ヤア、親旦那樣、お前樣、マア、お駕籠にも召しませず、どこへお出でなされます。
與次
ハヽア、やるワ/\。なんぢや、エイサツサ、さゝまめことは、呆れるわやい。與五郎めは、どこに居るぞ。
庄八
イエ、若旦那は。
[ト書]
ト氣の毒なこなし、もぢ/\する。此うち、與次兵衞、船に目を附け
與次
どこに居るぞ、吐かさんか。このマア、自體番頭の權九郎めが、大きなうつそりぢや。今度の爲替の事は、おれが直に來る筈なれど、折り惡う持病ゆゑ、コリヤ、忰ばかりでは心元ない、其方は屋敷の勝手も知つて居れば、附いて行て、見習はせよ。埓が明き次第、連れて戻れ、隙が入る程、大坂の水に味が出來ると、とつくりと權九郎めに云ひ付けしたれば、今日は戻るか、明日は戻るかと、待つても/\いつかな事、この月で丁度、あしかけ三月。人をおこせば、イヤ、屋敷方の御用が出來たの、イヤ、爲替の埓が明かぬわのと、明かねば明かぬやうの議定して、なぜ戻らんぞ。此やうに隙の入るは、大方新町の傾城どもに、鼻毛を讀まれて居るのであらう。エイサツサ、さゝ豆ことは、なんの事ぢや。ヤイ、山崎から爰まで、一人前三十づゝで乘合ひに乘ると、三人で九十。ナ、それ程の錢、惜しむではなけれども、一文でも費えな事に使ひ果せば、金の冥加と云ふもので、思ひ果敢がいかぬものと、みな與五郎めが不便さに、始末を思ふわいやい。内に居れば、うそ高い金魚だらけ。あの金魚が、なんの役に立つ。喰はれもせぬ亂中ぢやの、はりひぢぢやのと、さうして大分の進上物。それがマア、大抵の金目ぢやと思ひ居るか。錢三十の乘合ひにさへ、親はえゝ乘らぬのに、息子どのはあのやうな、御座船に乘り散らし、お山と一緒に酒を呑み、さゝ豆こでもあらうがの。
[ト書]
ト船に目を附け
[與次]
サア、與五郎めを連れて來い。どこに居るぞ。
[ト書]
ト此うち庄八、いろ/\こなしあつて
庄八
ハイ、若旦那は、今朝から角力見物……と仰しやつたけれど、いかう頭痛がして、目が舞ふやうな。これでは堪らぬ、大方親仁樣もお待ち兼ねなされてござるであらう依つて、早う親仁樣のお目にかゝりたいと仰しやつて、駕籠に乘つて、直ぐに山崎へお歸りなされました……ハイ、私しも、お供と申しましたれど、イヤ/\、わしはこの進物を、こりや、おれが遣ふのではない、藏屋敷から言傳かつたのぢや程に、長五郎に渡して、受取を取つて、お藏屋敷へ渡して、後から
[ト書]
トどぎ/\云ふ。
與次
ムウ、なんぢや、與五郎は病氣で、山崎へ去んだか。
庄八
ハイ、お歸りなされてゞござりました。
與次
その進物は、藏屋敷のぢやな。
庄八
左やうでござります。
與次
さうぢやないかよ。
庄八
なんのお前。
與次
マア、そんならそれにしてやらうが、違ひはないかよ。
庄八
勿體ない、口も腐れ。
[ト書]
ト互ひに思ひ入れ。
與次
なんとせう、病氣とあれば是非がない。大方小さいからの、蟲の業であらう。そんなら、おれも直ぐに、夜通しにやつてくれう。併し、此奴等は、おれが足には續くまいし、よいワ、道から辻駕籠で、ぼツ立てう。コリヤ庄八、長五郎に逢うたら、おれも少と用があつて下つたけれど、與五郎が病氣ゆゑ、折れ歸りに去ぬる依つて、角力をしまひ次第、見舞ひがてら來いと云へ。角力も見たけれど、錢もたんと入るし、何やかやで……ナア、おりや、去ぬる程に、此方へ來てから、在所の若い者どもを寄せて、錢なしに取らせて見せう。嫁のお照も待ち兼ねて居る……權九郎に云へよ……オヽ、まだ忘れた。この扇子。
[ト書]
ト腰より拔き出し
[與次]
今朝、おろした十二本の加賀骨、要は象牙ぢやぞよ。これが花ぢやと云うて、長五郎に遣つてくれ。
[ト書]
ト庄八に渡して
[與次]
いよ/\與五郎は、病氣ぢやの。
庄八
ハイ。
與次
進物は、藏屋敷のに違ひはないか。
庄八
ハイ。
與次
エヽ、これ程に。
[ト書]
ト御座船を睨み、庄八と顏見合せ
[與次]
ドリヤ、去なうか。
[唄]
[utaChushin] 慥かにさうと舟の内、肝心かなめの所をば、云はぬ心の親骨に、疊み込んでぞ歸りけり。
[ト書]
ト庄八、ホツと吐息つき
庄八
オホヽ、若旦那、お聞きなされましたか。
與五
聞いた段ではない。
[ト書]
ト船より出る。
庄八
なんと、この進物を、藏屋敷のとは。
與五
天晴れ、作者並木庄八、出かした/\。
庄八
毛蟲の親旦那を、先へお歸し申したれば。
與五
もう怖い事はない。皆來い/\。
皆々
だんないかえ。
[ト書]
ト皆々、船より上がり
外山
ほんに庄八、出來たぞえ/\。
吾妻
ひよつと、與五郎主の首尾が、そこねやうと思うて、癪が發つたわいなア。
もん
ほんにわたしらも、どうなる事と思うたが、首尾よういたも、庄八どののお庇。
與五
今日の褒美に、この文字野が水上げ、汝にさすワ。
禿
こちや、嫌いなア。
外山
ほんに、粹な與五郎さんに似合ぬ、怖い親御さん。
庄八
併し、今のやうに云うて、親旦那をお歸し申したれば。
外山
ほんに、また遲うお歸つたら、お館の首尾が、惡からうぞえ。
與五
サア、そんなら、太夫が身請けを、今夜中にせにやならんやうになつたと、濡髮に云うてくれいよ。
庄八
畏まりました。そんなら、この進物を、早う關取へ。
與五
オヽ、早う、持つて行け/\。
[ト書]
ト内にて大勢の聲になる。
庄八
サア、みな來い/\。
[ト書]
トみな/\、木戸へ入る、ト返し、右の道具、觀音開きになる。
造り物。東西、棧敷。まん中、土俵、四本柱に弓、化粧紙、桶、水呑み、よろしく。行司二人、土俵際に居る。右、道具、とまると、觸れ拍子木、打つて廻ると、行司、眞中へ出て
行司
東西々々、抑も角力の始まりは、人皇十一代、垂仁天皇の御時、當麻の蹴速、野見の宿禰、大内にて力くらべありしより始まりたり。それより、代々の帝に傳へ、今に絶えせぬ花の都には、松の尾の御神事とて、毎年八月二日の勝負、東には、山王の御神事に角力を始めるその謂れ、畏き御代の例しなり。昔を今に浪花津や、賑ふ春の花角力、四本の柱は四天王、土俵の數は十六俵、十六羅漢を表したり。出で入る息は阿[kuun] の形、組打つ表裏の始まりなれば、臺座一面、御神妙に御一覽下さりませう。
[ト書]
トこれより土俵入りになり、角力、だん/\あつて、トヾ放駒、濡髮と名乘りを上げる。皆々捨ぜりふありて、濡髮長五郎、放駒長吉、二人、よろしく土俵へ上がり、こなしあつて、キツと見得。これにてよろしく返し。
元の木戸になり、鯨波の聲、櫓太鼓になり、見物の仕出し、群衆のこなしにて、押し合ひ/\出る。此つまりに長吉、郷左衞門、有右衞門、仕出し大勢、附き出て、皆々、手を打つて入る。
郷左
アヽ關取、手柄々々。
有右
放駒、けうとい/\。イヤ、郷左どの、吾妻が身請けの儀も、埓の明く瑞相。與五郎めが腰押しの濡髮に、勝つてくれたは、めでたいめでたい。なんと祝うて、一つたべませうか。
郷左
拙者が思ふ坪、飛び入りと云うては、濡髮が立ち合ぬは定のもの。そこをぬからず、一人の長吉を抱への角力、放駒と僞はり、名乘りを上げたればこそ、今の角力、勝つたる手柄。いよ/\太夫が身請けの世話も、頼むぞや。
長吉
成る程、諸事、私しが呑み込んで居りまする。濡髮濡髮と、えらう贔屓して、相手になる者もないやうにも申しましたが、立合つて見れば、ヘエヽ、見ると聞くとでござりますてや。
郷左
なんでも、この勢ひに。
長吉
イヤ申し、爰は往來、諸事は座敷で。
郷左
如何にも/\。
有右
サア、關取。
長吉
サア、ござりませ。
[ト書]
ト角力取の唄になり、郷左衞門、有右衞門、長吉を煽り立て向うへ入る。與五郎、木戸より出かけ、聞いて
與五
なんぢやい。そないに、なんで褒めくさるのぢや。コリヤ、なんぼう角力取りが勝つても、太夫は矢ツ張り嫌がつて居るわい。なんぢや阿房らしい。エヽモウ、とつと氣の濟まぬ。
[ト書]
ト床几に腰をかける。
[唄]
[utaChushin] 思案にくれて居る所へ、木戸口より濡髮の長五郎、評判一の角力髮、大郡内の肥り肉、鮫鞘流石關取と、一際目立つ男振り、與五郎見るより。
[ト書]
ト木戸口より、長五郎出る。
[與五]
長五郎か、待つて居た。マア/\、掛けや/\。
長五
オヽ、若旦那、これにござりましたか。
與五
これにどころか、今のはなんぢやいの。なんの事ぢやいなう。
長五
これはしたり、後も先も仰しやらずに。ハヽヽヽヽ……イヤ、コレ、茶屋の、ちやつと頼みませう。
亭主
ハイ/\、御用でござりますか。
長五
アヽ、大儀ながら、こなんは今、あそこへ行た放駒を、ちやつと呼んで下んせ。
亭主
ハイ/\。
[ト書]
ト行かうとする。
長五
イヤ、コレ/\、わしがと云はず、誰れやら、急にお目にかゝりたいと云うて居らるゝと、云うて呼んで下んせ。
亭主
ハイ/\。
[ト書]
ト向うへ入る。
長五
返事聞かして下んせ、待つて居るぞや。
[ト書]
ト云ふうち、與五郎、ウロ/\して
與五
コレ長五郎、マア爰へ、おぢやいの、マア、かけやいなう。
長五
イヤ、これがようござります。
[ト書]
トちよくぼつて居る。
與五
コレ、今日の始末は、なんぢやぞいの。なぜ放駒とやらを、突き出してしまやらんぞいの。突いて轉けにや、脇の下へ手を入れて、こそぐつてなりと、かきつくなりと、其方の得手に差し込んで、なぜボイと轉かしやらぬ。とつと、郷左衞門や、有右衞門めが譽めくさる。腹が立つて/\、いつそ出て、存分云うてと思うたけれど、あつちは強し、おれは弱し。さうして、吾妻を身請けする、瑞相ぢやと云ひ居つたが、大事ないかや。
長五
ハテ、お氣遣ひなされまするな。角力は放れ物、勝つたが勝ちにならず、負けたが、負けにも立ちませぬ。また強い者が、常住勝つ事なら、見に來る人は一人もござりませんわいの、ハヽヽヽヽ。それはさうと、先刻に庄八どんに逢ひまして、親旦那の事も、殘らず承はりましたが、マアお前樣は、後までお歸りなされませ。太夫どんの身請けは、例へ五日十日、隙が要つても、濡髮が呑み込みました。外の手へ遣る事ぢやござりませんわいの。
與五
そんなら、よいかや。
長五
ハテ、わしに任して置かしやりませ。
與五
だんないかや。
長五
ハア、わしが母者人は、お前樣の母御樣の、お召仕ひなりや、わしの爲には、大切なお主のお前。殊に、大恩を請けました、親旦那の思し召しもあれば、この長五郎の命のある内は、吾妻どんの事、世話せいで、なんと致しませう。その段は、大船に乘つたと思うてござりませ。
[ト書]
ト亭主、向うより戻り來て
亭主
申し/\、放駒さんが、爰へお出でなされてゞござりまする。
長五
オヽ、大儀でごんした。ま一遍頼みたい。
亭主
ハイ/\。
長五
此お方を、新町へ送つて上げまして下んせ。
亭主
ハイ/\。
長五
申し若旦那、お前はマア、先へお出でなされませ。
與五
イヤ、行かれん/\。
長五
なぜでござります。
與五
ハテ、濡髮と放駒との出合ひに、おれが居いでは濟まぬて。
長五
ハヽヽヽヽ、お前がござつては、結局、邪魔になりますわいの。
與五
ムウ、それもさうかい。
長五
氣遣ひせずと、ござりませ。
與五
そんなら、行かうか。
長五
追ツつけわしも參じます。
與五
待つて居るぞや。
亭主
サア、お出でなされませ。
[ト書]
ト與五郎、捨ぜりふにて行きかける。
長五
頼みますぞや。
[ト書]
ト與五郎、花道にて、こなしあつて
與五
なんと濡髮は、よい關取ぢやなう。
亭主
左やうでござります。わたしは、大贔屓でござります。
與五
貴樣、贔屓か、アノ、ほんまに贔屓か。
[ト書]
ト嬉しさうにして、我が腰提げを外し
[與五]
これ遣らう、提げて下んせ。
亭主
これは、有り難うござります。
[ト書]
ト喜び、戴く。
與五
あゝして居る所を見やんせ、好い男ぢやの。
亭主
イヤモウ、土俵へと上がつた所は、鬼でも敵ひませぬ。
[ト書]
ト追從らしう云ふ。
與五
エヽ、鬼位が敵ふもんかいの。凡そ、鎭西八郎この方の前髮ぢやて。
亭主
イエ/\、まつと強うござりまする。
與五
強いなア。
[ト書]
トなんぞ遣りたいと云ふ思入れあつて、羽織を脱いで
[與五]
これ、着やんせ。
亭主
これは有り難い。サア、お出でなさりませ。
[ト書]
ト與五郎、亭主が腰に提げて居る手拭にて頬かむりをして
與五
お前、先へ行て下んせ。
亭主
そりや申し、なぜでござります。
與五
關取が負けたので、わしや、顔が恥かしい。
[ト書]
ト亭主を先に立て、頬かむりして、後に附いて行く。
[唄]
[utaChushin] はや黄昏の濱側や、茶店目當に放駒、慥か爰らと見廻せば。
[ト書]
ト向うより長吉、一散に走り出る。
長五
オヽ、これは御苦勞。サア、爰へ/\。
長吉
ムウ、ちやつと逢ひたいとは、關取、こなんでえすか。
長五
成る程、ちと、こなんに頼みたい事もあり、また外に話さねばならぬ事もあり。サア、マア、爰へ/\。
[ト書]
ト扇子にて、塵を拂ふ。
長吉
アイ、そんなら、許さんせ。
[唄]
[utaChushin] 互ひにおれそれ床几に並び、腰うちかける前髮同士、四角な十の二枚もの、すは事こそと見えにけり。
[ト書]
ト兩人、よろしく、こなしある。
長五
イヤ長吉どん、名はせき/\聞き及んで居れど、しみじみ逢うたは今日の角力。さて、強い身あん梅、小手の利きやう。
長吉
ヘヽヽヽヽ、なんとごんすやら。
長五
イヤモウ、達者な事ぢや。けうといもんぢや。
長吉
アイヤ關取、何やら、話したい事があると、人をおこさんしたは、その事でごんすか。
長五
イヤ/\、頼みたい事と云ふは、外でもない、今日の棧敷のお客な。お侍ひ樣さうなが。
長吉
アイ、さうでえす。それが、なんとしたな。
長五
イヤ、なんともせんが、其お客がこの間、新町の藤屋の、吾妻を身請けの相談。その吾妻どんには、先から馴染み、即ちわしが親方筋の人でごんすが、イヤモウ、若い人なり、殊に部屋住みゆゑ、身請けの金事。サ、マア、我が物で我が物にならぬゆゑ、無茶苦茶とした事でごんすぢやが、金の工面するとても、マア四五日はかゝる。其うちこなんのあのお客に請け出されては、とサア、そこが今の若い同士なり、なんぞ云ひ交した詞が立たぬとやら、なんぢややら、マアあるさうな。そこで、わしは家來筋の事なり、コリヤ濡髮、彼方へ遣つては、おれが立たぬ程に、われが先の客に逢うて、斷わり云うて、此方へ請け出させてくれと、イヤモウ、ほんの子供のやうな、若い、お人。わしぢやと云うて、其お侍ひに近付きではなし、どうせうぞと思ふ折から、こなんと今日の立合ひ、これは幸ひ、若い同士、大坂同士、其お客のお氣に立たぬやうに、そこをナア、コレ、どうぞ、こなんが。
長吉
イヤ、コレ/\關取、こなんの今、云はんす親方筋とは、山崎の與五郎どんの事でごんすか。
長五
よう知つて居やんすなう。
長吉
アイ、知つて居ります。その與五郎どんの事について、吾妻どんの身請けの相談、わしも成る程、侍ひ衆に頼まれて、金の工面するうち、與五郎どんに、請け出されては立たぬ程に、長吉頼む、金の才覺する間、他人に遣るな。殊に、向うは濡髮が肩持つ程に、われを頼むと頼まれました。わしも又、與五郎どんとやらと、吾妻どんばかりなら、侍ひ衆に斷わり云うて、イヤ、そんな世話は嫌でござりますと、云ふまいものでもなけれども、なまなが濡髮が肩持つと云うては、どうやらわしが、關取が強さに、へりつかうと思はれても面倒さに、また友達仲間へも、そんなものぢやごんせぬかい。
長五
ムウ、天晴れ男……ぢやが、そこぢやて。
長吉
どこでえす。
長五
サア、そこが男同士。平押しに頼みたい事があればこそ、今日の角力に、放駒と名乘りを上げたを見れば、長吉どん、こなんぢや。これは、よい所ぢやと思うたに依つて、四の五のなしに立合うたはな、行司がヤツと團扇を引くと、こなんが存分に差し込んで、右の肩へズルズル/\。コリヤ、大概。
長吉
コレ/\關取、そんなら何かいの、この長吉に、その事を頼まうばつかりに、今日の角力は、よいやうにしたと云ふのか。
長五
イヤ/\、さうではない、さう聞くと。
長吉
イヤ/\/\、振つたのぢや、振りあがつたのぢや。なんで振り居つたい。おれも面妖な。貴樣は評判の取り手。どうで子供なぶるやうにするであらう。おのれ、左差いたら、喰ひついてなりと、やつて見ようと思ひの外、ヤツと云ふと、ズル/\/\と持つて出た。其うちに團扇は上がるし、ハテ、合點のゆかぬと思うたが、振つたのぢやなア。投げるなら、どつさりと投げて、投げ殺して置いて、さて長吉、斯う/\ぢやと、なぜ改めて、頼まんのぢや。人に物遣つて、後から金の無心云ふやうな、むさい長吉ぢやごんせぬ。慮外ながら、關取にも似合ひませぬなう。
長五
ハテ、さう云はんすと、いかう出入りがむづかしいなア。
長吉
むづかしけりや、どうするえ。
長五
さればいの。與五郎どんとその侍ひとが、めつきしやつき。こなんとおれとが達引も、まだ半分道も行かぬうちに、爰で互ひに云ひ合うたり、ぶつたり踏んだりするは、ほんの喧嘩の地取りするやうなもの。そちらの身請けも今日明日に、埓が明くでもなさゝうな。すりや、[gengen] 四五日のところ。ハテ、こちらも二三日のうちには、埓する筈。どうぞこなんを頼む、そちらの金の
長吉
ヱヽ、どしつこい。其やうな工面師か、もがり者の云ふやうな事は、嫌ぢや。叶はぬまでも、その時になつたら腕づく。もがり商賣は、嫌でごんすわいなう。
[唄]
[utaChushin] と、やり込める。
長五
長吉どん、イヤ長吉よ。あまり頤が、あがき過ぎるが。與五郎どんの事については、長五郎が命でも、進ぜにやならぬ筋がありやこそ、男が手を下げて、われを頼むぢやないかい。
長吉
それをおれが、知つた事かい。
長五
サ、知らぬに依つて、云うて聞かすのぢや。
[ト書]
ト合ひ方になり
[長五]
もう頼まん。聞分けのない者に、もの云ふは、ほんの放れ駒の耳に風。隨分侍ひの、腰押せよ。
長吉
知れた事、これから内の商ひも構はず、姉貴に勘當しられうとまゝ、隨分貴樣の、邪魔せうかい。
長五
ホオ、侍ひが拔いて切りかけうが、何奴が拔いてかからうが、額に濡髮、鎖鉢卷きよりは、慥かな受け手、ちつと切り憎からうかい。
長吉
まだ鞍味知らぬ放れ駒。人中で、馬乘りに遭うた事がない。珍らしう、踏まれて見ようかい。
長五
見るかよ。
長吉
見ようかい。
二人
サア/\/\。
[唄]
[utaChushin] 互ひに惡口睨み合ひ、思はず持つたる茶碗と茶碗、手に持ちながら立ち上がり。
長五
コリヤ長吉、物事が、この茶碗のやうに、丸う行けば重疊。
[ト書]
ト手の中にて茶碗を割る。
長吉
それも、斯う割つてしまへば。
[ト書]
ト茶碗を打ち割る。
長五
接がれぬ角菱。
長吉
濡髮。
長五
放駒。
二人
重ねて逢はう。
[唄]
[utaChushin] 別れてこそは。
[ト書]
ト三重にて、
幕
双蝶々曲輪日記 (Futatsu chocho kuruwa nikki) | ||