University of Virginia Library

四幕目 橋本の場

  • 役名==橋本次部右衞門。
  • 山崎屋與次兵衞。
  • 山崎屋與五郎。
  • 藤屋吾妻。
  • 次部右衞門娘、おてる。
  • 下女、おしも。
  • 同、おゆき。
  • 駕籠の太助。
  • 駕籠の甚兵衞。
  • 放駒長吉
造り物、三間、二重舞臺。見附け、重ね戸棚、納戸口。上手、折り廻り、障子屋體。橋がゝり、藪垣に塀。いつもの所に門口。幕の内よりおてる、蒲團の上に脇息にもたれ、二枚屏風、側に下女おしも、おゆき、附いて、本の繪を見せて居る。淨瑠璃にて幕開く。
[唄]

[utaChushin] 思ひなくて薮入りしたれ親里に、與五郎が嫁おてる、去らるゝとなく去るとなく、呼び戻されて明暮れに、辛氣辛氣のぶら/\病、頼む床にはつかねども、つれなき床もなつかしき、お氣のもつれを慰さめんと、下女が按摩も話し伽。


ゆき

コレ/\、おしもどの、この間、御寮人樣のお供をして見に行た芝居は、面白い事であつたなう。


しも

ほんに、その時の藝題は、傾城淺間嶽、江戸役者の中村七三と云ふ色事師、なんと、好い男ではないかいなう。


ゆき

その相方の奧州と云ふ傾城になつたは、なんとやら云ふ、女形であつたなう。


しも

ても、物覺えの惡い人ぢや。それは、岩井吾妻と云ふ女形ぢやわいなう。


ゆき

オヽ、その、吾妻々々。ほんに、美しい女形であつたぞえ。


しも

サア、吾妻も好い傾城なり


ゆき

七三も、よい殿御ぢやに依つて、どちらも、惚れる筈ぢやわいなう。


しも

わしらも、どうぞあのやうな、面白い色事が、して見たいわいなう。


兩人

ホヽヽヽヽヽヽ。


[唄]

[utaChushin] 笑ひほころぶ戀ばなし。


てる

二人とも、聞いて居れば、この間見た芝居の話し。吾妻と云ふ名で、太夫になれば、與五郎さんの惚れてござる、藤屋の吾妻も同じ事。よう似た事も、あるものぢやなア。


ゆき

ほんに、御寮人樣の仰しやる通り、同じ名の吾妻でも、藤屋の吾妻は大膽者。


しも

それ/\、與五郎さまをたらし込み、御夫婦の仲を割くとは、エヽ、憎らしい傾城づら。


ゆき

お前樣も、少つと又、悋氣なされたが、ようござりますわいなア。


てる

アノ、云やる事わいなう。悋氣嫉妬は、女の嗜なみ。併し、傾城と云ふものは、人の心を迷はして、殿達が可愛がりなさるゝは、ほんにどのやうにすれば、殿御に思はるゝ事ぢやぞや。わしや、その傾城が、見たいわいなう。


[ト書]

ト泣く。兩人、こなしあつて


しも

アヽ又どうやら、鬱陶しい日和になつた。


ゆき

此やうに暖かいのは、また雨であらう。


しも

ちやつと、張り物を、取入れてしまはう。


ゆき

貞庵さまの加減の藥も、一番が上がる時分。


しも

ちやつと御寮人樣に、上げましたが、よいわいなう。


ゆき

合點ぢやわいなう。ちと、お休みなされませ。


しも

お枕も、爰にござります。


[ト書]

ト蒲團を着せ、枕を渡し


兩人

ドリヤ、奧を片附けう。


[唄]

[utaChushin] 云ひ損なひの出直しに、お藥あげうと立つて行く。


[ト書]

ト在郷唄になり、向うより甚兵衞、太助、駕籠舁きにて出て、花道にて


甚太

オツと、杖ぢや。


太助

なんと、重いもんぢや。


甚兵

二十六貫もあらうかい。


太助

オヽ、あるとも/\。旦那が十四五貫目、女中さんが十二貫目、慥か牧方から橋本までを、げんこの相輿とは廉いものぢやなア。


甚兵

オイヤイ、勘六や喜兵衞めが、鬮に當つたらへたり居らうぞい。


太助

まだ親仁は達者なゝう。


甚兵

仕込みが違ふわい。


太助

また自慢をするわい。


甚兵

サア、ヤレ/\。


[ト書]

ト本舞臺へ來り、橋がゝりにて


[甚兵]

藪垣のある所とは、大方爰らであらう。


[ト書]

ト駕籠へ聞くこなし。


[甚兵]

ハイ/\、爰ぢやわい。


[ト書]

ト駕籠を下す。中より與五郎吾妻出る。


[甚兵]

お召し物/\。


與五

辻駕籠は狹うて、腰も肩も、ムリ/\云ふ。ヤレヤレ、しんどや/\。ドリヤ、ちつと歩いて、休まうか。


吾妻

オヽ笑止、なに云ふぢやいなア。


與五

ちつと仇口なと云はにや、氣が盡きて堪らん。なんと太夫、斯う二人、差向ひに乘つた形は、女雛男雛の筥の内、寐卷形の内裏雛とは、なんと見立ては、どうぢやどうぢや。


[唄]

[utaChushin] 駈落ちしても減らず口、面白病は一盛り、橙にてや直るらん。太助は空駕籠ふりかたげ。


太助

サア甚兵衞、去なぬかい。


甚兵

ハテ、忙しない。マア、一服せいやい。


太助

イヤ、おりや氣が急く。先へ去ぬる程に、わが身が算用してもらうて、後から戻りや。


甚兵

オヽ、そんなら、さうしや。


太助

酒手も、よいやうに頼むぞや。


甚兵

ハテ、えいわい。


太助

旦那、お願ひ申します。


[ト書]

ト駕籠をかたげ、橋がゝりへ入る。


與五

時に太夫、どうせうぞ。アヽ、どうやら云ふのであつたなう。


吾妻

それをわたしに、なんの談合。奧樣も戻つて居なさるぢやないかいなア。


與五

サア、その戻つて居るのが、氣もたぢやてや。


吾妻

ぢやてゝ、どうで逢ひなされにや、濟むまいがな。


與五

濟まぬ/\。濟まぬ心のうちにも暫し、すむはゆかりの月の影。


[ト書]

ト諷ひ/\甚兵衞と顏見合せ


甚兵

ドリヤ、木蔭で、一服下さりませう。


[ト書]

ト藪蔭へ入る。


與五

ハヽヽヽヽ、親仁め、粹ぢやなア。エヽ、此方の親仁もあの位に氣を通せばよけれども、朝から晩まで、算盤離さず。六ちんの三ちん、二ちんも三ちんも、いけんやうになつたわい。


吾妻

そないに入り兼ねて居なさるうち、もし誰れぞに見付かつたら。


與五

それを機に、入る思案ぢやて。


[ト書]

トつか/\と行て


[與五]

頼みませう……と云はうか……コレ、わが身は……ヂツとそこに居や、どこへも行きやんなや。


吾妻

アイ/\。


[ト書]

ト與五郎、入り兼ね、内を覗き


與五

ハア、あそこに寢て居るは、われが奧樣、よしよし。


[唄]

[utaChushin] 幸ひあたりに人はなしと、つか/\入る枕元、どし/\と足音に、ふつと目覺めて見合す顏。


[ト書]

ト與五郎ズツと内へ入り、そこに本を置き、寢て居るおてるに打ちつける。これにて目を覺まし。


てる

ヤア、與五郎さま、ようマア、なんと思うて。


與五

なんと云うたら、わが身に逢ひに來たのぢや。


てる

ナニ、嘘ばつかり。が例へ嘘でも、そんなお詞は、聞き初めの、聞き納めでがなござんせう。


與五

エヽ、幸先の惡い事を云ふ人ぢや。さうして、舅太夫は留守か。


てる

父さんは、奧に御寐なつてござるわいなア。


與五

寐て居らるゝか。嬉しや。マア半分落ちついた。


てる

さうしてマア、お供には、誰れが參じましたえ。


與五

イヤ/\、供はないが、連れがある。


てる

お連れは、どなたぢや。此方へお入りなされませ。


[唄]

[utaChushin] 挨拶ながら表の方、ちらと素振りを見て取る廻り氣。


[ト書]

ト表の吾妻を見て、思ひ入れ。


[てる]

與五郎さま、聞えませぬ。お氣に入らぬは、わたしが科。例へ幾日お宿にござらぬとて、これまでついに一度、なんとも申した事はござりませんぞえ。わたしより堅いは父さんが、親の與次兵衞にあやまらさにや、なんぼでも戻しはせぬと云はしやんすゆゑ、去にたうてならぬけれど、去ぬる事のならぬを、悋氣で去なぬと思うて、お腹の立つのかえ。その當てつけに吾妻どのを、連れて來て、これ見よがしのなされ方。わたしは近づきになりもせうが、父さんは、どこで立ちませうぞいなア。昨夜も讀んだ本の中、悋氣も少しは愛想ぢやと。


[唄]

[utaChushin] 書いてはあれど、怪我な事。


[てる]

思ひもせにや、申しも致しませぬ。わたしばかりか父さんまで、それ程お前は、憎いかえ。


[唄]

[utaChushin] お胴慾なと恨み泣き、側で聞き居る夫より、洩れ聞く吾妻が切なさは、身を悔むより外ぞなき。


[ト書]

トおてるの脊中を撫でる。吾妻、門口より見て居て、嫌ぢやと云ふ事する。與五郎、飛び退き、ちやつと上手へ行く。


與五

さう思やれば、腹の立つは尤もぢやが、全く其やうな機嫌ぢやない。おりや、匿まうてもらひに來た。どうぞ匿まうてたも。コレおてる。


てる

そんなら、父御さまの御機嫌でも、損ねましたかえ。


與五

イヤ/\、親仁は知らぬけれど、内へは去なれぬ譯は、あそこに居る、あの吾妻を、外から請け出さうと云ふ客があつて、どうも濟まぬ譯で、廓を連れて、駈落ちしたのぢやわいなう。


てる

そんなら、廓を拔けて。それでは、關破りとやらになりますぞえ。


與五

サア景清は牢破り、吾妻は關破り。見附けられて濟まず、内へは猶連れて去なれず、なんと、清少納言で、鳥の空音ははかるとも、世に大坂の關取りは、おれゆゑに難儀する。誰れを頼まう所もない身の上。頼むと云ふはわが身ばかり。舅どのへ沙汰なしに、こつそり二人を、匿まうてたもらぬか。


[ト書]

トおてる、思案して居る。


[與五]

コレ、どうぢやいの。物を云やいなう。


[ト書]

トおてる、顏を上げる。


[與五]

得心で、匿まうてたもるか。


[唄]

[utaChushin] 急く男には返事もなく、表へ出て吾妻が手を取り、


てる

折が折ぢやに依つて、お話しは後での事。人目に立つはお氣の毒。マア、入りなされませ。


[ト書]

ト無理に内へ入れ


[てる]

吾妻さんとやら、しみ%\お近附きになりませねども、主の話しで、お名は聞き及んで居りまする。わたしは、てると云ふ者でござんす。


吾妻

ほんに、お名は兼ねて聞いて居りますれど、お目にかゝりましたは今が初めて。さぞ心の内では、憎い奴ぢやと、お呵りなされてござんせうなア。


てる

ナンノイナア。大事の與五郎さんを、大切にして下さんすお前ぢやもの、餘所外のやうに思ひません。氣遣ひなされな、お前はわたしが身に替へて、匿まひ負ふせて見せませう。


與五

ヤア、そんなら匿まうてたもるか。エヽ、忝ない忝ない。流石はりやんこの胤、オヽ、頼もしい/\。吾妻、ちやつと、禮を云や/\。


吾妻

今さら、申し譯するも恥かしい。賤しいこの身とお育ちがら、悋氣嫉妬は打越えて、お頼もしい今のお詞。なんとお禮を申しませうやら。ほんに、あなたのお目にかゝるまでは、どうあらうと、與五郎さんも、大抵案じてぢやなかつたわいなア。


與五

それ/\、案じるよりは産むが安いと、おてるがああ請合うたからは、大丈夫ぢや。モウモウ、大船に乘つたやうに、思うて居や。


吾妻

大抵嬉しい事ぢやござんせぬわいなア。


與五

それ/\、今夜からは、誰れに遠慮もなう、其方と二人……サア、二人かと思へば、三人。ヤ、いつそ眞中におれが寐て、おてると吾妻を右、左、世話形の三面の大黒といふものぢや。


[ト書]

ト喜ぶ。おてる、物云はず、與五郎が手を取り


てる

與五郎さん、早うお歸りなされませ。


[ト書]

ト與五郎、思ひ入れ。


與五

そんなら、いま匿まふと云うたは、騙したか。


てる

吾妻さんは匿まふ程に、お前は早う、お歸りなされませいなア。


與五

そりや、なんの事ぢや。


吾妻

與五郎さんは匿まうても、わたしはならぬとありさうな事を、あちらこちらの仰しやりやう。


てる

イヤ、さうぢやござんせぬ。傾城は一夜流れ、嘘を賣るのが商賣と、惡洒落な譬へ。つい一通りで、關破りの科を受けてなりとも、與五郎さんと一緒に居たいと、命にかけて思うて下さる吾妻さま、なんの憎う思はうぞいなア。


吾妻

さう思うて下さんすが、ほんの事なら。


てる

お二人ながら匿まへは、主に逢ひたいばつかりに、傾城までを引入れてと、一途な父さんのお呵りは知れた事。差當つて、世を忍ぶ身と云ふは、吾妻さんばかり、與五郎さんは、なんにも科はないお身。お内へさへお歸りなさるれば、結句父御さまの御機嫌もよく、元より世間の疑ひも晴れて、御難儀のかゝる筋はありそむないものと、マア、わたしは思ひますが、吾妻さん、なんと、さうぢやあるまいかいなア。


[唄]

[utaChushin] 初心なやうでも武家育ち、立て拔く義理に恥ぢ入つて、顏を得上げぬばかりなり。與五郎は若氣の苦なし。


與五

ヨウ/\、當世娘の性根々々。そんなら、いよ/\吾妻が事を、頼むぞや。


てる

オヽ、なんの頼むの、頼まるゝのと、云ふやうな仲かいなア。


與五

嬉しや、吾妻、そんなら、おりや、もう去ぬるぞや。


吾妻

なんぼうさうぢやてゝ、わたしは、お前に別れては。


[ト書]

ト縋りつく。與五郎、おてるの方へ思ひ入れあつて


與五

ハテサテ、ちつとの間ぢや、辛抱しや。


吾妻

必らず、ちよつ/\と、來てくれなませや。


與五

來なと云やつても、わが身が居るもの、來ないで……預けたぞえ。


てる

お氣遣ひ遊ばすな。しつかりと預かつて、晩からわたしと二人寢て、廓の話しも聞きますわいなア。


與五

イヤ、コレ、何を話しても大事ないが、ついにわが身の事、おりや、惡う云うた事は、ナウ吾妻。


吾妻

オヽ笑止。そりや、呑み込んで居るわいなア。


與五

おてる、頼むぞや。


吾妻

そんなら、もう去ぬかいなア。


與五

イヤモウ、今までと違うた體。さらばお暇。


[ト書]

ト行かうとする。この時、障子屋體の内より


次部

聟どの、待ちやれ。傾城遊女を連れて走れば、關破りの同罪、滅多には去なれまい。


[ト書]

ト次部右衞門、着流し、耳に眼鏡をかけ、本一册持ちながら出て、本を抛りながら、平舞臺へ下りる。


與五

エヽ。


次部

關破りの與五郎は、この次部右術門が、匿まつてくれう。


[唄]

[utaChushin] 呼びとめる舅の顏、はつと二人は生中に逃げそゝくれて手持ちなく、消えも入りたき風情なり。


[ト書]

ト次部右衞門、吾妻を眼鏡にて見る。吾妻、氣味惡さうに上手へ行く。次におてる、次部右衞門、與五郎、下手に坐る。


[次部]

ムウ、駈落ちするに、ハテ、仰山な形だ。これを大坂から橋本へ來るまで、人が見咎めぬとは、ハテ、盲目千人、目明き千人だなア。娘、出かした、よく吾妻を匿まうた。流石は次部右衞門が娘、出かした。世の人口を顧みて、えゝ匿まはぬと云ふ與五郎は、身が匿まうてくれうわサ。


てる

そんなら、與五郎さんは。


次部

匿まひやうにも、一思案。


[ト書]

ト硯と紙を出し


[次部]

サア、聟どの、一札召されい。


與五

一札とは、なんでござります。


次部

娘てるへ、暇の状を。


與五

エヽ。


次部

エヽとは、何を其やうに驚ろく。氣に入らぬ女房、持つてもらふ追從に、匿まつたと云はれては、浪人ながらも次部右衞門、武士が立たぬ。サヽ早く書いた/\。


與五

ぢやと申して。


次部

何を斟酌。去りたくてならぬ娘、出したくてならぬ暇の状を、親が望んで出さすのぢや。サア、早く書いた書いた。


[唄]

[utaChushin] 退引きさゝぬ詞づめ、はつと一度に三人が、心ごゝろの當惑涙。


てる

思ふ事、まゝならぬが浮世とは云ひながら、ほんに又、此やうに。


次部

コリヤ/\、あれにお傾城も見て居らるゝ。たつた今褒められたでないか。その詞に引きかへて、未練な奴の。


與五

申し/\、其やうに、おてるをお叱りなされて下さりますと、私しはモウ。


次部

ヘヽ、御深切、忝なうござる。


[ト書]

ト苦笑ひして


[次部]

身が娘のてる、叱らうが、叩き殺さうが、お身が世話にやならぬ。女童をたらすやうに、追從云はずと、サア、キリ/\、書いた/\。


與五

それぢやと云うて。


次部

不承知か。不承知ならば、これまでの通り聟舅。此まゝには捨て置かれぬ。世間への面晴らしに、わしが聟の與五郎、新町の傾城を連れ、駈落ち致し、私し方へ參り居ると、代官所へ訴人せうか。


與五

サア、それは。


次部

但しは、ぐる/\卷きにして、二人ながら、引摺つて行かうか。


與五

サア、それは。


次部

離縁して、匿まはるゝか。


與五

サア。


次部

サア。


與五

サア。


次部

サア/\/\、どうだ。


[唄]

[utaChushin] せり立てる程とまぐれて、返事なければ。


てる

申し、與五郎さん、わたしへの義理を思うて、その一札をお書きなされて下さりませぬと、お前のお爲にならぬ程に、マア、この場は素直に。ハテ、事なう濟んだその上では、又、どうなりと、そりや、お前のお心にありさうな事。父さんのお心安め、サア、なんであらうと、お書きなされて下さりませいなア。


[唄]

[utaChushin] と云ふもおろ/\差當る、訴人の嚇しに詮方なく、遣りたい暇も遣り憎い、義理も糸瓜も一つ書き、お定まりの三下り半、手早に書いて差し出すを、中から取つて。


吾妻

おてるさん、こりや、わたしに預けて下さんせ。


てる

その暇の状を、お前が。


吾妻

わたしが見る前で、お前に渡さしましては、どうも道が立ちません。


與五

そんなものぢや。


吾妻

と云うて、お書きなされねば、匿まはぬと仰しやる、舅御樣の思し召し、これとても御尤も。いづれをどうと分け兼ねて、悲しい中からおてるさまの、お進めなさるるこの去り状。中からわたしが預かりさへすりや、この場は濟みさうなものと、思ひますわいなア。


[唄]

[utaChushin] 縁の意氣づくそれ者とて、所譯を立てし裁きなり。


次部

一度傾城の涎を得れば、忽ち心散亂し、武士の知行に離れ、町人百姓は、家藏を棒に振るは、たわけた奴だと思つたが、尤もだ。今の縁切りと云ひ、イヤハヤ、驚ろき入つた。この去り状を、此まゝに書かしては、アレ見よ吾妻と云ふ傾城は胴慾者だ。現在の女房を、與五郎をたぶらかして去らせたと云はれては、また後々、與五郎如き好い客の附いたる時、末々職分の障りともならんと思ひ計つて、わたしに預け下されいとは……ハン、天晴れの白狐めぢやなア。


[ト書]

ト皆々思ひ入れ。


[唄]

[utaChushin] 折もこそあれ山崎與次兵衞、我が子が爰に來て居るとは、白髮頭のおつほろ髮、供をも連れずあひやけの、門口に來かゝつて。


[ト書]

ト向うより與次兵衞、杖を突き出て來て


與次

頼みませう。與次兵衞でござる。次部右衞門どのはお宿にかな。


[唄]

[utaChushin] と云う聲に、見附けられなと三人とも、奧へ追ひやり出で迎ひ。


[ト書]

トこれにて次部右衞門思ひ入れあつて、三人を障子屋體へ入れ、朱鞘の刀差し、捨ぜりふにて門口を開け、兩人顏見合せ


次部

オヽ、これは與次兵衞どの、よう出やしやりました。サヽ、通り召され通り召され。


與次

イヤ、その後は、御無沙汰ばかり。


[ト書]

ト云ひ/\二重へ通る。


次部

貴殿にもお達者で、マア/\、めでたうござる。


與次

イヤモウ、おらが達者なより、息子どのゝ達者に、モウほうど困り果てました。して、おてるは、氣色はようござるかの。


次部

オヽ、だん/\に心よくござる。


與次

物も食べますか。


次部

食べるとも/\。


與次

アヽ、そりや、嬉しうござる。そんなら、連れて歸りたうござる。


次部

イヤ、先づ今分では歸されませぬ。


與次

そりや又、どう云ふ譯で。


次部

與五郎が本心から、てるを戻せと云ひ越さば、自身は愚か、丁稚小和郎を寄越すとも、違背なく戻すが道。臭い物に蓋すると、押しつけ業が氣に入らぬ。


與次

イヤ、さう云はしやんな。嫁に取るからはおれが娘、野良めが性根が直らずば、おてるで跡を立てる所存。


次部

ハテ、皆まで云ふな。肉親の我が子さへ、金銀を惜しみ、命、生害に及ぶとも、構はぬやうなてまへが、人の子で家相續なんぞとは、存じも依らぬ。金銀財寶、望みにはないぞ。


與次

その望みにない者が、なぜ與五郎を引込んで置きやる。


次部

皆まで云ふな。斯く云へば、放埓の荷擔人するやうなれど、傾城を請け出し、てかけ妾にしたりとも、誰れが咎める者もなき身の上ながら、僅かな金銀に手支へさせ、義理に義理が迫りし駈落ち、見捨て置けぬ聟の難澁慾心に迷ひ、引込みしと云はるゝが面倒さに、離縁させて匿まうたは、世の人口を防がん爲の潔白。


與次

ムウ成る程、それで讀めた。それでは無理に暇取つて、此方の縁を切つてしまうて、さつぱりと養ひを取るやうな、聟を取り替へる、思案であらうがの。


次部

默れ、與次兵衞、太平の世に、要らざる武具馬具賣り代なし、細い煙を立つればどて、聟などに養なはるゝやうな、次部右衞門でないぞ。諸式を買ひ込み値上げさせ、高利を貪り、人をひづめる、むさい賤しい人非人と次部右衞門とは性根が違ふわい。


與次

イヤ、人非人とは、誰れが事ぢや。


次部

聞きたくば、うぬが心に問へ/\。


與次

エヽ、腹の立つ/\。さう云やモウ、破れかぶれぢや。


[ト書]

ト與次兵衞、脇差を拔き、切つてかゝるを、左の手にて肘を止め


次部

町人の分際で、いらざる刃物三昧、てんがうすない。


[唄]

[utaChushin] 刎ね飛ばせば、猶いら立ちの滅多切り、互ひに聞かぬ氣、拔き合せ、發矢々々と切り結ぶ、中を押し割る息杖は、始終殘らず立ち聞く甚兵衞。


[ト書]

ト此うち甚兵衞出て、息杖にて程よく止め


甚兵

マア/\、待たつしやりませ/\。


次部

待てとは、おのれ、見馴れぬ奴ぢやが。


與次

誰れぢや、何者ぢや。


甚兵

誰れであらうと、なんであらうと、止める思案があつて止めましたのぢや。マア/\……どつこいな。


[唄]

[utaChushin] 二人の刀を息杖で、下にしつかり押へつけ。


[甚兵]

先刻にからの一部仔什、お二人ともお腹の立つも、お子達の可愛さ。サ、御尤もぢや/\が、喧嘩の起りは藤屋の吾妻……樣とやら云ふお山さんからの事ぢやござりませんか。今にも、その傾城どのゝ親……サア、親御でも爰へわせられて、今のやうなわり口説きを聞いては、サアマア、例へわしがやうな雲助でも、親の身では大抵や大方、術ないこつちやあらうと思つてもやりませぬか。その親御の事を思ひやつて、止めに出た思案と云ふは、慮外ながら、この親仁めが、そのお傾城の親御になり代つて、とつくりと意見して、若旦那樣の事、思ひ切らしさへすりや、よいぢやござりませんか。ハテ、田から行くも、畔から行くも、内方のお娘御樣と、若旦那樣と睦まじう、女夫にして家さへ立てりや、浪風なしに治まると云ふもの、爰の所を聞き分けさつしやりまして、どうぞこの喧嘩は、親仁めに、預けさつしやつて下さりませ。


[唄]

[utaChushin] 思ひもよらぬ平頼み、藪から片棒の駕籠の甚兵衞、心あり氣に見えにけり。


與次

ムウ、すりや、われが吾妻に意見して、思ひ切らさうと云ふのか。


甚兵

この息杖冥利、嘘は申しませぬ。


與次

面白い、なんと次部右、願ひ叶へて、待つ氣はないか。


次部

ハテ、身共とても、聟や娘が不便さゆゑ、無難に治まる儀に違變はない。とは云へ一旦、武士が拔き放した刀の手前。


甚兵

サヽヽヽヽ、そのお刀は、御慮外ながら、甚兵衞に預けさつしやつて下さりませ。


次部

この拔身を、其方が預かつて。


甚兵

首尾よう、元の鞘へ納めるやうに、細工は流々、仕上げをお目にかけませう。


[唄]

[utaChushin] 預かる氣より預けたき、心くろめる黒鞘朱鞘、腰から拔いて差出し。


與次

サア、次部右衞門。


次部

與次兵衞。


與次

これで暫らく云ひ分も。


次部

吾妻が返答一つに極まる。


甚兵

マア、それまでは。


次部

甚兵衞とやら、奧で返事を


兩人

待つて居るぞよ。


[ト書]

ト唄になり、次部右衞門は障子屋體へ、與次兵衞は納戸へ入る。


[唄]

[utaChushin] 甚兵衞は刀こて/\と、鞘に納める受合ひの、思案とりどりそれぞとは、知らぬ吾妻が落ちつきし、樣子を道に待ち合す、放駒へ知らせんと。


吾妻

甚兵衞どの/\。


[ト書]

ト呼び/\出て


[吾妻]

オヽ、爰にかいなう。こなさん、大儀ながら、この状を、長吉さんへ、ちやつと屆けて下さんせ。


[ト書]

ト文を出す。


甚兵

ハイ、畏りました。わしもちと、お前樣にお目にかかりたいところ。ようござつて下さりましたなう。


吾妻

ムウ、わしに用とは、なんの用ぢや。


甚兵

ちよつと爰まで、出やしやつて下さりませ。


吾妻

オヽ、あの人の氣味の惡い、なんぢやぞいなう。


[唄]

[utaChushin] 近う寄つて跼き。


甚兵

おとよ、大きうなりやつたなう。母は、もう三年になるぞや。


吾妻

ムウ、こなさん、それ、どうして知つてぢや。


[ト書]

ト下に居る。


甚兵

オヽ、可愛い娘や女房の身の上、例へ海山隔てゝも、知らいでかいなう。知つて居るわいなう。


吾妻

ヤア、そんなら、こなさんは。


甚兵

オヽ、おきちが連合ひ、其方の親ぢやわいなう。


吾妻

エヽ。


甚兵

オヽ、斯うばかりでは、合點が行くまい。とつくりと云うて聞かしませう。元おれは大坂の聚樂町で、破れ家の一軒も持つて居た者。商賣の荒道具、ひよんな物買ひ合して、大坂の土地には居られず、嬶とわが身を殘して、おりや牧方の知るべへ立退いて、何商賣の當もなく、只うろ/\、たうとうこの態になり下がり、その時は、わが身はやう/\六つの年ぢやに依つて、知つては居やるまいが、もう大抵難儀した事ぢやないぞいの。


[ト書]

ト泣いて


[甚兵]

シタガモウ、習はうより馴れぢや。一日々々と、何もかも合點がいて、やう/\と稼ぎ溜め、三枚敷を敷いてからは、互ひに往來はせねど、嬶の方から状をおこしやる度毎に、とよも隨分達者で、今では新町の藤屋の吾妻と云ふ、太夫になつて居ますと聞いて、ヤレ嬉しや、どうぞして稼ぎ出し、さつぱりと羽織の一枚も着てから、逢ひに行かうと思ふうちに、一昨年の十二月の十三日、近所の衆からの状に、嬶は死んだと讀んで恟りせまいか。それからと云ふものは、心にかゝるはわが身の事、例へ嬶は居やらずとも、わが身さへ出世すりや、又どうなりと神佛へ、願ひに願ひをかけ、どうぞ好い客がな附けかしと、祈つた甲斐があり過ぎて、與五郎さまと云ふ、山崎の若旦那、おてるさまと云ふ、奧樣のあるお方を、ようもようもあんな、うぼ/\にしをつたなア。おのれ、如何に人を騙すのが商賣ぢやて、あんまりであらうぞよ。おのれが事で今も今、親仁樣達がすんでの事に切ツつ擲ツつ。聞いて居たこの甚兵衞、術ないと氣の毒なと、悲しいのと腹が立つので、なんぼでも涙がやまいで、昨日洗うた單衣物、四文が糊を棒に振つたわい。こりや皆誰れから起つた事ぢや。長うは云はぬ。あの衆に、意見して思ひ切らしませう、と請合つた詞がある。コリヤ、久しぶりで逢うた親が初めての頼みぢや。われさへ得心して、與五郎さまと縁切つてくれゝば、双方の納まりぢや。サヽ、得心してたも。有る縁なら、また逢はれる程に、マア當分は思ひ切つてくれい。サヽ、否と思ふは尤もぢや。命にかけて居る仲を、思ひ切れと云ふ、心の内のおらが悲しさ思ひやり、どうぞ聞き分けてくれい。コリヤ、拜むわいやい/\。


[唄]

[utaChushin] 啜り上げ/\、わつとばかりにむせ返る。駕籠が涙は息杖の、休む隙なき思ひなり。


吾妻

そんなら、お前が父さんかいなア。


甚兵

オヽ、父ぢやわい。


吾妻

父さんかいなア。


甚兵

父ぢや。


吾妻

父さん/\/\。


甚兵

父ぢや/\/\。


吾妻

てもさても、珍らしい、悲しい話しを聞きました。今の今まで、お顔は見た事はなけれども、父さんがあると、云ふ事は、母さんの話しで聞きました。お前をわしが、父さんとも。


[唄]

[utaChushin] 知らぬ道筋勿體ない。


[吾妻]

野邊の送りの親の輿、子が舁くとこそ聞いて居るに、如何に知らぬと云ひながら、現在親に駕籠舁かせ。


[唄]

[utaChushin] 乘つたわたしに神樣や、佛樣が罰當てゝ、なぜにわたしを逆さまに、落して殺して下されぬ。


[吾妻]

神や佛が恨めしい。まだその上に與五郎さん、退けと仰しやる御意見も、無理とはさら/\


[唄]

[utaChushin] 思はねど。


[吾妻]

よう思うても見やしやんせ。おてるさんと云ふ奧樣の、あるを知りつゝ逢うた客。初めの勤め、後の色、女夫にならうとも、去らさうとも、微塵も思やせぬけれど、否な客から請け出すと、まゝならぬ身は是非なくも、連れて退いたる與五郎さん。輕いお身なら、そもないに。


[唄]

[utaChushin] 逢ひかゝるから今までも、重なる節句、年の暮。


[吾妻]

お世話になつたこの吾妻、いま又わしゆゑ難儀のお身。任せぬ時に振り捨てゝ、どうマア義理が立つものぞ。コレ、手を合せて拜みます。コレナア、申し、こればつかりは、拜みます、どうぞ堪忍して、下さんせいなア。


[唄]

[utaChushin] 親に取りつき泣く娘、粹な育ちも涙には、譯も隔てもなかりける。


甚兵

オヽ、道理ぢや/\。道理ぢやわいやい……サア、道理は道理ぢやが、又此方も道理、彼方も道理、道理とばかり云うて居ては、いつまで云うても同じ道理ぢや。その道理を思ひ外し、わしが道理も考へ、與五郎さまの道理も思うて、退いてくれ、エヽ、コレ。


[ト書]

トいろ/\云へど、吾妻頭振るゆゑ、困つたと云ふこなしあつて


[甚兵]

よいワ、われのやうに、さう片意地云ふと、おらが又、仕樣がある。オヽ、おらが子で、子でない、勘當ぢや。勘當も勘當、七生も八生も、一斗までの勘當ぢや。


吾妻

勘當、否ぢや/\。


[ト書]

ト大泣き。


甚兵

アヽ、嘘ぢやわい/\。


[ト書]

ト抱きしめて泣いて


[甚兵]

なんの可愛い娘ぢやもの、ほんまに勘當して堪るものか、勘當はしやせん程に、アイと云へ/\。


吾妻

アイ/\。


甚兵

合點したか。


吾妻

アイ/\。


甚兵

退いてくれるか。


吾妻

アイ/\。


[唄]

[utaChushin] アイ/\の詞の隙、有り合ふ刀拔くより早く。南無阿彌陀佛。


[ト書]

ト自害せうとする。甚兵衞、慌て止め


甚兵

待て/\。


吾妻

イエ/\、最前からのお前の意見、よう合點して見ても、生きて居るうちに、與五郎さんの事は、どうも思ひ切られませぬ。否と云へばこれまでに、一日の産みの御恩さへ、えゝ送らぬ父さんの、お詞背く不孝の罪。とても生きては居られぬわたし。止めずに殺して下さんせ。放して/\。


甚兵

イヤ/\、なんぼでも、殺さぬ/\。


吾妻

イエ/\、殺して/\。


[唄]

[utaChushin] 死ぬる/\とせり合ふうち、中から取つた次部右衞門。


[ト書]

ト次部右衞門出て、吾妻を止める。


甚兵

ヤア、あなたは旦那樣。


吾妻

最前からの樣子を。


次部

殘らず、あれにて聞き屆けた。さては甚兵衞は、吾妻が實の父親であつたよな。


甚兵

ハイ/\、お恥かしうござりまする。


次部

なんの/\、盛衰は人間の習ひ。職分身分の高下より、心こそ恥かしきものなれ。甚兵衞が實情と云ひ、吾妻が立つる貞女、あの一間から聞いて居て、熱い涙をこぼしたわい。吾妻が心底、見拔きし上は、身請けいたし、この次部右衞門が、與五郎と添はしてやる。コレ、この刀は五郎正宗、判金百枚の折紙。この刀を賣り代なし、關破りの科は助けてやる。お身が吾妻を思ふも、身共が娘不便なも、思ひは變らぬ燒野の雉子。それにつけても與次兵衞め、腐るほど金持つて居ながら、與五郎が關破りになるも、吾妻が難儀も、見捨てにする胴慾者。吾妻が身請けも濟んだ上、あの與次兵衞め、存分云はいで置かうか。


與次

オヽ、その鬱憤。與次兵衞、直に承はらう。


[ト書]

ト奧より法體して出る。


甚兵

ヤア、お前樣は。


次部

坊主になつたか。


與次

アヽ、次部右衞門どの、あやまりました/\。有やうは、今日來たも、忰めが關破りの科が、助けたいばつかり。と云うて金づく。その金を、おらが手から出して遣つては、親の手で請け出すも同然。關破りの科を助けてやりたいと、思うて下さる次部右衞門どのゝ心を聞いては、モウ/\/\、嬉しうて/\、どうも禮の云ひやうがなさに、與五郎が惡事を引請けて、今からおれは與五郎入道、法名もちやんと附けて置きました釋の淨閑。息子どのは、おれが名を讓つて、山崎與次兵衞。門跡樣へも、えゝ上げぬ大切な金をさへ、出してなりとも、さつぱりと關破りの譯は立てまする。そこに居るは、吾妻どのとやらぢやの。昨夜までも今朝までも、恨んだは此方が惡い。先刻にからの志しを聞いては、いとしうて/\ほんの嫁女、とサア思へども、次部右衞門どのゝ手前、不承ながら、マア、妾になつて下されや。甚兵衞とやらが志し、忝ない/\。次部右衞門どの、こなたへの過言、何事もみな、忰が不便さから。コレ、萬事は、この頭に免じて、眞平々々。


[唄]

[utaChushin] こはい親仁が打つて變へ、恥も惜しまぬ平詑びに、涙一ぱい目に持つて、頭を下げる親の慈悲。與五郎夫婦は障子より、覗いて影に手を合せ、我が身の不孝思ひ知り、謝まり入るぞ哀れなり。


[ト書]

ト皆々よろしくこなし。


次部

これは/\痛み入る。兎や角と申せしも、聟娘等が不便さゆゑ。斯く打解ければ互ひに他事なき[aiyake] 同士。サア、手を上げられい、平に/\。


與次

イヤモウ、さう思うて下さりや、わしも安堵、だんだん誤まりましてござる。


次部

これはさて、マヽ、手を上げられい。


與次

マヽ、其許から。


次部

貴殿から。


兩人

ハヽヽヽヽヽ。


[唄]

[utaChushin] 心解け合ふ[aiyake] 同士、頭ばかりの一家中、丸うなつてぞ見えにける。


吾妻

斯う何も彼も、丸う納まる上は、預かりましたこの去り状。


[ト書]

ト引裂いて


[吾妻]

斯うしてしまふが、わたしがお禮。必らず、疑うて下さんすなえ。


甚兵

オヽ、さうぢや/\、出かした。ハイ旦那樣、御隱居樣、エヽ、有り難うござりまする。


[唄]

[utaChushin] 喜び合ふこそ道理なり。庄屋名主があわたゞしく。


[ト書]

トこれにて庄屋、年寄、駈け來り


庄屋

サア/\、大事ぢや/\。


年寄

次部右どのに、山崎の與次兵衞を連れて、罷り出いと、代官所からの急お召しでござるわいの。


次部

ナニ、急お召しとは心得ぬ。して、御用の筋は。


庄屋

なんぢや知らぬ。遲いと叱られる。早うござれ早うござれ。


次部

なんにせよ、公用とあらば、參らずばなるまい。


與次

幸ひ與次兵衞も、參り合せて居りまする。


次部

支度いたして、同道いたさう。


年寄

エヽ、悠長な。支度どころぢやない、急お召しぢやわいの。


庄屋

早うござれいの。


次部

然らば、淨閑老。


與次

次部右どの。


次部

參りませうか。


[唄]

[utaChushin] 代官所へと行く跡に、障子押し明け與五郎夫婦、飛んで出で。


[ト書]

ト次部右衞門淨閑に庄屋年寄り附いて向うへ入る。與五郎おてる出て、


與五

先刻にから出たかつたけれど、親仁樣や舅どのゝ手前、面目なうて、えゝ出なんだ。


てる

お二人樣を急お召しとは、氣遣ひな事ぢやないかいなア。


甚兵

ハテ、益體もない。盗み騙りはさつしやるまいし、お召しでも茶漬でも、なんにも案じる事はござりませぬわいの。


與五

イヤ/\、吾妻を身請けせうと云ふ、屋敷の客を、濡髮が切つたゆゑ、その事についての、詮議であらうわいなう。


吾妻

ひよつと、その詮議になつたら。


與五

わが身も。


吾妻

お前も。


[ト書]

ト顏見合せ、思ひ入れ。甚兵衞、恟りして


甚兵

ヤア/\、そんなら、懸り合ひぢや、えらぢやぞえらぢやぞ。


てる

父さんのお身の上も、氣遣ひないわなア。


甚兵

アヽ、其やうに心にかけて、案じてばかり居たつてあかん事。ハテ、それ程に氣遣ひに思はしやる事なら、わしが一走り行て、樣子を聞いて進ぜませう。


てる

そんなら、大儀ながら。


[唄]

[utaChushin] まつかせ合點と甚兵衞は、尻引ツからげ、飛んで行く。


[ト書]

ト甚兵衞入る。


與五

エヽ、おれが、これが否さに長五郎に、喧嘩しやるなと云うたのに。


吾妻

なんのマア、長五郎さんぢやてゝ、あまり殺したうもあるまいけれど、二人の侍ひ面めが、意地の惡いに依つてぢやわいなア。


與五

エヽ、いつそわが身を、侍ひの方へ遣つてしまうたら、この難儀はせまいもの。


[ト書]

トうろ/\する。


吾妻

なにを。こちや否いなア。


[ト書]

ト橋がゝり、ワヤ/\云ふ。


判人

慥かに爰へ、付け込んだといやい。


[ト書]

ト判人、太助と供男を連れ出て


太助

ぢやてゝ、侍ひの家、滅多には入られぬ。


[ト書]

ト此うち、おてる思ひ入れあつて、囁いて、與五郎、吾妻を戸棚へ隱す。


判人

でも、駕籠の太助が、證人ぢやわい。


供男

そんなら、太助を猿にして。


判人

來い/\。


[ト書]

ト内へツツと入り


[判人]

關破りの與五郎、吾妻を、爰の内へ付け込んだ。出しや出しや。


てる

オヽ、滅相な。そんな覺えはござんせぬ。大方それは門違ひ。脇を尋ねさしやんせいなア。


太助

とぼきやんないの。證人はこの太助ぢや。先刻に、相輿の二人連れ、爰へ付け込んで置いたのぢや。


てる

女ばかりぢやと思うて、嚇すのぢやの。例へ、どのやうな事を云うても、覺えはないわいなう。


判人

ても、つべこべと、よう喋る衒妻ぢや。その上、慥かな證據は、この戸棚が氣ぶさいな。


[ト書]

トつか/\と行くを、おてる立ち塞がり


てる

狼藉しやると、免さぬぞ。


[ト書]

トせり合ふ所へ、代官、捕り手大勢を連れ出て


代官

ソレ。


[ト書]

トばら/\と込み入り


捕手

動くな。


[ト書]

ト取卷く。皆々、恟りして


てる

ヤア、これは。


判人

なんの事ぢや。


代官

御上意。


てる

御上意とはな。


代官

橋本次部右衞門こと、家柄たるに依つて、先年より當村の大庄屋、仰せつけられしところ、五ヶ年以前、老衰に及びしゆゑ、役儀御赦免の願ひに依つて、退役仰せつけたるに、この度、當村の田畑反別、御吟味の事につき、役中取捌きお疑ひの旨あつて、書き物諸式に封印をお付けなさるゝ。家來、ソリヤ。


家來

ハツ。


[唄]

[utaChushin] 云ふより早く手分けして、押入れ戸棚も締めたなり、箪笥長持ち膳棚まで、きり/\しやんと封印を、附けるもハア/\女氣の、怖い/\におど慄ふ。


代官

ヤア、何奴も此奴も頭が高い。早速罪科にも仰せつけらるべきところなれども、お上のお慈悲、附け立ての封印、少しでもそゝける時は、退荷同然、科は重罪、キツと申し渡したぞ。


[唄]

[utaChushin] 叱り付けてぞ立歸る。廓の者どもうつかりひよん。


[ト書]

ト代官皆々入る。


判人

なんの事ぢや。戸棚も封印附けられては、指さす事も叶はぬ。


太助

ハテ、だんないわいの。斯う封印が附く程の事、三日や五日で埓明くまい。早うて三十日か、五十日、其うちには干殺しになるわいなア。


判人

そりやそんなものぢや。


太助

四五日のうちに來て、樣子を見たがよいわい。


判人

エヽ、忌々しい。サア、來い/\。


[唄]

[utaChushin] サア來い/\と出て行く跡へ、大汗になつて甚兵衞が。


[ト書]

ト判人等入る。甚兵衞出て


甚兵

サア、むづかしうなつて來たぞ/\。


てる

なんとしたえ/\。


甚兵

與五郎さまの事について、長五郎が、侍ひを殺したと云ふ噂、あやが拔けいで、お二人とも、揚り家へ、お入りなされた。


てる

エヽ。


[唄]

[utaChushin] ハツと一度に戸棚の内外、泣き出す聲に氣の附く甚兵衞。


甚兵

さうして、この與五郎さまや吾妻は、どこへ參じました。


てる

サイナウ、廓から詮議に來たに依つて、急に隱し所はなし、この戸棚の内へ、二人ながら隱しましたりや、お上からお咎めで、封印を附けて去んだわいなう。


甚兵

ヤア、そんなら、おらより先へ、捕り方が來て、封印を附けたかえ。


てる

この通りぢやわいなう。


甚兵

南無三、封印を切つたら猶お咎め、科の上に又科を増す。


てる

と云うて、斯うして置いては、濟まぬわいなう。


甚兵

こいつ、難儀なものぢやわい。


[唄]

[utaChushin] どうせうぞいのどうせうと、また内外から泣き出す聲。


[ト書]

ト長吉、代官を連れ出て


長吉

その封印、わしが切つてやりませう。


甚て

ヤア。


[唄]

[utaChushin] 聲をかけて放駒、以前の代官侍ひもろとも。


長吉

廓から、詮議にうせる素振りを見付けたに依つて、南無三方と思うて、村外れの人を雇うて、思ひついた家財の封印。


てる

エヽ、そんなら、今の代官樣は。


代官

みんな、關取に、雇はれて來たのでござります。


長吉

オヽ、みんな大儀であつた。ソレ、骨折り代。


[ト書]

ト金包みを遣る。


代官

こりや、忝ない。


長吉

シタガ、この譯、ちよつとでもはぶしへ出す事、ならぬぞや。


代官

なんの、お前。


長吉

づきの廻らぬうち、散れ/\。


[ト書]

トめい/\、刀をかたげ、橋がゝりへ入る。


てる

そんなら、この封印は、もう切つても、大事ないかえ。


長吉

知れた事。


[ト書]

ト皆々、戸棚の戸を開けて


てる

申し/\與五郎さま、みんな長吉さんの計らひでござります。サア/\、ちやつと、お出でなされませ。


長吉

申し與五郎さま、長吉ぢや。何してござる。サア、爰へ。


[唄]

[utaChushin] 手を取れば、きよろ/\顏。


[ト書]

ト與五郎出て、狂人の思ひ入れ。


與五

ハアハヽヽヽヽ、詮議に來る/\。親仁樣はずんばら坊。坊主々々小坊主。


[唄]

[utaChushin] いたいけな事云うた、ほろゝん/\/\や。


長吉

コレ、なに云はしやります。長吉ぢやわいなう。


與五

なんぢや、町中引き廻す。


吾妻

與五郎さん、なに云はしやんす。


てる

申し/\、なに仰しやる。今のをお聞きなされて、それで、お氣が狂つたのか。


吾妻

コレ、氣を付けて下さんせ。


[唄]

[utaChushin] 二人の女が取りついて、泣く顏じろ/\打詠め。


與五

其方は、藤屋の吾妻かの。


[唄]

[utaChushin] 吾妻請け出せ山崎與次兵衞。


[與五]

廓を拔けて、それ/\/\、名代のはしり坊、しつたん/\や、法ぬけ坊主。


[唄]

[utaChushin] 途方もなしに駈け出だす。それ止めましてと捕ゆる吾妻、氣狂ひ力の手に合ねば、どつこい遣らぬと長吉が、止めても止まらず引摺られ、共に狂ふや。


[ト書]

ト三重にて、皆々、與五郎を留めるこなし。


よろしく幕