University of Virginia Library

Search this document 

collapse section1. 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
collapse section2. 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
collapse section3. 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
 37. 
 38. 
 39. 
 40. 
 41. 
 42. 
 43. 
 44. 
 45. 
 46. 
 47. 
 48. 
 49. 
 50. 
 51. 
 52. 
 53. 
 54. 
 55. 
 56. 
  

 「兎に角たつた一人取り殘された私は、母の云ひ付け通り、此伯父を頼るより外に途はなかつたのです。伯父は又一切を引き受けて凡ての世話をして呉れました。さうして私を私の希望する東京へ出られるやうに取り計つて呉れました。

 私は東京へ來て高等學校へ這入りました。其時の高等學校の生徒は今よりも餘 程殺伐で粗野でした。私の知つたものに、夜中職人と喧嘩をして、相手の頭へ下駄で 傷を負はせたのがありました。それが酒を飲んだ揚句の事なので、夢中に擲り合をし てゐる間に、學校の制帽をとう/\向ふのものに取られてしまつたのです。所が其帽 子の裏には當人の名前がちやんと、菱形の白いきれの上に書いてあつたのです。それ で事が面倒になつて、其男はもう少しで警察から學校へ照會される所でした。然し友 達が色々と骨を折つて、ついに表沙汰にせずに濟むやうにして遣りました。斯んな亂 暴な行爲を、上品な今の空氣のなかに育つたあなた方に聞かせたら、定めて馬鹿馬鹿 しい感じを起すでせう。私も實際馬鹿々々しく思ひます。然し彼等は今の學生にない 一種質朴な點をその代りに有つてゐたのです。其頃私の月々伯父から貰つてゐた金は、あなたが今、御父さんから送つてもらふ學資に比べると遙かに少ないものでした。 (無論物價も違ひませうが)。それでゐて私は少しの不足も感じませんでした。のみ ならず數ある同級生のうちで、經濟の點にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境 遇にゐた譯ではないのです。今から囘顧すると、寧ろ人に羨やましがられる方だつた のでせう。と云ふのは、私は月々極つた送金の外に、書籍費、(私は其時分から書物 を買ふ事が好でした)、及び臨時の費用を、よく伯父から請求して、ずん/\それを 自分の思ふ樣に消費する事が出來たのですから。

 何も知らない私は、伯父を信じてゐた許でなく、常に感謝の心をもつて、伯父 をありがたいものゝやうに尊敬してゐました。伯父は事業家でした。縣會議員にもな りました。其關係からでもありませう、政黨にも縁故があつたやうに記憶してゐます。父の實の弟ですけれども、さういふ點で、性格からいふと父とは丸で違つた方へ向い て發達した樣にも見えます。父は先祖から讓られた遺産を大事に守つて行く篤實一方 の男でした。樂みには、茶だの花だのを遣りました。それから詩集などを讀む事も好 きでした。書畫骨董といつた風のものにも、多くの趣味を有つてゐる樣子でした。家 は田舍にありましたけれども、二里ばかり隔つた市、――其市には伯父が住んでゐた のです、――其市から時々道具屋が懸物だの、香爐だのを持つて、わざ/\父に見せ に來ました。父は一口にいふと、まあマンオフミーンズとでも評したら好いのでせう、比較的上品な嗜好を有つた田舍紳士だつたのです。だから氣性からいふと、濶達な伯 父とは餘程の懸隔がありました。それでゐて二人は又妙に仲が好かつたのです。父は よく伯父を評して、自分よりも遙かに働きのある頼もしい人のやうに云つてゐました。自分のやうに、親から財産を讓られたものは、何うしても固有の材幹が鈍る、つまり 世の中と鬪ふ必要がないから不可いのだとも云つてゐました。此言葉は母も聞きまし た。私も聞きました。父は寧ろ私の心得になる積で、それを云つたらしく思はれます。『御前もよく覺えてゐるが好い』と父は其時わざ/\私の顏を見たのです。だから私 はまだそれを忘れずにゐます。此位私の父から信用されたり、褒められたりしてゐた 伯父を、私が何うして疑がふ事が出來るでせう。私にはたゞでさへ誇になるべき伯父 でした。父や母が亡くなつて、萬事其人の世話にならなければならない私には、もう 單なる誇ではなかつたのです。私の存在に必要な人間になつてゐたのです。