University of Virginia Library

Search this document 

collapse section1. 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
collapse section2. 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
collapse section3. 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 
 9. 
 10. 
 11. 
 12. 
 13. 
 14. 
 15. 
 16. 
 17. 
 18. 
十八
 19. 
 20. 
 21. 
 22. 
 23. 
 24. 
 25. 
 26. 
 27. 
 28. 
 29. 
 30. 
 31. 
 32. 
 33. 
 34. 
 35. 
 36. 
 37. 
 38. 
 39. 
 40. 
 41. 
 42. 
 43. 
 44. 
 45. 
 46. 
 47. 
 48. 
 49. 
 50. 
 51. 
 52. 
 53. 
 54. 
 55. 
 56. 
  

十八

 「私は宅へ歸つて奥さんと御孃さんに其話をしました。奥さんは笑ひました。 然し定めて迷惑だらうと云つて私の顏を見ました。私は其時腹のなかで、男は斯んな 風にして、女から氣を引いて見られるのかと思ひました。奥さんの眼は充分私にさう 思はせる丈の意味を有つてゐたのです。私は其時自分の考へてゐる通りを直截に打ち 明けて仕舞へば好かつたかも知れません。然し私にはもう狐疑といふ薩張りしない塊 がこびり付いてゐました。私は打ち明けやうとして、ひよいと留まりました。さうし て話の角度を故意に少し外らしました。

 私は肝心の自分といふものを問題の中から引き拔いて仕舞ひました。さうして 御孃さんの結婚について、奥さんの意中を探つたのです。奥さんは二三さういふ話の ないでもないやうな事を、明らかに告げました。然しまだ學校へ出てゐる位で年が若 いから、此方では左程急がないのだと説明しました。奥さんは口へは出さないけれど も、御孃さんの容色に大分重きを置いてゐるらしく見えました。極めやうと思へば何 時でも極められるんだからといふやうな事さへ口外しました。それから御孃さんより 外に子供がないのも、容易に手離したがらない源因になつてゐました。嫁に遣るか、 聟を取るか、それにさへ迷つてゐるのではなからうかと思はれる所もありました。

 話してゐるうちに、私は色々の知識を奥さんから得たやうな氣がしました。然 しそれがために、私は機會を逸したと同樣の結果に陷いつてしまひました。私は自分 に就いて、ついに一言も口を開く事が出來ませんでした。私は好い加減な所で話を切 り上げて、自分の室へ歸らうとしました。

 さつき迄傍にゐて、あんまりだわとか何とか云つて笑つた御孃さんは、何時の 間にか向ふの隅に行つて、脊中を此方へ向けてゐました。私は立たうとして振り返つ た時、其後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が讀める筈はありません。御孃さん が此問題について何う考へてゐるか、私には見當が付きませんでした。御孃さんは戸 棚を前にして坐つてゐました。其戸棚の一尺ばかり開いてゐる隙間から、御孃さんは 何か引き出して膝の上へ置いて眺めてゐるらしかつたのです。私の眼はその隙間の端 に、一昨日買つた反物を見付け出しました。私の着物も御孃さんのも同じ戸棚の隅に 重ねてあつたのです。

 私が何とも云はずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改たまつた調子になつて、私に何う思ふかと聞くのです。その聞き方は何をどう思ふのかと反問しなければ解ら ない程不意でした。それが御孃さんを早く片付けた方が得策だらうかといふ意味だと 判然した時、私は成るべく緩くらな方が可いだらうと答へました。奥さんは自分もさ う思ふと云ひました。

 奥さんと御孃さんと私の關係が斯うなつてゐる所へ、もう一人男が入り込まな ければならない事になりました。其男が此家庭の一員となつた結果は、私の運命に非 常な變化を來してゐます。もし其男が私の生活の行路を横切らなかつたならば、恐ら くかういふ長いものを貴方に書き殘す必要も起らなかつたでせう。私は手もなく、魔 の通る前に立つて、其瞬間の影に一生を薄暗くされて氣が付かずにゐたのと同じ事で す。自白すると、私は自分で其男を宅へ引張つて來たのです。無論奥さんの許諾も必 要ですから、私は最初何もかも隱さず打ち明けて、奥さんに頼んだのです。所が奥さ んは止せと云ひました。私には連れて來なければ濟まない事情が充分あるのに、止せ といふ奥さんの方には、筋の立つ理窟は丸でなかつたのです。だから私は私の善いと 思ふ所を強ひて斷行してしまひました。