四十五
「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに傳へる氣のなかつた私は、『いゝえ』といつてしまつた後で、すぐ自分の嘘を快からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覺はないのだから、Kに關する用件ではないのだと云ひ直しました。奥さんは『左右ですか』と云つて、後を待つてゐます。私は何うしても切り出さなければならなくなりました。私は突然『奥さん、御孃さんを私に下さい』と云ひました。奥さんは私の豫期してかゝつた程驚ろいた樣子も見せませんでしたが、それでも少時返事が出來なかつたものと見えて、默つて私の顏を眺めてゐました。一度云ひ出した私は、いくら顏を見られても、それに頓着などはしてゐられません。『下さい、是非下さい』と云ひました。『私の妻として是非下さい』と云ひました。奥さんは年を取つてゐる丈に、私よりもずつと落付いてゐました。『上げてもいゝが、あんまり急ぢやありませんか』と聞くのです。私が『急に貰ひたいのだ』とすぐ答へたら笑ひ出しました。さうして『よく考へたのですか』と念を押すのです。私は云ひ出したのは突然でも、考へたのは突然でないといふ譯を強い言葉で説明しました。
それから未だ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れて仕舞ひました。男のやうに判然した所のある奥さんは、普通の女と違つて斯んな場合には大變心持よく話の出來る人でした。『宜ござんす、差し上げませう』と云ひました。『差し上げるなんて威張つた口の利ける境遇ではありません。どうぞ貰つて下さい。御存じの通り父親のない憐れな子です』と後では向ふから頼みました。
話は簡單でかつ明瞭に片付いてしまひました。最初から仕舞迄に恐らく十五分とは掛らなかつたでせう。奥さんは何の條件も持ち出さなかつたのです。親類に相談する必要もない、後から斷ればそれで澤山だと云ひました。本人の意嚮さへたしかめるに及ばないと明言しました。そんな點になると、學問をした私の方が、却つて形式に拘泥する位に思はれたのです。親類は兎に角、當人にはあらかじめ話して承諾を得るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは『大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子を遣る筈がありませんから』と云ひました。
自分の室へ歸つた私は、事のあまりに譯もなく進行したのを考へて、却つて變な氣持になりました。果して大丈夫なのだらうかといふ疑念さへ、どこからか頭の底に這ひ込んで來た位です。けれども大體の上に於て、私の未來の運命は、是で定められたのだといふ觀念が私の凡てを新たにしました。
私は午頃又茶の間へ出掛けて行つて、奥さんに、今朝の話を御孃さんに何時通じてくれる積かと尋ねました。奥さんは、自分さへ承知してゐれば、いつ話しても構はなからうといふやうな事を云ふのです。斯うなると何んだか私よりも相手の方が男見たやうなので、私はそれぎり引き込まうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でも可い、稽古から歸つて來たら、すぐ話さうと云ふのです。さうして貰ふ方が都合が好いと答へて又自分の室に歸りました。然し默つて自分の机の前に坐つて、二人のこそ/\話を遠くから聞いてゐる私を想像して見ると、何だか落ち付いてゐられないやうな氣もするのです。私はとう/\帽子を被つて表へ出ました。さうして又坂の下で御孃さんに行き合ひました。何にも知らない御孃さんは私を見て驚ろいたらしかつたのです。私が帽子を脱つて『今御歸り』と尋ねると、向ふではもう病氣は癒つたのかと不思議さうに聞くのです。私は『えゝ癒りました、癒りました』と答へて、ずん/\水道橋の方へ曲つてしまひました。