University of Virginia Library

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『明るい時』と云うベルハアランの小さい詩集がある。その中に、底知れぬ深さ、その他朝子の愛する小曲が 数多 あまた あった。

 帰ってから、それを読み始め、朝子が眠りについたのは二時近くであった。電燈を消そうとし、思いついて、旅行案内をとりに行った。幸子の汽車が、静岡と浜松の間を走っている刻限であった。

 翌日は晴れやかな日で、独り食事などする静かな寂しさも、透明な秋日和の中では、いい心持であった。

 朝子は午後から、亀戸の方へ出かけた。市の宿泊所に用があった。かえりに彼女はセットルメントへ寄って見た。新たに児童図書館が設けられ、赤児を結いつけおんぶした近所の子供が、各年級に分れた卓子を囲んで、絵本を見たり雑誌を読んだりしていた。托児所の久保という女が朝子を以前から知っていて、案内をしてくれた。彼女はリューマチスで、二階の私室で休んでいた。髪をぐるぐる巻きにして、セルの上へ袷羽織を着た久保は、やせた肩越しに、朝子を振り返り、

「私の方も見て下さい、そりゃ私、骨を折っているんですよ」

 渡廊下の踏板を越えながら云った。

「みんな若い人達ばかりで、ただおとなしく四時まで遊ばしときさえすればいいと思ってるんだから。――そんな人の方が、またお気に入るんですからね。私喧嘩したってこうと思うことはやって貰うんです。いやな女だと思っているだろうけど、いざ子供を動かすとなると、どうしたって、そりゃ、私でなければならないことが起って来るんですからね」

 久保は、自分一人で切り廻しているように云った。そして、変質な子が一人あって、それが誰の云うこともきかない、髪をむしって暴れるようなのを、自分がこの頃すっかり手なずけた苦心を朝子に聞かせた。

 別棟になって、広い遊戯室や、医務室や、嬰児室があった。遊戯室の板敷に辷り台や、室内ブランコなどあって、エプロンをかけた幼い子供達が遊んでいた。先生が、やはりエプロンを羽織って、一隅に五六人の子供を寄せて、話をしてやっていた。室じゅうに明るい光線がさし込んでいた。その中で、子供のエプロンや、兵児帯の赤や黄色が清潔な床の上にくっきり浮立って見えた。知らぬ朝子が入って行ったせいか、子供が、割合おとなしく遊んでいる。朝子は、その行儀のいいのが少し自然でないように感じた。そのことを云うと久保は、

「今、おとなし遊びの時間なんですよ」

と云った。そう云いながら彼女は、窓を見廻していたが、

「ああいますよ」

 窓際の子供達に向っておいでおいでをし、

「今村さん、こっちへいらっしゃい」

と呼んだ。若い先生は顔をあげ、子供と久保とを見たが、直ぐあちらを向いた。

「何なの、いいの、呼んで」

「かまわないんですよ」

 紺絣の着物を着た、頭の大きい男の児が、素足へ草履をはいて、久保の傍へ来て立った。

「さ、こちらの先生に御挨拶なさい」

 子供の肩へ手をかけ、自分の身に引き添えた。素直にされるままになっているが、三白眼のその男の児が久保を愛しても、なついてもいないのは、表情で明らかであった。芸当を強いるようで、朝子は、

「およしなさいよ」

と止めた。

 久保は、去りたそうにしている児の肩を押えたまま、なお、

「今村さん、先生の云うことは何でもきき分けるわね」

などと云った。

 朝子は、彼女の部屋へ戻りながら、

「子供、もっと放っといてやらなけりゃ」

と云った。

「愛想のいい子供なんて拵えたって、下らなかないの」

 久保は、家庭のない、健康のない、慰めのない、自分の生活の苦痛を、持ち前の強情さに還元して、その力で子供も同僚も押して行くらしく思えた。久保はいろいろな手段で蒐集した 藤村 とうそん の短冊など見せた。

 本館の三階に、相原の部屋があった。朝子はそこで小一時間話した。

 相原は、世間で重役風を形容する恰幅であった。ただ笑うと上唇の両端が変に持ち上って、歯なみよい細かい前歯と はぐき とがヒーンとすっかり見えた。その小さい口は性格的で、朝子にいい感じを与えなかった。

 相原は、先頃退職した或る男の噂をし、

「どうして罷めたのかね……いずれ何とかするように諸戸さんにも云おうと思っていたんだが」

と云った。朝子の知っている事実はそうではなかった。

「諸戸さんに、あなたが忠告なすったんじゃなかったんですか」

 相原は平気で、

「ふーん、そんな風に聞えてますかね」

と云った。相原の態度と、言葉とだけで見ると、朝子の知っている事実の方が間違っていると云うようであった。

 諸戸の処置を批評するようなことを云い、

「まあ、白杉さんも、一つ確りやって下さい。今にちょっと金も出せるようになるだろうから」

などと云った。朝子は黙って笑った。しんに弱気な小野心があるので、一人一人の顔を見ているうちは、悪感情を抱かせては損という打算が働く、相原はそういう種類の心を持っているらしかった。

 帰り途、朝子は人間の 生存の尖端 ラ・ポアント・ド・ラ・ヴィ というようなことを深く思った。道徳や常識、教養などその人を支える何の役にも立たない瞬間が人生にある。またそういう非常の時でないまでも、我等を取巻く常識や、道徳や、それ等の権威の失墜の間に生きて行くに、何が心のよりどころとなるであろう。何で人間が人間らしく生きて行く道をかぎ分けるかと云えば、それは、草木で云えば草木を伸び育てる大切な芽に等しい、人間の心の中にある生存の尖端によってだ。朝子は昨夜詩を読んだときにも、例えば、

  自体を浄めるために結び合う!
  同じお寺の二つの黄金の薔薇窓が
  ちがった明るさの炎を交じえて
  たがいに貫きあうように。

 こんなに高貴で優しく美しい、深い感じを捉え得る詩人とは、どのような心であろう、と思った。彼は考えるのではない。感じるのだ。――感じるのだ。そして朝子は、その敏感な本源的な魂の触覚を、符牒のような生存の尖端という言葉にまとめて思ったのである。

 自分が、放埒の欲望を感じながら、何のためにか、のめり込まずいる。それはと云えば、正気は失っても、その尖端が拒絶するからだ。

 幸子が、昨夜立つとき、

「大丈夫?」

と訊いた、朝子は、ひとりでに、

「大丈夫でなくても、大丈夫だと思っちゃった」

と、捉えどころのないような返事をしたが、そうだ大丈夫ではないが、その尖端が感じ、選択し、何ごとか主張している間は大丈夫だ。その 生存の尖端 ラ・ポアント・ド・ラ・ヴィ をも押しつつむ程大きな焔が燃えたらどうであろう。

 それならそれで、万歳だ。朝子は思いつづけた。自分は、そして、自分の生存の尖端は、その焔の なか にあって我が生の歌を一つうたおう。

 朝子は、会って来たばかりの久保のこと、相原の生活、間には、新しく磨きたての磁石の針のように活々と光り、敏く、自分の内心に存在すると感じるものについて考え、味い、長い夕方の電車に揺られて行った。

 六時前後で、電車は混み、朝子の横も後もその日の労働を終って帰ろうとする職工、事務員などの群であった。或る交叉点で先の車台がつかえ、朝子の電車も久しい間立往生した。窓から外を眺めたら、甘栗屋があり、丁度その店頭の燈火で、市営自動車停留場の標識が見えた。黒い詰襟服の監督らしい髭のある四十前後の男が、そこに立っていた。何か頻りに見ている。鏡のようだ。よく視たら、彼の手にあるのは女持ちの一つのコムパクトであった。拾ったのだろう。彼は偶然停った満員電車の中から観ている者があろうとは心づこうはずなく、そのコムパクトを珍しそうに、とう見、こう見していたが、やがて蓋をあけ中についている鏡で自分の顔をちょっと見た。それは直ぐやめ、今度はコムパクトの方を鼻に近づけ白粉の匂いを嗅いだ。――トラックや自転車の往き交う周囲の雑踏を忘れた情景であった。

 その位長く彼は嗅いだ。