University of Virginia Library

4.4. 世に見をさめの櫻

それとはいはずに明暮女こゝろの墓なやあふべきたよりもなければある日風のは げしき夕暮に日外寺へにげ行世間のさわぎを思ひ出して又さもあらば吉三郎殿にあひ 見る事の種とも成なんとよしなき出來こゝろにして惡事を思ひ立こそ因果なれすこし の煙立さわぎて人々不思義と心懸見しにお七が面影をあらはしけるこれを尋しにつゝ まず有し通を語けるに世の哀とぞ成にけるけふは神田のくづれ橋に耻をさらし又は四 谷芝の淺草日本橋に人こぞりてみるに惜まぬはなし是を思ふにかりにも人は惡事をせ まじき物なり天是をゆるし給はぬなり此女思ひ込し事なれば身のやつるゝ事なくて毎 日有し昔のごとく黒髪を結せてうるはしき風情惜や十七の春の花も散%\にほとゝぎ すまでも惣鳴に卯月のはじめ。すがたさい後ぞとすゝめけるに心中更にたがはず夢幻 の中ぞと一念に仏國を願ひける心ざし去迚は痛しく手向花とて咲おくれし櫻を一本も たせけるに打詠て世の哀春ふく風に名を殘し。おくれ櫻のけふ散し身はと吟しけるを 聞人一しほにいたまはしく其姿をみおくりけるに限ある命のうち入相の鐘つく比品か はりたる道芝の邊にして其身はうき煙となりぬ人皆いづれの道にも煙はのかれず殊に 不便は是にぞ有けるそれはきのふ今朝みれば塵も灰もなくて鈴の森松風ばかり殘て旅 人も聞つたへて只は通らず廻向して其跡を吊ひけるされば其日の小袖郡内嶋のきれ% \迄も世の人拾もとめてすゑ/\の物語の種とぞ思ひける近付ならぬ人さへ忌日/\ にしきみ折立此女をとひけるに其契を込し若衆はいかにしてさい後を尋問ざる事の不 思義と諸人沙汰し侍る折節吉三郎は此女にこゝちなやみて前後を辨ず憂世の限と見え て便すくなく現のごとくなれば人/\の心得にて此事をしらせなばよもや命も有べき かつね%\申せし言葉のすゑ身の取置までしてさい後の程を待居しにおもへば人の命 やと首尾よしなに申なしてけふ明日の内には其人爰にましまして思ふまゝなる御けん などいひけるにぞ一しほ心を取直しあたへる藥を外になして君よ戀し其人まだかと そゞろ事いふほどこそあれしらずやけふははや三十五日と吉三郎にはかくして其女吊 ひけるそれより四十九日の餅盛などお七親類御寺に參てせめて其戀人を見せ給へと歎 きぬ樣子を語て又も哀を見給ふなればよし/\其通にと道理を責ければ流石人たる人 なれば此事聞ながらよもやながらへ給ふまじ深くつゝみて病氣もつゝがなき身折節お 七が申殘せし事共をも語りなぐさめて我子の形見にそれなりとも思ひはらしにと卒塔 婆書たてゝ手向の水も泪にかはかぬ石こそなき人の姿かと跡に殘りし親の身無常の習 とて是逆の世や