University of Virginia Library

4.2. 虫出しの神鳴もふんどしかきたる君樣

春の雨玉にもぬける柳原のあたりよりまゐりけるのよし十五日の夜半に外門あら けなく扣にぞ僧中夢おどろかし聞けるに米屋の八左衞門長病なりしが今宵相果申され しにおもひまうけし死人なれば夜のうちに野邊へおくり申度との使なり。出家の役な ればあまたの法師めしつれられ晴間をまたず傘をとり%\に御寺を出てゆき給し跡は 七十に餘りし庫裏姥ひとり十二三なる薪發意壹人赤犬ばかり殘物とて松の風淋しく虫 出しの神鳴ひゞき渡りいづれも驚て姥は年越の夜の煎大豆取出すなど天井のある小座 敷をたづねて身をひそめける母の親。子をおもふ道に迷ひ我をいたはり夜着の下へ引 よせきびしく鳴時は耳ふさげなど心を付給ひける女の身なれば。おそろしさかぎりも なかりきされ共吉三郎殿にあふべき首尾今宵ならではとおもふ下心ありて扨もうき世 の人何とて鳴神をおそれけるぞ。捨てから命すこしも我はおそろしからずと女のつよ からずしてよき事に無用の言葉すゑ/\の女共まで是をそしりける。やう/\更過て 人皆おのづからに寐入て鼾は軒の玉水の音をあらそひ雨戸のすきまより月の光もあり なしに静なるをりふし客殿をしのび出けるに身にふるひ出し足元も定かね枕ゆたかに 臥たる人の腰骨をふみてたましひ消がごとく胸いたく上氣して物はいはれず手をあは して。拜みしに此もの我をとがめざるを不思義と心をとめて詠めけるに食たかせける 女のむめといふ下子なりそれをのり越て行を此女裙を引とゞめける程に又胸さわぎし て我留るかとおもへばさにはあらず小判紙の壹折手にわたしけるさても/\いたづら 仕付てかゝるいそがしき折からも氣の付たる女ぞとうれしく方丈に行てみれども彼兒 人の寐姿見えぬはかなしくなつて臺所に出ければ姥目覺し今宵鼠めはとつぶやく片手 に椎茸のにしめ。あげ麺葛袋など取おくもをかししばしあつて我を見付て吉三郎殿の 寐所はその/\小坊主とひとつに三疊敷にと肩たゝいて小話ける思ひの外なる情しり 寺には惜やといとしくなりて。してゐる紫鹿子の帯ときてとらし姥がをしへるにまか せ行に夜や八つ比なるべし常香盤の鈴落てひゞきわたる事しばらくなり薪發意其役に や有つらん起あがりて糸かけ直し香もりつぎて座を立ぬ事とけしなく寐所へ入を待か ね女の出來こゝろにて髪をさばきこはい皃して闇がりよりおどしければ流石佛心そな はりすこしもおどろく氣色なく汝元來帯とけひろげにて世に徒ものやたちまち消され 此寺の大黒になり迄待と目を見ひらき申けるお七しらけて。はしり寄りこなたを抱て 寐にきたといひければ薪發意笑ひ吉三郎樣の事か。おれと今迄跡さして臥ける其證據 には是そとこぶくめの袖をかざしけるに。白菊などいへる留木のうつり香どうもなら ぬとうちやみ其寐間に入を薪發意聲立て。はあ。お七さまよい事をといひけるに又驚 き何ニ而もそなたのほしき物を調進ずべし。だまり給へといへばそれならば錢八十と 松葉屋のかるたと淺草の米まんぢう五つと世に是よりほしき物はないといへば。それ こそやすい事明日ははや/\遣し申べきと約束しける此小坊主枕かたむけ夜が明たら ば。三色もらふはず必もらふはずと夢にもうつゝにも申寐入に静りける其後は心まか せになりて吉三郎寐姿に寄添て何共言葉なくしどけなくもたれかゝれば吉三郎夢覺て なほ身をふるはし小夜着の袂を引かぶりしを引のけ髪に用捨もなき事やといへば吉三 郎せつなくわたくしは十六になりますといへばお七わたくしも十六になりますといへ ば吉三郎かさねて長老樣がこはやといふおれも長老樣はこはしといふ何とも此戀はじ めもどかし後はふたりながら涙をこぼし不埓なりしに又雨のあがり神鳴あらけなく ひゞきしに是は本にこはやと吉三郎にしがみ付けるにぞおのづからわりなき情ふかく ひえわたりたる手足やと肌へちかよせしにお七うらみて申侍るはそなた樣にもにくか らねばこそよしなき文給りながらかく身をひやせしは誰させけるぞと首筋に喰つきけ るいつとなくわけもなき首尾してぬれ初しより袖は互にかぎりは命と定ける程なくあ けぼのちかく谷中の鐘せはしく吹上の榎の木朝風はげしくうらめしや今寐ぬくもる間 もなくあかぬは別れ世界は廣し晝を夜の國もがなと俄に願ひとても叶はぬ心をなやま せしに母の親是はとたづね來てひつたてゆかれしおもへばむかし男の鬼一口の雨の夜 のこゝちして吉三郎あきれ果てかなしかりき薪發意は宵の事をわすれず今の三色の物 をたまはらずは今夜のありさまつげんといふ母親立歸りて。何事かしらね共お七が約 束せし物は我が請にたつといひ捨て歸られしいたづらなる娘もちたる母なれば。大方 なる事は聞ても合點してお七よりはなほ心を付て明の日はやく其もてあそびの品/\ 調ておくり給ひけるとや