University of Virginia Library

3. 好色五人女卷三
中段に見る暦屋物語

目録

  • 姿の關守
    京の四條はいきた花見有
  • してやられた枕の夢
    灸もゆるよりおもひに燃有
  • 人をはめたり湖
    死もせぬ形見の衣裳有
  • 小判しらぬ休み茶屋
    都に見し土人形有
  • 身のうへの立聞
    夜の編笠子細もの有

3.1. 姿の關守

天和二年の暦正月一日吉書萬によし二日姫はじめ神代のむかしより此事戀しり鳥 のをしへ。男女のいたづらやむ事なし。爰に大經師の美婦とて浮名の立つゞき。都に 情の山をうごかし祇薗會の月鉾かつらの眉をあらそひ。姿は清水の初櫻いまだ咲かゝ る風情。口びるのうるはしきは高尾の木末色の盛と詠めし。すみ所は室町通。仕出し 衣しやうの物好み當世女の只中廣京にも又有へからず。人こゝろもうきたつ春ふかく なりて。安井の藤今をむらさきの雲のごとく松さへ色をうしなひたそかれの人立。東 山に又姿の山を見せける。折ふし洛中に隱なきさわぎ中間の男四天王。風義人にすぐ れて目立親よりゆづりの有にまかせ。元日より大晦日迄一日も色にあそばぬ事なし。 きのふは嶋原にもろこし花崎かほる高橋に明しけふは四条川原の竹中吉三郎唐松哥仙 藤田吉三郎光瀬左近など愛して。衆道女道を晝夜のわかちもなくさま%\遊興つきて。 芝居過より松屋といへる水茶屋に居ながれ。けふ程見よき地女の出し事もなし。若も 我等が目にうつくしきと見しもある事もやと役者のかしこきやつを目利頭に。花見が へりを待暮%\是ぞかはりたる慰なり。大かたは女中乘物見ぬがこゝろにくし。乱あ りきの一むれいやなるもなし。是ぞと思ふもなし菟角はよろしき女計書とめよと硯紙 とりよせてそれを移しけるに。年の程三十四五と見えて首筋立のび目のはりりんとし て額のはへぎは自然とうるはしく鼻おもふにはすこし高けれども。それが堪忍比なり 下に白ぬめのひつかへし。中に淺黄ぬめのひつかへし上に椛つめのひつかへしに本繪 にかゝせて左の袖に吉田の法師が面影。ひとり燈のもとにふるき文など見てのもんだ んさりとは子細らしき物好帯は敷瓦の折びろうど御所かづきの取まはし薄色の絹足袋 三筋緒の雪踏音もせずありきて。わざとならぬ腰のすわり。あの男めが果報と見る時。 何かした%\へ物をいふとて口をあきしに下齒一枚ぬけしに戀を覺しぬ。間もなう其 跡より十五六七にはなるまじき娘。母親と見えて左の方に付右のかたに墨衣きたるび くにの付て。下女あまた六尺供をかため大事に掛る風情。さては縁付前かと思ひしに。 かね付て眉なし皃は丸くして見よく。目にりはつ顯れ耳の付やうしほらしく。手足の 指ゆたやかに皮薄う色白く衣類の着こなし又有べからず。下に黄むく中に紫の地なし 鹿子。上は鼠じゆすに百羽雀のきりつけ。段染の一幅帯むねあけ掛て身ぶりよく。ぬ り笠にとら打て千筋ごよりの緒を付。見込のやさしさ是一度見しに脇皃に横に七分あ まりのうち疵あり。更にうまれ付とはおもはれず。さぞ其時の抱姥をうらむべしと。 皆/\笑うて通しける。さて又二十一二なる女のもめんの手織嶋を着て。其うらさへ つぎ/\を風ふきかへされ耻をあらはしぬ。帯は羽織のおとしと見えて物哀にほそく。 紫のかはたび有にまかせてはき。かたし%\のなら草履ふるき置わたして髪はいつ櫛 のはを入しや。しどもなく乱しをついそこ/\にからげて。身に樣子もつけず獨たの しみて行をみるに。面道具ひとつもふそくなく。世にかゝる生付の又有物かと。いつ れも見とれてあの女によき物を着せて見ば。人の命を取べしまゝならぬはひんふくと 哀にいたましく其女のかへるに。忍びて人をつけける誓願寺通のすゑなる。たはこ切 の女といへり聞に胸いたく煙の種ぞかし。其跡に廿七八の女さりとは花車に仕出し。 三つ重たる小袖皆くろはぶたへに裙取の紅うら金のかくし紋帯は唐織寄嶋の大幅前に むすびて。髪はなげ嶋田に平もとゆひかけて。對のさし櫛はきかけの置手拭。吉弥笠 に四つかはりのくけ紐を付て。皃自慢にあさくかづき。ぬきあし中びねりのありきす がた是/\是しやだまれとおの/\近づくを待みるに。三人つれし下女共にひとり% \三人の子を抱せける。さては年子と見えてをかし。跡からかゝ樣/\といふを聞ぬ 振して行。あの身にしては我子ながらさぞうたてかるべし。人の風俗もうまぬうちが 花ぞと。其女無常のおこる程どやきて笑ける。またゆたかに乘物つらせて。女いまだ 十三か四か髪すき流し先をすこし折もどし。紅の絹たゝみてむすび前髪若衆のすなる やうにわけさせ。金もとゆひにて結せ五分櫛のきよらなるさし掛。まづはうつくしさ ひとつ/\いふ迄もなし。白しゆすに墨形の肌着上は玉むし色のしゆすに孔雀の切付 見えすくやうに其うへに唐糸の網を掛さてもたくみし小袖に十二の色のたゝみ帯。素 足に紙緒のはき物。うき世笠跡より持せて。藤の八房つらなりしをかざし。見ぬ人の ためといはぬ計の風義今朝から見盡せし美女とも是にけをされて其名ゆかしく尋ける に室町のさる息女今小町と云ひ捨て行。花の色は是にこそあれいたつらものとは後に 思ひあはせ侍る。

3,2. してやられた枕の夢

男所帯も氣さんじなる物ながら。お内義のなき夕暮一しほ淋しかりき。爰に大經 師の何がし年久しくやもめ住せられける。都なれや物好の女もあるに品形すぐれてよ きを望ば心に叶ひがたし。詫ぬれば身を浮草のゆかり尋て。今小町といへる娘ゆかし く見にまかりけるに。過し春四條に關居て見とがめし中にも。藤をかざして覺束なき さましたる人。是ぞとこがれてなんのかのなしに縁組を取いそくこそをかしけれ。其 比下立賣烏丸上ル町に。しやべりのなるとて隱もなき仲人がゝ有。是をふかく頼樽の こしらへ。願ひ首尾して吉日をえらびておさんをむかへける。花の夕月の曙此男外を 詠もやらずして夫婦のかたらひふかく三とせが程もかさねけるに明暮世をわたる女の 業を大事に。手づからべんがら糸に氣をつくしすゑ%\の女に手紬を織せて。わが男 の見よげに始末を本とし。竈も大くべさせず小遣帳を筆まめにあらため。町人の家に 有たきはかやうの女ぞかし次第に榮てうれしさ限もなかりしに。此男東の方に行事有 て。京に名殘は惜めど身過程悲しきはなし思ひ立旅衣室町の親里にまかりて。あらま しを語しに我娘の留守中を思ひやりて萬にかしこき人もがな跡を預て表むきをさばか せ内證はおさんが心だすけにも成べしと。何國もあれ親の慈悲心より思ひつけて年を かさねてめし遣ひける茂右衞門といへる若きものを聟のかたへ遣しける此男の正直か うべは人まかせ額ちいさく袖口五寸にたらず髪置して此かた編笠をかぶらず。まして や脇差をこしらへず。只十露盤を枕に夢にも銀まうけのせんさくばかり明しぬ。折節 秋も夜嵐いたく冬の事思ひやりて。身の養生の爲とて茂右衞門灸おもひ立けるに腰元 のりん手かるく居る事をえたれば。是をたのみて。もぐさ數捻てりんが鏡臺に嶋のも めんふとんを折かけ。初一つ二つはこらへかねて。お姥から中ゐからたけまでも其あ たりをおさへて皃しかむるを笑ひし跡程煙つよくなりて。塩灸を待兼しに自然と居 落 して。脊骨つたひて身の皮ちゞみ苦しき事暫なれども。居手の迷惑さをおもひやりて 目をふさぎ齒を喰しめ堪忍せしを。りんかなしくもみ消して是より肌をさすりそめて。 いつとなくいとしやとばかり思ひ込人しれずこゝちなやみけるを後は沙汰しておさん 樣の御耳にいれどなほやめがたくなりぬ。りんいやしかるそだちにして物書事にうと く。筆のたよりをなげき久七が心覺ほどにじり書をうらやましく。ひそかに是をたの めば茂右衞門よ我物にしたがるこそうたてけれ。是非なく日數ふる時雨も僞のはじめ ごろおさん樣江戸へつかはされける御状の次手に。りんがちわ文書てとらせんとざ ら%\と筆をあゆませ茂のじ樣まゐる身よりとばかり引むすびて。かいやり給ひしを りんうれしく。いつぞの時を見合けるに見せよりたばこの火よといへ共折から庭に人 のなき事を幸に其事にかこつけ彼文を我事我と遣しにける茂右衞門もながな事はおさ ん樣の手ともしらず。りんをやさしきと計におもしろをかしきかへり事をして又渡し ける。是をよみかねて御きげんよろしき折ふし。奥さまに見せ奉ればおぼしめしより ておもひもよらぬ御つたへ此方も若いものゝ事なればいやでもあらず候へどもちぎり かさなり候へば取あげばゝがむつかしく候去ながら着物羽織風呂錢身だしなみの事共 を其方から賃を御かきなされ候はゝいやながらかなへてもやるべしとうちつけたる文 章去迚はにくさもにくし世界に男の日照はあるまじりんも大かたなる生付茂右衞門め 程成男をそもや持かねる事や有とかさねて又文にしてなげき茂右衞門を引なびけては まらせんとかず/\書くどきてつかはされける程に茂右衞門文づらより哀ふかくなり て始の程嘲し事のくやしくそめ/\と返事をして五月十四日の夜はさだまつて影待あ そばしけるかならず其折を得てあひみる約束いひ越ければおさん樣いづれも女房まじ りに聲のある程は笑てとてもの事に其夜の慰にも成ぬべしとおさんさまりんに成かは らせられ身を木綿なるひとへ物にやつしりん不斷の寐所に曉がたまで待給へるにいつ となく心よく御夢をむすび給へり下/\の女どもおさん樣の御聲たてさせらるゝ時皆 /\かけつくるけいやくにして手毎に棒乳切木手燭の用意して所/\にありしが宵よ りのさわぎに草臥て我しらず鼾をかきける七つの鐘なりて後茂右衞門

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下帯をときかけ
闇がりに忍び
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夜着の下にこ がれて、裸身をさし込
心のせくまゝに言葉かはしけるまでもなく
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よき事をしすまして
袖の移香しほらしやと又寐道具を引きせさ し足して立のきさてもこざかしき浮世やまだ今やなどりんが男心は有ましきと思ひし に我さきにいかなる人か
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物せし事ぞ
とおそろしく重てはい かな/\おもひとゝまるに極めし其後おさんはおのづから夢覺ておとろかれしかは
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枕はづれてしどけなく、帯はほどけて手元になく、鼻紙のわけも なき事に
心はづかしく成てよもや此事人にしれざる事あらじ此うへは身をすて 命かぎりに名を立茂右衞門と死手の旅路の道づれとなほやめがたく心底申きかせけれ ば茂右衞門おもひの外なるおもはく違ひのりかゝつたる馬はあれど君をおもへば夜毎 にかよひ人のとがめもかへりみず外なる事に身をやつしけるは追付生死の二つ物掛是 ぞあぶなし

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3.3. 人をはめたる湖

世にわりなきは情の道と源氏にも書殘せし爰に石山寺の開帳とて都人袖をつらね 東山の櫻は捨物になして行もかへるも是や此關越て見しに大かたは今風の女出立どれ かひとり後世わきまへて參詣けるとはみえさりき皆衣しやうくらべの姿自慢此心ざし 觀音樣もをかしかるべし其比おさんも茂右衞門つれて御寺にまゐり花は命にたとへて いつ散べきもさだめがたし此浦山を又見る事のしれざればけふのおもひ出にと勢田よ り手ぐり舟をかりて長橋の頼をかけても短は我/\がたのしびと浪は枕のとこの山あ らはるゝまでの乱髪物思ひせし皃はせを鏡の山も曇世に鰐の御崎ののがれかたく堅田 の舟よばひも若やは京よりの追手かと心玉もしづみてながらへて長柄山我年の程も爰 にたとへて都の富士廿にもたらずして頓て消べき雪ならばと幾度袖をぬらし志賀の都 はむかし語と我もなるべき身の果ぞと一しほに悲しく龍灯のあがる時白髭の宮所につ きて神いのるにぞいとゞ身のうへはかなし菟角世にながらへる程つれなき事こそまさ れ此湖に身をなげてながく仏國のかたらひといひければ茂右衞門も惜からぬは命なが ら死ての先はしらずおもひつけたる事こそあれ二人都への書置殘し入水せしといはせ て此所を立のきいかなる國里にも行て年月を送らんといへばおさんよろこび我も宿を 出しより其心掛ありと金子五百兩挿箱に入來りしとかたればそれこそ世をわたるたね なれいよいよ爰をしのべとそれ/\に筆をのこし我/\惡心おこりてよしなきかたら ひ是天命のがれず身の置所もなく今月今日うき世の別と肌の守に一寸八ぶの如來に黒 髪のすゑを切添茂右衞門はさし馴し壹尺七寸の大脇差關和泉守銅こしらへに巻龍の鉄 鍔それぞと人の見覺しを跡に殘し二人が上着女草履男雪踏これにまで氣を付て岸根の 柳がもとに置捨此濱の獵師ちやうれんして岩飛とて水入の男をひそやかに二人やとひ て金銀とらせて有増をかたれば心やすく頼れてふけゆく時待合せけるおさんも茂右衞 門も身こしらへして借家の笹戸明掛皆/\をゆすり起して思ふ子細のあつて只今さい 期なるぞとかけ出あらけなき岩のうへにして念仏の聲幽に聞えしが二人ともに身をな げ給ふ水に音ありいつれも泣さわぐうちに茂右衞門おさんを肩に掛て山本わけて木ふ かき杉村に立のけばすゐれんは浪の下くゞりておもひもよらぬ汀にあかりけるつき% \の者共手をうつて是を歎き浦人を頼さま%\さがして甲斐なく夜も明行ば泪に形見 色色巻込京都にかへり此事を語れは人/\世間をおもひやりて外へしらさぬ内談すれ ども耳せはしき世の中此沙汰つのりて春慰にいひやむ事なくて是非もなきいたづらの 身や

3.4. 小判しらぬ休み茶屋

丹波越の身となりて道なきかたの草分衣茂右衞門おさんの手を引てやう/\峯高 くのぼりて跡おそろしくおもへば生ながら死だぶんになるこそ心ながらうたてけれな ほ行さき柴人の足形も見えず踏まよふ身の哀も今女のはかなくたどりかねて此くるし さ息も限と見えて皃色替りてかなしく岩もる雫を木の葉にそゝぎさま/\養生すれど も次第にたよりすくなく脉もしづみて今に極まりける藥にすべき物とてもなく命のお はるを待居る時耳ぢかく寄て今すこし先へ行ばしるべある里ちかしさもあらば此浮を わすれておもひのまゝに枕さだめて語らん物をとなげゝは此事おさん耳に通しうれし や命にかへての男じやものと氣を取なほしけるさては魂にれんぼ入かはり外なき其身 いたましく又屓て行程にわづかなる里の垣ねに着けり爰なん京への海道といへり馬も 行違ふ程の岨に道もありけるわら葺る軒に杉折掛て上々諸白あり餅も幾日になりぬほ こりをかづきて白き色なし片見世に茶筅土人形かぶり太鞁すこしは目馴し都めきて是 に力を得しばし休て此うれしさにあるじの老人に金子一兩とらしけるに猫に傘見せた るごとくいやな皃つきして茶の錢置給へといふさても京候此所十五里はなかりしに小 判見しらぬ里もあるよとをかしくなりぬそれより柏原といふ所に行てひさしく音信絶 て無事をもしらぬ姨のもとへ尋入て昔を語れば流石よしみとてむごからず親の茂介殿 の事のみいひ出して泪片手夜すがら咄し明ればうるはしき女らうに不思義を立いかな る御かたぞとたづね給ふに是さしあたつての迷惑此事までは分別もせずして是はわた くしの妹なるが年久しく御所方にみやづかひせしが心地なやみて都の物がたき住ひを 嫌ひ物しづかなるかゝる山家に似合の縁もかな身をひきさげて里の仕業の庭はたらき 望にて伴ひまかりける敷銀も貳百兩計たくはへありと何心もなく當座さばきに語りけ る何國もあれ欲の世中なれば此姨是におもひつきそれは幸の事こそあれ我一子いまだ 定る妻とてもなしそなたものかぬ中なれば是にと申かけられさても氣毒まさりける お さんしのびて泪を流し此行すゑいかゞあるべしと物おもふ所へ彼男夜更てかへりし其 樣すさまじやすぐれてせい高かしらは唐獅子のごとくちゞみあがりて髭は熊のまぎれ て眼赤筋立て光つよく足手其まゝ松木にひとしく身には割織を着て藤繩の組帯して鉄 炮に切火繩かますに菟狸を取入是を渡世すと見えける其名をきけば岩飛の是太郎とて 此里にかくれもなき惡人都衆と縁組の事を母親語りければむくつげなる男も是をよろ こび善はいそぎ今宵のうちにとびん鏡取出して面を見るこそやさしけれ母は盃の用意 とて塩目黒に口の欠たる酒徳利を取まはし筵屏風にて貳枚敷ほどかこひて木枕二つ薄 縁二枚横嶋のふとん一つ火鉢に割松もやして此夕一しほにいさみけるおさんかなしさ 茂右衞門迷惑かりそめの事を申出して是ぞ因果とおもひ定此口惜さまたもうきめに近 江の海にて死べき命をながらへしとても天我をのがさずと脇差取て立をおさん押とゞ めてさりとは短しさま%\分別こそあれ夜明て爰を立のくべし萬事は我にまかせ給へ と氣をしづめて其夜は心よく祝言の盃取かはし我は世の人の嫌ひ給ふひのへ午なると かたれば是太郎聞てたとへばひのへ猫にてもひのへ狼にてもそれにはかまはずそれが しは好で青どかけを喰てさへ死なぬ命今年廿八迄虫ばら一度おこらず茂右衞門殿も是 にはあやかり給へ女房共は上方そだちにして物にやはらかなるが氣にはいらねども親 類のふしやうなりとひざ枕してゆたかに臥けるかなしき中にもをかしくなつて寐入を 待かね又爰を立のきなほ奥丹波に身をかくしけるやう/\日數ふりて丹後路に入て切 戸の文珠堂につやしてまどろみしに夜半とおもふ時あらたに靈夢あり汝等世になきい たづらして何國までか其難のがれがたしされどもかへらぬむかしなり向後浮世の姿を やめて惜きとおもふ黒髪を切出家となり二人別/\に住て惡心さつて菩提の道に入ば 人も命をたすくべしとありがたき夢心にすゑ/\は何にならうともかまはしやるなこ ちや是がすきにて身に替ての脇心文珠樣は衆道ばかりの御合點女道は會てしろしめさ るまじといふかと思へばいやな夢覺て橋立の松の風ふけば塵の世じや物となほ/\や む事のなかりし

3.5. 身の上の立聞

あしき事は身に覺て博奕打まけてもだまり傾城買取あげられてかしこ皃するもの なり喧くはしひけとる分かくし買置の商人損をつゝみ是皆闇がりの犬の糞なるべし中 にもいたづらかたぎの女を持あはす男の身にして是程なさけなき物はなしおさん事も 死ければ是非もなしと其通りに世間をすまし年月のむかしを思ひ出てにくしといふ心 にも僧をまねきてなき跡を吊ひける哀や物好の小袖も旦那寺のはたてんがいと成無常 の風にひるがへし更に又なげきの種となりぬされば世の人程だいたんなるものはなし 茂右衞門そのりちぎさ闇には門へも出さりしがいつとなく身の事わすれて都ゆかしく おもひやりて風俗いやしげになし編笠ふかくかづきおさんは里人にあづけ置無用の 京 のぼり敵持身よりはなほおそろしく行に程なく廣沢あたりより暮/\になつて池に影 ふたつの月にもおさん事を思ひやりておろかなる泪に袖をひたし岩に數ちる白玉は鳴 瀧の山を跡になし御室北野の案内しるよしゝていそげば町中に入て何とやらおそろし げに十七夜の影法師も我ながら我わすれて折/\胸をひやして住馴し旦那殿の町に入 てひそかに樣子を聞ば江戸銀のおそきせんさく若いもの集て頭つきの吟味もめん着物 の仕立ぎはをあらためける是も皆色よりおこる男ぶりぞかし物語せし末を聞にさてこ そ我事申出しさても/\茂右衞門めはならびなき美人をぬすみおしからぬ命しんでも 果報といへばいかにも/\一生のおもひ出といふもありまた分別らしき人のいへるは 此茂右衞門め人間たる者の風うへにも置やつにはあらず主人夫妻をたぶらかし彼是た めしなき惡人と義理をつめてそしりける茂右衞門立聞して慥今のは大文字屋の喜介め が聲なり哀をしらずにくさけに物をいひ捨つるやつかなおのれには預り手形にして銀 八拾目の取替あり今のかはりに首おさへても取べしと齒ぎしめして立けれ共世にかく す身の是非なく無念の堪忍するうちに又ひとりのいへるは茂右衞門は今にしなずにど こぞ伊勢のあたりにおさん殿をつれて居るといのよい事をしをると語る是を聞と身に ふるひ出て俄にさむく足ばやに立のき三条の旅籠屋に宿かりて水風呂にもいらず休け るに十七夜代待の通しに十二灯を包て我身の事すゑ/\しれぬやうにと祈ける其身の 横しまあたご樣も何として助け給ふべし明れは都の名殘とて東山しのび/\に四条川 原にさがり藤田狂言つくし三番つゞきのはじまりといひけるに何事やらん見てかへり ておさんに咄しにもと圓座かりて遠目をつかひもしも我をしる人もと心元なくみしに 狂言も人の娘をぬすむ所是さへきみあしくならび先のかた見ればおさん樣の旦那殿と ましひ消てぢごくのうへの一足飛玉なる汗をかきて木戸口にかけ丹後なる里にかへり 其後は京こはがりき折節は菊の節句近付て毎年丹波より栗商人の來しが四方山の咄し の次手にいやこなたのお内義樣はと尋けるに首尾あしく返事のしてもなし旦那にがい 皃してそれはてこねたといはれける栗賣重而申は物には似た人も有物かな是の奥樣に みぢんも違はぬ人又若人も生うつしなり丹後の切戸邊に有けるよと語捨てかへる亭主 聞とがめて人遣し見けるにおさん茂右衞門なれば身うち大勢もよふしてとらへに遣し 其科のかれず樣々のせんぎ極中の使せし玉といへる女も同し道筋にひかれ粟田口の露 草とはなりぬ九月廿二日の曙のゆめさら/\さい後いやしからず世語とはなりぬ今も 淺黄の小袖の面影見るやうに名はのこりし