University of Virginia Library

方丈記

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(A)

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに 浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。 世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中に むねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひ は、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれ ば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは 造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。 所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が 中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに 生 るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる 人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりの やどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむ る。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝 顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへど も朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずと いへども、ゆふべを待つことなし。』

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(B)

およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおく れる間に世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。いにし 安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし 夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。 はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよ がほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を 宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り 行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は 煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。 空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐ なる中に、風に堪へず、吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くに して一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心なら むや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたち まちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、 資材を取り出づるに及ばず。七珍萬寶、さながら灰塵となりに き。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。 ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に 及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知ら ず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作 るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれたあぢきなくぞ 侍るべき。』

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(C)

また治承四年卯月廿九日のころ、中の御門京極のほどより、 大なるつじかぜ起りて、六條わたりまで、いかめしく吹きける こと 侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家 ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さな がらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。 又門の上を吹き放ちて、四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣を吹 き拂ひて隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつく して空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂 るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見え ず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄 の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。家の損亡するのみなら ず、これをとり繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの數 を知らず。 この風ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせ り。つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある。 たゞごとにあらず。さるべき物のさとしかなとぞ疑ひ侍りし。』

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(D)

又おなじ年の六月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外 なりし事なり。大かたこの京のはじめを聞けば、嵯峨の天皇の 御時、都とさだまりにけるより後、既に數百歳を經たり。 異なるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の 人、たやすからずうれへあへるさま、ことわりにも過ぎたり。 されどとかくいふかひなくて、みかどよりはじめ奉りて、大臣公 卿ことごとく攝津國難波の京に(八字イ無)うつり給ひぬ。 世に仕ふるほどの人、誰かひとりふるさとに殘り居らむ。官位に 思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とく うつらむとはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、ごする所な きものは、愁へながらとまり居れり。

軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝあれ行く。家はこぼたれて淀 川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、たゞ 馬鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ 願ひ、東北國の庄園をば好まず。その時、おのづから事のたより ありて、津の國今の京に到れり。所のありさまを見るに、その地 ほどせまくて、條理をわるにたらず。 北は山にそひて高く、南は海に近くてくだれり。なみの音つねに かまびすしくて、潮風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの 木の丸殿もかくやと、なかなかやうかはりて、いうなるかたも 侍りき。日々にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家はいづく につくれるにかあらむ。なほむなしき地は多く、作れる屋はすく なし。ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず。 ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。元より此處に居れ るものは、地を失ひてうれへ、今うつり住む人は、土木のわづら ひあることをなげく。道のほとりを見れば、車に乘るべきはうま に乘り、衣冠布衣なるべきはひたゝれを着たり。都のてふりたち まちにあらたまりて、唯ひなびたる武士にことならず。これは世 の亂るゝ瑞相とか聞きおけるもしるく、日を經つゝ世の中うき立 ちて、人の心も治らず、民のうれへつひにむなしからざりけれ ば、おなじ年の冬、猶この京に歸り給ひにき。されどこぼちわた せりし家どもはいかになりにけるにか、ことごとく元のやうに しも作らず。ほのかに傳へ聞くに、いにしへのかしこき御代 に は、あはれみをもて國ををさめ給ふ。則ち御殿に茅をふきて軒を だにとゝのへず。煙のともしきを見給ふ時は、かぎりあるみつぎ ものをさへゆるされき。これ民をめぐみ、世をたすけ給ふに よ りてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべ し。』

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(E)

又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が 間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、 或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五穀こと ごとくみのらず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、 秋かり冬收むるぞめきはなし。これによりて、國々の民、或は 地を捨てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。 さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、さ らにそのしるしなし。京のならひなに事につけても、みなもとは 田舍をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやは みさをも作りあへむ。

念じわびつゝ、さまざまの寶もの、かたはしより捨つるがごと くすれども、さらに目みたつる人もなし。たまたま易ふるもの は、金をかろくし、粟を重くす。乞食道の邊におほく、うれへ悲 しむ聲耳にみてり。さきの年かくの如くからくして暮れぬ。 明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまさへえやみうちそひ て、まさるやうにあとかたなし。 世の人みな飢ゑ死にければ、日を經つゝきはまり行くさま、少水 の魚のたとへに叶へり。はてには笠うちき、足ひきつゝみ、よろ しき姿したるもの、ひたすらに家ごとに乞ひありく。かくわびし れたるものどもありくかと見れば則ち斃れふしぬ。

ついひぢのつら、路頭に飢ゑ死ぬるたぐひは數もしらず。取り捨 つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くか たちありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや河原などに は、馬車の行きちがふ道だにもなし。

しづ、山がつも、力つきて、薪にさへともしくなりゆけば、たの むかたなき人は、みづから家をこぼちて市に出でゝこれを賣る に、一人がもち出でたるあたひ、猶一日が命をさゝふるにだに及 ばずとぞ。あやしき事は、かゝる薪の中に、につき、しろがねこ がねのはくなど所々につきて見ゆる木のわれあひまじれり。 これを尋ぬればすべき方なきものゝ、古寺に至りて佛をぬすみ、 堂の物の具をやぶりとりて、わりくだけるなりけり。濁惡の世に しも生れあひて、かゝる心うきわざをなむ見侍りし。』

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(F)

又あはれなること侍き。さりがたき女男など持ちたるものは、そ の思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。その ゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたは しく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりて なり。 されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にけ る。又(父イ)母が命つきて臥せるをもしらずして、いとけなき子 の、その乳房に吸ひつきつゝ、ふせるなどもありけり。 仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ、數し らず死ぬることをかなしみて、ひじりをあまたかたらひつゝ、そ の死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁をむすばしむるわ ざをなむせられける。その人數を知らむとて、四五兩月がほど かぞへたりければ、京の中、一條より南、九條より北、京極より 西、朱雀より東、道のほとりにある頭、すべて四萬二千三百あま りなむありける。いはむやその前後に死ぬるもの多く、河原、白 河、にしの京、もろもろの邊地などをくはへていはゞ際限もある べからず。いかにいはむや、諸國七道をや。

近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝるためしは ありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいと めづらかに、かなしかりしことなり。』

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(G)

また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつ ねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。 土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさ こぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。 いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全から ず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛 なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことな らず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づれば また地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば 雲にのぼらむこと難し。

おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍 りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに 侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなる あとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あと かたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出 されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りし こそあはれにかなしく見はべりしか。

子のかなしみにはたけきものも恥を忘れけりと覺えて、いとほし くことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはし ばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつね におどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎ にしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もし は一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかり や侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に 至りては殊なる變をなさず。 むかし齊衡のころかとよ、おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし 落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはし かずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心 のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしか ば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。』

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(H)

すべて世のありにくきこと、わが身とすみかとの、はかなくあだ なるさまかくのごとし。

いはむや所により、身のほどにしたがひて、心をなやますこと、 あげてかぞふべからず。もしおのづから身かずならずして、權門 のかたはらに居るものは深く悦ぶことあれども、大にたのしぶに あたはず。なげきある時も、聲をあげて泣くことなし。進退やす からず、たちゐにつけて恐れをのゝくさま、たとへば、雀の鷹の 巣に近づけるがごとし。もし貧しくして富める家の隣にをるもの は、朝夕すぼき姿を恥ぢてへつらひつゝ出で入る妻子、僮僕のう らやめるさまを見るにも、富める家のひとのないがしろなるけし きを聞くにも、心念々にうごきて時としてやすからず。 もしせばき地に居れば、近く炎上する時、その害をのがるゝこと なし。もし邊地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなれが たし。いきほひあるものは貪欲ふかく、ひとり身なるものは人に かろしめらる。寶あればおそれ多く、貧しければなげき切なり。 人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかは る。世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似た り。いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしもこの身 をやどし玉ゆらも心をなぐさむべき。』

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(I)

我が身、父の方の祖母の家をつたへて、久しく彼所に住む。その のち縁かけ、身おとろへて、しのぶかたがたしげかりしかば、つ ひにあととむることを得ずして、三十餘にして、更に我が心と一 つの庵をむすぶ。これをありしすまひになずらふるに、十分が一 なり。たゞ居屋ばかりをかまへて、はかばかしくは屋を造るにお よばず。わづかについひぢをつけりといへども、門たつるたづき なし。竹を柱として車やどりとせり。雪ふり風吹くごとに、危ふ からずしもあらず。 所は河原近ければ、水の難も深く、白波のおそれもさわがし。 すべてあらぬ世を念じ過ぐしつゝ、心をなやませることは、三十 餘年なり。その間をりをりのたがひめに、おのづから短き運を さとりぬ。すなはち五十の春をむかへて、家を出で世をそむけ り。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿 あらず、何につけてか執をとゞめむ。むなしく大原山の雲にふし て、いくそばくの春秋をかへぬる。』

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(J)

こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べる ことあり。いはゞ狩人のひとよの宿をつくり、老いたるかひこの まゆをいとなむがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれ ば、また百分が一にだもおよばず。とかくいふ程に、よはひは 年々にかたぶき、すみかはをりをりにせばし。

その家のありさまよのつねにも似ず。廣さはわづかに方丈、高さ は七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造ら ず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねを かけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむが ためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。 積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他 の用途いらず。

いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし 出して、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西 の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけ て、眉間のひかりとす。かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の 像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮 篭三四合を置く。すなはち和歌、管絃、徃生要集ごときの抄物を 入れたり。傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。いはゆるをり ごと、つき琵琶これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、 つかなみを敷きて夜の床とす。 東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。枕の方にすびつ あり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に少地をしめ、あ ばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの藥草を うゑたり。かりの庵のありさまかくのごとし。

その所のさまをいはゞ、南にかけひあり、岩をたゝみて水をため たり。林軒近ければ、つま木を拾ふにともしからず。名を外山と いふ。まさきのかづらあとをうづめり。谷しげゝれど、にしは晴 れたり。觀念のたよりなきにしもあらず。

春は藤なみを見る、紫雲のごとくして西のかたに匂ふ。夏は郭公 をきく、かたらふごとに死出の山路をちぎる。

秋は日ぐらしの聲耳に充てり。うつせみの世をかなしむかと聞 ゆ。冬は雪をあはれむ。つもりきゆるさま、罪障にたとへつべ し。もしねんぶつものうく、どきゃうまめならざる時は、みづか ら休み、みづからをこたるにさまたぐる人もなく、また恥づべき 友もなし。殊更に無言をせざれども、ひとり居ればくごふををさ めつべし。必ず禁戒をまもるとしもなけれども、境界なければ 何につけてか破らむ。もしあとの白波に身をよするあしたには、 岡のやに行きかふ船をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ、もし桂 の風、葉をならすゆふべには、潯陽の江をおもひやりて、源都督 (經信)のながれをならふ。もしあまりの興あれば、しばしば松の ひゞきに秋風の樂をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。 藝はこれつたなけれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず。 ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。』

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(K)

また麓に一つの柴の庵あり。すなはちこの山もりが居る所なり。 かしこに小童あり。時々來りてあひとぶらふ。もしつれづれなる 時は、これを友としてあそびありく。かれは十六歳、われは六 十、その齡ことの外なれど、心を慰むることはこれおなじ。ある はつばなをぬき、いはなしをとる(りイ)り。またぬかごをもり、 芹をつむ。或はすそわの田井に至りて、おちほを拾ひてほぐみを つくる。 もし日うらゝかなれば、嶺によぢのぼりて、はるかにふるさとの 空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地はぬし なければ、心を慰むるにさはりなし。あゆみわづらひなく、志遠 くいたる時は、これより峯つゞき炭山を越え、笠取を過ぎて、 石間にまうで、或は石山ををがむ。もしは、粟津の原を分けて、 蝉丸翁が迹をとぶらひ、田上川をわたりて、猿丸大夫が墓をたづ ぬ。歸るさには、をりにつけつゝ櫻をかり、紅葉をもとめ、わら びを折り、木の實を拾ひて、かつは佛に奉りかつは家づとにす。 もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び、猿の聲に袖をうるほ す。

くさむらの螢は、遠く眞木の島の篝火にまがひ、曉の雨は,おのづ から木の葉吹くあらしに似たり。山鳥のほろほろと鳴くを聞きて も、父か母かとうたがひ、みねのかせきの近くなれたるにつけて も、世にとほざかる程を知る。 或は埋火をかきおこして、老の寢 覺の友とす。おそろしき山ならねど、ふくろふの聲をあはれむに つけても、山中の景氣、折につけてつくることなし。いはむや深 く思ひ、深く知れらむ人のためには、これにしもかぎるべから ず。大かた此所に住みそめしは、あからさまとおもひしかど、今 ま(すイ)でに五とせを經たり。假の庵もやゝふる屋となりて、軒 にはくちばふかく、土居に苔むせり。 おのづから事とのたよりに都を聞けば、この山にこもり居て後、 やごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその數なら ぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。

たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞかりの 庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥 す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。がうなは ちひさき貝をこのむ、これよく身をしるによりてなり。みさごは 荒磯に居る、則ち人をおそるゝが故なり。我またかくのごとし。 身を知り世を知れらば、願はずまじらはず、たゞしづかなるをの ぞみとし、うれへなきをたのしみとす。

すべて世の人の、すみかを作るならひ、かならずしも身のために はせず。或は妻子眷屬のために作り、或は親眤朋友のためにる。 或は主君、師匠、および財寶、馬牛のためにさへこれをつくる。 我今、身のためにむすべり。人のために作らず。ゆゑいかんとな れば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もな く、たのむべきやつこもなし。たとひ廣く作れりとも、誰をかや どし、誰をかすゑん。』

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(L)

それ人の友たるものは富めるをたふとみ、ねんごろなるを先す。 かならずしも、情あると、すぐなるとをば愛せず。たゞ絲竹花月 を友とせむにはしかじ。人のやつこたるものは賞罰のはなはだし きを顧み、恩の厚きを重くす。

更にはごくみあはれぶといへども、やすく閑なるをばねがはず、 たゞ我が身を奴婢とするにはしかず。もしなすべきことあれば、 すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人を したがへ、人をかへりみるよりはやすし。 もしありくべきことあれば、みづから歩む。くるしといへども、 馬鞍牛車と心をなやますにはしか(二字似イ)ず。今ひと身をわか ちて。二つの用をなす。手のやつこ、足ののり物、よくわが心に かなへり。心また身のくるしみを知れゝば、くるしむ時はやすめ つ、まめなる時はつかふ。つかふとても、たびたび過さず。もの うしとても心をうごかすことなし。いかにいはむや、常にあり き、常に働(動イ)くは、これ養生なるべし。なんぞいたづらにや すみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますはまた罪業なり。いかゞ他の 力をかるべき。』

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(M)

衣食のたぐひまたおなじ。藤のころも、麻のふすま、得るに隨ひ てはだへをかくし。野邊のつばな、嶺の木の實、わづかに命をつ ぐばかりなり。人にまじらはざれば、姿を恥づる悔もなし。 かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。すべて かやうのこと、樂しく富める人に對していふにはあらず。たゞわ が身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるばかりなり。 大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもな し。命は天運にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮雲になず らへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの 枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。』

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(N)

それ三界は、たゞ心一つなり。心もし安からずは、牛馬七珍もよ しなく、宮殿樓閣も望なし。 今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづか ら都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりて こゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人この いへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽か ず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、 鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。 住まずしてたれかさとらむ。』

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(O)

そもそも一期の月影かたぶきて餘算山のはに近し。忽に三途のや みにむかはむ時、何のわざをかかこたむとする。

佛の人を教へ給ふおもむきは、ことにふれて執心なかれとなり。 今草の庵を愛するもとがとす、閑寂に着するもさはりなるべし。 いかゞ用なきたのしみをのべて、むなしくあたら時を過さむ。』

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(P)

しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひ ていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行 はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりに しめり。すみかは則ち淨名居士のあとをけがせりといへども、 たもつ所は、わづかに周利槃特が行にだも及ばず。

もしこれ貧賎の報のみづからなやますか、はた亦妄心のいたりて くるはせるか。その時こゝろ更に答ふることなし。たゝかたはら に舌根をやとひて不請の念佛、兩三遍を申してやみぬ。 時に建暦の二とせ、彌生の晦日比、桑門蓮胤、外山の庵にしてこ れをしるす。

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(Q)

「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。

Some Differences Between the E-Text of Hojoki and the Nihon Koten Bungaku Taikei (NKBT) Edition (Volume 30)

Note: The electronic text was prepared and compared against the authoritative text noted above by Ryuichi Takahashi. The original etext makes reference to an edition published by Meibunsha in 1907. There appear to be no differences between the etext and the print edition published by Itakuraya Shobo in 1903.


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A. E-text: 17 sections; NKBT: 5
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B. E-text: 数千人; NKBT: 数十人
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C. E-text: 廿九日; NKBT:[nothing]
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D, line 1. E-text: 又おなじ年の6月の頃; NKBT: 治承4年水無月の比
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D, line 3. E-text: 数百歳; NKBT: 四百余歳
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D, line 7. E-text: 攝津国難波の京; NKBT: [nothing]
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E, lines 28,29. E-text: しろがねこがねのはくなど; NKBT: 箔など
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F, lines 3,4. E-text: 男にもあれ女にもあれ、いたはしく思うかたに; NKBT: 人をいたはしく思うあひだに
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F, line 9. E-text: 慈尊院の大蔵卿; NKBT: [nothing]
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F, line10. E-text: ひじりをあまたかたらひつつ; NKBT: [nothing]
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G, lines12-19. E-text: その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ 七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に子家をつくり、はかなげなる あとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくずれうめられて、あとかたなくひ らにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝ えて、声もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりし か。子のかなしみにはたけきものも恥を忘れけりと覚えて、いとほしくこと わりかなとぞ見はべりし。; NKBT: [nothing]
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J. E-text: 狩人; NKBT: 旅人
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J, lines 13,14. E-text: 南にかりの日がくしをさし出して; NKBT: 東 に三尺余りの庇をさして
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J, lines 15,16. E-text: 落日をうけて、眉間のひかりとす。; NKBT: [nothing]
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J, lines 22-25. E-text: 東の垣に窓をあけて、こゝにふずくえを出 せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。庵の北に小地 をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。すなはちもろもろの薬草をう えたり。; NKBT: [nothing]
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M, lines 7-10. E-text: 大かた世をのがれ、身を捨てしより、うら みもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮 雲になずらへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕 の上にきはまれり、生涯の望みは、をりをりの美景いのこれり。; NKBT: nothing
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Q, lines 1,2. E-text: 「月かげは入る山の端もつらかりき たえぬひ かりをみるよしもがな」。; NKBT: nothing