University of Virginia Library

大塔建立

御修法の結願には、勸賞共行はる。仁和寺の御室は東寺修造せらるべし。並に後七日の御修法、大元の法、灌頂興行せらるべき由仰下さる。御弟子覺誓僧都、法印に擧せらる。座主の宮は、二品竝に牛車の宣旨を申させ給ふ。仁和寺の御室さゝへ申させ給ふによて、法眼圓良、法印に成さる。其外の勸賞共毛擧に遑あらずとぞ聞えし。中宮は日數經にければ、六波羅より内裏へ參せ給ひけり。此御娘、后に立せ給しかば、入道相國夫婦共に、「哀れ、如何にもして皇子御誕生あれかし。位に即奉て、外祖父、 外祖母と仰れん。」と願ける。我が崇奉る安藝の嚴島に申さんとて、月詣を始て、祈 り申されければ、中宮やがて、御懷姙有て、思ひのごとく皇子にて坐けるこそ目出度 けれ。

抑平家安藝の嚴島を信じ始られける事は如何にと云に、鳥羽院の御宇に清盛公未安藝守たりし時、安藝國を以て、高野の大塔を修理せよとて、渡邊遠藤六郎頼方を雜掌に附られ、六年に修理畢ぬ。修理畢て後、清盛高野へ上り、大塔拜み、奧院へ參られたりければ、何くより來る共なき老僧の、眉には霜を垂れ、額に浪を疊み、鹿杖の兩股なるにすがて、出來給へり。稍久しう御物語せさせ給ふ。「昔より今にいたる迄此れは密宗をひかへて退轉なし。天下に又も候はす。大塔既に修理終候たり。さては、安藝の嚴島、越前の氣比の宮は、兩界の垂跡で候が、氣比の宮は榮たれ共、嚴島はなきが如くに荒果て候。此次に、奏聞して修理せさせ給へ。さだにも候はば、官加階は肩を竝ぶる人、有まじきぞ。」とて立れけり。此老僧の居給へる所に異香薫じたり。人を附て見せ給へば、三町許は見給て其後は掻消すやうに失せ給ぬ。是唯人には非ず。 すなはち大師にて坐けりと、彌々尊く思召し、娑婆世界の思出にとて、高野の金堂に曼陀羅を書かれけるが、西曼陀羅をば、常明法印といふ繪師に書せらる。東曼陀羅をば、清盛書んとて、自筆にかゝれけるが、何とかおもはれけん、八葉の中尊の寶冠をば我首の血を出いて、書かれけるとぞ聞えし。

さて都へ上り、院參して、此由奏聞せられければ、君もなのめならず御感有り。猶任を延られて、嚴島を修理せらる。鳥居を立替へ、社々を造りかへ、百八十間の廻廊をぞ造られける。修理畢て、清盛嚴島へ參り、通夜せられたりける夢に、御寶殿の 内より、鬟結たる天童の出て、「是は大明神の御使なり。汝此劔を以て一天四海をし づめ、朝家の御まもりたるべし。」とて、銀の蛭卷したる小長刀を賜ると云夢を見て、 覺て後見給へば。現に枕上にぞ立たりける。大明神御託宣有て、「汝知れりや忘れり や、或聖を以て言せし事は。但惡行有らば、子孫迄は叶ふまじきぞ。」とて、大明神 あがらせ給ぬ。目出度かりし御事なり。