University of Virginia Library

法皇被流

同廿日、院御所法住寺殿には、軍兵四面を打圍む。平治に信頼が、仕たりし樣に、火をかけて、人をば皆燒殺さるべしと聞えし間、上下の女房女童、物をだに打被かず、 遽て噪で走出づ。法皇も大に驚かせおはします。前右大將宗盛卿、御車を寄て、「と う/\めさるべう候。」と奏せられければ、法皇「こはされば何事ぞや。御とがある べし共思召さず。成親俊寛が樣に遠き國遙の島へも、遷遣んずるにこそ。主上さて渡 せ給へば、政務の口入する計也。其もさるべからずば、自今以後さらでこそ有め。」 と仰ければ、宗盛卿「其儀では候はず。世を靜ん程、鳥羽殿へ御幸成參せんと、父入 道申候。」「さらば宗盛やがて御供に參れ。」と仰けれ共、父の禪門の氣色に畏を成 て、參られず。「哀れ是に附ても、兄の内府には事外に劣たる者かな。一念もかゝる 御目に逢べかりしを内府が身に代て制し停てこそ今日迄も心安かりつれ。諫むる者無しとて、か樣にするにこそ。行末とても憑しからず。」とて御涙を流させ給ふぞ忝けなき。

さて御車に召されけり。公卿殿上人、一人も供奉せられず。只北面の下臈、さては金行といふ御力者許ぞ參りける。御車の尻には、尼前一人參られたり。此尼前と申は、 法皇の御乳の人、紀伊二位の事也。七條を西へ、朱雀を南へ御幸成る。恠しの賤の男 賤の女に至るまで「あはれ法皇の流されさせましますぞや。」とて、涙を流し袖を絞 らぬは無けり。「去七日の夜の大地震も、かゝるべかりける前表にて、十六洛叉の底 迄も答へ、堅牢地神の驚きさわぎ給ひけんも理哉。」とぞ人申ける。

さて鳥羽殿へ入せ給たるに大膳大夫信成が、何として紛れ參りたりけるやらむ、御前近う候けるをめして「如何樣にも、今夜失はれなんずと思召すぞ。御行水を召さばやと思召すは如何せんずる。」と仰ければ、さらぬだに信成、今朝より肝魂も身に添はず、あきれたる樣にて有けるが、此仰承る忝さに、狩衣に玉だすきあげ、小柴墻壞、 大床のつか柱破などして、水汲入かたのごとく御湯しだいて參せたり。

又靜憲法印、入道相國の西八條の邸に行て、「夕法皇の鳥羽殿へ御幸成て候なるに、 御前に人一人も候はぬ由承るが餘に淺ましう覺え候。何か苦う候べき、靜憲ばかりは 御ゆるされ候へかし。參り給はん。」と申されければ、「とう/\、御房は事あやま つまじき人なれば。」とて許されけり。法印鳥羽殿へ參て、門前にて車よりおり、門 の内へさし入給へば、折しも法皇、御經を打上々々遊されける御聲も、殊にすごう聞えさせ給ける。法印のつと參られたれば、遊ばされける御經に、御涙のはら/\とかゝらせ給を見參せて、法印餘の悲さに、裘代の袖を顏に押當て、泣々御前へぞ參られける。御前には尼前ばかり候はれけり。「如何にや法印御房、君は昨日の朝、法住寺殿にて、供御聞召されて後は、よべも今朝も聞召も入ず。長夜すがら御寢も成らず。御命も既に危くこそ見えさせ御座ませ。」とのたまへば、法印涙を押て申されけるは、「何事も限有る事にて候へば、平家樂みさかえて二十餘年。され共惡行法に過て既に亡び候なんず。天照大神、正八幡宮爭か捨まゐらせさせ給ふべき。中にも君の御頼ある日吉山王七社、一乘守護の御誓あらたまらずば、彼法華八軸に立翔てこそ、君をば守參させ給ふらめ。しかれば政務は君の御代となり、凶徒は水の泡と消失候べし。」など申されければ、此詞に少し慰せ坐ます。

主上は關白の流され給ひ、臣下の多く亡びぬる事をこそ御歎有けるに、剩へ法皇鳥羽殿に押籠られさせ給ふと聞召されて後は、つや/\供御も聞召れず。御惱とて常は夜のおとどにのみぞ入せ給ける。きさいの宮をはじめしまゐらせて御前の女房たちいかなるべし共覺え給はず。

法皇鳥羽殿へ押籠られさせ給て後は、内裏には臨時の御神事とて、主上夜ごとに清凉殿の石灰の壇にて、伊勢太神宮をぞ御拜有ける。是は唯一向法皇の御祈也。二條院は、賢王にて渡せ給しか共、天子に父母なしとて、常は法皇の仰をも申替させましける故にや、繼體の君にてもましまさず。されば御讓を受させ給ひたりし六條院も、安元二年七月十四日御年十三にて崩御成りぬ。淺ましかりし御事也。