University of Virginia Library

一二之懸

六日の夜半ばかりまでは、熊谷平山搦手にぞ候ける。熊谷次郎、子息の小次郎を喚で云けるは、「此手は惡所を落さんずる時に、誰先といふ事も有まじ。いざうれ是より土肥が承はて向うたる播磨路へ向うて、一谷の眞先懸う。」と云ひければ、小次郎、「然べう候。直家もかうこそ申たう候つれ。さらばやがて寄せさせ給へ。」と申す。熊谷、「誠や平山も此手にあるぞかし、打込の軍好まぬ者也。平山が樣見て參れ。」とて、下人を遣はす。案の如く平山は、熊谷より先に出立て、「人をば知らず、季重に於ては一引も引まじい者を。」と、獨り言をぞし居たりける。下人が馬を飼ふとて、「憎い馬の長食哉。」とて、打ければ、「かうなせそ、其馬の名殘も、今夜ばかりぞ。」とて打立けり。下人走歸て、急ぎ此由告たりければ、「さればこそ。」とて、やがて是も打出けり。熊谷は、かちの直垂に、赤革威の鎧著て、紅の母衣を懸け、ごんだ栗毛と云ふ聞ゆる名馬にぞ乘たりける。小次郎は、澤潟を一しほすたる直垂に、節繩目の鎧著て、西樓と云ふ白月毛なる馬に乘たりけり。旗差はきぢんの直垂に、小櫻を黄にかへいたる鎧著て、黄河原毛なる馬にぞ乘たりける。落さんずる谷をば弓手になし、馬手へ歩ませゆく程に、年比人も通はぬ田井の畑と云ふ古道を經て、一谷の波打際へぞ出たりける。一谷の近く鹽屋と云ふ處に未だ夜深かりければ、土肥次郎實平、七千餘騎で引へたり。熊谷は波打際より夜に紛て、そこをつと打通り、一谷の西の木戸口にぞ押寄たる。其時は未だ夜ふかゝりければ敵の方にも靜返て音もせず。御方一騎もつゞかず。熊谷次郎子息の小次郎を喚で云ひけるは、「我も/\と先に心を懸たる人々は多かるらん。心狹う直實計とは思ふべからず。既に寄せたれども、未だ夜の明るを相待て、此邊にも引へたるらん。いざ名乘う。」とて、掻楯の際に歩ませ寄り、大音聲を揚て、「武藏國の住人熊谷次郎直實、子息の小次郎直家、一谷の先陣ぞや。」とぞ名乘たる。平家の方には、「よし/\音なせそ。敵に馬の足を疲かせよ。矢種をば射盡させよ。」とて、會釋ふ者も無りけり。

さる程に又後に武者こそ一騎續いたれ。「誰そ。」と問へば「季重」と答ふ。「問は誰そ。」「直實ぞかし。」「如何に熊谷殿はいつよりぞ。」「直實は宵よりよ。」とぞ答へける。「季重もやがて續て寄べかりけるを、成田五郎に謀れて、今迄遲々したる也。成田が死ば一所で死なうと契る間、『去らば。』とて打連寄る間『痛う平山殿、先懸早りなし給ひそ。先きを蒐ると云は、御方の勢を後に置て、蒐たればこそ、高名不覺も人に知るれ。唯一騎大勢の中にかけ入て討れたらんは、何の詮か在んずるぞ。』と制する間、げにもと思ひ、小坂の有るを先に打上せ、馬の首を下樣に引立て、御方の勢をまつ處に、成田も續て出來たり、打竝て軍の樣をも言合せんずるかと思ひたれば、さはなくて、季重をばすげなげに打見て、やがてつと馳拔通る間、あはれ此者は謀て、先懸けうとしけるよと思ひ、五六段ばかり先立たるを、あれが馬は我馬よりは弱げなる者をと目をかけ、一もみもうで追著て、『正なうも季重程の者をば謀り給ふ者哉。』と言ひかけ、打捨て寄つれば、遙に下りぬらん、よも後影をも見たらじ。」とぞ云ひける。

さる程にしのゝめ漸明行けば、熊谷平山彼是五騎でぞ控たる。熊谷は先に名乘たれとも、平山が聞くに名乘んとや思ひけん、又掻楯の際に歩ませ寄り、大音聲を揚て、 「以前に名乘つる武藏國の住人、熊谷次郎直實、子息の小次郎直家、一谷の先陣ぞや。 我と思はん平家の侍共、直家に落合へや落合へ。」とぞのゝしたる。是を聞て、「い ざや通夜名乘る熊谷親子をひさげて來ん。」とて、進む平家の侍誰々ぞ。越中次郎兵 衞盛嗣、上總五郎兵衞忠光、惡七兵衞景清、後藤内定經、是を始めてむねとの兵廿餘 騎、木戸を開いて懸出たり。こゝに平山滋目結の直垂に、緋威の鎧著て、二つ引兩の 母衣をかけ、目糟毛と云ふ聞る名馬にぞ乘たりける。旗差は黒革縅の鎧に、甲猪頸に 著ないて、さび月毛なる馬にぞ乘たりける。「保元平治兩度の合戰に先がけたりし武 藏國の住人、平山武者所季重。」と名乘て、旗差と二騎馬の鼻をならべてをめいてか く。熊谷蒐れば、平山續き、平山蒐れば熊谷續く。互にわれ劣じと、入替々々、もみもうで、火出る程ぞ攻たりける。平家の侍共、手痛うかけられて、叶はじとや思ひけん、城の内へさと引き、敵を外樣に成てぞ塞ぎける。熊谷は馬の太腹射させて、はぬれば、足をこえて下立たり。子息小次郎直家も、生年十六歳と名乘て掻楯の際に馬のはなを突する程責寄て戰ひけるが、弓手の肘を射させて、馬より飛び下、父と竝でぞ立たりける。「如何に小次郎手負たか。」「さ候。」「常に鎧つきせよ、裏掻すな、錣を傾よ、内甲射さすな。」とぞ教へける。熊谷鎧に立たる矢どもかなぐり捨て、城の内を睨まへ、大音聲を揚て、「去年の冬の比鎌倉を出しより、命をば兵衞佐殿に奉り、屍をば一谷で曝さんと思切たる直實ぞや。室山水島二箇度の合戰に高名したりと名乘る越中次郎兵衞はないか。上總五郎兵衞、惡七兵衞はないか。能登殿はましまさぬか。高名も敵に依てこそすれ。人毎に逢てはえせじ物を。直實に落合や落合へ。」とぞのゝしたる。是を聞いて、越中次郎兵衞、好む裝束なれば、紺村濃の直垂に、赤威の鎧著て、白葦毛なる馬に乘り、熊谷父子に目を懸て、歩ませ寄る。熊谷父子は中を破れじと、立竝んで、太刀を額に當て、後へは一引も引かず、彌前へぞ進みける。越中次郎兵衞叶はじとや思ひけん、取て返す。熊谷、是を見て、「如何に、あれは、越中次郎兵衞とこそ見れ。敵にはどこを嫌はうぞ。直實に押竝べて組や組め。」と云ひけれども、「さもさうず。」とて引返す。惡七兵衞是を見て、「きたない殿原の振舞やう哉。」とて、既に組んとかけ出けるを鎧の袖を引へて。「君の御大事是に限るまじ。有べうもなし。」と制せられて、組ざりけり。其後熊谷は乘替に乘て、喚いてかく。平山も熊谷父子が戰ふ紛れに、馬の息を休めて是も亦續いたり。平家の方には馬に乘たる武者はすくなし、やぐらの上に兵ども矢先を汰へて雨の降樣に射けれども、敵はすくなし、御方は多し、勢にまぎれて矢にも當らず。「唯押竝べて組や組め。」と下知しけれども、平家の馬は、乘る事は繁く、飼事は稀なり、舟には久しう立たり、彫きたる樣なりけり。熊谷平山が馬は飼に飼たる大の馬どもなり、一當當ては皆蹴倒れぬべき間、押竝べて組む武者一騎も無りけり。平山は身に替て思ひける旗差を射させて敵の中へ破て入り、やがて其敵の頸を取てぞ出たりける。熊谷も、分捕あまたしたりけり。熊谷先に寄せたれど、木戸を開ねば懸入らず。平山後に寄たれど、木戸を開たれば懸入ぬ。さてこそ熊谷平山が、一二懸をば爭けれ。