University of Virginia Library

知章最期

門脇中納言教盛卿の末子、藏人大夫成盛は、常陸國の住人土屋五郎重行に組で討たれ給ひぬ。修理大夫經盛の嫡子皇后宮亮經正は助け舟に乘らんと汀の方へ落給ひけるが、河越小太郎重房が手に取籠られて、討たれ給ひぬ。其弟、若狹守經俊、淡路守清房、尾張守清定、三騎つれて敵の中へ懸入、散々に戰ひ、分捕數多して、一所で討死してけり。

新中納言知盛卿は、生田森の大將軍にておはしけるが、其勢皆落失て、今は御子武藏守知明侍には監物太郎頼方、只主從三騎に成て助け舟に乘らんと、汀の方へ落給ふ。爰に兒玉黨と覺しくて、團扇の旗差いたる者ども、十騎計、をめいて追懸奉る。監物太郎は、究竟の弓の上手ではあり、眞先に進んだる旗差がしや頸の骨をひやうふつと射て、馬より倒に射落す。其中の大將と覺しき者、新中納言に組奉らんと馳竝べけるを、御子武藏守知明、中に隔たり、押竝べてむずと組で、どうとおち、取て抑へて頸を掻き、立上んとし給ふ處に、敵が童落合うて、武藏守の頸を討つ。監物太郎落重て、武藏守討奉たる敵が童をも討てけり。其後矢種の有る程射盡して、打物拔で戰ひけるが、敵餘た討とり、弓手の膝口を射させ、立も上らずゐながら討死してけり。此紛れに新中納言は、究竟の名馬には乘給へり、海の面廿餘町泳がせて、大臣殿の御船に著給ひぬ。御船には人多く籠乘て、馬立つべき樣も無りければ、逐返す。阿波民部重能、「御馬敵の者に成り候なんず。射殺候はん。」とて、片手矢はげて出けるを、新中納言、「何の物にも成ばなれ、我命を助けたらん者を。有べうもなし。」と宣へば、力及ばで射ざりけり。此馬主の別れを慕ひつゝ、暫しは船をも放れやらず、沖の方へ泳けるが、次第に遠く成ければ、空しき汀に泳歸る。足立つ程にも成しかば、猶船の方をかへり見て、二三度迄こそいなゝきけれ。其後陸に上て休みけるを、河越小太郎重房、取て院へ參らせたりければ、軈て院の御厩に立てられけり。本も院の御祕藏の御馬にて、一の御厩に立られたりしを、宗盛公内大臣に成て、悦申の時、給られたりけりとぞ聞えし。新中納言に預けられたりしを中納言餘に此馬を秘藏して、馬の祈の爲にとて、毎月朔日毎に、泰山府君をぞ祭られける。其故にや馬の命も延、主の命をも助けるこそ目出たけれ。此馬は信濃國井上だちにて有ければ、井上黒とぞ申ける。後には河越が取て參せたりければ、河越黒とも申けり。

新中納言、大臣殿の御前に參て、申されけるは、「武藏守に後れ候ぬ。監物太郎も討せ候ぬ。今は心細うこそ罷成て候へ。如何なる親なれば、子は有て親を扶けんと、敵に組を見ながら、いかなる親なれば、子の討るゝを扶けずして、か樣に逃れ參て候らん。人の上で候はば、いかばかり、もどかしう存候べきに、我身の上に成ぬれば、よう命は惜い者で候けりと、今こそ思知られて候へ。人々の思はれむ心の内どもこそ慚しう候へ。」とて、袖を顏に押當て、さめざめと泣き給へば、大臣殿是を聞給ひて、「武藏守の父の命に替はられけるこそありがたけれ。手もきゝ心も剛に、好き大將軍にておはしつる人を、清宗と同年にて、今年は十六な。」とて、御子衞門督のおはしける方を御覽じて、涙ぐみ給へば、幾らも竝居たりける平家の侍ども、心有も心なきも、皆鎧の袖をぞぬらしける。