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水島合戰

平家は讃岐の八島に有ながら、山陽道八箇國、南海道六箇國、都合十四箇國をぞ討取ける。木曾左馬頭是を聞き、安からぬ事也とて、やがて討手を差遣す。討手の大將には矢田判官代義清、侍大將には、信濃國の住人海野彌平四郎行廣、都合其勢七千餘騎山陽道へ馳下り、備中國水島が渡に舟を浮べて、八島へ既に寄んとす。

同閏十月一日、水島が渡に小船一艘出來たり。海士船釣船かと見る程に、さはなくして、平家方より牒の使船也。是を見て、源氏の舟五百餘艘ほしあげたるををめき叫んで下けり。平家は千餘艘でおし寄たり。平家の方の大手の大將軍には新中納言知盛卿、搦手の大將軍には能登守教經也。能登殿宣ひけるは、「如何に者共、いくさをばゆるに仕るぞ。北國の奴原に生捕られんをば、心憂とは思はずや。御方の船をば組や。」とて、千餘艘が艫綱舳綱を組合せ、中にもやひを入れ、歩の板を引渡いたれば、船の上は平々たり。源平兩方鬨を作り、矢合して、互に舟ども推合せて責戰ふ。遠きをば弓で射、近きをば太刀で切り、熊手に懸て取もあり、取るゝもあり。引組て海に入もあり。刺違へて、死ぬるもあり。思ひ/\心々に勝負をす。源氏の方の侍大將海野彌平四郎討れにけり。是を見て大將軍矢田判官代義清主從七人小舟に乘て、眞先に進で戰ふ程に、如何したりけん、船踏沈て皆死ぬ。平家は鞍置馬を船の中に立られたりければ、船差寄せ馬共引下し、打乘/\をめいて懸ければ、源氏の勢大將軍は討れぬ。我先にとぞ落行ける。平家は水島の軍に勝てこそ、會稽の恥をば雪けれ。