University of Virginia Library

猫間

泰定都へ上り、院參して、御坪の内にして、關東の樣具に奏聞しければ、法皇も御感有けり、公卿殿上人も皆ゑつぼにいり給へり。兵衞佐はかうこそゆゝしくおはしけるに、木曾左馬頭都の守護して在ける立居の振舞の無骨さ、もの云詞續の頑なる事限なし。理哉、二歳より信濃國木曾といふ山里に三十迄住馴たりしかば爭かよかるべき。或時猫間中納言光高卿といふ人。木曾に宣ひ合すべき事有て坐たりけり。郎等共「猫間殿の見參に入り申べき事ありとて入せ給ひて候。」と申ければ、木曾大に笑て、「猫は人に見參するか。」「是は猫間中納言殿と申公卿で渡せ給ふ。御宿所の名と覺え候。」と申ければ、木曾「さらば」とて對面す。猶も猫間殿とはえいはで、「猫殿のまれ/\わいたるに物よそへ。」とぞ宣ひける。中納言是を聞て「只今あるべうもなし。」と宣へば、「いかゞけときにわいたるに、さてはあるべき。」何も新き物を無鹽といふと心得て「こゝに無鹽の平茸有り、とう/\。」と急がす。根井小彌太陪膳す。田舎合子の極て大にくぼかりけるに、飯堆くよそひ、御菜三種して、平茸の汁で參せたり。木曾が前にも同じ體にて居たりけり。木曾箸取て食す。猫間殿は、合子のいぶせさに、召ざりければ、「其は義仲が精進合子ぞ。」中納言召でもさすが、あしかるべければ、箸取て食由しけり。木曾是を見て、「猫殿は小食におはしけるや。きこゆる猫おろしし給ひたり。かい給へ。」とぞ責たりける。中納言殿、か樣の事に興醒て宣ひ合すべき事も、一言も出さず、軈て急ぎ歸られけり。

木曾は、官加階したる者の、直垂で出仕せん事有べうもなかりけりとて、始て布衣とり、裝束烏帽子きはより指貫のすそまで、誠に頑なり。され共車にこのみのんぬ。鎧取て著、矢掻負ひ、弓持て、馬に乘たるには似もにず惡かりけり。牛車は八島の大臣殿の牛車也。牛飼もそれなりけり。世にしたがふ習ひなれば、とらはれてつかはれけれども、あまりのめざましさに、すゑ飼うたる牛の逸物なるが、門出る時、一標當たらうに、なじかはよかるべき。飛で出るに木曾車の内にて、あふのけに倒れぬ。蝶の羽を廣げたる樣に、左右の袖をひろげて、起む/\とすれども、なじかは起きらるべき。木曾牛飼とはえ言で、「やれ小牛健兒、やれ小牛健兒。」といひければ、車をやれといふと心得て、五六町こそあがかせたれ。今井四郎兼平鞭鐙を合て、追附て、「如何に御車をばかうは仕るぞ。」と呵りければ、「御牛の鼻が強う候。」とぞのべたりける。牛飼中直せんとや思ひけん、「其に候手がたに取著せ給へ。」と申ければ、木曾手がたに無手と取著て、「あはれ支度や、是は牛健兒がはからひか、殿の樣か。」とぞ問うたりける。さて院御所に參著き、車かけはづさせ、後より下んとしければ、京の者の雜色に使はれけるが、「車は、召され候時こそ後より召され候へ。下させ給ふには前よりこそ下させ給へ。」と申けれども、「爭で車ならんからに、すどほりをばすべき。」とて、終に後より下てけり。其外をかしき事共多かりけれども、恐て是を申さず。