University of Virginia Library

文學被流

折節御前には、太政大臣妙音院、琵琶掻鳴し朗詠目出度うせさせ給。按察大納言資方卿拍子取て風俗、催馬樂歌はれけり。右馬頭資時、四位侍從盛定、和琴掻鳴し、今樣とり%\に歌ひ、玉の簾、錦の帳の中さゞめき合ひ、誠に面白かりければ、法皇も附歌せさせ坐します。其に文學が大音聲出來て、調子も違ひ、拍子も皆亂にけり。「何者ぞ。そ頸突け。」と仰下さるる程こそ有けれ。はやりの若者共、我も我もと進ける中に、資行判官と云ふ者、走出でゝ、「何條事申ぞ。罷出よ。」と云ければ、「高雄の神護寺に庄一所寄られざらん程は全く文學いづまじ。」とて動かず。寄てそ頸を突うとしければ、勸進帳を取直し、資行判官が烏帽子を、はたと打て打落し、拳を握て、しや胸を突て、仰に撞倒す。資行判官は、髻放て、おめ/\と大床の上へ迯上る。其後文學懷より、馬の尾で柄巻たる刀の、氷の樣なるを拔出いて、寄來ん者を突うとこそ待懸たれ。左の手には勸進帳、右の手には刀を拔て走りまはる間、思設ぬ俄事では有り、左右の手に刀を持たる樣にぞ見えたりける。公卿殿上人も、こは如何に/\と噪れければ、御遊もはや荒にけり。院中の騒動斜ならず。信濃國の住人、安藤武者右宗、其頃當職の武者所で有けるが、「何事ぞ。」とて、太刀を拔て走出たり。文學悦でかゝる所を、斬ては惡かりなんとや思ひけん、太刀のみねを取直し、文學が刀持たる肘をしたゝかに打つ。打れてちと疼む處に太刀を捨てて「えたりやをう。」と、組だりける。組まれながら文學安藤武者が右の肘を突く。突れながらしめたりけり。互に劣らぬ大力なりければ、上に成り下に成り、轉合ふ所に、賢顏に、上下寄て、文學が動く所のぢやうをがうしてけり。去れ共、是を事ともせず、彌惡口放言す。門外へ引出いて、廳の下部にたぶ。ゐてひはる。ひはられて立ながら、御所の方を睨まへ、大音聲をあげて、「奉加をこそし給はざらめ。是程文學に辛い目を見せ給ひつれば、思知せ申さんずる物を。三界は皆火宅也。王宮と云ふとも、其難を遁るべからず。十善の帝位に誇たうとも、黄泉の旅に出なん後は、牛頭馬頭の責をば免れ給はじ物を。」と、躍上躍上ぞ申ける。此法師奇怪なりとて、やがて獄定せられたり。資行判官は、烏帽子打落されて恥がましさに、暫は出仕もせず。安藤武者は、文學組だる勸賞に、一臈を歴ずして、右馬允にぞ成されける。さる程に其比美福門院隱れさせ給ひて、大赦有りしかば、文學程なく赦されけり。暫はどこにも行ふべかりしが、さはなくして、又勸進帳を捧て、勸めけるが、さらば唯も無して、「あはれこの世の中は、唯今亂れ、君も臣も皆滅失んずる物を。」など、怖き事のみ申ありく間、「此法師都に置ては叶ふまじ、遠流せよ。」とて伊豆國へぞ流されける。

源三位入道の嫡子、仲綱の其比伊豆守にておはしければ其沙汰として、東海道より船にて下すべしとて、伊勢國へ將て罷りけるに、放免兩三人ぞつけられたる。是等が申けるは、「廳の下部の習、加樣の事についてこそ自らの依怙も候へ。如何に聖の御房、是程の事に逢て、遠國へ流され給ふに、知人は持給はぬか、土産粮料如きの物をも乞給へかし。」といひければ、文學は「左樣の要事いふべき得意も持たず、東山の邊にぞ得意は有る。いでさらば文を遣う。」と云ければ、怪しかる紙を尋て、得させたり。「か樣の紙で物書くやうなし。」とて、投返す。さらばとて、厚紙を尋て得させたり。文學笑て「法師は物をえ書ぬぞ、さらばおれら書け。」とて書するやう、「文學こそ、高雄の神護寺造立供養の志あて勸め候つる程に、かゝる君の代にしも逢て所願をこそ成就せざらめ。禁獄せられて剩へ伊豆國へ流罪せられ候。遠路の間で候。土産粮料如きの物も、大切に候。此使に給べし。」と書けと云ければ、いふ儘に書て、「さて誰殿へとかき候はうぞ。」「清水の觀音房へと書け。」是は廳の下部を欺くにこそ。」と申せば「さりとては文學は觀音をこそ深う憑奉たれ。さらでは誰にかは用事をば言ふべき。」とぞ申ける。

伊勢國阿濃の津より舟に乘て下りけるが、遠江國天龍灘にて、俄に大風吹き大波立て、既に此舟を打覆さんとす。水手梶取共、如何にもして、助らんとしけれども、波風彌荒ければ、或は觀音の名號を唱へ、或は最後の十念に及ぶ。されども、文學は是を事ともせず。高鼾かいて臥したりけるが、何とか思けん、今はかうと覺えける時、かはと起、船の舳に立て、奥の方を睨へ大音聲を揚て、「龍王やある、龍王やある。」とぞ喚だりける。「如何に是程の大願發いたる聖が乘たる船をば過うとはするぞ。唯今天の責蒙んずる龍神共かな。」とぞ申ける。其故にや波風程なく靜て、伊豆國へ著にけり。文學京を出ける日より祈誓する事あり。「我都に歸て、高雄の神護寺造立供養すべくば、死ぬべからず。此願空かるべくば、道にて死ぬべし。」とて、京より伊豆へ著ける迄、折節順風無りければ、浦傳ひ島傳ひして三十一日が間は、一向斷食にてぞ有ける。され共氣力少しも劣へず、行うちして居たりけり。誠に直人とも覺ぬ事共多かりけり。近藤四郎國高といふ者に預けられて、伊豆國奈古屋が奥にぞすみける。