University of Virginia Library

朝敵揃

夫れ我朝に朝敵の始めを尋ぬれば日本磐余彦尊の御宇四年、紀州名草郡、高雄村に一つの蜘蛛有り、身短く足手長くて、力人に勝れたり。人民多く損害せしかば、官軍發向して、宣旨を讀かけ、葛の網を結で、終に是を掩ひ殺す。其より以降野心を狹んで、朝威を滅んとする輩、大石の山丸、大山王子、守屋の大臣、山田の石河、蘇我の入鹿、大友の眞鳥、文屋の宮田、橘の逸勢、氷上の川繼、伊豫の親王、太宰少貳藤原の廣嗣、惠美の押勝、早良の太子、井上の皇后、藤原仲成、平將門、藤原純友、安倍貞任、對馬守源義親、惡佐府、惡衞門督に至る迄、すべて廿餘人。され共一人として、素懷を遂ぐる者なし。尸を山野に曝し、頭を獄門に懸らる。

此世にこそ王位も無下に輕けれ。昔は宣旨を向て讀ければ、枯たる草木も花咲き實なり、飛鳥も隨ひけり。中頃の事ぞかし、延喜御門神泉苑に行幸在て、池の汀に鷺の居たりけるを、六位を召て、「あの鷺取て參らせよ。」と仰ければ、爭か取らんと思けれ共、綸言なれば歩み向ふ。鷺も羽つくろひして立んとす。「宣旨ぞ。」と仰すれば、ひらんで飛去らず。是を取て參りたり。「汝が宣旨に隨て、參りたるこそ神妙なれ。やがて五位に成せ。」とて、鷺を五位にぞ成されける。「今日より後は鷺のなかの王たるべし。」と云ふ札を遊し、頸にかけて放たせ給ふ。全く鷺の御料には非ず、唯王威の程を知召んが爲也。