平家物語卷第十 平家物語卷第一 (Heike monogatari) | ||
藤戸
是を鎌倉兵衞佐返り聞給ひて、「あはれ隔なう打向ておはしたらば、命ばかりは助奉てまし。小松内府の事は愚に思ひ奉らず。其故は、故池の禪尼の使として、頼朝を流罪に申宥られしは、偏に彼内府の芳恩也。其恩爭か忘るべきなれば、子息達は疎に思はず。まして出家などせられなん上は仔細にや及べき。」とぞ宣ひける。
さる程に、平家は讃岐の八島へ歸り給ひて後、「東國より荒手の軍兵數萬騎都に著て、攻下。」とも聞ゆ。「鎭西より、臼杵、戸次、松浦黨、同心して押渡る。」とも申あへり。彼を聞き、是を聞くにも、唯耳を驚し、肝魂を消より外の事ぞなき。今度一谷にて、一門の人々のこりすくなく討たれ給ひ、むねとの侍共半過ぎて滅ぬ。今は力盡果てて、阿波民部大夫重能が兄弟、四國の者共語ひて、「さりとも。」と申けるをぞ、高き山深き海とも頼み給ひける。女房達はさしつどひて只泣より外の事ぞなき。かくて七月二十五日にも成ぬ。「去年の今日は都を出しぞかし、程なく廻り來にけり。」とて淺ましうあわたゞしかりし事共宣ひ出して泣ぬ笑ひぬぞし給ひける。
同二十八日、新帝の御即位あり。内侍所神璽寶劔もなくして、御即位の例、神武天皇より以降八十二代、是始とぞ承る。八月六日、除目おこなはれて蒲冠者範頼、參河守に成る。九郎冠者義經、左衞門尉に成さる。則使の宣旨を蒙て、九郎判官とぞ申ける。
去程に荻の上風もやう/\身にしみ、萩の下露もいよ/\滋く、恨る蟲の聲々に稻葉打そよぎ、木葉かつ散る氣色物思はざらむだにも深行く秋の旅の空は悲かるべし。まして平家の人々の心の中さこそはおはしけめと推量れてあはれ也。昔は九重の上にて、春の花を玩び、今は八島の浦にして、秋の月に悲む。凡さやけき月を詠じても、都の今夜如何なるらむと想像り、心を澄し涙を流してぞ明し暮し給ひける。左馬頭行盛かうぞ思ひつゞけ給ふ。
同九月十二日、參河守範頼、平家追討の爲にとて、西國へ發向す。相伴ふ人々、足利藏人義兼、加賀美小次郎長清、北條小四郎義時、齋院次官親義、侍大將には、土肥次郎實平、子息彌太郎遠平、三浦介義澄、子息平六義村、畠山庄司次郎重忠、同長野三郎重清、稻毛三郎重成、榛谷四郎重朝、同五郎行重、小山小四郎朝政、同長沼五郎宗政、土屋三郎宗遠、佐々木三郎盛綱、八田四郎武者朝家、安西三郎秋益、大胡三郎實秀、天野藤内遠景、比氣藤内朝宗、同藤四郎義員、中條藤次家長、一品房章玄、土佐坊正俊、此等を初として、都合其勢三萬餘騎、都を立て播磨の室にぞ著にける。
平家の方には大將軍小松新三位中將資盛、同少將有盛、丹後侍從忠房、侍大將には飛騨三郎左衞門景經、越中次郎兵衞盛次、上總五郎兵衞忠光、惡七兵衞景清を先として、五百餘艘の兵船に取乘て、備前の小島に著と聞えしかば、源氏室を立て、是も備前國、西河尻、藤戸に陣をぞ取たりける。
源平の陣の交ひ、海の面五町計を隔たり。舟無くしては輙う渡すべき樣無かりければ、源氏の大勢向の山に宿していたづらに日數を送る。平家の方よりはやりをの若者共小舟に乘て漕ぎいださせ、扇を上て、「こゝ渡せ。」とぞ招きける。源氏「安からぬ事也。如何せん。」と云ふ處に、同廿五日の夜に入て佐々木三郎盛綱浦の男を一人語て、白い小袖、大口、白鞘卷など取せ、すかしおほせて、「此海に馬にて渡しぬべき所やある。」と問ひければ、男申けるは、「浦の者共多う候へども、案内知たるは稀に候。此男こそよく存知して候へ。譬へば川の瀬の樣なる所の候が、月頭には東に候、月尻には西に候。兩方の瀬の交、海の面、十町計は候らん。此瀬は御馬にては、輙う渡させ給ふべし。」と申ければ、佐々木斜ならず悦で我が家子郎等にも知せず、彼男と只二人紛れ出て、裸になり、件の瀬の樣なる所を渡て見るに、げにも痛く深うはなかりけり。ひざ腰肩にたつ所も有り、鬢の濡る所も有り。深き所は游いで、淺き所に游ぎつく。男申けるは、「是より南は、北より遙に淺う候。敵矢先を汰へて、待ところに、裸にては叶はせ給ふまじ。是より歸らせ給へ。」と申ければ、佐々木「げにも。」とて歸りけるが、「下臈は、どこともなき者なれば、又人に語はれて、案内をも教へむずらん、我計こそ知らめ。」と思ひて、彼男を刺殺し、首掻切て棄てけり。
同二十六日の辰刻ばかり、平家又小船に乘て漕出させ扇を上て「源氏爰を渡せ。」とぞ招きける。佐々木案内はかねて知たり。滋目結の直垂に黒絲威の鎧著て、白蘆毛なる馬に乘り、家子郎等七騎颯と打入て渡しけり。大將軍參河守、「あれ制せよ、留めよ。」と宣へば、土肥次郎實平、鞭鐙を合せて追付て、「如何に佐々木殿、物の著て狂ひ給ふか。大將軍の許されもなきに、狼藉也留まり給へ。」といひけれども、耳にも聞入れず、渡しければ、土肥次郎も制しかねて、やがて連てぞ渡しける。馬のくさわき胸懸づくし、太腹につく所も有り、鞍壺越す所も有り、深き所は游がせ淺き所に打あがる。大將軍參河守是を見て、「佐々木に謀られにけり。あさかりけるぞや。渡せや、渡せ。」と下知せられければ、三萬餘騎の大勢皆打入て渡しけり。平家の方には「あはや。」とて、船共押浮べ矢先を汰て、指詰引詰散々に射る。源氏の兵共、是を事共せず、甲のしころを傾け、平家の舟に乘移り/\をめき叫んで責戰ふ。源平亂れ合ひ、或は舟踏みしづめて死ぬる者もあり。或は引返されて遽ふためく者もあり。一日戰暮して夜に入ければ、平家の舟は沖に浮ぶ。源氏は小島に打上て、人馬の息をぞ休めける。あけければ平家は八島へ漕退く。源氏は心は猛う思へども、舟なければ、追て責め戰はず。「昔より今にいたるまで馬にて河を渡す兵はありといへども、馬にて海を渡す事、天竺震旦は知らず我朝には稀代のためし也。」とて、備前の小島をぞ佐々木に給はりける鎌倉殿の御教書にも載られたり。
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