University of Virginia Library

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「それでもね、」

 とあるじは若々しいものいいで、

「お民さんが来てから、何となく勝手が違って、ちょっと 他所 よそ から帰って来ても、何だか自分の内のようじゃないんですよ。」

「あら、」

 とて すず しい目を

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みは り、鉄瓶の下に両手を揃えて、 真直 まっすぐ に当りながら、

「そんな事を言うもんじゃありません。外へといっては、それこそ田舎の芝居一つ、めったに見に出た事もないのに、はるばる一人旅で いに来たんじゃありませんか、 ひど いよ、謹さんは。」

 と美しく 打怨 うちえん ずる。

「飛んだ事を、ははは。」

 とあるじも火に かざ して、

「そんな気でいった、内らしくないではない、その下宿屋らしくないと言ったんですよ。」

「ですからね、早くおもらいなさいまし、悪いことはいいません。どんなに気がついても、しんせつでも、女中じゃ 推切 おしき って、何かすることが出来ませんからね、どうしても手が届かないがちになるんです。伯母さんも、もう今じゃ、蚊帳よりお嫁が ほし いんですよ。」

 あるじは、 きっ かぶり った。

「いいえ、よします。」

「なぜですね、謹さん。」と見上げた目に、あえて うたがい の色はなく、別に心あって映ったのであった。

「なぜというと議論になります。ただね、私は欲くないんです。

 こういえば、理窟もつけよう、またどうこうというけれどね、年よりのためにも他人の まじ らない方が気楽で いかも知れません。お民さん、 貴女 あなた がこうやって遊びに来てくれたって、知らない 婦人 おんな が居ようより、 阿母 おふくろ と私ばかりの方が、 御馳走 ごちそう は届かないにした処で、水入らずで、気が置けなくって可いじゃありませんか。」

「だって、謹さん、私がこうして居いいために、一生 貴方 あなた 、奥さんを持たないでいられますか。それも、五年と十年と、このままで居たいたって、こちらに居られます 身体 からだ じゃなし、もう二週間の上になったって、五日目ぐらいから、やいやい帰れって、言って来て、三度めに来た手紙なんぞの様子じゃ、 良人 やど の方の親類が、ああの、こうのって、面倒だから、それにつけても早々帰れじゃありませんか。また 貴下 あなた を置いて、 ほか に私の身についた縁者といってはないんですからね。どうせ帰れば近所近辺、一門一類が寄って たか って、」

 と 婀娜 あだ に唇の端を上げると、 ひそ めた眉を かす めて落ちた、 びん の毛を、 じれ ったそうに、 うしろ へ投げて 掻上 かきあ げつつ、

「この髪を

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むし りたくなるような思いをさせられるに きま ってるけれど、東京へ来たら、生意気らしい、気の大きくなった上、二寸切られるつもりになって、度胸を めて、伯母さんには 内証 ないしょ ですがね、これでも自分で あき れるほど、 了簡 りょうけん すわ っていますけれど、だってそうは御厄介になっても居られませんもの。」

「いつまでも居て下さいよ。もう、私は、女房なんぞ持とうより、貴女に遊んでいてもらう方が、どんなに いから知れやしない。」

 と 我儘 わがまま らしく熱心に言った。

 お民は ことば を途切らしつ、鉄瓶はやや に出づる。

「謹さん、」

「ええ、」

 お民は をのみ、

「ほんとうですか。」

「ほんとうですとも、まったくですよ。」

「ほんとうに、謹さん。」

「お民さんは、嘘だと思って。」

「じゃもういっそ。」

 と はげ しく 火箸 ひばし を灰について、

「帰らないでおきましょうか。」