University of Virginia Library

大地震

平家皆滅び果てゝ西國も靜まりぬ。國は國司に隨ひ、庄は領家のまゝなり。上下安堵して覺えし程に、同七月九日の午刻許に大地おびたゞしく動て良久し。赤縣の中白河の邊、六勝寺皆破れ壞る。九重の塔も上六重を震落す。得長壽院も三十三間の御堂を十七間まで振倒す。皇居を始めて、人々の家家惣て在々所々の神社佛閣、怪しの民屋、さながら破れ壞るゝ音は雷の如く、揚る塵は烟の如し。天暗うして、日の光も見えず、老少共に魂を銷し、鳥獸悉く心を盡す。又遠國近國もかくのごとし。大地裂て水湧き出で、磐石破て谷へまろぶ。山壞て河を埋み、海漂ひて濱をひたす。汀漕ぐ船は波にゆられ、陸行く駒は足の立處を失へり。洪水みなぎり來らば、岳にのぼてもなどか助ざらん。猛火燃來らば、川を隔ても暫も去ぬべし。唯悲かりけるは大地震也。鳥にあらざれば空をも翔り難く、龍にあらざれば雲にも又上がたし。白河六波羅京中に打埋れて死る者幾等といふ數をしらず。四大種の中に、水火風は常に害をなせども、大地に於ては異なる變をなさず。こは如何にしつる事ぞやとて上下遣戸障子を立て、天の鳴り地の動度毎には、唯今ぞ死ぬるとて聲々に念佛申、をめきさけぶ事おびたゞし。七八十、九十の者も、世の滅するなど云事は、さすが今日明日とはおもはずとて大に噪ぎければ、をさなき者どもも聞て、泣悲しむ事限なし。法皇はその折しも新熊野へ御幸成て、人多く打殺され觸穢出來にければ、急ぎ六波羅へ還御なる。道すがら君も臣もいかばかり御心を碎せ給ひけん。主上は鳳輦に召て、池の汀へ行幸なる。法皇は南庭にあく屋を立てぞましましける。女院宮々は、御所共皆震り倒しければ或は御輿に召し、或は御車に召て、出させ給ふ。天文の博士共馳參て、夕さりの亥子の刻には必ず大地打返すべしと申せば、怖しなども愚也。昔文徳天皇の御宇齊衡三年三月八日の大地震には、東大寺の佛の御ぐしを震落したりけるとかや。又天慶二年四月五日の大地震には、主上御殿を去て、常寧殿の前に五丈のあく屋を立ててましましけるとぞ承る。其は上代の事なれば申におよばず。今度の事は是より後も類あるべしとも覺えず。十善帝王都を出させ給て、御身を海底に沈め、大臣公卿大路を渡して其頸を獄門に懸けらる。昔より今に至るまで怨靈は怖しき事なれば世も如何あらんずらんとて心ある人の歎き悲しまぬは無かりけり。