University of Virginia Library

Search this document 

collapse section 
 1. 
 2. 
 3. 
 4. 
 5. 
 6. 
 7. 
 8. 

3. 三

 どうしても、もう、とても、生きてをられないやうな心細さ。これが、あの、 不安、とかいふ感情なのであらうか、胸に苦しい浪が打ち寄せ、それはちやうど、夕 立がすんだのちの空を、あわただしく白雲がつぎつぎと走つて走り過ぎて行くやうに、 私の心臟をしめつけたり、ゆるめたり、私の脈は結滯して、呼吸が稀薄になり、眼の さきがもやもやと暗くなつて、全身の力が、手の指の先からふつと拔けてしまふ心地 がして、編物をつづけてゆく事が出來なくなつた。

 このごろは雨が陰氣に降りつづいて、何をするにも、もの憂くて、けふはお座 敷の縁側に籐椅子を持ち出し、ことしの春にいちど編みかけてそのままにしてゐたセ エタを、また編みつづけてみる氣になつたのである。淡い牡丹色のぼやけたやうな毛 糸で、私はそれに、コバルトブルウの色を足して、セエタにするつもりなのだ。さう してこの淡い牡丹色の毛糸は、いまからもう二十年も前、私がまだ初等科にかよつて ゐた頃、お母さまがこれで私の頸卷を編んで下さつた毛糸だつた。その頸卷の端が頭 巾になつてゐて、私はそれをかぶつて鏡を覗いてみたら、小鬼のやうであつた。それ に、色が、他の學友の頸卷の色と、まるで違つてゐるので、私は、いやでいやで仕樣 が無かつた。關西の多額納税の學友が、「いい頸卷してなはるな」と、おとなびた口 調でほめて下さつたが、私はいよいよ恥づかしくなつて、もうそれからは、いちども この頸卷をした事が無く、永い事うち棄ててあつたのだ。それを、ことしの春、死藏 品の復活とやらいふ意味で、ときほぐして私のセエタにしようと思つてとりかかつて みたのだが、どうも、このぼやけたやうな色合ひが氣に入らず、又打ちすて、けふは あまりに所在ないまま、ふと取り出して、のろのろと編みつづけてみたのだ。けれど も、編んでゐるうちに、私は、この淡い牡丹色の毛糸と、灰色の雨空と、一つに溶け 合つて、なんとも言へないくらゐ柔かくてマイルドな色調を作り出してゐる事に氣が ついた。私は知らなかつたのだ。コスチウムは、空の色との調和を考へなければなら ぬものだといふ大事なことを知らなかつたのだ。調和つて、なんて美しくて素晴し い 事なんだらうと、いささか驚き、呆然とした形だつた。灰色の雨空と、淡い牡丹色の 毛糸と、その二つを組合はせると兩方が同時にいきいきして來るから不思議である。 手に持つてゐる毛糸が急にほつかり暖かく、つめたい雨空もビロウドみたいに柔かく 感ぜられる。さうして、モネーの霧の中の寺院の繪を思ひ出させる。私はこの毛糸の 色に依つて、はじめて「グウ」といふものを知らされたやうな氣がした。よいこのみ、 さうしてお母さまは、冬の雪空に、この淡い牡丹色が、どんなに美しく調和するかち やんと識つていらしてわざわざ選んで下さつたのに、私は馬鹿でいやがつて、けれど も、それを子供の私に強制しようともなさらず、私のすきなやうにさせて置かれたお 母さま、私がこの色の美しさを、本當にわかるまで、二十年間も、この色に就いて一 言も説明なさらず、默つて、そしらぬ振りして待つていらしたお母さま。しみじみ、 いいお母さまだと思ふと同時に、こんないいお母さまを、私と直治と二人でいぢめて、 困らせ弱らせ、いまに死なせてしまふのではなからうかと、ふうつとたまらない恐怖 と心配の雲が胸に湧いて、あれこれ思ひをめぐらせばめぐらすほど、前途にとてもお そろしい、惡い事ばかり豫想せられ、もう、とても、生きてをられないくらゐに不安 になり、指先の力も拔けて、編棒を膝に置き、大きい溜息をついて、顏を仰向け眼を つぶつて、

「お母さま。」

 と思はず言つた。

 お母さまは、お座敷の隅の机によりかかつて、ご本を讀んでいらしたのだが、

「はい?」

 と、不審さうに返事をなさつた。

 私は、まごつき、それから、ことさらに大聲で、

「たうとう薔薇が咲きました。お母さま、ご存じだつた? 私は、いま氣がつい た。たうとう咲いたわ。」

 お座敷のお縁側のすぐ前の薔薇。それは、和田の叔父さまが、むかし、フラン スだかイギリスだか、ちよつと忘れたけれど、とにかく遠いところからお持ち歸りに なつた薔薇で、二、三箇月前に、叔父さまが、この山莊の庭に移し植ゑて下さつた薔 薇である。けさそれが、やつと一つ咲いたのを、私はちやんと知つてゐたのだ。けれ ども、てれ隱しに、たつたいま氣づいたみたいに大げさに騒いで見せたのである。花 は、濃い紫色で、りんとした傲りと強さがあつた。

「知つてゐました。」

 とお母さまはしづかにおつしやつて、

「あなたには、そんな事が、とても重大らしいのね。」

「さうかも知れないわ。可哀さう?」

「いいえ、あなたには、さういふところがあるつて言つただけなの、お勝手のマ ツチ箱にルナアルの繪を貼つたり、お人形のハンカチイフを作つてみたり、さういふ 事が好きなのね。それに、お庭の薔薇のことだつて、あなたの言ふことを聞いてゐる と、生きてゐる人の事を言つてゐるみたい。」

「子供が無いからよ。」

 自分でも全く思ひがけなかつた言葉が口から出た。言つてしまつて、はつとし て、まの惡い思ひで膝の編物をいぢつてゐたら、

 ――二十九だからなあ。

 そうおつしやる男の人の聲が、電話で聞くやうなくすぐつたいバスで、はつき り聞えたやうな氣がして、私は恥づかしさで、頬が燒けるみたいに熱くなつた。

 お母さまは、何もおつしやらず、また、ご本をお讀みになる。お母さまは、こ なひだから

[_]
[6]ガーゼのマスクおかけになつていらして
、そ のせゐか、このごろめつきり無口になつた。そのマスクは、直治の言ひつけに從つて、 おかけになつてゐるのである。

 直治は、十日ほど前に、南方の島から蒼黒い顏になつて還つて來たのだ。

 何の前觸れも無く、夏の夕暮、裏の木戸から庭へはひつて來て、

「わあ、ひでえ。趣味のわるい家だ。來々軒。

[_]
[7]シユウマイあ ります、と、貼りふだしろよ。」

 それが私とはじめて顏を合せた時の、直治の挨拶であつた。

 その二、三日前からお母さまは、舌を病んで寢ていらした。舌の先が、外見は なんの變りも無いのに、うごかすと痛くてならぬとおつしやつて、お食事も、うすい おかゆだけで、お醫者さまに見ていただいたら? と言つても、首を振つて、

「笑はれます。」

 と苦笑ひしながら、おつしやる。ルゴールを塗つてあげたけれども、少しもき きめが無いやうで、私は妙にいらいらしてゐた。

 そこへ、直治が歸還して來たのだ。

 直治はお母さまの枕元に坐つて、ただいまと言つてお辭儀をし、すぐに立ち上 つて、小さい家の中をあちこちと見て廻り、私がその後をついて歩いて、

「どう? お母さまは、變つた?」

「變つた、變つた。やつれてしまつた。早く死にやいいんだ。こんな世の中に、 ママなんて、とても生きて行けやしねえんだ。あまりみじめで、見ちやをれねえ。」

「私は?」

「げびて來た。男が二、三人もあるやうな顏をしてゐやがる。酒は? 今夜は飮 むぜ。」

 私はこの部落でたつた一軒の宿屋へ行つて、おかみさんのお咲さんに、弟が歸 還したから、お酒を少しわけて下さい、とたのんでみたけれども、お咲さんは、お酒 はあいにく、いま切らしてゐます、といふので、歸つて直治にさう傳へたら、直治は、 見た事も無い他人のやうな表情の顏になつて、ちえつ、交渉が下手だからさうなんだ、 と言ひ、私から宿屋の在る場所を聞いて、庭下駄をつつかけて外に飛び出し、それつ きり、いくら待つても家へ歸つて來なかつた。私は直治の好きだつた燒き林檎と、そ れから、卵のお料理などこしらへて、食堂の電球も明るいのと取りかへ、ずゐぶん待 つて、そのうちに、お咲さんが、お勝手口からひよいと顏を出し、

「もし、もし。大丈夫でせうか。燒酎を召し上つてゐるのですけど。」

 と、れいの鯉の眼のやうなまんまるい眼を、さらに強く見はつて、一大事のや うに、低い聲で言ふのである。

「燒酎つて、あの、メチル?」

「いいえ、メチルぢやありませんけど。」

「飮んでも、病氣にならないのでせう?」

「ええ、でも、……」

「飮ませてやつて下さい。」

 お咲さんは、つばきを飮み込むやうにして頷いて歸つて行つた。

 私はお母さまのところに行つて、

「お咲さんのところで、飮んでゐるんですつて。」

 と申し上げたら、お母さまは、少しお口を曲げてお笑ひになつて、

「さう。阿片のはうは、よしたのかしら、あなたは、ごはんをすませなさい。そ れから今夜は、三人でこの部屋におやすみ。直治のお蒲團を、まんなかにして。」

 私は、泣きたいやうな氣持になつた。

 夜ふけて、直治は、荒い足音をさせて歸つて來た。私たちは、お座敷に三人、 一つの蚊帳にはひつて寢た。

「南方のお話を、お母さまに聞かせてあげたら?」

 と私が寢ながら言ふと、

「何も無い。何も無い。忘れてしまつた。日本に着いて汽車に乘つて、汽車の窓 から、水田が、すばらしく綺麗に見えた。それだけだ。電氣を消せよ。眠られやしね え。」

 私は電燈を消した。夏の月光が洪水のやうに蚊帳の中に滿ちあふれた。

 あくる朝、直治は寢床に腹這ひになつて煙草を吸ひながら、遠く海のはうを眺 めて、

「舌が痛いんですつて?」

 と、はじめてお母さまのお加減の惡いのに氣がついたみたいなふうの口のきき 方をした。

 お母さまは、ただ幽かにお笑ひになつた。

「そいつあ、きつと、

[_]
[8]心理的なものなんだ、夜、口をあいて おやすみになるんでせう。
だらしがない。マスクをなさい。ガーゼにリバノー ル液でもひたして、それをマスクの中にいれて置くといい。」

 私はそれを聞いて噴き出し、

「それは、何療法つていふの?」

「美學療法つていふんだ。」

「でも、お母さまは、マスクなんか、きつとおきらひよ。」

 お母さまは、マスクに限らず、眼帶でも、眼鏡でも、お顏にそんなものを附け る事は大きらひだつた筈である。

「ねえ、お母さま、マスクをなさる?」

 と私がおたづねしたら、

「致します。」

 とまじめに低くお答へになつたので、私は、はつとした。直治の言ふ事なら、 なんでも信じて從はうと思つていらつしやるらしい。

 私が朝食の後に、さつき直治が言つたとほりに、ガーゼにリバノール液をひた しなどして、マスクを作り、お母さまのところに持つて行つたら、お母さまは、默つ て受け取り、おやすみになつたままで、マスクの紐を兩方のお耳に素直におかけにな り、そのさまが、本當にもう幼い童女のやうで、私には悲しく思はれた。

 お晝すぎに、直治は、東京のお友達や、文學のはうの師匠さんなどに逢はなけ ればならぬと言つて背廣に着換へ、お母さまから、二千圓もらつて東京へ出かけて行 つてしまつた。それつきり、もう十日ちかくなるのだけれども、直治は、歸つて來な いのだ。さうして、お母さまは、毎日マスクをなさつて、直治を待つていらつしやる。

「リバノールつて、いい藥なのね。このマスクをかけてゐると、舌の痛みが消え てしまふのですよ。」

 と、笑ひながらおつしやつたけれども、私には、お母さまが嘘をついていらつ しやるやうに思はれてならないのだ。もう大丈夫、とおつしやつて、いまは起きてい らつしやるけれども、食欲はやつぱりあまり無い御樣子だし、口數もめつきり少く、 とても私は氣がかりで、直治はまあ、東京で何をしてゐるのだらう、あの小説家の上 原さんなんかと一緒に東京中を遊びまはつて、東京の狂氣の渦に卷き込まれてゐるの にちがひない、と思へば思ふほど、苦しくつらくなり、お母さまに、だしぬけに薔薇 の事など報告して、さうして、子供が無いからよ、なんて自分にも思ひがけなかつた へんな事を口走つて、いよいよ、いけなくなるばかりで、

「あ。」

 と言つて立ち上り、さて、どこへも行くところが無く、身一つをもてあまして、 ふらふら階段をのぼつて行つて、二階の洋間にはひつてみた。

 ここは、こんど直治の部屋になる筈で、四、五日前に私が、お母さまと相談し て、下の農家の中井さんにお手傳ひをたのみ、直治の洋服箪笥や本箱、また、藏書や ノートブックなど一ぱいつまつた木の箱五つ六つ、とにかく昔、西片町のお家の直治 のお部屋にあつたもの全部を、ここに持ち運び、いまに直治が東京から歸つて來たら、 直治の好きな位置に、箪笥本箱などそれぞれ据ゑる事にして、それまではただ雜然と ここに置き放しにしてゐたはうがよささうに思はれたので、もう、足の踏み場も無い くらゐに、部屋一ぱい散らかしたままで、私は、何氣なく足もとの木の箱から、直治 のノートブックを一册取りあげて見たら、そのノートブックの表紙には、

 夕顏日誌

 と書きしるされ、その中には、次のやうな事が一ぱい書き散らされてゐたので ある。直治が、あの、麻藥中毒で苦しんでゐた頃の手記のやうであつた。

 燒け死ぬる思ひ。苦しくとも、苦しと一言、半句、叫び得ぬ、古來未曾有、人 の世はじまつて以來、前例も無き、底知れぬ地獄の氣配をごまかしなさんな。

 思想? ウソだ。主義? ウソだ。理想? ウソだ。秩序? ウソだ。誠實?  眞理? 純粹? みなウソだ。牛島の藤は、樹齡千年、熊野の藤は數百年と稱へら れ、その花穗の如きも、前者で最長九尺、後者で五尺餘と聞いて、ただその花穗にの み、心がをどる。

 アレモ人ノ子。生キテヰル。

 論理は、所詮、論理への愛である。生きてゐる人間への愛では無い。

 金と女。論理は、はにかみ、そそくさと歩み去る。

 歴史、哲學、教育、宗教、法律、政治、經濟、社會、そんな學問なんかより、 ひとりの處女の微笑が尊いといふフアウスト博士の勇敢なる實證。

 學問とは、虚榮の別名である。人間が人間でなくならうとする努力である。

 ゲエテにだつて誓つて言へる。僕は、どんなにでも巧く書けます。一篇の構成 あやまたず、適度の滑稽、讀者の眼のうらを燒く悲哀、若しくは、肅然、所謂襟を正 さしめ、完璧のお小説、朗々音讀すれば、これすなはち、スクリンの説明か、はづか しくつて、書けるかつていふんだ。どだいそんな、傑作意識が、ケチくさいといふん だ。小説を讀んで襟を正すなんて、狂人の所作である。そんなら、いつそ、羽織袴で せにやなるまい。よい作品ほど、取り澄ましてゐないやうに見えるのだがなあ。僕は 友人の心からたのしさうな笑顏を見たいばかりに一篇の小説、わざとしくじつて、下 手くそに書いて、尻餅ついて頭かきかき逃げて行く。ああ、その時の、友人のうれし さうな顏つたら!

 文いたらず、人いたらぬ風情、おもちやのラッパを吹いてお聞かせ申し、ここ に日本一の馬鹿がゐます、あなたはまだいいはうですよ、健在なれ! と願ふ愛情は、 これはいつたい何でせう。

 友人、したり顏にて、あれがあいつの惡い癖、惜しいものだ、と御述懷。愛さ れてゐる事を、ご存じ無い。

 不良でない人間があるだらうか。

 味氣ない思ひ。

 金が欲しい。

 さもなくば、

 眠りながらの自然死!

 藥屋に千圓ちかき借金あり。けふ、質屋の番頭をこつそり家へ連れて來て、僕 の部屋へとほして、何かこの部屋に

[_]
[9]目めぼしい
質草あり や、あるなら持つて行け、火急に金が要る、と申せしに、番頭ろくに部屋の中を見も せず、およしなさい、あなたのお道具でもないのに、とぬかした。よろしい、それな らば、僕がいままで、僕のお小遣ひ錢で買つた品物だけ持つて行け、と威勢よく言つ て、かき集めたガラクタ、質草の資格あるしろもの一つも無し。

 まづ、片手の石膏像。これは、ヴイナスの右手。ダリヤの花にも似た片手、ま つしろい片手、これがただ臺上に載つてゐるのだ。けれども、これをよく見ると、こ れはヴイナスが、その全裸を、男に見られて、あなやの驚き、含羞旋風、裸身むざん、 薄くれなゐ、殘りくまなき、かツかツのほてり、からだをよぢつてこの手つき、その やうなヴイナスの息もとまるほどの裸身のはぢらひが、指先に指紋も無く、掌に一本 の手筋もない純白のこのきやしやな右手に依つて、こちらの胸も苦しくなるくらゐに 哀れに表情せられてゐるのが、わかる筈だ。けれども、これは、所詮、非實用のガラ クタ。番頭、五十錢と値踏みせり。

 その他、パリ近郊の大地圖、直徑一尺にちかきセルロイドの獨樂、糸よりも細 く字の書ける特製のペン先、いづれも掘り出し物のつもりで買つた品物ばかりなのだ が、番頭笑つて、もうおいとま致します、と言ふ。待て、と制止して、結局また、本 を山ほど番頭に背負はせて、金五圓也を受け取る。僕の本棚の本は、ほとんど廉價の 文庫本のみにして、しかも古本屋から仕入れしものなるに依つて、質の値もおのづか らこのやうに安いのである。

 千圓の借錢を解決せんとして、五圓也。世の中に於ける、僕の實力おほよそか くの如し。笑ひごとではない。

 デカダン? しかし、かうでもしなけりや生きてをれないんだよ。そんな事を 言つて、僕を非難する人よりは、死ね! と言つてくれる人のはうがありがたい。さ つぱりする。けれども人は、めつたに、死ね! とは言はないものだ。ケチくさく、 用心深い僞善者どもよ。

 正義? 所謂階級鬪爭の本質は、そんなところにありはせぬ。人道? 冗談ぢ やない。僕は知つてゐるよ。自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ、殺す事だ。 死ね! といふ宣告でなかつたら、何だ。ごまかしちやいけねえ。

 しかし、僕たちの階級にも、ろくな奴がゐない。白痴、幽靈、守錢奴、狂犬、 ほら吹き、ゴザイマスル、雲の上から小便。

 死ね! といふ言葉を與へるのさへ、もつたいない。

 戰爭。日本の戰爭は、ヤケクソだ。

 ヤケクソに卷き込まれて死ぬのは、いや。いつそ、ひとりで死にたいわい。

 人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顏をしてゐるものである。この頃の、 指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!

 人から尊敬されようと思はぬ人たちと遊びたい。

 けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。

 僕が早熟を裝つて見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけもの の振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振 りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々 は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂 した。僕が冷淡を裝つて見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども僕 が本當に苦しくて、思はず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを裝つてゐると噂した。

 どうも、くひちがふ。

 結局、自殺するよりほか仕樣がないのぢやないか。

 このやうに苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思つたら聲を放つて 泣いてしまつた。

 春の朝、二、三輪の花の咲き綻びた梅の枝に朝日が當つて、その枝にハイデル ベルヒの若い學生が、ほつそりと縊れて死んでゐたといふ。

「ママ! 僕を叱つて下さい!」

「どういふ工合ひに?」

「弱蟲! つて。」

「さう? 弱蟲。……もう、いいでせう?」

 ママには無類のよさがある。ママを思ふと、泣きたくなる。ママへおわびのた めにも、死ぬんだ。

 オユルシ下サイ。イマ、イチドダケ、オユルシ下サイ。

 年々や

 めしひのままに

 鶴のひな

 育ちゆくらし

 あはれ 太るも(元旦試作)

 モルヒネ アトロモール ナルコポン パントポン パビナアル パンオピン  アトロピン

 プライドとは何だ、プライドとは。

 人間は、いや、男は(おれはすぐれてゐる)(おれにはいいところがあるん だ)などと思はずに、生きて行く事が出來ぬものか。

 人をきらひ、人にきらはれる。

 ちゑくらべ。

 嚴肅=阿呆感

 とにかくね、生きてゐのだからね、インチキをやつてゐるに違ひないのさ。

 或る借錢申込みの手紙。

「御返事を。

 御返事を下さい。

 さうしてそれが必ず快報であるやうに。

 僕はさまざまの屈辱を思ひ設けて、ひとりで呻いてゐます。

 芝居をしてゐるのではありません。絶對にさうではありま せん。

 お願ひいたします。

 僕は恥づかしさのために死にさうです。

 誇張ではないのです。

 毎日毎日、御返事を待つて、夜も晝もがたがたふるへてゐるのです。

 僕に砂を噛ませないで。

 壁から忍び笑ひの聲が聞えて來て、深夜、床の中で輾轉してゐるのです。

 僕を恥づかしい目に逢はせないで。

 姉さん!」

 そこまで讀んで私は、その夕顏日誌を閉ぢ、木の箱にかへして、それから窓の はうに歩いて行き、窓を一ぱいにひらいて、白い雨に煙つてゐるお庭を見下しながら、 あの頃の事を考へた。

 もう、あれから、六年になる。直治の、この麻藥中毒が、私の離婚の原因にな つた、いいえ、さう言つてはいけない、私の離婚は、直治の麻藥中毒がなくつても、 べつな何かのきつかけで、いつかは行はれてゐるやうに、そのやうに、私の生れた時 から、さだまつてゐた事みたいな氣もする。直治は、藥屋への支拂ひに困つて、しば しば私にお金をねだつた。私は山木へ嫁いだばかりで、お金などそんなに自由になる わけは無し、また、嫁ぎ先のお金を、里の弟へこつそり融通してやるなど、たいへん 工合ひの惡い事のやうにも思はれたので、里から私に附き添つて來たばあやのお關さ んと相談して、私の腕輪や、頸飾りや、ドレスを賣つた。弟は私に、お金を下さい、 といふ手紙を寄こして、さうして、いまは苦しくて恥づかしくて、姉上と顏を合せる 事も、また電話で話する事さへ、とても出來ませんから、お金は、お關に言ひつけて、 京橋の×町×丁目のカヤノアパートに住んでゐる、姉上も名前だけはご存じの筈の、 小説家上原二郎さんのところに屆けさせるやう、上原さんは、惡徳のひとのやうに世 の中から評判されてゐるが、決してそんな人ではないから、安心してお金を上原さん のところへ屆けてやつて下さい、さうすると、上原さんがすぐに僕に電話で知らせる 事になつてゐるのですから、必ずそのやうにお願ひします、僕はこんどの中毒を、マ マにだけは氣附かれたくないのです、ママの知らぬうちに、なんとかしてこの中毒を なほしてしまふつもりなのです、僕は、こんど姉上からお金をもらつたら、それでも つて藥屋への借りを全部支拂つて、それから鹽原の別莊へでも行つて、健康なからだ になつて歸つて來るつもりなのです、本當です、藥屋の借りを全部すましたら、もう 僕は、その日から麻藥を用ゐる事はぴつたりよすつもりです、神さまに誓ひます、信 じて下さい、ママには内證に、お關をつかつてカヤノアパートの上原さんに、たのみ ます、といふやうな事が、その手紙に書かれてゐて、私はその指圖どほりに、お關さ んに、お金を持たせて、こつそり上原さんのアパートにとどけさせたものだが、弟の 手紙の誓ひは、いつも嘘で、鹽原の別莊にも行かず、藥品中毒はいよいよひどくなる ばかりの樣子で、お金をねだる手紙の文章も、悲鳴に近い苦しげな調子で、こんどこ そ藥をやめると、顏をそむけたいくらゐの哀切な誓ひをするので、また嘘かも知れぬ と思ひながらも、ついまた、ブローチなどお關さんに賣らせて、そのお金を上原さん のアパートにとどけさせるのだつた。

「上原さんつて、どんな方?」

「小柄で顏色の惡い、ぶあいそな人でございます。」

 とお關さんは答へる。

「でも、アパートにいらつしやる事は、めつたにございませぬです。たいてい、 奧さんと、六つ七つの女のお子さんと、お二人がいらつしやるだけでございます。こ の奧さんは、そんなにお綺麗でもございませぬけれども、お優しくて、よく出來たお 方のやうでございます。あの奧さんになら、安心してお金を預ける事が出來ます。」

 その頃の私は、いまの私に較べて、いいえ、較べものにも何もならぬくらゐ、 まるで違つた人みたいに、ぼんやりの、のんき者ではあつたが、それでも流石に、つ ぎつぎと續いてしかも次第に多額のお金をねだられて、たまらなく心配になり、一日、 お能からの歸り、自動車を銀座でかへして、それからひとりで歩いて京橋のカヤノア パートを訪ねた。

 上原さんは、お部屋でひとり、新聞を讀んでいらした。縞の袷に、紺緋のお羽 織を召していらして、お年寄りのやうな、お若いやうな、いままで見た事もない奇獸 のやうな、へんな初印象を私は受取つた。

「女房はいま、子供と、一緒に、配給物を取りに。」

 すこし鼻聲で、とぎれとぎれにさうおつしやる。私を、奧さんのお友達とでも 思ひちがひしたらしかつた。私が、直治の姉だと言ふ事を申し上げたら、上原さんは、 ふん、と笑つた。私は、なぜだか、ひやりとした。

「出ませうか。」

 さう言つて、もう二重廻しをひつかけ、下駄箱から新しい下駄を取り出してお はきになり、さつさとアパートの廊下を先に立つて歩かれた。

 外は、初冬の夕暮。風が、つめたかつた。隅田川から吹いて來る川風のやうな 感じであつた。上原さんは、その川風にさからふやうに、すこし右肩をあげて築地の はうに默つて歩いて行かれる。私は小走りに走りながら、その後を追つた。

 東京劇場の裏手のビルの地下室にはひつた。四、五組の客が、二十疊くらゐの 細長いお部屋で、それぞれ卓をはさんで、ひつそりお酒を飮んでゐた。

 上原さんは、コツプでお酒をお飮みになつた。さうして、私にも別なコツプを 取り寄せて下さつて、お酒をすすめた。私は、そのコツプで二杯飮んだけれども、な んともなかつた。

 上原さんは、お酒を飮み、煙草を吸ひ、さうしていつまでも默つてゐた。私は、 こんなところへ來たのは、生れてはじめての事であつたけれども、とても落ちつき、 氣分がよかつた。

「お酒でも飮むといいんだけど。」

「え?」

「いいえ、弟さん。アルコールのはうに轉換するといいんですよ。僕も昔、麻藥 中毒になつた事があつてね、あれは人が薄氣味わるがつてね、アルコールだつて同じ 樣なものなんだが、アルコールのはうは、人は案外ゆるすんだ。弟さんを、酒飮みに しちやいませう。いいでせう?」

「私、いちど、お酒飮みを見た事がありますわ。新年に、私が出掛けようとした 時、うちの運轉手の知合ひの者が、自動車の助手席で、鬼のやうな眞赤な顏をして、 ぐうぐう大いびきで眠つてゐましたの。私がおどろいて叫んだら、運轉手が、これは お酒飮みで、仕樣が無いんです、と言つて、自動車からおろして肩にかついでどこか へ連れて行きましたの。骨が無いみたいにぐつたりして、何だかそれでも、ぶつぶつ 言つてゐて、私あの時、はじめてお酒飮みつてものを見たのですけど、面白かつた わ。」

「僕だつて、酒飮みです。」

「あら、だつて、違ふんでせう?」

「あなただつて、酒飮みです。」

「そんな事は、ありませんわ。私は、お酒飮みを見た事があるんですもの。まる で違ひますわ。」

 上原さんは、はじめて樂しさうにお笑ひになつて、

「それでは、弟さんも、酒飮みにはなれないかも知れませんが、とにかく、酒を 飮む人になつたはうがいい。歸りませう。おそくなると、困るんでせう?」

「いいえ、かまはないんですの。」

「いや、實は、こつちが窮屈でいけねえんだ。ねえさん! 會計!」

「うんと高いのでせうか、少しなら、私持つてゐるんですけど。」

「さう。そんなら、會計は、あなただ。」

「足りないかも知れませんわ。」

 私は、バツクの中を見て、お金がいくらあるかを上原さんに教へた。

「それだけあれば、もう二、三軒飮める。馬鹿にしてやがる。」

 上原さんは顏をしかめておつしやつてそれから笑つた。

「どこかへ、また、飮みにおいでになりますか?」

 と、おたづねしたら、まじめに首を振つて、

「いや、もうたくさん。タキシーを拾つてあげますから、お歸りなさい。」

 私たちは、地下室の暗い階段をのぼつて行つた。一歩さきにのぼつて行く上原 さんが、階段の中頃で、くるりとこちら向きになり、素早く私にキスをした。私は唇 を固く閉ぢたまま、それを受けた。

 べつに何も、上原さんをすきでなかつたのに、それでも、その時から私に、あ の「ひめごと」が出來てしまつたのだ。かたかたかたと、上原さんは走つて階段を上 つて行つて、私は不思議な透明な氣分で、ゆつくり上つて、外へ出たら、川風が頬に とても氣持よかつた。

 上原さんに、タキシーを拾つていただいて、私たちは默つてわかれた。

 車にゆられながら、私は世間が急に海のやうにひろくなつたやうな氣持がした。

「私には、戀人があるの。」

 或る日、私は、夫からおこごとをいただいて淋しくなつて、ふつとさう言つた。

「知つてゐます。細田でせう? どうしても、思ひ切る事が出來ないのですか?」

 私は默つてゐた。

 その問題が、何か氣まづい事の起る度毎に、私たち夫婦の間に持ち出されるや うになつた。もうこれは、だめなんだ、と私は思つた。ドレスの生地を間違つて裁斷 した時みたいに、もうその生地は縫ひ合せる事も出來ず、全部捨てて、また別の新し い生地の裁斷にとりかからなければならぬ。

「まさか、その、おなかの子は。」

 と或る夜、夫に言はれた時には、私はあまりおそろしくて、がたがた震へた。 いま思ふと、私も夫も、若かつたのだ。私は、戀も知らなかつた。愛さへ、わからな かつた。私は、細田さまのおかきになる繪に夢中になつて、あんなお方の奧さまにな つたら、どんなに、まあ、美しい日常生活を營むことが出來るでせう、あんなよい趣 味のお方と結婚するのでなければ、結婚なんて無意味だわ、と私は誰にでも言ひふら してゐたので、そのために、みんなに誤解されて、それでも私は、戀も愛もわからず、 平氣で細田さまを好きだといふ事を公言し、取消さうともしなかつたので、へんにも つれて、その頃、私のおなかで眠つてゐた小さい赤ちやんまで、夫の疑惑の的になつ たりして、誰ひとり離婚などあらはに言ひ出したお方もゐなかつたのに、いつのまに やら周圍が白々しくなつていつて、私は附き添ひのお關さんと一緒に里のお母さまの ところに歸つて、それから、赤ちやんが死んで生れて、私は病氣になつて寢込んで、 もう、山木との間は、

[_]
[10]それつきりなつてしまつたのだ。

 直治は、私が離婚になつたといふ事に、何か責任みたいなものを感じたのか、 僕は死ぬよ、と言つて、わあわあ聲を擧げて、顏が腐つてしまふくらゐに泣いた。私 は弟に、藥屋の借りがいくらになつてゐるのかたづねてみたら、それはおそろしいほ どの金額であつた。しかも、それは弟が實際の金額を言へなくて、嘘をついてゐたの があとでわかつた。あとで判明した實際の總額は、その時に弟が私に教へた金額の約 三倍ちかくあつたのである。

「私、上原さんに逢つたわ。いいお方ね。これから、上原さんと一緒にお酒を飮 んで遊んだらどう? お酒つて、とても安いものぢやないの、お酒のお金くらゐだつ たら、私いつでもあなたにあげるわ。藥屋の拂ひの事も、心配しないで。どうにか、 なるわよ。」

 私が上原さんと逢つて、さうして上原さんをいいお方だと言つたのが、弟を何 だかひどく喜ばせたやうで、弟は、その夜、私からお金をもらつて早速、上原さんの ところに遊びに行つた。

 中毒は、それこそ、精神の病氣なのかも知れない。私が上原さんをほめて、さ うして弟から上原さんの著書を借りて讀んで、偉いお方ねえ、などと言ふと、弟は、 姉さんなんかにはわかるもんか、と言つて、それでも、とてもうれしさうに、ぢやあ これを讀んでごらん、とまた別の上原さんの著書を私に讀ませ、そのうちに私も上原 さんの小説を本氣に讀むやうになつて、二人であれこれ上原さんの噂などして、弟は 毎晩のやうに上原さんのところに大威張りで遊びに行き、だんだん上原さんの御計畫 どほりにアルコールのはうへ轉換していつたやうであつた。藥屋の支拂ひに就いて、 私がお母さまにこつそり相談したら、お母さまは、片手でお顏を覆ひなさつて、しば らくじつとしていらつしやつたが、やがてお顏を擧げて淋しさうにお笑ひになり、考 へたつて仕樣が無いわね、何年かかるかわからないけど、毎月すこしづつでもかへし て行きませうよ、とおつしやつた。

 あれから、もう六年になる。

 夕顏。ああ、弟も苦しいのだらう。しかも、途がふさがつて、何をどうすれば いいのか、いまだに何もわかつてゐないのだらう。ただ、毎日、死ぬ氣でお酒を飮ん でゐるのだらう。

 いつそ思ひ切つて、本職の不良になつてしまつたらどうだらう。さうすると、 弟もかへつて樂になるのではあるまいか。

 不良でない人間があるだらうか、とあのノートブックに書かれてゐたけれども、 さう言はれてみると、私だつて不良、叔父さまも不良、お母さまだつて、不良みたい に思はれて來る。不良とは、優しさの事ではないかしら。

[_]
[6] Dazai Zenshu reads ガーゼのマスクをおかけになつていらして.
[_]
[7] Dazai Zenshu reads シユウマイあります、と貼りふだしろよ。」.
[_]
[8] Dazai Zenshu reads 心理的なものなんだ。夜、口をあいておやすみになるんでせう。.
[_]
[9] Dazai Zenshu reads 目ぼしい.
[_]
[10] Dazai Zenshu reads それつきりになつてしまつたのだ。.