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7. 七

 直治の遺書。

 姉さん。

 だめだ。さきに行くよ。

 僕は自分がなぜ生きてゐなければならないのか、それが全然わからないのです。

 生きてゐたい人だけは、生きるがよい。

 人間には生きる權利があると同樣に、死ぬる權利もある筈です。

 僕のこんな考へ方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな當り前の、そ れこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこはがつて、あからさまに口に出して言はないだけなんです。

 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き拔くべきであり、そ れは見事で、人の榮冠とでもいふものも、きつとその邊にあるのでせうが、しかし、死ぬことだつて、罪では無いと思ふんです。

 僕は、僕といふ草は、この世の空氣と陽の中に、生きにくいんです。生きて行 くのに、どこか一つ缺けてゐるんです。足りないんです。いままで、生きて來たのも、 これでも精一ぱいだつたのです。

 僕は高等學校へはひつて、僕の育つて來た階級と全くちがふ階級に育つて來た 強くたくましい草の友人と、はじめて附き合ひ、その勢ひに押され、負けまいとして、 麻藥を用ゐ、半狂亂になつて抵抗しました。それから兵隊になつて、やはりそこでも、 生きる最後の手段として阿片を用ゐました。姉さんには僕のこんな氣持、わからねえ だらうな。

 僕は下品になりたかつた。強く、いや強暴になりたかつた。さうして、それが、 所謂民衆の友になり得る唯一の道だと思つたのです。お酒くらゐでは、とても駄目だ つたんです。いつも、くらくら目まひをしてゐなければならなかつた んです。そのためには麻藥以外になかつたのです。僕は家を忘れなければならない。父の血に反抗しなければならない。母の優しさを、拒否しなければならない。姉に冷たくしなければならない。さうでなければ、あの民衆の部屋にはひる入場券が得られないと思つてゐたんです。

 僕は下品になりました。下品な言葉づかひをするやうになりました。けれども、 それは半分は、いや、六十パーセントは、哀れな附け燒刃でした。へたな小細工でし た。民衆にとつて、僕はやはり、キザつたらしく乙にすました氣づまりの男でした。 彼等は僕と、しんから打ち解けて遊んでくれはしないのです。しかし、また、いまさ ら捨てたサロンに歸ることも出來ません。いまでは僕の下品は、たとひ六十パーセン トは人工の附け燒刃でも、しかし、あとの四十パーセントは、ほんものの下品になつ てゐるのです。僕はあの、所謂上級サロンの鼻持ちならないお上品さには、ゲロが出 さうで、一刻も我慢できなくなつてゐますし、また、あのおえらがたとか、お歴々と か稱せられてゐる人たちも、僕のお行儀の惡さに呆れてすぐさま放逐するでせう。捨 てた世界に歸ることも出來ず、民衆からは惡意に滿ちたクソていねいの傍聽席を與へ られてゐるだけなんです。

 いつの世でも、僕のやうな謂はば生活力が弱くて、缺陷のある草は、思想もク ソも無いただおのづから消滅するだけの運命のものなのかも知れませんが、しかし、僕にも、少しは言ひぶんがあるのです。とても僕には生きにくい、事情を感じてゐるんです。

 人間は、みな、同じものだ。

 これは、いつたい、思想でせうか。僕はこの不思議な言葉を發明したひとは、 宗教家でも哲學者でも藝術家でも無いやうに思ひます。民衆の酒場からわいて出た言葉です。蛆がわくやうに、いつのまにやら、誰が言ひ出したともなく、もくもく湧いて出て、全世界を覆ひ、世界を氣まづいものにしました。

 この不思議な言葉は、民主々義とも、またマルキシズムとも、全然無關係のも のなのです。それは、かならず、酒場に於いて醜男が美男子に向つて投げつけた言葉です。ただの、イライラです。嫉妬です。思想でも何でも、ありやしないんです。

 けれども、その酒場のやきもちの怒聲が、へんに思想めいた顏つきをして民衆 のあひだを練り歩き、民主々義ともマルキシズムとも全然、無關係の言葉の筈なのに、 いつのまにやら、その政治思想や經濟思想にからみつき、奇妙に下劣なあんばいにし てしまつたのです。メフイストだつて、こんな無茶な放言を、思想とすりかへるなん て藝當は、さすがに良心に恥ぢて、躊躇したかも知れません。

 人間は、みな、同じものだ。

 なんといふ卑屈な言葉であらう。人をいやしめると同時に、みづからをもいや しめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるやうな言葉。マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言はぬ。民主々義は、個人の尊嚴を主張する。同じものだ、などとは言はぬ。ただ牛太郎だけがそれを言ふ。

「へへ、いくら氣取つたつて、同じ人間ぢやねえか。」

 なぜ、同じだと言ふのか。優れてゐる、と言へないのか。 奴隷根性の復讐。

 けれども、この言葉は、實に猥せつで、不氣味で、ひとは互ひにおびえ、あら ゆる思想が姦せられ、努力は嘲笑せられ、幸福は否定せられ、美貌はけがされ、光榮は引きずりおろされ、所謂「世紀の不安」は、この不思議な一語からはつしてゐると僕は思つてゐるんです。

 イヤな言葉だと思ひながら、僕もやはりこの言葉に脅迫せられ、おびえて震へ て、何を仕樣としてもてれくさく、絶えず不安で、ドキドキして身の置きどころが無く、いつそ酒や麻藥の目まひに依つてつかのまの落ちつきを得たくて、そうして、めちやくちやになりました。

 弱いのでせう。どこか一つ重大な缺陷のある草なのでせう。また、何かとそ んな小理窟を並べたつて、なあに、もともと遊びが好きなのさ、なまけ者の、助平の、 身勝手な快樂兒なのさ、と、れいの牛太郎がせせら笑つて言ふかも知れません。さう して、僕はさう言はれても、いままでは、ただてれて、あいまいに首肯してゐました が、しかし、僕も死ぬに當つて、一言、抗議めいた事を言つて置きたい。

 姉さん。

 信じて下さい。

 僕は、遊んでも少しも樂しくなかつたのです。快樂のイム ポテンツなのかも知れません。僕はただ、貴族といふ自身の影法師から離れたくて、狂ひ、遊び、荒んでゐました。

 姉さん。

 いつたい、僕たちに罪があるのでせうか。貴族に生れたのは僕 たちの罪でせうか。ただ、その家に生れただけに、僕たちは、永遠に、たとへばユダの身内の者みたいに、恐縮し、謝罪し、はにかんで生きてゐなければならない。

 僕は、もつと早く死ぬべきだつた。しかし、たつた一つ、ママの愛情。それを 思ふと、死ねなかつた。人間は、自由に生きる權利を持つてゐると同樣に、いつでも勝手に死ねる權利を持つてゐるのだけれども、しかし、「母」の生きてゐるあひだは、 その死の權利は留保されなければならないと僕は考へてゐるんです。それは同時に、 「母」をも殺してしまふ事になるのですから。

 いまはもう、僕が死んでも、からだを惡くするほど悲しむひともゐないし、い いえ姉さん、僕は知つてゐるんです、僕を失つたあなたたちの悲しみはどの程度のものだか、いいえ、虚飾の感傷はよしませう、あなたたちは僕の死を知つたら、きつとお泣きになるでせうが、しかし、僕の生きてゐる苦しみと、さうしてそのイヤな生から完全に解放される僕のよろこびを思つてみて下さつたら、あなたたちのその悲しみは、次第に打ち消されて行く事と存じます。

 僕の自殺を非難し、あくまでも生き伸びるべきであつた、と僕になんの助力も 與へず口先だけで、したり顏に批判するひとは、陛下に菓物屋をおひらきなさるやう平氣でおすすめ出來るほどの大偉人にちがひございませぬ。

 姉さん。

 僕は死んだはうがいいんです。僕には、所謂生活能力が無いんです。お金の事 で、人と爭ふ力が無いんです。僕は、人にたかる事さへ出來ないんです。上原さんと遊んでも、僕のぶんのお勘定は、いつも僕が拂つて來ました。上原さんは、それを貴族のケチくさいプライドだと言つて、とてもいやがつてゐましたが、しかし、僕は、プライドで支拂ふのではなくて、上原さんのお仕事で得たお金で、僕がつまらなく飮み食ひして、女を抱くなど、おそろしくて、とても出來ないのです。上原さんのお仕事を尊敬してゐるから、と簡單に言ひ切つてしまつても、ウソで、僕にも本當は、はつきりわかつてゐないんです。ただ、ひとのごちそうになるのが、そらおそろしいんです。殊にも、そのひとご自身の腕一本で得たお金で、ごちそうになるのは、つらくて、心苦しくてたまらないんです。

 さうしてただもう、自分の家からお金や品物を持ち出して、ママやあなたを悲 しませ、僕自身も、少しも樂しくなく、出版業など計畫したのも、ただ、てれかくしのお體裁で、實はちつとも本氣で無かつたのです。本氣でやつてみたところで、ひとのごちそうにさへなれないやうな男が、金まうけなんて、とてもとても出來やしないのは、いくら僕が愚かでも、それくらゐの事には氣附いてゐます。

 姉さん。

 僕たちは、貧乏になつてしまひました。生きて在るうちは、ひとにごちそうし たいと思つてゐたのに、もう、ひとのごちそうにならなければ生きて行けなくなりました。

 姉さん。

 この上、僕は、なぜ生きてゐなければならねえのかね? もう、だめなんだ。 僕は、死にます。らくに死ねる藥があるんです。兵隊の時に、手にいれて置いたのです。

 姉さんは美しく、(僕は美しい母と姉を誇りにしてゐました)さうして、賢明 だから、僕は姉さんの事に就いては、なんにも心配してゐませぬ。心配などする資格さへ僕には有りません。どろぼうが被害者の身の上を思ひやるみたいなもので、赤面するばかりです。きつと姉さんは、結婚なさつて、子供が出來て、夫にたよつて生き拔いて行くのではないかと僕は、思つてゐるんです。

 姉さん。

 僕に、一つ、祕密があるんです。

 永いこと、祕めに祕めて、戰地にゐても、そのひとの事を思ひつめて、そのひ との夢を見て、目がさめて、泣きべそをかいた事も幾度あつたか知れません。

 そのひとの名は、とても誰にも、口がくさつても言はれないんです。僕は、い ま死ぬのだから、せめて、姉さんにだけでも、はつきり言つて置かうか、と思ひましたが、やつぱり、どうにもおそろしくて、その名を言ふことが出來ません。

 でも、僕はその祕密を、絶對祕密のまま、たうとうこの世で誰にも打ち明けず、 胸の奧に藏して死んだならば、僕のからだが火葬にされても、胸の裏だけが生臭く燒 け殘るやうな氣がして、不安でたまらないので、姉さんにだけ、遠まはしに、ぼんや り、フイクシヨンみたいにして教へて置きます。フイクシヨン、といつても、しかし、 姉さんは、きつとすぐその相手のひとは誰だか、お氣附きになる筈です。フイクシヨ ンといふよりは、ただ假名を用ゐる程度のごまかしなのですから。

 姉さんは、ご存じかな?

 姉さんはそのひとをご存じの筈ですが、しかし、おそらく、逢つた事は無いで せう。そのひとは、姉さんよりも、少し年上です。一重瞼で、目尻が吊り上つて、髮にパーマネントなどかけた事が無く、いつも強く、ひつつめ髮、とでもいふのかしら、 そんな地味な髮形で、さうして、とても貧しい服裝で、けれどもだらしない恰好では なくて、いつもきちんと着附けて、清潔です。そのひとは戰後あたらしいタツチの畫 をつぎつぎと發表して急に有名になつた或る中年の洋畫家の奧さんで、その洋畫家の 行ひは、たいへん亂暴ですさんだものなのに、その奧さんは平氣を裝つて、いつも優 しく微笑んで暮してゐるのです。

 僕は立ち上つて、

「それでは、おいとま致します。」

 そのひとも立ち上つて、何の警戒も無く、僕の傍に歩み寄つて、僕の顏を見上 げ、

「なぜ?」

 と普通の音聲で言ひ、本當に不審のやうに少し小首をかしげて、しばらく僕の 眼を見つづけてゐました。さうして、そのひとの眼に、何の邪心も虚飾も無く、僕は女のひとと視線が合へば、うろたへて視線をはづしてしまふたちなのですが、その時だけは、みぢんも含羞を感じないで、二人の顏が一尺くらゐの間隔で、六十秒もそれ以上もとてもいい氣持で、そのひとの瞳を見つめて、それからつい微笑んでしまつて、

「でも、……」

「すぐ歸りますわよ。」

 と、やはり、まじめな顏をして言ひます。

 正直、とは、こんな感じの表情を言ふのではないかしら、とふと思ひました。 それは修身教科書くさい、いかめしい徳ではなくて、正直といふ言葉で表現せられた本來の徳は、こんな可愛らしいものではなかつたかしら、と考へました。

「またまゐります。」

「さう。」

 はじめから終りまで、すべてみな何でもない會話です。僕が、或る夏の日の午 後、その洋畫家のアパートをたづねて行つて、洋畫家は不在で、けれどもすぐ歸る筈ですから、おあがりになつてお待ちになつたら? といふ奧さんの言葉に從つて、部屋にあがつて、三十分ばかり雜誌など讀んで、歸つて來さうも無かつたから、立ち上つて、おいとました、それだけの事だつたのですが、僕は、その日のその時の、そのひとの瞳に、くるしい戀をしちやつたのです。

 高貴、とでも言つたらいいのかしら。僕の周圍の貴族の中には、ママはとにか く、あんな無警戒な「正直」な眼の表情の出來る人は、ひとりもゐなかつた事だけは斷言できます。

 それから僕は、或る冬の夕方、そのひとのプロフイルに打たれた事があります。 やはり、その洋畫家のアパートで、洋畫家の相手をさせられて、炬燵にはひつて朝か ら酒を飮み、洋畫家と共に、日本の所謂文化人たちをクソミソに言ひ合つて笑ひころ げ、やがて洋畫家は倒れて大鼾をかいて眠り、僕も横になつてうとうとしてゐたら、 ふはと毛布がかかり、僕は薄目をあけてみたら、東京の冬の夕空は水色に澄んで、奧 さんはお孃さんを抱いてアパートの窓縁に、何事も無ささうにして腰をかけ、奧さん の端正なプロフイルが、水色の遠い夕空をバックにして、あのルネッサンスの頃のプ ロフイルの畫のやうにあざやかに輪郭が區切られ浮んで、僕にそつと毛布をかけて下 さつた親切は、それは何の色氣でも無く、慾でも無く、ああ、ヒユウマニテイといふ 言葉はこんな時にこそ使用されて蘇生する言葉なのではなからうか、ひとの當然の佗 びしい思ひやりとして、ほとんど無意識みたいになされたもののやうに、繪とそつく りの靜かな氣配で、遠くを眺めていらつしやつた。

 僕は眼をつぶつて、こひしく、こがれて狂ふやうな氣持ちになり、瞼の裏から 涙があふれ出て、毛布を頭から引かぶつてしまひました。

 姉さん。

 僕がその洋畫家のところに遊びに行つたのは、それは、さいしよはその洋畫家 の作品の特異なタッチと、その底に祕められた熱狂的なパッシヨンに、醉はされたせゐでありましたが、しかし、附き合ひの深くなるにつれて、そのひとの無教養、出鱈目、きたならしさに興覺めて、さうして、それと反比例して、そのひとの奧さんの心情の美しさにひかれ、いいえ、正しい愛情のひとがこひしくて、したはしくて、奧さんの姿を一目見たくて、あの洋畫家の家へ遊びに行くやうになりました。

 あの洋畫家の作品に、多少でも、藝術の高貴なにほひ、とでもいつたやうなも のが現れてゐるとすれば、それは、奧さんの優しい心の反映ではなからうかとさへ、僕は

[_]
[18]いままでは
考へてゐるんです。

 その洋畫家は、僕はいまこそ、感じたままをはつきり言ひますが、ただ大酒飮 みで遊び好きの、巧妙な商人なのです。遊ぶ金がほしさに、ただ出鱈目にカンヴァスに繪具をぬたくつて、流行の勢ひに乘り、もつたい振つて高く賣つてゐるのです。あのひとの持つてゐるのは、田舎者の圖々しさ、馬鹿な自信、ずるい商才、それだけなんです。

 おそらくあのひとは、他のひとの繪は、外國人の繪でも日本人の繪でも、なん にもわかつてゐないでせう。おまけに、自分で畫いてゐる繪も、何の事やらご自身わかつてゐないでせう。ただ遊興のための金がほしさに、無我夢中で繪具をカンヴァスにぬたくつてゐるだけなんです。

 さうして、さらに驚くべき事は、あのひとはご自身のそんな出鱈目に、何の疑 ひも、羞恥も、恐怖も、お持ちになつてゐないらしいといふ事です。

 ただもう、お得意なんです。何せ、自分で畫いた繪が自分でわからぬといふひ となのですから、他人の仕事のよさなどわかる筈が無く、いやもう、けなす事、けなす事。

 つまり、あのひとのデカタン生活は、口では何のかのと苦しさうな事を言つて ゐますけれども、その實は、馬鹿な田舎者が、かねてあこがれの都に出て、かれ自身意外なくらゐの成功をしたので有頂天になつて遊びまはつてゐるだけなんです。

 いつか僕が、

「友人がみな怠けて遊んでゐる時、自分ひとりだけ勉強するのは、てれくさくて、 おそろしくて、とてもだめだから、ちつとも遊びたくなくても、自分も仲間入りして 遊ぶ。」

 と言つたら、その中年の洋畫家は、

「へえ? それが貴族氣質といふものかね、いやらしい。僕は、ひとが遊んでゐ るのを見ると、自分も遊ばなければ、損だ、と思つて大いに遊ぶね。」

 と答へて平然たるものでしたが、僕はその時、その洋畫家を、しんから輕蔑し ました。このひとの放埒には苦惱が無い。むしろ馬鹿遊びを自慢にしてゐる。ほんものの阿呆の快樂兒。

 けれども、この洋畫家の惡口をこの上さまざまに述べ立てても、姉さんには關 係の無い事ですし、また僕もいま死ぬるに當つて、やはりあのひととの永いつき合ひを思ひ、なつかしく、もう一度逢つて遊びたい衝動をこそ感じますが、憎い氣はちつとも無いのですし、あのひとだつて淋しがりの、とてもいいところをたくさん持つてゐるひとなのですから、もう何も言ひません。

 ただ、僕は姉さんに、僕がそのひとの奧さんにこがれて、うろうろして、つら かつたといふ事だけを知つていただいたらいいのです。だから、姉さんはそれを知つても、別段、誰かにその事を訴へ、弟の生前の思ひをとげさせてやるとか何とか、そんなキザなおせつかいなどなさる必要は絶對に無いのですし、姉さんおひとりだけが知つて、さうして、こつそり、ああ、さうか、と思つて下さつたらそれでいいんです。 なほまた慾を言へば、こんな僕の恥づかしい告白に依つて、せめて姉さんだけでも、 僕のこれまでの生命の苦しさを、さらに深くわかつて下さつたら、とても僕は、うれ しく思ひます。

 僕はいつか、奧さんと、手を握り合つた夢を見ました。さうして奧さんも、や はりずつと以前から僕を好きだつたのだといふ事を知り、夢から醒めても、僕の手の ひらに奧さんの指のあたたかさが殘つてゐて、僕はもう、これだけで滿足して、あき らめなければなるまいと思ひました。道徳がおそろしかつたのではなく、僕にはあの 半氣違ひの、いや、ほとんど狂人と言つてもいいあの洋畫家が、おそろしくてならな いのでした。あきらめようと思ひ、胸の火をほかへ向けようとして、手當り次第、さ すがのあの洋畫家も或る夜しかめつらをしたくらゐひどく、滅茶苦茶にいろんな女と 遊び狂ひました。何とかして、奧さんの幻から離れ、忘れ、なんでもなくなりたかつ たんです。けれども、だめ。僕は、結局、ひとりの女にしか、戀の出來ないたちの男 なんです。僕は、はつきり言へます。僕は、奧さんの他の女友達を、いちどでも、美 しいとか、いぢらしいとか感じた事が無いんです。

 姉さん。

 死ぬ前に、たつた一度だけ書かせて下さい。

 スガちやん。

 その奧さんの名前です。

 僕がきのふ、ちつとも好きでもないダンサア(この女には、本質的な馬鹿なと ころがあります)それを連れて、山莊へ來たのは、けれども、まさかけさ死なうと思つて、やつて來たのではなかつたのです。いつか、近いうちに必ず死ぬ氣でゐたのですが、でも、きのふ、女を連れて山莊へ來たのは、女に旅行をせがまれ、僕も東京で遊ぶのに疲れて、この馬鹿な女と二、三日、山莊で休むのもわるくないと考へ、姉さんには少し工合ひが惡かつたけど、とにかくここへ一緒にやつて來てみたら、姉さんは東京のお友達のところへ出掛け、その時ふと、僕は死ぬなら今だ、と思つたのです。

 僕は昔から、西片町のあの家の奧の座敷で死にたいと思つてゐました。街路や 原つぱで死んで、彌次馬たちに死骸をいぢくり廻されるのは、何としても、いやだつたんです。けれども、西片町のあの家は人手に渡り、いまではやはりこの山莊で死ぬよりほかは無からうと思つてゐたのですが、でも、僕の自殺をさいしよに發見するのは姉さんで、さうして姉さんは、その時どんなに驚愕し恐怖するだらうと思へば、姉さんと二人きりの夜に自殺するのは氣が重くて、とても出來さうも無かつたのです。

 それが、まあ、何といふチヤンス。姉さんがゐなくて、そのかはり、頗る鈍物 のダンサアが、僕の自殺の發見者になつてくれる。

 昨夜、ふたりでお酒を飮み、女のひとを二階の洋間に寢かせ、僕ひとりママの 亡くなつた下のお座敷に蒲團をひいて、さうして、このみじめな手記にとりかかりました。

 姉さん。

 僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。

 結局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんで すから。それから、一つ、とてもてれくさいお願ひがあります。ママのかたみの麻の着物。あれを姉さんが、直治が來年の夏に着るやうにと縫ひ直して下さつたでせう。あの着物を、僕の棺にいれて下さい。僕、着たかつたんです。

 夜が明けて來ました。永いこと苦勞をおかけしました。

 さようなら。

 ゆうべのお酒の醉ひは、すつかり醒めてゐます。僕は、素面で死ぬんです。

 もういちど、さようなら。

 姉さん。

 僕は、貴族です。

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[18] Dazai Zenshu reads いまでは.