3.3. 人をはめたる湖
世にわりなきは情の道と源氏にも書殘せし爰に石山寺の開帳とて都人袖をつらね
東山の櫻は捨物になして行もかへるも是や此關越て見しに大かたは今風の女出立どれ
かひとり後世わきまへて參詣けるとはみえさりき皆衣しやうくらべの姿自慢此心ざし
觀音樣もをかしかるべし其比おさんも茂右衞門つれて御寺にまゐり花は命にたとへて
いつ散べきもさだめがたし此浦山を又見る事のしれざればけふのおもひ出にと勢田よ
り手ぐり舟をかりて長橋の頼をかけても短は我/\がたのしびと浪は枕のとこの山あ
らはるゝまでの乱髪物思ひせし皃はせを鏡の山も曇世に鰐の御崎ののがれかたく堅田
の舟よばひも若やは京よりの追手かと心玉もしづみてながらへて長柄山我年の程も爰
にたとへて都の富士廿にもたらずして頓て消べき雪ならばと幾度袖をぬらし志賀の都
はむかし語と我もなるべき身の果ぞと一しほに悲しく龍灯のあがる時白髭の宮所につ
きて神いのるにぞいとゞ身のうへはかなし菟角世にながらへる程つれなき事こそまさ
れ此湖に身をなげてながく仏國のかたらひといひければ茂右衞門も惜からぬは命なが
ら死ての先はしらずおもひつけたる事こそあれ二人都への書置殘し入水せしといはせ
て此所を立のきいかなる國里にも行て年月を送らんといへばおさんよろこび我も宿を
出しより其心掛ありと金子五百兩挿箱に入來りしとかたればそれこそ世をわたるたね
なれいよいよ爰をしのべとそれ/\に筆をのこし我/\惡心おこりてよしなきかたら
ひ是天命のがれず身の置所もなく今月今日うき世の別と肌の守に一寸八ぶの如來に黒
髪のすゑを切添茂右衞門はさし馴し壹尺七寸の大脇差關和泉守銅こしらへに巻龍の鉄
鍔それぞと人の見覺しを跡に殘し二人が上着女草履男雪踏これにまで氣を付て岸根の
柳がもとに置捨此濱の獵師ちやうれんして岩飛とて水入の男をひそやかに二人やとひ
て金銀とらせて有増をかたれば心やすく頼れてふけゆく時待合せけるおさんも茂右衞
門も身こしらへして借家の笹戸明掛皆/\をゆすり起して思ふ子細のあつて只今さい
期なるぞとかけ出あらけなき岩のうへにして念仏の聲幽に聞えしが二人ともに身をな
げ給ふ水に音ありいつれも泣さわぐうちに茂右衞門おさんを肩に掛て山本わけて木ふ
かき杉村に立のけばすゐれんは浪の下くゞりておもひもよらぬ汀にあかりけるつき%
\の者共手をうつて是を歎き浦人を頼さま%\さがして甲斐なく夜も明行ば泪に形見
色色巻込京都にかへり此事を語れは人/\世間をおもひやりて外へしらさぬ内談すれ
ども耳せはしき世の中此沙汰つのりて春慰にいひやむ事なくて是非もなきいたづらの
身や