2.3. 京の水もらさぬ中忍びてあひ釘
朝皃のさかり朝詠はひとしほ凉しさもと宵より奥さまのおほせられて家居はなれ
しうらの垣ねに腰掛をならべ花氈しかせ重菓子入に燒飯そぎやうじ茶瓶わするな明六
つのすこし前に行水をするぞ髪はつゐみつをりに帷子は廣袖に桃色のうら付を取出せ
帯は鼠繻子に丸づくし飛紋の白きふたの物萬に心をつくるは隣町より人も見るなれば
下/\にもつぎのあたらぬかたびらを着せよ天神橋の妹が方へはつねの起時に乘物に
むかひにつかはせよと何事をもせんにまかせられゆたかなる蚊帳に入給へば四つの角
の玉の鈴音なして寝入給ふまで番手に團の風静なり我家のうらなる草花見るさへかく
やうだいなり惣して世間の女のうはかぶきなる事是にかぎらず亭主はなほおこりて嶋
原の野風新町の荻野此二人を毎日荷ひ買して津村の御堂まゐりとてかたぎぬは持せ出
しが直に朝ごみに行よし見えける八月十一日の曙まへに彼横町のかゝが板戸をひそか
にたゝきせんで御座るといひもあへずそこ/\にからげたる風呂敷包一つなげ入てか
へる物の取おとしも心得なく火をともしてみれば壹匁つなぎの錢五つこま銀十八匁も
あらうか白突三升五合ほど鰹節一つ守袋に二つ櫛染分のかゝへ帯ぎんすゝたけの袷あ
ふぎ流しの中なれなるゆかたうらときかけたるもめんたびわらんじの緒もしどけなく
加賀笠に天滿堀川と無用の書付とよごれぬやうに墨をおとす時門の戸を音信かゝさま
先へまゐると男の聲していひ捨て行其後せんが身をふるはして内かたの首尾は只今と
いへばかゝは風呂敷を堤て人しれぬ道をはしりすぎ我も大義なれ共神の事なれは伊勢
迄見届てやらうといへばせんいやな皃して年よられて長の道思へば思へば及がたし其
人に我を引合せ莵角伏見から夜舟でくだり給へとはやまき心になりて氣のせくまゝい
そぎ行に京橋をわたりかゝる時はうばいの久七今朝の御番替りを見に罷りしが是はと
見付られしは是非もなき戀のじやまなりそれがしもつね/\御參宮心懸しにねかふ所
の道つれ荷物は我等持べし幸遣銀は有合す不自由なるめはmiせまじとしたしく申は久
七もおせんに下心あるゆゑぞかしかゝ氣色をかへて女に男の同道さりとは/\人の見
てよもや只とはいはじ殊更此神はさやうの事をかたく嫌ひ給へは世に耻さらせし人見
及び聞傳へしなりひらに/\にまゐりたまふなといへば是はおもひもよらぬ事を改め
らるゝさらにおせん殿に心をかくるにはあらず只信心の思ひ立それ戀は祈ずとても神
の守給ひ心だにまことの道つれに叶ひなば日月のあはれみおせんさまの情次第に何國
迄もまゐりて下向には京へ寄て四五日もなぐさめ折ふし高尾の紅葉嵯峨の松茸のさか
り川原町に旦那の定宿あれどもそこは萬にむつかし三条の西づめにちんまりとした座
敷をかりておかゝ殿は六条參をさせましよと我物にして行は久七がはまり也やう/\
秋の日も山崎にかたむき淀堤の松蔭なかばゆきしに色つくりたる男の人まち皃にて丸
葉の柳の根に腰をかけしをちかくなりてみれば申かはせし樽屋なり不首尾を目まぜし
て跡や先になりて行こそ案の外なれかゝは樽屋に言葉をかけこなたも伊勢參と見えま
して然もおひとり氣立もよき人と見ました此方と一所の宿にと申せば樽屋よろこび旅
は人の情とかや申せし萬事たのみますといへば久七中/\合點のゆかぬ皃して行衞も
しれぬ人をことに女中のつれには思ひよらずといふかゝ情らしき聲して神は見通しお
せん殿にはこなたといふ兵あり何事か有べしとかしま立の日より同し宿にとまりおも
わくかたらすすきをみるに久七氣をつけ間の戸しやうじをひとつにはづし水風呂に入
てもくび出して覗日暮て夢むすぶにも四人同じ枕をならべし久七寐ながら手をさしの
ばし行燈のかはらけかたむけやがて消るやうにすれば樽屋は枕にちかき窓蓋をつきあ
け秋も此あつさはといへば折しも晴わたる月四人の寐姿をあらはすおせん空鼾を出せ
ば久七右の足をもたす樽屋是を見て扇子拍子をとりて戀はくせもの皆人のと曽我の
道
行をかたり出すおせんは目覺してかゝに寐物がたり世に女の子を産ほどおそろしきは
なし常/\思ふに年の明次年北野の不動堂のお弟子になりてすゑすゑは出家の望と申
せばかゝ現のやうに聞てそれがまし思ふやうに物のならぬうき世にと前後をみれば宵
ににし枕の久七は南かしらに
ゐるは物參り
の旅ながら不用心なり樽屋は蛤貝に丁子の油を入れ小杉のはな紙に持添むねんなる皃
つきをかし夜の内は互に戀に關をすゑ明の日は相坂山より大津馬をかりて三ぽうかう
じんに男女のひとつにのるを脇からみてはをかしけれ共身の草臥或は思ひ入あれは人
の見しも世間もわきまへなしおせんを中に乘て樽屋久七兩脇にのりながら久七おせん
が足のゆびさきをにぎれば樽屋は脇腹に手をさし忍び/\たはふれ其心のほどをかし
いづれも御參宮の心ざしにあらねば内宮二見へも掛ず外宮ばかりへちよつとまゐりて
しるし計におはらひ串若和布を調へ道中兩方白眼あひて何の子細もなく京迄下向して
久七が才覺の宿につけば樽屋は取替し物共目のこ算用にして此程は何分御やつかい
に
成ましてと一礼いうて別ぬ久七は我物にしてそれ/\のみやげ物を見出して買てやり
ける日の暮も待ひさしく烏丸のほとりへちかしき人有て見舞しうちにかゝはおせんを
つれて清水さまへ參るのよし取いそぎ宿を出てゆきしが祇薗町の仕出し辨當屋の釣簾
に付紙目印に錐と鋸を書置しが此うちへおせん入かと見えしが中二階にあがれば樽屋
出合すゑ/\やくそくの盃事して其後かゝは箱階おりて爰はさて/\水がよいとてせ
んじ茶はてしもなく呑にける是を契のはじめにして樽屋は晝舟に大坂にくだりぬかゝ
おせんは宿にかへりて俄に今からくだるといへば是非二三日は都見物と久七とゞめけ
れ共いや/\奥さまに男ぐるひなどしたとおもはれましてはいかゞと出て行風呂敷包
は大義ながら久七殿頼といへばかたがいたむとて持ず大仏稻荷の前藤の森に休し茶の
錢も銘/\拂ひにしてくたりける
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This part was circles in the Saikaku Zenshu published from Hakubunkan. It
has been added to the etext from the Nihon Koten Bungaku Taikei.