University of Virginia Library

慈心坊

古い人の申されけるは、清盛公は惡人とこそ思へども、誠は慈慧僧正の再誕也。其故は、攝津國清澄寺と云ふ山寺あり。彼寺の住僧慈心房尊慧と申しけるは本は叡山の學侶、多年法華の持者也。然るに道心を發し離山して、此寺に年月を送りければ皆人是を歸依しけり。去ぬる承安二年十二月廿二日の夜、脇息に倚懸り法華經讀奉りけるに、丑刻ばかりに夢ともなく現ともなく、年五十計なる男の淨衣に立烏帽子著て、草鞋脛巾したるが、立文を持て來れり。尊慧「あれは何くよりの人ぞ。」と問ければ、「閻魔王宮よりの御使也。宣旨候。」とて、立文を尊慧に渡す。尊慧是を開いて見れば、

くつ請、閻浮提大日本國攝津國清澄寺の慈心房尊慧、 來廿六日、閻魔羅城大極殿にして、十萬人の持經者を以て十萬部の法華經を轉讀せら るべき也。仍て參勤せらるべし。閻王宣に依てくつ請如件。

承安二年十二月廿二日   閻魔廳

とぞ書かれたる。尊慧いなみ申べき事ならねば、左右なう領承の請文を書て奉ると覺て、覺にけり。偏に死去の思なして、院主の光影房に此事を語る。皆人奇特の思ひをなす。尊慧口には彌陀の名號を唱へ、心に引攝の悲願を念ず。やう/\二十五日の夜陰に及で常住の佛前にいたり例の如く脇息に倚懸て念佛讀經す。子刻に及で眠切なるが故に、住房に歸て打臥す。丑刻許に又先の如くに淨衣裝束なる鬼二人來て、はや/\參らるべしと勸る間、閻王宣を辭せんとすれば、甚其恐有り。參詣せんとすれば、更に衣鉢なし。此思をなす時、法衣自然に身に纒て肩に懸り、天より金の鉢下る。二人の童子、二人の從僧、十人の下僧、七寶の大車、寺坊の前に現ず。尊慧なのめならず喜で即時に車に乘る。從僧等西北の方に向て空を翔て、程なく閻魔王宮にいたりぬ。

王宮の體を見るに、外郭渺々として、其内曠々たり。其内に七寶所成の大極殿あり。高廣金色にして、凡夫の褒る所にあらず。其日の法會終て後、請僧皆歸る時、尊慧は南方の中門に立て遙に大極殿を見渡せば、冥官冥衆、皆閻魔法王の御前に畏る。尊慧あり難き參詣也。此次に後生の事尋申さんとて、大極殿へ參る。其間に二人の童子かいを指し、二人の從僧箱を持ち、十人の下僧列を引て、漸々歩近附く時、閻魔法王、冥官冥衆皆悉下迎ふ。多聞持國二人の童子に現じ、藥王菩薩勇施菩薩、二人の從僧に變ず。十羅刹女十人の下僧に現じて、隨逐給仕し給へり。閻王問て曰く、「餘僧皆歸去ぬ。御房來る事如何。」「後生の在所承はらん爲也。」「但し往生不往生は、人の信不信に有り云々。」閻王又冥官に勅してのたまはく、「此御房の作善の文箱南方の寶藏にあり。取出して一生の行、化他の碑の文見せ奉れ。冥官承て、南方の寶藏に行て、一の文箱を取て參りたり。即蓋を開て是を悉く讀聞す。尊慧悲歎啼泣して、「唯願くは我を哀愍して出離生死の方法を教へ、證大菩提の直道を示給へ。」其時閻王哀愍教化して、種々の偈を誦す。冥官筆を染て一々に是を書く。

妻子王位財眷屬  死去無一來相親 常隨業鬼繋縛我  苦受叫喚無邊際

閻王此偈を誦し終て、即ち彼の文を尊慧に附屬す。尊慧なのめならず悦で、「日本の大相國と申す人攝津國和田御崎を點じて、四面十餘町に屋を作り、今日の十萬僧會の如く持經者を多くくつ請して、坊ごとに一面に座につき、説法讀經、丁寧に勤行を致され候。」と申ければ、閻王隨喜感嘆して、「件の入道は、たゝ人に非ず、慈慧僧正の化身也。天台の佛法護持の爲に、日本に再誕す。故に、毎日に三度彼人を禮する文あり。則此文を以て彼人に奉るべし。」とて、

敬禮慈慧大僧正  天台佛法擁護者 示現最初將軍身  惡業衆生同利益

尊慧是を給はて、大極殿の南方の中門を出づる時、官士等十人門外に立て、車に乘せ、前後に隨ふ。又、空を翔て歸り來る。夢の心地して息出きにけり。尊慧是を以て、西八條へ參り、入道相國に參せたりければ、斜ならず悦て、樣々もてなし樣々の引出物共給で、其勸賞に律師に成されけるとぞ聞えし。さてこそ、清盛公をば、慈慧僧正の再誕也と人知りてけれ。