University of Virginia Library

維盛入水

三の御山の參詣事故なく遂給ひしかば、濱宮と申王子の御前より、一葉の船に棹さして、萬里の蒼海に浮び給ふ。遙の沖に山成の島と云ふ所あり。それに船を漕寄せさせ、岸に上り、大なる松の木を削て、中將銘跡を書附けらる。「祖父太政大臣平朝臣清盛公法名淨海、親父内大臣左大將重盛公法名淨蓮、其子三位中將維盛法名淨圓、生年二十七歳、壽永三年三月廿八日、那智の奧にて入水す。」と書附けて、又舟に乘り、奧へぞ漕出給。思きりたる道なれども、今はの時に成ぬれば、心細う悲しからずといふ事なし。比は三月廿八日の事なれば、海路遙に霞渡り、哀を催す類也。唯大方の春だにも、暮行空は懶きに、況や今日を限の事なれば、さこそは心細かりけめ。沖の釣船の浪に消入る樣に覺ゆるが、さすが沈も果ぬを見給ふにも、御身の上とやおぼしけん。己が一行引連て、今はと歸る雁がねの、越路を差て啼行も、故郷へ言づけせまほしく、蘇武が胡國の恨まで、思ひ殘せるくまもなし。「さればこは何事ぞ。猶妄執の盡ぬにこそ。」と思食返して西に向ひ手を合せ、念佛し給ふ心の中にも、「既に只今を限りとは都には爭か知べきなれば、風の便の音信も、今や/\とこそ待んずらめ。終には隱有まじければ、此世に無き者と聞いて如何ばかりかなげかんずらん。」など思ひ續け給へば、念佛を留めて、合掌を亂り、聖に向て宣ひけるは、「哀人の身に、妻子と云ふ物をば持まじかりける者哉。此世にて物を思はするのみならず、後生菩提の妨と成ける口惜さよ。唯今も思出るぞや。か樣の事を心中に殘せば、罪深からむ間、懺悔するなり。」とぞ宣ひける。聖も哀に覺えけれども、我さへ心弱くては

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[3]叶はじ。と思ひ、
涙を押拭ひ、さらぬ體にもてなして申けるは「誠にさこそは思食され候らめ。高来も賤きも、恩愛の道は力及ばぬ事也。中にも、夫妻は一夜の枕をならぶるも、五百生の宿縁と申候へば、先世の契淺からず。生者必滅、會者定離は、浮世の習にて候也。末の露本の雫のためしあれば、縱遲速の不同はありとも、後れ先だつ御別れ、終に無てしもや候べき。彼驪山宮の秋の夕の契も、終には心を摧く端となり、甘泉殿の生前の恩も、終なきにしも非ず。松子梅生生涯恨あり。等覺十地猶生死の掟に隨ふ。縱君長生の樂みに誇り給ふ共、此御嘆は逃させ給ふべからず。縱百年の齡を保ち給ふ共、此御恨は唯同事と思召さるべし。第六天の魔王と云ふ外道は、欲界の六天を我物と領して、中にも此界の衆生の生死を離るゝ事ををしみ、或は妻となり、或は夫と成て、是を妨るに、三世の諸佛は、一切衆生を一子の如くに思召て、極樂淨土の不退の土に勸入とし給ふに、妻子と云者が無始曠劫より以來、生死に流轉するきづななるが故に、佛は重う戒しめ給ふ也。さればとて、御心弱う思召べからず。源氏の先祖、伊豫入道頼義は、勅命に依て、奧州の夷安倍貞任宗任を責んとて十二年が間に人の頸を斬る事、一萬六千餘人。其外山野の獸、江河の鱗、其命を絶つ事、幾千萬と云ふ數を知らず。され共終焉の時、一念の菩提心を發ししに依て、往生の素懷を遂たりとこそ承れ。就中に出家の功徳莫大なれば、先世の罪障皆滅び給ひぬらむ。縱ひ人あて七寶の塔を立てん事、高さ三十三天に至る共、一日の出家の功徳には及ぶべからず。縱ひ又百千歳の間百羅漢を供養したらん功徳も一日の出家の功徳には及ぶべからずと説れたり。罪深かりし頼義も心の猛き故に、往生を遂ぐ。申さんや。君はさせる御罪業もましまさざるらんに、などか淨土へ參り給はざるべき。其上當山權現は、本地阿彌陀如來にて在ます。始め無三惡趣の願より、終り得三法忍の願に至る迄、一々の誓願衆生化度の願ならずと云ふ事なし。中にも、第十八の願には『説我得佛、十方衆生、至心信樂、欲生我國、乃至十念、若不生者、不取正覺』と説れたれば、一念十念の憑有り。唯深く信じて、努努疑をなし給ふべからず。無二の懇念を致して、若は一反、若は十反も唱へ給ふ物ならば、彌陀如來、六十萬億那由多恒河沙の御身を縮め、丈六八尺の御形にて觀音勢至、無數の聖衆、化佛菩薩、百重千重に圍繞し、伎樂歌詠して、唯今極樂の東門を出て來迎し給はむずれば、御身こそ蒼海の底に沈むと思召るゝとも、紫雲の上にのぼり給ふべし。成佛得脱して、悟を開き給なば、娑婆の故郷に立歸て、妻子を引導き給はん事『還來穢國度人天』少しも疑あるべからず。」とて、金打鳴して念佛を勸奉る。中將然るべき知識かなと思召し、忽に妄念を翻して西に向ひ手を合せ、高聲に念佛百返計唱へつゝ、「南無」と唱る聲共に、海へぞ入給ひける。與三兵衞入道も石童丸も、同く御名を唱へつゝ、續いて海へぞ入りにける。

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[3] NKBT reads かなはじとおもひ、.