University of Virginia Library

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 私は階級闘争を出来るだけ早く緩和する方法として、資本階級の絶滅を計ると共に、労働階級の絶滅をも併せて計る外はないと思います。両階級が対立して存在する限り、いずれかの一方が代って支配者の地位に就くことを要求し、特権を占有する者と第二次的人格者として隷属する者との嫉視争闘の断える機会は永久に来ないでしょう。

  ここ に到って、私は本文の初めに述べたような文化主義の理想に由って、人類生活の精神と組織とを根本的に改造する必要を切実に感じます。

 文化主義の社会には、唯だ文化生活の建設に努力し、協力し、貢献する労作者ばかりがあります。資本主義もなければ営利主義もなく、従って資本家と労働者との階級が対立する見苦しい光景もありません。生活に必要な物質財は、その生産を各人の能力に応じて自由に分担すると共に、その分配もまた各人の必要に応じて公平に おこなわ れます。生産の唯一の要素は人間の労働力です。土地も、器械も、原料も、資金も、余剰価値も、 ことごと く人間の労働力に附属したものです。資本制度が亡んで営利を目的とする労作が存在しないのですから、利潤の名を以て称すべき性質のものもなく、余剰価値が多く生ずれば、それだけ一般人類の物質的生活が豊富に保障される結果になります。

 資本主義の精神と制度とが勢力を持っている今日において、このような文化生活を 翹望 ぎょうぼう することは空中の楼閣にも比すべき幻想として一笑に附せられるでしょう。しかし私は予言します。資本階級も労働階級も、人生の真の平和が愛と正義と平等と自由との中にあることを深省する日が来るなら、資本家はその営利的利己心と、階級的特権と、不労 遊惰 ゆうだ の悪習とを なげう って、その全財産を社会の共有に委すると共に、一般の文化的労作者の間に没入し、労働者もまた資本家に盲従する奴隷心と、 乃至 ないし 資本家に取って代ろうとする利己的支配的欲望とを 一擲 いってき して、同じく文化的労作者としての一席に就くことを、いずれも自発的に決行するに到るでしょう。資本と労働の協調問題は、こういう風に文化主義の理想を目標として考察しなければ、要するに徹底した解決を発見しがたかろうと思います。(一九二〇年一月)

(『雄弁』一九一九年九月)