University of Virginia Library

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 私は貧富の階級闘争を以て到底一度は避けがたいものだと思っています。それは無産階級にある私たちが、一面には労働者として余りに不当に少く支払われ、一面には消費者として余りに不当に多く支払わされているという日日の経済事情がこれを促進せずに置きません。この事は一に少数の資本家と称する特権階級が、その利己的欲望の発露である資本主義的制度、営利的企業制度に由って私たち無産階級の生活を出来るだけ脅かしている所から発生する不祥な事象です。

 既に階級闘争が避けがたいものであるとすれば、出来るだけ穏和な方法でこれを早く通過してしまうことが聡明な仕方だと思います。これを圧服しようと考えるのは、腸 窒扶斯 チフス を解熱剤で退治しようとするのと同じ庸劣な処置です。

 しかし私は、今日 おこなわ れる工場労働者の同盟罷工の如きものが階級闘争の本意であるとは考えません。賃銀の三割や五割の増給を主とする要求は、たとい十割二十割の増給の要求であるにもせよ、それは労働者が資本主義の制度を承認して、その制度の中に 瞞着 まんちゃく されながら、現代における生活の必需品を最小限度に充用し得る程度の賃銀の支払を要求しているに過ぎないのです。資本制度に隷属している第二次的人間の要求としては正当至極の要求であるのです。それですから少し功利的打算に長じた資本家は比較的容易にその要求を寛容します。

 階級闘争がこういう賃銀の増給のような要求を前衛として起って来る間は、資本家はまだ太平の夢を見ていることが出来ます。労働者が資本家の存在を認めて、賃銀さえ要求通りに支払わるれば、その下風に立って各自の労働力を商品の如くに売買することを辞しないという奴隷的精神が明確に維持されているからです。